ラッキースケベ回避法!



「俺こそが長義が打った本歌、山姥切。聚楽弟での作戦において、この本丸の実力が高く評価された結果こうして配属されたわけだが、……さて」

 お決まりの顕現時の宣誓を述べて、違和感。顔色を変えた主の「やっべ」というわかりやすいそれを見やりながら喉にするりと手を這わせると、凹凸のない滑らかな肌触りを感じる。おや、と瞬いて、視線を下に向けると膨らんだ胸部が足元を隠しており、山姥切長義は自ずとどういった状態であるかを察した。
 賭けには負けたか、と冷静な部分が判断を下す。

「ごごご、ごめ、山姥ぎっ」
「主ぃぃぃ!!!」
「ヒョェェエ!!?」

 青褪めた顔で泡を食ったように口を開きかけた主が、凄まじい声量と勢いで顕現の間に殴り込んできた相手にビョッと両足を揃えて飛び上がった。
 その勢いに長義もまた目を丸くしたが、飛び込んできた相手に眉を潜めて渋面を作る。極めたからか、隠されることなく露わになった太陽の光を寄り集めたような黄金の髪。陰ることなく輝く新緑の若葉のごとく生命力に富んだ鮮やかな翠色の双眸。白い肌は柔らかく丸みを帯びて、紅潮した頬は薔薇色だ。小作りの唇は桃色に艶めいて、ぷるりとしている。整った貌は、よく見る鋭さや精悍さよりも、美しさや愛らしさを強く出して目に眩しい。まあ、眩むわけがないんだが。と長義は一笑に伏す。
 体のラインは丸みを帯びてしなやかで、肩は薄く、胸部の膨らみは衣服の上からでは正確な大きさは計れない。腰は細くて、プリーツの利いたスカートから伸びた脚はムッチリと肉付きが良い。丸っ切り少女の体で、その顔を般若のように歪めて、乱入者…山姥切国広は長義の姿を視界に収めるとサッと顔色を変え、わなわなとぷくりとした唇を戦慄かせた。

「どうして、あんたまで…!」

 悲愴な声は、常の低さにあらず。鈴を転がすような高さで、絶望感に打ちひしがれて。引き攣った喉は細く、出っ張りはない。己よりもよほどショックを受けたような写しに、長義は歪んだ顔を戻して軽く肩を竦めた。

「仕方がない。運が無かったということかな」

 確率は二分の一。
 この本丸では、こういう顕現の可能性があると事前に知っていた。目の前の写しのように、本来の性を反転させた姿で顕現される。審神者が何か違法や外法に手を出したわけではない。法則性はわからないが、恐らく意識や思い込み、あるいは霊力の相性か。
 覚悟はしていたから、さしてショックには感じていない。まあ、まさか本当にこうなるとは思ってはいなかったが。
 諦めと受け入れの吐息を零して、長く伸びた自前の髪を搔き上げる。道理で頭が重いと思ったーー山姥切長義は、平謝りする審神者と打ちひしがれる写しを眺めて、しょうがない、とクッと口角を持ち上げた。

「俺の価値は女体程度で下がりはしないよ、偽物くん」
「そういう問題ではないんだ…!くそ、だから顕現は少し待てと言っただろう!!」
「だだだって!早く皆んなに会わせたくて!」
「あんたはそういう余計なことに気を回すと碌なことにならないと自覚しろ!!」

 憤慨し、審神者に詰め寄る国広に、長義は眉宇をひそめる。確かに、女体となったことは歓迎できることではないが、さりとて主に向かってその言い様はないだろう。
 わざとではないのだし、本丸の皆んなに会わせたかったという健気な思いは、引いては本丸中が長義を待っていたということに他ならない。第1回目の騒動を思えば面映ゆく、長義は喧々囂々と審神者を叱りつける写しから主を庇うために一歩を踏み出し、あ、と目を見開いた。
 写しに責めたてられ、タジタジと後ろに下がっていた主が何かに引っかかる。己れの袴の裾でも踏んづけたのだろう。ぎゃっという声と共に傾く体に咄嗟に手を伸ばすも、反射的に主を庇おうとしたのは写しも同じで、同じ行動なら距離も速さも現時点では写しには敵わない。長義があっと声を上げる間も無く、ドタバターン!とけたたましい音を立てて2人は縺れ合うように倒れこんだ。反射的に目を閉じて、そろりと開ける。全く、俺の写しともあろう物がきちんと支えることもできないのかな?そう苦言を呈してやろうとして、長義は床の上で倒れこむ2人を見下ろし、は?と口を開けた。

「なに、しているんだ?君たちは…」

 倒れこんだ拍子に、審神者の上に覆い被さるように重なった写し。そこまではいい。あの状況ならあり得る体勢だ。しかし、何故審神者の顔が写しの乳房で押し潰されているのか。息苦しそうにフガフガと写しの下でもがいて、しかもその審神者の手はガッツリと写しの臀部を鷲掴みにしている。
更に、写しの下半身はベロリと衣服が捲れ上がり、淡いグリーンのボーダー柄の綿パンツが丸出しの状態で、その露わになった大きめの尻を指が食い込む程掴んでいる。むちっとした肉感を目に焼き付けて、長義は宇宙猫顔で、ちょっと普通ないですね??という体勢で縺れ合う両者を見下ろした。
 見下ろされた写しは、ふっと影を背負った顔で何もかも受け入れた菩薩の笑みを浮かべる。いや違うあれ死んだ魚の目だ。何もかも諦めた目だ…!戦慄する長義を尻目に、審神者を下敷きに、尻を揉まれたまま国広は長義を見上げた。

「これが、この本丸の宿命だ」

 え、いやどゆこと??
 キメ顔でカッコつけられても、長義の目には大変際どい格好で事故った写しと審神者しか映らず、顕現初っ端から理解不能の只中に突き落とされ、ただ困惑することしかできなかった。
 とりあえずお前、せめてスカートは下ろそ?無言で長義は、本歌の矜恃とせめてもの情けで、写しの丸出しの下半身にそっとスカートを下ろしてやった。





