学校
米花町は事件が多い。他県、他の市区町村に比べてもその差は歴然だ。いっそ呪われているのでは、と思うほどに多く、警察の中では米花に勤務することは地獄行きとまことしやかに流されるほどに人気がない地区である。特に捜査一課などに配属などされたら休日などないと思えとばかりの仕事量だ。ついでに爆発物処理班なども東都の米花町に勤務することは死出の誘いと言われているらしい・・・この町で起きる爆発事件の数たるや、規模といい量といい、他県の追随を許さぬ不動の№1である。ちっとも嬉しいものではない。量が多ければその分死ぬ確率もあがる。誰だって死ぬかもしれない現場に好き好んで乗り込むような人間はいまい。何年か前に友人が揃いも揃って死にかけるようなこともあったので、本当にこの町は死神にでも魅入られているのかもしれないな、とらしくもなく考えるのだ。よって、家庭を持つ警察官にとって米花町というのは鬼門だ。ここに来たら最後、家になど帰れずともすれば一家離散も覚悟の上と言われている。よっぽどできた嫁さんと子供でない限り、そして自分自身家庭を普通以上に気にかけていない限り、嫁に逃げられた刑事は数知れず。絶対に避けたい勤務地であることは違いない――そんなところで勤務している自分のことはさておいて。
けれども、確かにこの忙しさでは嫁に愛想尽かされても仕方がないといえるような激務である。1つ事件が片付けばまた事件。それが片付けばまた・・・時折スピード解決することもあるが、事後処理というのはいつだって大変なのである。今回だって、長くかかっていた捜査をようやく終えて、やっと自宅戻れるようになったのだ。着替えやらを取りに帰るのに一時帰宅することはあれど、ゆっくりできる時間などあるはずもない。
嫁さんの機嫌を取るにはどうすればいいか・・・庁内の廊下を歩きながら考えていると、不意に私用の携帯の着信音が人気の少ない廊下に鳴り響いた。油断していたせいでびくっと大袈裟に肩が跳ね、その動きを誰かに見られていないかと辺りをきょろきょろと見渡してから、誰もいないことにほっと胸を撫で下ろした。こういう時だけ妙にタイミングよく通りがかる奴がいるんだよな、と思いつつ上着のポケットに突っ込んでいた携帯を取り出す。
こんな時間に誰からだ、と眉を寄せれば、見知らぬ番号が液晶に表示されていた。眉間に皺を寄せ、鳴り続ける携帯に渋々通話ボタンを押すと、ひどいノイズ音が先に耳についた。ザ、ザザァ、ジジジジ。なんだ、これは。
電波の状況でも悪いのか、それとも何か妨害でもされているのか?滅多にない状況にじっと耳をすませると、ノイズ音の向こうから、小さく聞き取りにくいが若い女の声が途切れ途切れに聞こえ始めた。一層集中して、携帯に耳をきつく押し当てるようにしてじっと耳を欹てる。
――ザ ザザザァ ジ さ ザザザザザザ だ て ザザァァ ん
徐々に、徐々に、声が鮮明になってくる。ノイズの向こうから近付いてくるみたいに、女の声が。まるでホラーだな、と思いながらそれでも辛抱強く耳を欹てたのは、ノイズ塗れのその声に、どこか聞き覚えがあったからだ。
――ジジジジ だ て さ ザザザァ ま か ジジジ きこ ますかザザザザ
誰だ。誰の声だ。悪戯、などと考えも及ばず脳内のリストを捲っていると、唐突にノイズ音が掻き消えた。瞬間、クリアになった声がひどく切羽詰った様子で通話口から響き渡った。
『伊達さん、聞こえますか!?』
「・・・?」
『よかった、繋がった・・・!そうです、ですっ。伊達さんすみません。助けてくださいっ』
鼓膜に響く予想外の声の持ち主にいささか意表を突かれたように怪訝な声を差し向けると、それを肯定しながらも不穏なワードが飛び出してくる。一瞬にして寝ぼけた頭を刑事のそれに引き戻すと、どうした、と低い声が無意識に零れ出た。
「何があった!?」
『実は、この学校で殺じ【さん、早く、早く助け呼んでよぉっ】あ、ちょ、揺らさないで、すみません伊達さん、×××中学校の旧校舎にっ早く【ひぃ!来ちゃ、来たよ・・・見つかっちゃう・・・!!】落ち着いて、静かにしてれば・・・【やだ、やだぁ・・・もう無理ぃ・・・!】待って、声、ひび、――すみません、伊達さん!』
