食らい食らわれ、やり直し



 ―――そもそも、何故俺が「喰われる」と流布されているのかがわからない。


 美しい瑠璃色の双眸を細めて、刃のごとく冷たく整った貌を緩やかに傾け、星明かりを織り込んだかのような銀糸をさらりさらりと白い頬に滑らせて山姥切長義は瞬きをした。瞼を扇形に覆う密度の濃い銀色の睫毛がぱちり、と瑠璃色を隠して、再び姿を見せるとうっそりとした笑みが柔らかな唇に浮かぶ。
 元より冷たい印象を与える冷徹とした美貌が、作られたような微笑でより人形めいてみえる。人形めいて見えるほどに美しい、とも言いかえられるかもしれない。人ならざる研ぎ澄まされた美貌を持って、聞き取りのために向かい合う相手をただそれだけで圧倒した。

「俺が「写し」に存在を喰われる、だなんて。人の子というのは、本当にとても可愛いことを考えるよね」

 背筋をピンと、まるで物差しでも背中に差し込んでいるのではないかと疑うほど真っ直ぐに伸びた山姥切の姿は堂々として臆する様子もなく、緊張を孕んだ場でさえ揺るぎもせずに、くすくすと笑い声を偲ばせるととろりと瑠璃色を綻ばせた。
 それは、幼子の癇癪や我儘を、仕方がないなぁ、と見守る親のように優しく、同時になんて馬鹿なのだろう、と哀れみを籠めて、だけどそれもひっくるめて可愛いなぁ、と絆されたかのような、そんな眼差しだった。山姥切長義は人が好きだ。愛しているといってもいい。だからこの戦に手を貸し、政府にてその身を顕現し、更には本丸にまでその両手を伸ばして手助けしようと――持てるものこそ与えなくては、と、献身を捧げている。
 それもこれも可愛い人の子のため。自分を愛し、今の今まで大事に大事に守り続けてきてくれた人の子が、願ったため。例え、諸問題のせいで己の立場が一部で火種となっていたとしても、それはそれとして、山姥切の在り方にも考えにも影響をもたらすものではない。例え己が不当に扱われていたのだとしても、それで山姥切が考えを翻すつもりはさらさらないし、態度を変える必要も感じない。だって自分は山姥切だ。本作長義。本科と呼ばれる、名刀なのだ。それを損なうことなど、どうして自らできるというのか。
 そもそも、例え己を隆起した本丸の主とはいえ、たかが人の子1人の考えで、数百年培われてきたものを否定しようだなんて、片腹痛い。たかが十数年生きてきた人間でさえ生まれ持ち、今まで育ててきたものを捨てきれやしないのに、それが何百年単位のものを捨てろ、だなんて・・・考える方がどうかしている。

「山姥切様」
「あぁ、すまないね。なんだったかな・・・あぁ、「あれ」のことだったね。とはいっても、もう俺にはどうにもできないことだから、どうしようもないのだけれど」

 いささか思考を飛ばしていると、それを引き戻すように名前を呼ばれて山姥切ははつり、と瞬きをして眉をさげた。いけないいけない、今は一応、事情聴取を受けているのだった。まぁこの場合、事情聴取というよりも事情説明、といった方がいいかもしれない。強張った顔の政府の職員を眺めやりふふ、と吐息を零してだってね、と山姥切は猫の子のように目を細めた。きゅぅ、と細くなった瑠璃色で、今この本丸を騒がせている元凶を思い描いて肩を竦める。

「招いたのは「あれ」自身だ。「あれ」だけではないけれど、主も、この本丸の刀も、皆が招いたことだよ」
「それは、どういう意味ですか」
「認識を正さなければいけない、ということさ。けれど、根付いたものは早々覆すことは出来ない。山姥切問題、などと呼ばれるのも業腹だけれど、まぁわかりやすいから使わせてもらうが、この件に関しても容易なことではないと思っているよ」
「・・・その件に関しましては、我々の教育不足で貴方様に手間を駆けさせてしまい申し訳なく・・・」
「構わないよ。何事も目に見えるもの、身近なものを優先してしまうものだからね。俺がいなかったのだから、こうなってしまったのもしょうがないことさ」

 容易ではない、が、できないとも思わない。なにせ実物がいる。目に見える形で近くにいるのだから、そう遠くない未来この問題にだって片が付くと考えている。無論努力を怠る気はないし偽物くんに関して手を緩めるつもりはないけれど、この問題に関してそこまで切羽詰っているわけではない。まぁただただひたすら腹立たしいし不愉快だから、思う存分この刀で切りつけ続けるつもりだが。しょうがないよね、刀だもの。どこぞの重宝ではないけれど、向かってくるものはスパスパッとこの切れ味を持ってして切り捨てるまでだ。己のために、己の大切なものを守るための戦いなのだから、そこに妥協も譲歩もするつもりは一切ない。

「それで、山姥切様。認識問題とは、その、山姥切の名以外にも何か起こっていたのですか?」

 そしてそれが、今回の事件の原因なのか、と言い淀むのは彼は正しく「山姥切」を認識しているからだ。本来起こるべきでない問題を本人を前にして口にすることにいささかの躊躇いを見せる様子に、可愛いなぁ、と山姥切は目を細めながら、薄く形良い唇に人差し指を添え、つるり、と口唇の輪郭をなぞってから口を開いた。

「そうだねえ・・・広く言えば「山姥切」の問題。俺が写しによって存在を喰われる、という話に寄ったものかな」

 けれど、可笑しいと思わないかい?「俺」が写しによって存在を揺るがされるなら、「写し」が俺に存在を揺るがされない道理はないだろう?
 うっそりと笑って、だから人の子は浅はかだよね、と困ったように眉を下げた。