 この本丸の特異性は、第1回聚楽弟任務ですでに監査官たる長義に知らされていた。事前に渡される資料でも把握していたし、実際に赴いた時にも確認したので、2度目の聚楽弟で配属となった時はできるなら回避したい、と密かに思っていたほどだ。
 この本丸では数こそ多くはないが、何振りかの刀が女の体で顕現される顕現異常が確認されていた。かといって女の体であること以外に異常はなく、任務に従事するに問題はないとされ恙無く前線基地の運営は任されている。
 その情報を知って、更に自分の写しが女体で顕現されている姿を見て、自分もまたああなるのかもしれないと思うとやや腰が引けたのは事実だ。いやでも、元は男で顕現されているのだからこのままの可能性の方が高いのでは、と二分の一の確率に任せたのだが、生憎と賭けには負けてしまった長義は自らに責はないとはいえ、いささか口惜しい気にもなった。
 何故1回目で配属とならなかったのかといえば、本丸の審神者が丁度インフルエンザで倒れていたからだ。本丸内もバタバタしていたし、事情だけ聞いて長く止まるわけにもいくまい、と早々に撤退したのだが、まさか2回目も同じ本丸に監査に行くとは思わなかった。
 しかもすでに正体は露見済み。ニヤニヤ、あるいは期待に満ち溢れた眼差しで見つめられるのは大分羞恥を覚えたが、仕事は仕事だと割り切った。まあ、この時でさえ審神者はいささかの体調不良だったようだが、寝込むほどでもないからと頑張ったようだ。いや、無理は良くないぞ、とやんわり見送るように進言してみたが、やだやだ本歌を迎えるんだとグズられると突っぱねるのも可哀想に思える。聚楽弟は別に俺を迎える為のイベントではないんだが、と思いつつ微熱のせいで子供がえりをしているらしいと説明を受け、やっぱり任務は見送った方が、という長義の懸念も刀剣達による審神者がいなくてもバッチリ任務は遂行します!という事前?の準備により事なきを得た。
 そうして配属になったわけだが、恐らくその不調が回復しないまま顕現の儀を行なったのが顕現異常の一端を担ったことは否定しきれない。
 結局、国広に押し倒された主はそのまま発熱で気絶し、慌てて寝室に押し込まれるというなんともしまらず、かつ慌ただしい始まりに女体への戸惑いも感じる間もなかった長義は広間で短刀にお茶を淹れてもらった時点で、ようやく一息つくことができた。

「災難でしたね。山姥切」
「あぁ、鯰尾か。災難というか、呆気にとられたといった方が正しい、かな」
「あはは。でも顕現初っ端からアレを目撃するなんて早々ありませんよ。まあ、山姥切に被害がなくて良かったです」
「被害…あれは、どちらが被害者なのかな?」

 下敷きになった主は可哀想だと思うし、しかし完全にセクハラの被害に遭っていたのは写しの方だ。パンツ丸見えで鷲掴まれていた分を加味すると、写しの方が被害者か?しかし主の体調は悪かったように思うし、その状態で人体の重みを受け止め窒息しかけていたことを思えば主も被害者のように思える。
 本当に女体だーと遠慮なく長義の両胸を揉む鯰尾に眉を下げ、長義は苦笑を浮かべた。恐らくそれなりに豊かな乳房を下から掬い上げるように持ち上げ、たぷたぷと揺らす鯰尾は女体化の被害にはあっていない正常顕現側の男士だ。周囲がぎょっと鯰尾の行為に目を剥いているが、元は男士だったせいか長義も胸を揉まれることにさして意識は割いておらず、好きにさせたままである。うっわ柔らか、と呟きながらもにゅもにゅと揉みしだいた鯰尾も、返答に困ったように眉を下げた。

「一概には言えませんね。主もわざとじゃありませんし、なんというか、そういう星の元に生まれたというか…この本丸じゃ茶飯事ですし」
「茶飯事なのか!?」

 驚愕だ。え、まさかあんな恥ずかしい事故が頻繁に行われていると?見開いた長義に鯰尾は真面目な顔でコクリと頷き、満足したのか胸から手を離しながらどういうことか、と本丸の実体を語り始めた。

「山姥切も覚悟しておいた方がいいと思うんで話しますけど、主は所謂ラッキースケベ体質って奴なんです」
「ラッキースケベ体質」
「ラッキースケベってのは、まあ平たく言えば意図しない所で本人の意志に関係なく、助平なハプニングが巻き起こることです」

 詳細はこの資料をどうぞ。
 差し出された資料はどこからどう見ても漫画本だったが、資料というからにはきっと役に立つものなのだろう。可愛らしい女の子が制服姿でちょっと際どい丈のスカートを翻している表紙だ。ちょっとすれば奥が見えそうな構図だが、これが所謂チラリズムというものだろうかと聞き齧りの知識を閃かせる。

「主はこの本丸の、しかも女体の刀剣限定でラッキースケベを起こす体質なんです」
「もの凄く限定的だね!?」
「まあ、だからそんなに問題が起きてるわけじゃないんですけどね。他本丸相手にやらかしてたら今頃主が五体満足かどうか…」
「あぁまあ、それは確かに」

 刀剣相手でも問題だが、万が一女性審神者相手にそんなトラブルが起きれば今頃かの審神者の社会的地位は無くなっていることだろう。下手したら命もないかもしれない。ギリギリだな、と長義は戦慄した。

「この本丸の刀剣女士は大体被害に遭ってるんで、山姥切も覚悟しておいた方がいいですよ。幸い、主以外はそういう体質の刀はいないので主に近づかなければ大きな被害には遭わないんですけど、まあ、いつどこでどんな状況で巻き起こるかはわかりませんし」
「え?短刀もかい?」
「短刀もです」

 え、そこの小夜左文字や乱藤四郎や愛染国俊も??信じられないものを見る目で刀剣女士被害者を見れば、視線に気づいた三振りが振り返ってにこやかに手を振った。反射的に笑みを浮かべて手を振り返したが、それ主は本当に大丈夫なのだろうかと心配になる。
 なにせ政府でも、短刀の保護者を名乗る刀剣達の可愛がりようは周知の事実だ。よく首が繋がっていたな、と長義は審神者の悪運に感心した。

「主な被害者は打刀以上なんですけど、稀に短刀も巻き込まれるんですよ。だから山姥切も覚悟してくださいねってことで」
「あまり、覚悟はしたくないのだけど…」

 渋面を作り、あんな恥ずかしい状態を人目に晒すような事態にはあいたくないな、と口元をへの字に結ぶ。

「まあ、主も完全に回復するまでは数日かかりますし、長義の歓迎会もそれまではありませんから!だからそれまでは平和ですよ!」
「なに一つ安心する要素がないね?ただのモラトリアムかな??」