「あ、おいッ。待てっ」
ぶつん。
制止の声も間に合わず、無理矢理切られた通話のツーツー、という虚しい音だけが通話口から聞こえてがしがしと乱暴に頭を掻いた。なんだってんだ、という悪態は切羽詰った顔見知りの声音からただ事ではないことを察して飲み込んだ。想像し得るに、何か事件に巻き込まれた、と考えるのが妥当だろう。しかも、途中で遮られていたが、殺人、と聞こえたような気もする。件の少女は、最近めっきりと事件の遭遇率が下がっていたが、ちょっと前までは無駄に遭遇していたような不運な少女である。目撃者であれ当事者であれ・・・忘れた頃に巻き込まれなくても、と思わずにはいられない。いや、頻繁にある方が困るのだが、まぁどっちにしろ知り合いが事件に巻き込まれるなどたまった物じゃない。
焦りもそのままに救出を請うてきた少女の電話に舌を打って、携帯片手に廊下を駆けだす。悪い、ナタリー。今日も帰れそうにないかもしれない。
階段を飛び降りるようにして駆け下り、途中すれ違った同僚を無視し、駐車場に飛び出して自分の車に乱暴に乗り込む、キーを差し込んでエンジンを回したところで・・・助手席側と後部座席のドアが開く音がした。振り返り、ぎょっと目を剥く。
「なっお前ら・・・!?」
「よぉ伊達。急いで何処に行くつもりだ?」
「ナタリーちゃんになんかあったのか?」
「松田、萩原・・・!おい、降りろ!」
「へいへいへいへい。問答してる間に出せよ、車」
「時間は有限だぜ?」
「くっそ、お前ら後で覚えてろよ!?」
横を見れば、無遠慮に乗り込む夜だというのにサングラスをしている悪友と、更に後部座席から頭を突き出してにやにやと笑うこちらも悪友の顔に悪態を零してアクセルを思いっきり踏み込む。ギュルン、とタイヤが軽く空転し、飛び出すように勢いよく動いた反動で後部座席の男がバランスを崩したように声をあげたが、ざまぁみろ、と思うだけで車道に躍り出た。
「で?何急いでたんだお前。事件か?」
「休む暇もないってか。この町マジで呪われてるんじゃねぇの。それか死神にでも魅入られてるとか?」
「つーかお前らなんで車に乗り込んだんだよ」
「いやーこれから一杯行く?って松田と話してたらお前が妙に緊迫した様子でダッシュしてるの見かけたからさぁー」
「また事件かと思ったが、バディもいないみたいだったからな。気になって追いかけてみた」
「追いかけてみたって・・・はぁー・・・面倒事でも知らねェぞ。・・・から、電話があった」
「あ?」
「ちゃん?」
車を走らせながら、深夜も回った時間だからか交通量が少ないことを幸いに、多少制限速度をオーバーしつつ言えば、断りもなく煙草に火をつけた松田の眉間にぐっと深く溝ができたのがわかった。俺も煙草を吸うから構いやしないが、一言声ぐらいかけろっつーの。運転席と助手席の間から身を乗り出すようにしてぐっと顔を出してきた萩原は、にやにやとしていた表情を消して、思いの外真剣な顔を浮かべた。・・・そういえば、俺達の中で一番少女に傾倒してるのは萩原だったか。まぁ、経緯を考えれば当然ともいえる。命の恩人、だからな。
「どういうことだ?」
「何があった、伊達」
「俺だって事情はサッパリだよ。ただ、×××中学校で何か事件に巻き込まれたらしい」
「×××中学校?こんな深夜に?」
「ちゃんがわざわざ行くとは考えられねぇな・・・何か事情があるのか?」
「わからん。だが、どうにもヤバい雰囲気だったな。そもそもあの子がああも切羽詰って助けを呼ぶことがかなりヤバい状況だってことだろ」
「携帯から?あいつまだ持ってねぇだろ」
「連れがいたようだから、その子のじゃないか」
「連れ、か・・・だから余計に対処に困ってるのかもしれないな・・・」
あの少女なら多少のことなら自分で解決できそうなものだが、自分以外に誰か守る対象がいるとすれば、かなり行動は制限されるだろう。だとすれば普通よりも一層危ない状況かもしれない。険しい顔で黙り込んだ萩原の顔をバックミラー越しに見ながら、見えてきた目的の場所に滑り込むように駐車し、3人で慌ただしく車中から出ると警備員に声をかけた。
