1日目。

 気が付けば見知らぬ屋敷の広間で、長いテーブルの端に腰掛けていた。ぽつぽつと燭台の明かりだけが揺らめき、薄暗さを強調している。ゆらり。風もないのに炎が揺れた。
 遠く離れた正面には女が座っており、その両サイドにはメイドが控えている。
 目の前のテーブルには贅を尽くした料理がテーブル上を埋め尽くさんばかりに並べられ、カチャカチャカチャ、とナイフとフォークがぶつかる小さな音が聞こえた。

「食べないのですか」

 問いかけに否、と答えた。何故だろうか。その料理を食べる気にならなかった。

2日目。

 また同じ見知らぬ屋敷の広間で、長いテーブルの端に座っていた。
 同じように離れた正面に女が座り、両サイドにメイドが控えている。
 料理はやはりテーブルの上に所狭しと並べられ、鼻孔を通り抜ける匂いも食欲をそそる匂いだった。女の切り分けたステーキの断面は鮮やかなロゼ色で、見せつけるようにフォークが閃く。

「食べませんか?」

 誘いに同じように否、と答えた。美味そうだが、やはり食べる気になれなかった。

3日目。

 さて。また同じだ。見知らぬ、いや最早見知らぬというのも可笑しいか。これで3回目なのだから、とりあえずは知っている広間の中で、同じく白いテーブルクロスの敷かれた上に鮮やかな料理が並んでいる。そういえばこれほどたくさんの料理が並んでいるというのに、席についているのが自分と女だけというのも勿体ない話だ。

「食べましょうよ」

 少しだけじれたような声に、やはり首を横に振った。そういえば、女の顔が見えない。

4日目。

 ここまでくると、これは何かしらの意図があるのではないかと思う。けれど椅子に座る自分の体はそこからぴくりとも動けず、固定されたように正面の女を見つめている。
 目の前には豪勢な食事。女がとろりと濃厚なスープを口に含んだ。唇の端についた残りを艶めかしい舌がぺろりと舐め取る。

「美味しいですよ」

 もう腹が一杯だ、と答えた。女の口元が歪んだ気がした。

5日目。

 代わり映えのしない光景が広がった。料理は美味しそうだが、一向にそれを食べる気になれない。女が無言で食事を続けた。カチャカチャ。カチャカチャ。今日は何も言わないのだろうか。沈黙が続いた。ふと、横に気配を感じた。首を動かす。女の横にいたメイドが立っていた。何時の間に、と眉を潜めると、すっとスプーンが差し出された。

「一口だけでも如何ですか」

 首を横に振った。ちっと、女の舌打ちがやけに響いた。

6日目。

 そろそろ疲れてきた。気が滅入るとでもいうのか。変わり映えのしない光景に、食べる気にならない料理。美味しそうなのにこれほど食べる気になれない料理も珍しい。いや、・・・食べてはならないのか。本能が拒絶をしている。
 メイドが横に立った。また差し出されるのか、と眉を潜めると、乱暴に口元にスプーンが押し付けられた。

「どうぞ、食べてください」

 いよいよもって、危ないかもしれない。

7日目。

 どうにかここから逃げられないものか。しかし体はまるで椅子に張り付けれらように動けない。じりじりと焦燥が胸を焦がす。いっそ全て焼き尽くしてしまえばいいのか。女を睨むと、内心の焦りを見抜いているのか、女の口元がいやらしく歪んだ。メイドがスプーンを押し付けてくる。

「食べれば終わりますよ」

 誘いは吐き気がするほど甘ったるかった。

8日目。

 ここまでくるとすでに根競べだ。意地でもここの食事を食べるわけにはいかない。チリチリと緊張と気迫に体中を熱が帯びる。しかし、それを厭うでもなく女は食事を口に運ぶ。メイドがスプーンを押し付ける。かろうじて動く首で顔を背けると、ガッと思わぬ力で頭を掴まれた。華奢な見た目にそぐわぬ怪力にぞっと背筋に悪寒が走る。

「食べろ」

 どろりと濁った声が滴り落ちた。

9日目。

「食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ」

10日目。

「食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ食ベロ」

×日目

「タベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロタベロ」




 もう、限界かもしれない。




×▲日目。

 今日は様子が違った。最早何かわからない、形容しがたいそれらが、無理矢理食べさせようと押しかかってきていたものが、今日は何か近寄りがたいかのようにうごうごと蠢いている。
 テーブルの端の女が、ちぃ、と大きな舌打ちをしてダン、ダン、と苛立たしげにテーブルをナイフを握りしめる手で殴りつけた。

「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ」

 ダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダン!!!!!


 胸元から、ほわりと何かに包まれるように暖かかった。



×●日目。




「申し訳ありません。この人をそちらに差し上げるわけにはいかないんですよ」




 さっと目の前に影が差す。困ったような声。逆光で影の形しかわからない。誰だ。聞いたことがある声のような気がするが、霞がかったように頭が働かない。光に眩しい目を細める。僅かに姿が見えた気がしたが、刹那、今まで以上の真白い光で全てが埋め尽くされた。





 どうやら俺は、何か厄介なものに目をつけられて夢に干渉されていたらしい。
 それが何かはわからないが、夢見の姉弟によると、夢の中の食べ物を一口でも食べていたらとても危ない状況になっていたというのだから、ギリギリの攻防だったのだろう。正直、あれ以上続けばその内無理矢理にでも何か食べさせられていたに違いない。精神的にもかなり厳しかったので、らしくもなくほっと胸を撫で下ろした。
 なるほど。あの食べてはならない、という感覚は間違いではなかったということだ。

「パーシヴァルさんの夢の中に侵食していたものは、とても力が強く、危険なものだったはずです。しかもかなり執念深い・・・どうやって退けたんですか?」

 タロットカードを捲りながら問いかけられ、眉間に皺を寄せて記憶を手繰り寄せる。
 椅子に深く腰掛け、足を組みながら顎に手を添えた。どうやって、か。

「いや、それがよくわからないんだ。・・・誰かが、あれを退けたような気はするんだが・・・」

 あれほど不快で気味の悪い夢であったにも関わらず、細部がはっきりと思い出せないのは夢であったからか。覚えていない、といえば、ふむ、と姉が1つ頷く。

「忘れるのは良いこと。それは縁が薄れるということだから、もうあなたは完全に呪縛から解放されたということね」
「すごいですね。それほど執念深い何かからこうも完璧に守り通すなんて・・・パーシヴァルさんはよほど強い加護をお持ちなんですね」
「・・・そういう覚えはないのだが」

 言われても、記憶にも心当たりもないのだから答えようがない。困ったように言いよどむと、弟の方はティーポットをゆらゆらと揺らし、注ぎ口からハーブティをティーカップに注ぎいれた。

「これ、さんがくれたハーブティなんです。よければどうぞ」
「あぁ、頂こう」
「・・・彼女は不思議ね。まるで見計らったようにこれをくれたわ」
「どういうことだ?」

 姉が目を伏せ、同じように注がれたティーカップに口をつける。気になる言葉に先を促すように問いかけると、ハーブティを一口啜り、歌うように口を開いた。

「ローズマリー、セージ、ミント、フェンネル・・・全て、魔除けや浄化の作用のあるハーブ達よ」
「魔除け」
「わかっているのか、偶然なのか・・・なんにせよ、今の貴方には必要なものでしょう」

 そう言われ、目を見開いて薄らと色づいたカップの中身を見つめた。




 そういえば、夢の中の声は。