 つまり主が回復したらあの被害にあうと?とんでもない本丸に来てしまったな、と顔を引きつらせた長義は、渡された資料に打開策があるといいんだが、と憂いの溜息を零した。





 長義は慄いた。鯰尾に渡された資料を一巻から読み進めて、その内容に顔から血の気を引かせてそっと漫画本を文机に置く。ギュッと我が身を守るように両肘を掴んで、寄った乳房がむぎゅっと強調されたことにも絶望した。間違いなく女体である証に唇を引き結び、どうしよう、といつもは強きの眼差しを揺らめかせた。いや、別に、体は女でも中身は男なのだし、大したことはないはずだ。乳房や尻を触られるぐらい、気にする必要はない。ないが、…参考資料は中々に過激だった。
 そして、ラッキースケベなる現象から逃れる術がないこともより長義を追い詰めた。打開策があればいいものを、なす術もなく受け入れろと!?あんな小っ恥ずかしい辱しめを甘んじて受け入れろというのか!流石に衆目を集める場で組んず解れつ際どい部分を晒したり触られたりされるのは遠慮したい、と項垂れていると、おい、と低い声が部屋の外から掛けられ長義は緩慢に顔を上げた。

「飯が出来たってよ、…にゃ?」
「猫殺し君?」

 ったく、なんでオレが。とぶつぶつとぼやく声と共に、長義の返事も待たずにすらりと襖が横に引かれる。そして見えた姿に瞬くと、相手も軽くパチリと瞬いて、マジマジと長義を見下ろした。

「本当に女になってんだ、にゃ」
「君は正常顕現組か。…昔馴染みでは俺だけということか」

 それも少しショックだ、と性別が変わったからといって周りの何が変わるわけでもないと理解していても、自分だけが違うと僅かばかり影が落ちる。
 態度が変わるだとか、侮られるだとか、そんなことは彼らに限って有り得ないとわかっている。要するに自分の心持ちの話なのだが、さすがに顕現初日なこともあり、情緒が不安定なのかもしれない。…あんな資料も見てしまったことだし。
 男性体との違いを観察していた南泉は、ふと瞼を伏せて憂いを見せた長義に眉を動かした。白い瞼を縁取る透き通るような長く扇型の銀の睫毛が音もなくふわりと空を切る。どきりとするような艶めかしさに息を呑みながらも、南泉はらしくない様子の長義を伺った。

「なんだよ。気持ち悪ぃにゃ」
「喧嘩を売ってるのかな?これでは猫の方が人の機微に聡いと言われてしまうよ、猫殺し君」
「人じゃなくて刀だろ。…なんだよ。まさか女になったから落ち込んでんのか?…にゃ」

 まさかお前に限って?と、言わんばかりの言外の態度に大概こいつも失礼ではないかと思いつつ、それがいつもと変わりない南泉からの長義の評価だと思えば、悪い気はしない。実際、女体になったことを憂いているわけではないので、南泉の考えは正しい。長義は少し考えて、小さく吐息を零すと肩を竦めた。

「別に、女体になったことは問題ではないかな。この本丸の特異性は聞き及んでいたからね、ある程度覚悟はしていたさ。まあ、本当にこうなるとは思っていなかったが…成すべきことは何も変わらないよ」

 この戦を終わらせる為に参戦した。長義のやるべきこと、やりたいことに性別はなんの障害にもなりはしない。長義は鼻で笑い、口角を持ち上げる。見慣れた自尊心に溢れた笑みに南泉は顔を顰め、じゃあ何が問題だと顎をしゃくった。
 それに一瞬、強気な笑みを消して長義は言い澱み、気まずげに視線を逸らした。しかし、隠すことでもないか、と思い直すと微かな溜息を吐いて文机にチラリと視線を向ける。

「…この本丸は、女体化以外にも多少変わった問題があると聞いたからね」
「あぁ、アレか」
「別に、胸やら尻やら触られるのが殊更嫌なわけではないんだ。主もわざとではないというし、体質…そういうものだというなら、純粋な女でもなし、仕方ないとは思うんだが…」

 そこまで口にして顔を顰めると、長義は漫画本の表紙を憂うように撫でて肩繰りから滑り落ちた銀糸を払うように後ろに追いやる。さらさらと流れる銀糸の美しさに目を奪われつつも、南泉はひょい、と長義の手元を覗き込んだ。

「おい、それ」
「これか?鯰尾から主の体質についての資料だと渡されたんだが、とんでもない体質だね。ラッキースケベというものは」
「いや、まぁ、確かになんでそうなるって思うような現象だけどにゃ」

 確かに、南泉とて幾度か目撃したことはあるが、あれは本当に一体どういう手順を踏めばああなるのか理解しがたい超常現象だ。なんせ着込んでるだろう戦装束さえもいつの間にか脱げてあられもない恰好になるのである。加えてそこでピンポイントで主の手やら顔やらが突っ込むのだから、作為的なものを感じる前に奇跡だと感心するしかない。
 日々巻き起こる阿鼻叫喚を思い出し、南泉はしみじみとありゃ神の手だな、と頷いた。付喪神のいる中で神の手と称される手腕。まぁ、褒められたものでないことは確かだが。

「…俺は、今後、この書物のような目に遭うのだろうか」

 ふとぽとりと雨粒が落ちるように落とされた呟きに、日々の騒動を思い出していた南泉は咄嗟に長義に視線を向けた。視線の先では歯がゆいとばかりの表情と共に、一抹の不安のようなものを一滴落としたかのように睫毛を震わせる長義がいる。
 常ならば不遜に輝く目が、所在無く移ろう様はなんとも頼りない。きゅっと僅かに引き結んだ桜色の唇を見つめて、こんな顔をするのかと目を丸くしながら南泉はぎゅっと眉根を寄せた。

「触られることはいいんだ。ただ、こんな辱めを衆目に晒されることは、ちょっと、受け入れがたい、かな」
「…他の奴らだって同じ気持ちだろうよ。ありゃ慣れみたいなところもあるし、にゃ」
「ふふ。そうだね…慣れるほどに見舞われたくはないが、仕方のないことだね」