大層年配の警備員だったが、最近はシルバー世代の働き口を、と言ってくるぐらいなのでそこからの派遣かもしれない。警察手帳を見せて、ここから通報があったと説明すれば学校は合宿で泊まり込みの生徒と顧問の教師がいるぐらいで、不審者らしき人物は見ていないという話だった。それになにか騒ぎがあれば気づく、というが、絶対とも言えないので念のために校舎に入らせてもらう。そもそも伊達や酔狂で、少女があんな電話をかけてくることがないぐらい、わかっている。それに、電話ごしに聞こえたもう1人の少女の声は、演技というにはあまりに真に迫ったものだった。何かが起きていることは間違いないはずだ。
「で、どっちの校舎だよ」
「古い方だって言ってたな」
「切羽詰ってる癖にある程度の情報は残してくれるちゃんマジ優秀」
「それな」
「できればもうちっと状況を説明して欲しかったけどなァ」
が、どうもそういう状況でもなかったようだから、しょうがないのかもしれない。とりあえず警備員に鍵を開けさせ、彼にはここに残るように告げてからそっと校舎内に入る。
この旧校舎はその耐震性の危うさからも立て直しが決定し、近々工事が開始する手筈だったらしい。隣には新しく建てられた校舎があり、主な授業はそちらで行われ、この旧校舎は特別教室などが多くあるという。まぁよくある話だな、と思いつつのっぺりと暗い廊下を懐中電灯の明かりだけを頼りに歩いていく。静かな校舎内に、俺達の話し声だけが通り過ぎる。
「合宿してる連中は新校舎の方だっけか?」
「体育館とかで雑魚寝だろ。てか誰もいなくなったことに気づかないもんか?」
「まぁガキの考えることだからな。遊び半分で何かやってても可笑しくねぇだろ」
「てかちゃん部活入ってたっけ?」
「運動部じゃねぇけど何かしらには入ったとか言ってたような・・・」
内申とか面接とか色々あるんですよ、と面倒そうに言ってたな、そういえば。子供がそんなことで部活を決めていいのかよ。そこはほら、青春とか色んな思い出ができる場所だろ?・・・それを言うとなんともいえない顔をされたものだが、未だにあの表情の意味は掴めないままだ。・・・なんだかなぁ。どうも、不思議な子なんだよなぁ。あの子。
懐中電灯の丸い光で廊下の先を照らし出しつつ、通りがかる教室を確認してみるもどこも大概施錠されているし、窓から中を覗き見ても人影はない。
少女の名前を呼びかけてみるも、反応はないのでここにもいないらしい。・・・まぁ、この広い校舎で、早々見つかるとも思えないが。
「どこに隠れてんのか・・・殺人がどうとか言ってたが・・・」
「犯人から逃げてるとしたら、益々落ち合うのは難しいな。伊達、電話してみるか?」
「馬鹿野郎。隠れてるとしたら着信音か何かで気づかれるかもしれないだろ。とにかく俺達の気配を出して犯人を牽制しつつ探すしか・・・」
「なぁ」
「仮に本当に殺人犯なりがいたとしたら、あいつらも・・・あ?なんだよ萩原」
周囲を警戒しつつ、電話をかける危険性を考慮して躊躇していると、ふいに萩原の強張った声で呼び止められた。それに眉を潜め、松田が振り返る。
なんとなく足を止めた2人に習って足を止めると、萩原の顔が嫌に引き攣って見えた。
「どうした?萩原」
「・・・この校舎、可笑しくないか?」
「あ?」
絞り出したような声に、何が、とでも言いたげに松田の語尾が上がる。こいつ本当柄悪いな、と思いつつ俺もまた怪訝な顔で萩原を見ると、あいつは苛立たしく長めの髪を掻き毟った。
「だからっ。学校って、こんなに暗いか!?」
「なんだよ萩原。びびってんのか?」
「ちっげぇよ!・・・可笑しいだろ。夜とはいえ廊下だ、窓もある。なのに、なんで
「―――っ!」
言われて、松田と揃ってはっと周囲を見渡す。そこで、ようやく気が付いた。いや、そもそも気づかない方が可笑しかったものかもしれない。俺達の視界には、懐中電灯の明かりに照らされた廊下の先と、教室の入り口や窓、壁が見える。だが、それ以外は