「俺は「本科」だよ?山姥切の名についてはこの際置いておこう。だけど「俺」は本作長義。数多の写しの元となった刀だ。――あの偽物くんだって、「俺」の写しなんだよ」

 それは揺るぎない事実。例え本人がそれを疎んでも、どれだけ周りが国広の傑作だと誉めそびやかしても、主のための刀になっても――山姥切を「物語の1つでしかない」と言っても。

「あれは俺の写しだよ。写しであることが大前提で事実で現実で覆しようもない歴史だ。写しでないあれは「山姥切国広」ですらない・・・当然のことだろう?」

 誇るものは名ではなく傑作という一点だとして。本刃がどういう意図かはさておき、仮に本当に写しであることを捨て置いたとして――山姥切国広はその生まれも理由も存在も、何をどう足掻こうと「山姥切長義」の写しだ。失われる可能性がある長義を惜しんだ人間が願い、作らせた山姥切の愛の証。刀工堀川国広が打った、写しの傑作。
 写しは本科なくして存在しえない。だけど本科は写しがなくても存在できる。卵が先か鶏が先かなんて問題が起きるはずもない歴然たる事実だ。こんなに簡単な証明があるものかと笑ってしまいたくなるほど当たり前の話だ。―――だから。

「あれの考えは正直到底受け入れられるものじゃないが、それでも一定の理解はしているよ。そういう考えに至ったんだな、あいつはそう答えを出したんだなって。受け入れはしないが、理解はしたから、俺もそれ相応の返答をした」
「返答・・・?」
「あれを「主」のためだけの「山姥切国広」なのだと認めてやっただけさ」

 人の子が首を傾げる。理解が追い付いていないのか、きょとりと瞬いた瞳に人の子だなぁ、なんて思いながら山姥切は人の子が理解できるように、と言葉を尽くす。大人が子供に教え諭すように、優しく真綿に包んで、伝えてやる。これが同じ付喪神なら、いや。・・・察しの悪いのは一定数いるので、全員とは言わないが。でも普通は解ることなんだけどね、付喪神なら、と溜息を零した。しかし目の前の存在は人間である。そもそも次元の違う存在同士なので、相互理解に言葉を尽くすことは当然だ。

「俺の写しの、俺の写しとして生まれた「山姥切国広」ではなく、この戦で顕現し、主のために遡行軍と戦ってきた、本丸の主のための刀である、「山姥切国広」なのだと認めたんだよ。そう思えば偽物だのという問題は的外れなことになるからね、実に円満に片付いたのだけれど」

 なにせ主も、「私の山姥切」だと「この本丸の山姥切」だと散々言っていたので。主の為の、主の為だけの刀であると、それはそれは嬉しそうにしていたので。本刃も、それはそれは満足していたので。周りも、それで納得していたので。

「俺は俺の写しが山姥切だと思われるのは認められないけれど、そうでないものが「山姥切」だといわれるのなら、否定する必要はないからね」

 なにせ自分に関係ない「山姥切」が、その名をどう扱おうと興味がないので。二振りの刀が、偶々山姥切という名をもっていただけの話だ。古今東西、そう呼ばれる刀が複数存在することは有り得ることなので、目くじらを立てる必要はない。実に明快。実に単純。
 山姥切国広は山姥切長義の写しではなく、この本丸の主のためだけの山姥切国広なのだと認めてしまえば、苛立ちも憎しみも嫌悪もさっぱりとなくなった。そうかそうか。君は「山姥切国広」なんだね、と。

「そ、れは・・・」
「そうそう。そういえば、君たちは俺達がどう生まれるか理解しているかい?」
「え?」
「一般的に、付喪神とは九十九神。・・・100年、あるいはそれ以上の年月をかけて人に愛され、大事にされてきた器物が意思を持った存在こそが俺達だ。裏を返せば、それほどの年月を経てこそ、付喪神となる資格を有する」
「そう、ですね。だからこそ、名剣名刀たる貴方方に助力を願ったのです」
「そうだね。だから俺達も君たちに手を貸したんだよ。なら、」


――俺の写しじゃない山姥切国広は、その資格を持っているのかな?


 謳うように紡がれたそれに、政府職員の息が止まる。元々さして大きくはない目をこれでもかと見開いて、山姥切を見つめる目は驚愕に彩られて研ぎ澄まされた美貌の刀を写し取った。

「そ、れ、では・・・今、山姥切国広様は・・・」
「まぁここはそれなりに特殊な場所だし、多くの付喪神と霊力を持った人の子もいる。もしかしたら通常よりも早く育つかもしれないが、・・・それでも、一体どれほどかかるだろうねぇ」

 なにせ、たった数年の刃生なので。俺達がここまで力を持つには、それはそれは長い時間が必要なので。多くの人の愛と歴史が、九十九神を付喪神足らしめるので。
 人にとっては、気が遠くなるような時間かもしれないな、と思いながら、山姥切はけれどそれも人の性、と1人頷いた。
 なにせ、人の子が、あの子を長義の写しと認めなかったので。極々当たり前のそれを、息をするようにあるべく事実を、人の子が拒絶してきたので。本科だの写しだの関係ない、お前が山姥切だと、自分の山姥切だと言い聞かせてきたので。「写し」であることを蔑ろにしてきた結果がこれなのだから、しようがないね、と山姥切は微笑んだ。
 山姥切国広を写しのままでいさせなかったのは人の子がそう望んだからで、あの子もそれを受け入れて主の刀になったのだから。だから、しようがないのだ、と山姥切は顔を蒼褪めさせて、息を呑んだまま固まる「人の子」に微笑みを向けた。

「消えるのは、俺じゃなくて「山姥切国広」の方だと、どうして思わないのだろうね?」

 人の子の認識が大事なら、山姥切国広だって影響される。そんなの、当然のことじゃないか。