 主の奇行に巻き込まれて、最早周りも悲鳴をあげるよりもまたか、と思う方が大きい。元々刀剣の付喪神であるがゆえに、人ほど性的な部分に敏感でもないせいかざっくばらんに受け止める節があるが、それでもそれなりに皆羞恥心や嫌悪感というものは持っている。
 その中で、主のそれがわざとならまだしも本人も抗いようがない性質、体質というのなら「しょうがないなぁ」と受け入れてしまうのが刀剣男士、この場合女士の性だろう。主とて改善しようと努力しなかったわけではない。周りも対策を立てたことはある。が、それでも、どんなことをしても、何故か服は脱げて主は女士に突っ込む。ラッキースケベとはかくも強固な宿命なのかと、天を仰ぐこともしばしばだ。
 しかし、配属されたばかりの長義にはいささか辛いものがあるのも事実だ。こいつ、プライドも態度もでかいからな、と常に南泉にマウントを取ってくる態度を思い返して、しかめっ面をすると南泉はぐしゃぐしゃと髪を掻き乱した。

「とにかく。先のことなんか考えてもしょうがねぇだろ。今は飯だ、飯」
「あぁ、そういえば夕餉を呼びにきたんだったね」

 空気を変えるように声を張った南泉に、長義も一つ瞬きをして憂いを消すと楽しげに目を細めた。
 期待にキラキラと輝く瑠璃に、無意識に南泉の口からほっと安堵の吐息が漏れる。

「ここの食事は誰が作っているんだい?政府の統計だと厨にはよく燭台切光忠や歌仙兼定が立つと聞くけれど」
「どんな統計取ってんだよ、政府は。まぁうちもそうだぜ。今日は燭台切がはりきって作ってた、にゃ」
「そうか!燭台切殿の作る食事は初めてなんだ。本丸の食事とはどんなものだろうね?やはり政府の食堂のそれとは違うのかな」
「あーどうだろにゃ。まぁ、食べてみりゃわかるだろ」
「うん。そうだね、確かにそうだ。ならば早く行かなくてはね。ほら、猫殺し君ぐずぐずしていないで早く食堂に行くよ!」
「ちょ、待て待て。お前場所どこかわかんのかよ!?」
「見縊るなよ。本丸の配置ぐらい頭に叩き込んでるよ」

 まるで子供のようにはしゃぎ始めた長義に目を見張りつつも、頬を紅潮させて楽しげに笑う様は悪い気はしない。いそいそと立ち上がり、襖を開けて振り返った長義の今にも走り出しそうな雰囲気に呆気に取られた南泉は、しかし慌てて立ち上がるとさっさと廊下に出てしまった後ろ姿を追いかける。こいつ、呼びに来た相手を放ってさっさと行くか?その我が道を行く背中に、これからの自分を思い浮かべてうんざりした顔をしながらも、歩幅を広めて歩けばものの数歩で長義に追いつく。
 あぁ、そうか。そんなところも違うのかと思いながら、横に並ぶと長義の勝気な視線がチラリと南泉を見上げた。以前よりも開いてしまった視点の距離を見下ろして、南泉は気だるげに流し目を送り返すとふいっと再び前を向く。その様にくすりと笑って、長義は鼻歌混じりに口角を持ち上げた。
 まぁ、変に気落ちしているよりも、こうして楽しげにしている方がこいつらしくて落ち着くよな、と、本丸での初めての食事、とやらに浮かれている様子の長義に、南泉は知らず口元を緩めていた。





 ここの審神者は凄い。
 素直に長義は感心と少しばかりの畏怖を覚え、偶々障子戸が開けられたままの審神者の寝室に目を半目に落とした。
 熱も引き、もう起きても大丈夫だと太鼓判を押された主の部屋では、己れの写しと主が縺れ合っている光景が見えた。
 縺れ合うというか、仰向けに転がった国広の上…正確には股の間に主の顔が突っ込み押し倒した状態なのだが俺は何故写しのそんなシーンばかり見ているのだろうか、と遠い目をするしかない。そして運がいいのか悪いのか、仰向けになり首をのけぞらせた国広と偶々目が合い、大変気まずい状況だ。まあ、今回は内番着…ジャージ姿なだけ、下着などが露わになることはなかったのでマシなのではないだろうか。それでも股の間に他人の顔が押し付けられるのは嫌だが。
 大変だな、お前も。今この時だけは優しくしてやれそうだと長義が微笑むと国広の顔が死んだ。うんまあ、俺でも同じ状況になったら同じ顔になる。
 だが、その被害は何も写しだけのものではない。偶々長義が目撃したのが国広が被害にあっている時なだけで、実は主が寝込んでいた3日ほどの間、見舞いに訪った仲間内でそんなハプニングは毎度起こっていたらしい。やれ、水を渡しに行って水をひっ被って服が透けて下着が見えただの、転けて主の上に覆い被さり胸を顔面に押し付けただの、熱で浮かされた主に胸揉まれただの、いや頻度多くない?皆んなわかってるのになんで主の見舞いに行くの?とばかりのハプニングがあったらしい。
 まあ、そんな目にあうとしても心配して様子を伺いに行くということは、体質はどうあれ慕われていると言うことなのだろうが。
 割とここの刀剣も隙があると言うことなのかもしれない、と数々の事例を思い浮かべて長義は嘆息した。むしろ話を聞く度に近寄り難いな、という気持ちを強くしているがここで過ごしていけば自分も主に対して仕方ないなあと苦笑で済ませられるようになるのだろうか。いや、仕方ないことなのだろうと今でも思ってはいる。体質、運命、宿命。主とて好きでそんな体質になったわけではないだろう。心労もいかばかりか。まあ、役得と思っていないのかと問われるとその心情は定かではないが、毎回あんな目にあえば互いに疲弊もするはずだ。うん。やはり、諦めざるを得ないだろう。嫌だが。正直物凄く嫌だが。だって。