懐中電灯に照らされていない周囲はのっぺりと艶のない暗闇しかなく、その先を見せようともしない。学校の構造上、基本的に廊下は外に面した廊下の部分が多く、そもそも俺達が通っていた場所はそういう廊下のはずだ。大学でもあるまいし、左右が教室に囲まれた中学校など早々あるはずがない。ならば外からの明かりは多少なりとも差し込むはずで、そうであるならば夜目が利かないわけでもないのだから、もっと廊下の様子が目に入っても可笑しくはずだ。だというのに、懐中電灯に照らされた先以外、何も見えない。ぞっと背筋を走った怖気に、知らずごくりと喉を鳴らした。
「・・・おいおい、まさか、なぁ?」
「そういえば、俺達の話し声以外、聞こえなかったな」
「・・・俺達しかいないんだから当然だろ?」
ぐるぐると懐中電灯を回して周囲を照らしつつ、胃の腑が冷えこむような心地で松田の呟きに軽口を返すが、じろりと向けられた視線に口を噤んだ。わかってるだろう、と言わんばかりの様子に渋面を浮かべる。さすがに暗闇の校舎でサングラスをかけ続ける気にはならなかったのか、胸ポケットに仕舞われたそれを指先で弾いて、ついっと足元を指差す。
「お前はスニーカーだが、俺は革靴だ。それにしたって、学校の床なんて足音が立ちやすい。だっていうのに、話し声以外の音が一切しねぇ」
「つまり。お前も萩原も、この校舎が可笑しいっていうんだな?」
「お前もだろ。・・・オカルトなんざ信じる気にもなれねぇが、実際問題、様子が可笑しいのは確かだ」
そうはっきりと断言して、煙草に火をつける松田に溜息を吐き出しつつ廊下の先に懐中電灯を差し向ける。
「・・・だとしても行くしかねぇだろ」
今更校舎が変なので一旦帰ります、などと言えるはずもない。というよりも、今こうしている間にも、人が危険な目に遭っているかもしれないのだ。放っておけるはずもなかった。
それに、言ってしまえば「校舎が暗く、音がしない」だけなのだ。そんな学校もあるかもしれない。まあ、音はともかくこんな真実闇に閉ざされたような学校など早々ないだろうが、この科学的な世の中に今更そんなオカルト染みたことを信じる気にはなれなかった。心霊番組は嫌いじゃないが、信じる信じないは別物だ。とにかく行くぞ、と声をかけて、「話し声」以外の音が遮断された廊下を進んだ。いや、話し声さえもまるで闇に吸い込まれていくように響かず、試しに少女の名前を呼びかけてみるが、一切反響も木霊もせずに遮られたように声が落ちた。その現象に苦々しく頬を引き攣らせ、懐中電灯を動かして壁や天井を照らす。すぐに外したが、ふと気になってもう一度壁に光を当てた。
「どうした、伊達」
「いや・・・なんでもねぇ」
松田の声かけに首を横に振って返事をしつつ、気のせいか、と1人呟く。・・・何か、人影のようなものが見えた気がしたが、あの一瞬で移動できるはずもない。見間違いだろうな、と結論付けて、まずは1階を回り、一通り確認すると次は2階に、と顔をあげる。
相変わらず暗闇は懐中電灯を向ければ晴れるが、それ以外の場所は先も見通せない暗闇で、気鬱さを感じながら階段に足をかけた瞬間、ガシャーン、と物が倒れるけたたましい音が響いた。
「っ!?」
「2階か!?」
「ちゃん!!」
咄嗟に萩原が真っ先に駆け出し、続いて松田が飛び出す。その先を照らすように懐中電灯を向けながら俺も音が聞こえた2階に向かって階段を2段飛ばしで駆けあがった。
ドダダダダ、と慌ただしく駆け上り、2階に飛び出すと一瞬立ち止まって左右を見る。
「どっちだ!?」
「二手に分かれる!」
「分かれるったって、これがなきゃ廊下が見えないだろうが!」
通常であれば、3人もいるのだ。左右に教室が別れた廊下を二手に分かれて動くのだが、こんな時に限って周囲はのっぺりとした暗闇に覆われて一寸先も見えない状態である。見えない状況でもしかしたら犯人と相対するのは危険だ。手に持った電灯で先を照らすと、苛立たしげに萩原が舌打ちをした。
「くっそ、こんな時になんだってこんな・・・!」
「さっきの音はどっちからだ・・・?」
「2階としか、」
ガシャン!!
先ほどよりも鮮明に、椅子でも倒れるような音が聞こえて一斉にその方向を振り返る。そして考える間もなく、音がした方向に向かって駆け出した。いくつかの教室の前を横切り、微かに明かりが漏れ出る教室が見える。細く小さな明かりは、恐らく俺達と同じ懐中電灯の明かりだろう。それでも、真っ暗闇の中でそれは確実に居場所を知らせており、その明かりを見つけた瞬間、猛然と萩原が教室の中に飛び込んだ。
「ちゃん!!」
「なっ!誰だ!?」
教室に飛び込めば、そこには2人の少女の前に立ちはだかる老人が1人、片手に明らかに物騒なバットを持って驚愕に目を大きく見開いていた。焦ったように視線を泳がせるが、続いて入ってきた俺達の姿に分が悪いこと察したのかそれとも最早逃げ切れるはずもないと悟ったのか、皺の刻まれた顔を醜悪に歪めて、金切声をあげてバットを振り回した。
「くそっくそぉぉぉぉぉ!!!!!!」
「おっと、爺さん。往生際が、悪ぃ、なァ!!」
闇雲に振り回されるバットを掻い潜り、バットを持つ手首を拳で叩きつけるように殴ると呻き声をあげて手放したバットが床を滑るように転がった。そのまま、手首を捻りあげて背中に回し、膝関節を蹴って膝を着かせる。体重を背中にかけるように伸し掛かって動きを制限すると、足の下でくそう、くそう、放せぇぇぇ、とひどいダミ声がもがく様に暴れたが、年食った爺さんと現役の警察官である。力の差は歴然というもので、苦も無く押さえつけながら顔をあげると、松田と萩原は少女たちに声をかけているところだった。おい、俺は無視か。
「大丈夫か!?ちゃん!」
「萩原、さん?松田さんまで・・・どうして」
「偶々、な。そっちの子は・・・殴られたのか?」
「あ、気絶してるだけです。精神的に耐えられなかったみたいで・・・」
そういって、ぐったりとよりかかる見知らぬ少女を抱えてほっと表情を崩したに犯人に手錠をかけながらこちらもほっと胸を撫で下ろした。間一髪、といったところか。ぶつぶつと気味悪く何事か呟き続ける老人はひとまず置いておき、俺も駆け寄ると気絶した少女を松田が背負い、萩原の手を借りて立ったがふにゃり、と相好を崩した。
「伊達さん・・・来てくれたんですね」
「あんな電話をされちゃな。怪我はないな?」
「はい。皆さん、ありがとうございます」
「とりあえず、こいつはしょっ引くが・・・何があったんだ?」
一旦少女2人は松田と萩原に任せ、先ほどまで老人とは思えぬ形相と勢いで暴れていた犯人が、一気にその気力を削がれたように細く小さくなった体を引っ張りながら立たせる。放り投げた懐中電灯を拾い上げ、詳しい状況を聞くと、野球部の合宿の手伝いで今回参加したらしいが、正規のマネージャーの子が夜中にトイレに行きたくなったらしい。しかし夜の校舎は雰囲気もあって怖い上に、寝る前に面白がって学校の怪談なんかも語り合ったそうだ。あーやるやる、と納得したように萩原達が頷く中、そのせいもあって1人で行くに行けなくなり、が付き合う形で向かった先で、件の老教師と、まだ若い女教師が口論している現場を目撃。何もこんな時にこんなところで口論しなくても、というのはの意見だが、俺もそう思う。せめて生徒が合宿してない時を選べよ。
とにかく、口論の末老教師は女教師を近くにあった野球のバットで撲殺。その現場を偶々目撃した2人はそのまま気づかれないように去ればよかったのだろうが、運が悪いことにマネージャーの子の携帯が鳴り、存在がばれて追いかけまわされる羽目になったということらしい。その途中で隠れていたところで携帯で俺に連絡を取ったと。なるほどなぁ。