「…猫殺し君に見られるのは嫌だなぁ」

 誰が相手でも恥ずかしいし情けないので回避したいのは勿論だが、一等見せたくないのはあの刀にだ。平たかった胸部は今やこんもりと盛り上がり、その上に手を添えて溜息を一つ。自分で触れても柔らかなそこを、付き合いの浅い相手に触れられるのか。
 500年余りの付き合いで今更その程度、と思うかもしれないが、他の男を絡めて醜態を晒すのはまた別だ。しかも辱しめと相違ないハプニングだという。普通に遠慮したい。
 まあ、猫殺し君は気にしないだろうけれど。独りごちて、それはそれで腹が立つな、とムッと眉を寄せた。仮にもこんな美女になった昔馴染みを前にして、主とは言え他の男相手に大変な目にあうかもしれない現場を一切気にしないとは何事か。想像して、長義はイラっと米神を引きつらせた。よし。八つ当たりに行こう。南泉からすれば非常に理不尽で、しかし長義からしてみると当然だと言う思考回路で、今日は非番の筈だからこの時間なら裏庭の木陰辺りにでも寝ているかもしれない、と踵を返す。いくらかの昼寝場所候補を思い浮かべながら、長義は浮き足立って南泉を探した。
 陽当たりが良い場所、風通しの良い場所。加えて適度に静かで人の気配が薄い場所。南泉一文字は猫の呪いの一環か、あるいはそうあれと望まれたからか、気配に聡い個体が多い。己れの領域に踏み入る相手を無意識に選別しているのだろう。本丸内は余程でなければ己れの住処として大概気を許しているので、寝る場所には困らなさそうだが気配があると寝入りが浅いのは猫の性分なのかもしれない。動物は特に、目を閉じている事と眠ることはイコールではないから。そうして予想通り、人気のない裏庭の木陰で彼曰くふかふかの地面に寝転ぶ刀の姿を見つけて長義は口角を持ち上げた。本丸の見取り図を覚える際に、あの刀が好みそうな場所も目星をつけておいたのだ。本丸の先立からの情報だって抜かりなく入手している。流石俺の目は確かだな、と自画自賛しながら長義は遠慮なくざかざかと南泉に近づいた。左手を枕にし、体を横向けて背中を丸めた体勢は胎児のようだ。ふわふわの金髪に草が引っかかって、起きた時には鳥の巣状態ではなかろうかと懸念を覚える。まあ、本人はあまり頓着しないのだろうけれど。微かな寝息は風に攫われて聞き取りづらいが、近づいても起きない辺り、なんだかんだと気を許しているのだろうな、と長義はふ、と瞳を和ませた。起きていればあからさまに警戒を見せる癖に、天敵が近づいても起き出さないなんて野性はどこにいってしまったのかな?そんな揶揄いを込めて、そぉっと南泉を覗き込む。腰を曲げると、長く伸びた銀糸が肩から滑り落ちて顔の横でさらさらと揺れた。…考えたことはなかったが、この長さは出陣する時に邪魔なのでは?
 落ちてきた髪の一房を摘み、毛先を揺らしながら小首を傾げる。元は政府産刀剣男士だったので、多くの同位体と同じく頭髪は頸が見えるぐらいの短髪だったのだ。遥か昔は長髪であったこともあったが、実体があるわけではなかったので気にしたこともなかった。初めて肉の体を得て、長義は長く伸びた己れの頭髪に同じく長い髪の男士を思い浮かべたが、やはり戦さごとには邪魔な気がする、と頭を悩ませたところで下からぅにゃあ、と間延びした声が聞こえ、つい、と視線を落とした。横を向いて丸まっていた南泉が、ごろりと寝返りを打って仰向けになる。半開きになった口からチラチラと赤い舌と対照的なエナメル質の白い歯が覗き、すこーと溢れる寝息はなんとも健やかで間が抜けている。

「…野性味の欠片もないじゃないか」

 ふは、と思わず吹き出して、傍に膝をつくと長義は瞳を細めて南泉を見つめた。閉じた瞼の下にある黄水晶の眼差しが見たいとも思うが、この気の抜けた寝顔ももっと見ていたいとも思う。不思議だ、見飽きた顔なのにまだまだ見ていたいと思うなんて。
 まあ、嫌いな顔ではないしね。むしろ好ましい造作だ、と好奇心に駆られてつん、と人差し指で南泉の頬を突く。瑞々しい張りと柔らかな頬肉を爪先に感じ、温かな体温にコトリと心臓が動く。
 二度、三度。ツンツンと突けばさすがにむず痒かったのか寄った眉根で眉間に皺ができる。それでも開かない瞼にどこまでやれば起きるだろう、と指先を彷徨わせた。
 鼻でも摘めば起きるだろうか。それとも頬でも引っ張ってやろうか。悩むながら南泉にとって不穏に指を動かすと、不意にパチリと南泉の目が開く。キラキラと瞬く黄水晶にあっと息を呑んだ瞬間、おーい、と本丸から声が聞こえ、咄嗟に長義は後ろを振り返った。

「こんな所にいたんだね、長義君」
「燭台切殿」
「探したよ。今日は主も回復したから、快気祝いと長義君の歓迎会も兼ねて宴を開く予定で…あれ、南泉君?」
「主はもう平気なのかぁ?」

 丁度長義の影になっていたせいか近くまで南泉に気がつかなかった燭台切は片目を丸くして、一緒だったんだね、と穏やかに微笑んだ。
 いつのまにか体を起こしていた南泉はわしわしと頭をかき、くっついた草を落としながらくわぁ、と欠伸を零す。

「午睡の邪魔をしちゃったかな?仲がいいんだね、2人とも」
「気にしないでくれ。偶々一緒にいただけだから。それで、今晩が宴なんだっけ?」

 偶々、という言い方は適切ではないが、2人が望んで共にいたわけでもない。長義が南泉を探していただけで、南泉はただ寝ていただけなのだから仲良しだと誤解されるのも可哀想だ。気心は知れているけれど、仲が良いとはまた別だと考えているので。
 やんわりと否定しながら予定を確認すると、燭台切はそうそう。とパチンと手を叩いてにっこりと笑った。

「宴があるから、折角だし長義君の好きな物を聞いておきたくて。長義君は何が食べたい?」
「そうだね…燭台切殿が作るものはなんでも美味しいから、決めかねるかな」
「本当?そう言ってもらえると嬉しいな」

 世辞でもなく本心からなのだが、しかしここはリクエストをしなければ相手が困ってしまうだろうことも長義は理解していた。望まれていることを与えない道理はなく、しかし、本当に特に思いつかず、長義は迷うように視線を泳がせ、隣の南泉を視界にいれると、あぁ、と目を細めた。

「お刺身、が食べたいかな」
「刺身?長義君は刺身が好きなんだ?」
「見た目も華やかだからね。手間かもしれないけど…」
「大丈夫だよ!ふふ。刺身が好きなんて意外だなぁ。楽しみにしててね」
「あぁ。よろしく頼むよ」
「任せて!じゃぁ、僕は準備があるからもう行くけど、2人もあまり遅くまで外にいないようにね。適当な時間に広間に来てくれたらいいから」
「わかったよ」

 そういって逞しい背中を向けた燭台切を微笑みながら見送った長義は、プスプスと突き刺す視線に微笑みを張り付けたままくるりと振り返った。

「なにかな、猫殺し君。そんなにまじまじと見て」
「お前、刺身が好物とか嘘だろ、にゃ」
「心外だな。嘘じゃないよ。普通に好きだよ、お刺身」
「普通に好きであって、好物じゃねぇだろ…にゃ」
「別に構わないだろう?嫌いなものではないんだから。それとも猫殺し君はお刺身嫌いだったかな?」
「いや、オレも嫌いじゃねぇけどよ」
「なら何も問題はないね。正直、本当になんでもよかったんだ。燭台切殿の作る食事はなんでも美味しいし、俺のことを考えて作ってくれると言うのなら有難く頂くけどね。でもあの場でなんでもいい、なんて言えないだろう?それなら誰の好きなものでも構わないと思ったんだよ。俺が嫌いなものでなければね」
「オレ刺身が好きとか一言も言ってねぇけど?」
「古今東西、猫は魚が好きなものなんだよ、猫殺し君。というか君、昔から肉よりも魚派だったじゃないか」

 まぁ、そもそも昔は時代的に肉食が主流ではなかったから、趣向もそのまま持ちこされているだけなのだろうが。それでも南泉が牛肉の類よりも魚肉の類を好んでいることは知っている。この三日ほど食事の様子を観察していれば自ずと答えは見えてくると言うものだ。肉が出てくるときよりも焼き魚や煮魚の時の方が箸の進みが早かったよ、君。
 そういってニヤリと笑えば、南泉はもごもごと反論を口の中で転がすとオレは猫じゃねぇ、とそれだけ言い返して溜息を吐き出した。

「本当に、お前にだけは会いたくなかった、にゃ」
「それは残念。俺は君に会いたかったけどね。その可愛らしい語尾が恋しくて恋しくて」
「ケッ。女になっても性格は悪いまんまだにゃ!」
「良い性格と言ってくれないかな。君は…野生を少し落としてきたんじゃないか?」
「はぁ?」
「会いたくない相手が横に居て惰眠を貪るのは、あまりに危機感がないんじゃないかと思ってね」

 まぁ、間の抜けた顔で寝息を立てている姿は悪いものじゃないけれど。しかし本丸内だからといって気を抜きすぎなような気もする。悪戯されても知らないよ、と嘯けば、南泉は顔を顰めて何言ってんだ、と口を開いた。

「なんでお前相手に危機感持たなきゃならねぇんだ、にゃ」
「…へ?」
「今更お前相手に取り繕うもんもねぇだろ。…そろそろ本丸に戻るぞ」
「え、あ、あぁ」

 意味わかんねぇ、とばかりに言い残して、よっこいしょ、と立ち上がった南泉は長義を置いてすたすたと歩いて行ってしまう。後に残された長義は言われた意味が咀嚼しきれないまま、呆気に取られて遠ざかる背中を見つめて息を詰めた。じわじわと、顔に熱が集まってくる感覚がする。いや、顔だけじゃない。耳も熱くなってきたような、と両頬に手を添えると、途中で長義がついてこないことに気が付いたのか離れた位置で南泉が立ち止まり、振り返った。訝しげな声が、どうした、と長義に声をかけてくる。

「なにやってんだ、化け物切り」
「な、なんでもないよ!」

 少しばかり上ずってしまったが、声を張り上げたからだと思って貰えればいい。軽く俯けば、長い髪が横に垂れて顔を隠してくれる。耳もきっと隠れているだろうから、いくら目の良い南泉とて見えないだろう、とそっと安堵の息を零して長義はこの時ばかりは長くなった己の髪に感謝した。
 結わえようかと思っていたけれど、これはこれでいいかもしれない、と安直な考えを持ちつつ、急いで顔の熱を引かせて律儀にも立ち止まっている南泉に急いで立ち上がると小走りに駆け寄った。
 怪訝そうな顔は変な奴、とばかりに長義を見ていたが、君のせいだろう、と募るわけにはいかない。だって、そんなの、南泉の一言で舞い上がってしまったと認めてしまうようじゃないか。それはなんだか悔しいので、横に並ぶと長義は不遜にくい、と口の端を持ち上げた。

「これから君の昼寝時が楽しみになったよ、猫殺し君」
「…げっ。何考えてやがる、化け物切り」
「さぁ?なんだろうねぇ?」

 顔色を変える南泉にクスクスと笑いながら、まぁ、こんなやり取りが続けられるなら、多少の辱めも我慢できるかな、と長義はにっこりと満面の笑みを南泉に向ける。だが、その笑顔に益々懐疑的な視線を南泉は向けてきたので、より一層愉快な気持ちで、長義は実に満足そうに目を細めたのだった。





 宴もたけなわ。長義の歓迎会と主の快気祝いも兼ねた宴は盛り上がり、長義のリクエストだという刺身も豪華な舟盛や姿造りなど見目も華やかに宴会のテーブルを彩った。その他にも厨番が腕によりをかけた食事が所狭しと置かれ、中には無礼講だと酒瓶が転がり始める始末。いや、宴なのだから酒瓶が転がるのは必然か。
 本丸が本丸ならこんな歓迎会など開かれることなどなかったのだろうな、とグラスに注がれた日本酒を両手に持って、長義は機嫌良く中身を飲み干す。刺身は新鮮な魚をわざわざ取り揃えたのだろう。脂がのって、身のコリコリとした食感も、熟成されたねっとりとした甘みも実に舌を楽しませてくれる。ちらりと横を見れば、酒を舐めつつ刺身を嬉々として口に運ぶ南泉が視界に入る。ほら、やっぱり好きなんじゃないか、と得意げにふふん、と鼻を鳴らして長義は手酌で注いだ日本酒をぐびり、と煽った。
 少し離れた所では刀剣に囲まれた主が快気を喜ばれたり、もっと体調管理に気をつけろと窘められたりと会話を楽しんでいる。その光景だけ見ていればただの審神者と刀剣男士の関係でしかなく、酒精の助けもあって長義は仲が良いのだなぁ、とほのぼのと眺めていた。丁度、主の周りに女士がいなかったことも警戒を薄れさせていたのかもしれない。そもそも、己の歓迎会でそうそう気を張り続けることができるはずもなく、古くからの知己や僅かばかりの縁とはいえ、近しい刀派の刀からも話しかけられ、長義の機嫌は浮かれ調子だ。だってこんなに気にかけて貰えて、話しかけて貰えて、良くしてもらって。それで機嫌を悪くするような刀など何処にいる。
 こんなことでもなければ再会など難しかっただろう小田原時代の旧友とも杯を交わし、彼の弟…いや、約一振りは妹だが、を紹介して貰って会話を楽しめば一層ふわふわとした心地になる。特に彼の弟刀…彼の天下人の刀なんかは、殺意の種類が長義と通じるものがある。同じ南北朝の刀だからかな、と傍から聞けば物騒な、という会話を楽しむ2人を兄弟刀は微笑ましげに見守り、そうでない刀は「ひぇっ。さすが南北朝バーサーカー」と恐れ戦く。失敬な。刀なんだから殺意は高くてなんぼだろう、とぷす、と頬を膨らませれば桃色のしどけない刀は「彼らは若いですからねぇ」と流し目を送るのみだ。
 そうか、若いからか。でも刀なんだから戦場では血の気が多いんじゃないのかな、と首を傾げればさもありなん、と瞬きだけで肯定される。

「さも自分達は違うと言いたげですけど、大体どの刀も似たり寄ったりですからねぇ」
「そうだよね。敵をぶった切って返り血浴びるの、皆好きだよね」
「汚れるのは好みませんが、敵を血祭りにあげるのは刀の本能のようなものですし。血沸き肉踊らない方が問題ですよ」

 そりゃそうだ。敵を斬ってこその刀であり、そのために励起された存在なのだ。中には戦嫌いを公言している友刃のような刀もいるが、斬ること自体を疎んでいるわけではない。和睦を成すために、必要なことを履き違えはしないので、長義は己の友刃をいつも誇らしく思っている。
 平和であるために、それを守るために、成すために。取る刀の意味を履き違えるような同類などこの本丸にはいないので。そしてそれを勘違いする審神者もいないので。近くでチラチラと視線を向けてくるものの一向に話しかけてこない存在のことは一旦忘れて、長義は実に満足気にくふん、と鼻を鳴らした。だから、すっかりと忘れていた。軽く頭を揺らして、気の抜けた笑みを浮かべて、長義の頭の中に主について教えられたことがすっぽりと抜け落ちていた。
 だからこそ、酒精が入ってへべれけになった主が、近づいてきたことにも頓着していなかった。むしろ主が機嫌よく笑っているので、微笑ましいなぁと思ったぐらいで。あんなにおぼつかない足取りで大丈夫かな、と心配もして。「やまんばぎり~」と間延びした舌足らずの口調で、よたよたと歩いてきた主に長義はほんのりと薔薇色に染まった頬を緩めて小首を傾げた。
 きっと、昼間ならこの状況を危ぶんだ。もしかして、と思って距離を取った。けれど、今は宴の真っ最中。誰も彼もが酒精を浴びて判断力が低下しており、何より日常茶飯事だったので。
 おぼつかない足取りの主が、その状態で酒瓶や男士の転がる宴会場を、無事に長義の元まで渡りきれるはずもなく。あ、と思ったのは、恐らく酒類を口にしなかった一部の刀のみで、その他は、そう、きっと警戒もしていなかったに違いない。

「なにかな、ある、じ…?!」
「ほわっ!?」

 そういえば最初以外ちゃんと言葉を交わしていなかったな、とある意味初会話とも言える状況に座り込んだまま長義は主を見上げ、その足元が近くに転がった一升瓶を踏んづけたところでぎょっと目を見開いた。あ!と声をあげたのが誰かはわからない。しかし、主は酔った頭で酒瓶を踏みつけ、ぐらりとバランスを崩した。ただでさえ普段から注意力散漫なところがある主が、酒に酔った状態で踏みとどまることなどできるはずもない。当たり前のように体勢を崩したその先には、無論座り込む長義がいて、突然の事態にポカンと倒れ込む主を見つめることしかできていない。普段ならもっと機敏に動けるだろうに、アルコールとは実に恐ろしいものだ。まるでスローモーションのように倒れてくる主を見つめて、このままではぶつかってしまうな…と頭のどこか冷静な部分がそう判断を下した刹那、唐突に長義の体は横に傾いた。同時に、「危ない!山姥切!!」とどこぞの写しの声も聞こえたような気がしたが、一瞬後には宴会の騒ぎも一瞬静まり返るような派手な音が響いてその声も掻き消えた。
 音の大きさに反射的に首を竦めて、長義は引き寄せられた弾みで零れてしまったグラスの中身でしとどに手を濡らしてパチパチと瞬いた。ぽたぽたと手首を伝い落ちる雫の行く末よりも、丸くなった目には、倒れた主と、やはり下敷きになった写しの姿が映る。下敷きというか、何故そうなった?とばかりに、奇怪な体勢の写しと主、であろうか。
 何故かお互いが逆さまになるような配置で、主の顔は国広の股間に鼻先を押し付け、更に片足を持ち上げるように広げるという転ぶだけで何故その体勢に?という首を傾げざるを得ない状態である。しかも国広も主の股間に顔を押し付けているせいで、俗にいえば房事の体位に見えなくもない。
 主の手は国広の片足を持ち上げているせいで、内番着ではなく戦装束から武装を取っただけの格好では、股を開いてずり上がったスカートから下着を見せる羽目になる。しかも丁度位置的に、長義の目にそれを見せつけるような状態で、長義は今日は白地にパイナップル柄なのか、と知りたくもない写しの下着事情を把握した。割と可愛い系の履くんだなお前、と思いつつ、茫然とあられもない姿の主と写しに、長義はパシパシと目を瞬いた。

「うわっ主さんまたやったの?」
「兄弟、大丈夫!?」

 一瞬時が止まったのかと思うような静寂が満ちていたが、それはそれ。毎度のことであれば復活も早い。すぐにざわざわとした話し声が舞い戻ってくると、酒をあまり飲んでいなかった面々がこけた主と巻き込まれた国広を助けようと駆け寄ってくる。その姿に、哀愁を漂わせる国広が「写しには避けることができないというのか…!」とかぼやいているので、長義はとりあえずこの残った骨付きから揚げでもあげるべきかな?とちらりとテーブルの上を見やり、はたと気が付いた。視界に入ってきた肩を抱く手は、一体誰のものだろう?
 恐らく、いや、確実に、この手が長義を助けてくれたのだ。でなければ、今頃写しの状態は長義が経験していたものに違いない。引き寄せられた力強い腕の力を思い出しながら、礼の1つも言わねば、と顔をあげると、ぶすりと不機嫌な顔の昔馴染みが飛び込んできた。益々、長義は大きく目を見開く。

「猫殺し君…?」
「…主ぃ。丁度いいから言っておく、…にゃ」

 パチパチと大きく見開いた目を瞬いて、少し上にある南泉の顔を見つめて長義は首を傾げる。
 しかし、驚く長義には目もくれず、南泉はどことなく不機嫌な顔のまま、助け起こされる主と慰められている国広を視界に収めて、ぐっと長義の肩を抱く手に力を込めた。その拍子に、南泉の肩口に頬を押し付けるようにぴとりと密着した長義は、え?え?え?と混乱したまま、びくりと体を揺らして南泉を見つめる。
 その長義の視線と同じく、主から、いや周囲からも衆目を集めた南泉は、これが好機とばかりにギラリと目を光らせた。

「こいつ、オレのだから。そこんところ、気を遣ってくれよにゃ」
「……………へあ?!」

 オレのだから。オレのだから。…オレのだから?
 一瞬、長義は何を言われたのか理解できなかった。見上げた南泉の顔は少し赤味が強くなっているものの、至って素面に近い状態で、酔った勢いの戯言という雰囲気もない。むしろ不機嫌そうな顔はどこか真剣みを帯びているようにも見えて、言葉の意味が脳味噌に到達すると同時に、長義の口から素っ頓狂な声が抑えることもなく飛び出た。

「な、なにをいって!」
「えー!南泉さんと山姥切さん、そういう関係だったのー!?」
「え?!いや、乱君、これはちがっ」
「なんですかそれ、俺は聞いてませんよ南泉、山姥切!おめでとうございます!!!」
「わぁ!じゃぁお祝いしないといけませんねっ。あ、今は宴会の最中ですし、丁度いいのでは?」
「鯰尾!?物吉!??」
「確かに!えぇと、じゃぁ主の快気祝いと、長義君の歓迎と、2人の結婚のお祝いだね!!」
「けっ…?!いや、燭台切殿、まっ…!」
「イッエーイ!それならじゃんじゃか酒持ってきて祝わないとねー!祝杯の準備だよー!」
「料理も足りないね。それにしても、事前に言ってくれたらもっと相応しい料理を準備できたのに、突然すぎるんじゃないかな、全く」
「え、あ、いや、皆待ってくれ、これは何かのまちが…っ」

 悉く。悉く、長義の台詞は酒と場に酔った周囲に掻き消されていく。宴会場のボルテージは鰻登りで、最早誰の耳にも長義の声など届いてはいなかった。主でさえも、マジか!顕現3日でゴールインとか早くね!?と驚くだけで、誰も南泉の言葉を疑っていない。いや、なんでだ?!と混乱に混乱を来した長義は、元凶としか言えない南泉をぐりんと勢いよく振り返り、眦を吊り上げた。

「どういうつもりだ、猫殺し君!!」
「あー?何が問題あるか、にゃ?」
「多いにありまくりだよ!!なんで俺と!君が!付き合ってることになっているんだ!?というかいつ俺が君のものになったのかな?!」
「嫌か?」
「嫌に決まって!……るわけではないけど!!そもそも結婚にまで飛躍されてるぞ!?」
「いいんじゃね?そうなった方が周りも手だししてこないだろ」
「よくない!よくないよ猫殺し君!君はもっと自分を大切にするべきではないかな!?」

 俺と!俺と結婚する事態になっているんだぞ?!いや俺は確かに美しく切れ味も良い素晴らしい刀だが、それとこれとは別問題だ!恋仲ですらないのに、このままでは取り返しがつかなくなるぞ!と胸倉を掴み、ガクガクと揺する長義の手を取り、南泉は溜息を吐くとぐいっと腰に腕を回して引き寄せる。うわ、と体を傾けた長義を胸板で受け止め、さらりと垂れ落ちた髪を後ろに流してやりながらそっとまろい頬に掌を押し当て、ひたりと視線を合わせるように誘導した。
 重なり合った視線に、ひゅっと息を呑んだ長義は吸い込まれるような金の瞳に言葉を失くす。はくり、と僅かに唇を震わせ、何か言わなければ、としきりに瞬くと、南泉は指通りの良い銀糸を耳にかけて、平素と変わらぬどこか気だるい顔つきで長義を見下ろした。

「大切にしてるから、こうしたに決まってるだろ、にゃ」
「たっ!…い、せ…?…え?」

 熱い指先が、耳を掠める。いや、むしろ、貝殻のような長義の耳殻を撫でるように指先を滑らせ、南泉は流し目を一つ送ると外野からの「見せつけるなよー!」という野次に視線を流した。
 南泉からの視線が外れ、長義はばくばくと激しく拍動する心臓を服の上から押さえつけ、熱くなった耳を隠すように手を持っていき、自分がまだグラスを持ったままだと言うことに気が付いて舌打ちを打った。これでは、きっと真っ赤になっただろう耳が隠せないではないか!慌てて近くのテーブルにグラスをだん!と乱暴に置いて、長義は急いで露わになっている耳に手を押し当てて俯く。

 意味がわからない。どうしてこうなった。どういうつもりで。俺と南泉が?は?なんで?

 混乱に混乱を重ねたまま、理解もできないまま。けれど周囲は盛り上がり、最早後戻りなどできそうもない。これで誤解だと長義が言っても、照れ隠しとしか取られないだろうことは解りきっている。
 何より問題なのは、


 全然全く、嫌ではないと思っていることが、何より長義を混乱させたのだった。


 え、俺、猫殺し君のこと好きだったのか!?
 顕現し直して3日。衝撃の事実に、長義は「よかったですねー!」と飛び込んできた昔馴染みを茫然と受け止めることしかできることはなかった。