「無事でよかったよ」
「本当に。皆無事でよかったです」
しみじみと頷きながら答えた彼女は、そのまま萩原と手を繋いで廊下を進む。俺は今聞いた詳細を連絡してこちらに派遣して貰えるように伝えつつ、一旦外に出てから件の殺人現場に向かう予定だ。運が良ければまだ生きているかもしれないが、可能性は低いだろうな、と思いつつかつかつと響く足音に顔をあげる。
とんだ仕事明けになってしまったが、とりあえず無事に解決したのなら問題はないだろう。いや、人1人犠牲になってしまっているので何も良くはないが、新たな犠牲者を出さなかったという点ではいいことのはずだ。
この2人も、きつい事件に遭遇したあとも事情聴取を受けねばならないのだから、可哀想なことだ。はともかく、もう1人の子はカウンセリングの手配もしなければならない。いや、も受けさせるのだが、なんにせよ場数というものがあるので、いささか効果があるのかどうか?と首を捻るところである。・・・米花の闇だな。
運が悪いことだ、と思いながら薄らと月明かりが差しこむ廊下を抜け、外に出れば夜警の警備員である老人が、こちらに気が付いたようで駆け寄ってきた。
「やや、皆さんご無事のようで!・・もしかして、本当に事件が?」
「あぁ、まぁちょっとな」
「そんな・・・まさか本当に」
そういって信じられないものを見る目で俺達と、手錠に繋がれ萎れた老教師を見た警備員は顔を蒼褪めさせて、溜息を零した。まぁ、まさか本当に事件が起きていたなんて考えもしないだろう。心中察しながらも、今から警察が来ること、合宿中の教師、生徒にも事情を説明することなどを伝えて、警備員も話を聞くかもしれないから待機しておくようにと伝えた。警備員は頷き、悄然とした様子でそこに立ち尽くす。俺達はとにかく子供たちを安全な場所へ、そして老教師を一旦拘束しておくために場所を移動した。
その後、無事に仲間も学校に到着し、騒然としながらも事件は終わりを告げた。
女教師はやはり亡くなっており、動機は老教師の秘密を女教師が知ったから、だった。あの旧校舎が完成する前に、すでに老教師は殺人を犯しており、建設中のあの校舎に死体を隠したのだそうだ。しかし今回、旧校舎が改修されることになり、秘密がばれそうになるのをなんとかしようとした折に、女教師にそのことがバレる。その口論の末、撲殺という・・・どこまでも自己保身に走った胸糞の悪い事件の顛末だった。
その過程で年端も行かぬ子供も殺そうとするのだから、大人としても教師としても風上に置けない最低の男である。
「んーでもなんか納得できねぇんだよなぁ」
「何がだよ」
事件が一通りの収束を見せた後、萩原と松田に誘われて居酒屋で飲み比べをしている時、ふいに萩原がそう口を開いた。砂肝を噛み切りつつ、視線を向ければ仄かに赤くなった顔で萩原はびしり、と指を立てた。
「あの校舎の暗闇と、音の問題。それと、消えた警備員」
「校舎の件は勘違いかなんかだったんだろ。とあった時にはもう普通だったじゃねぇか」
「思い返せば、だろー?でもその前は明らかに可笑しかったじゃん」
「警備員については、まぁ・・・今も捜索中だからな。もしかしたらあの警備員も、今回の事件に1枚噛んでたのかもしれねぇな」
「あぁ、白骨死体は2人分あったんだろ?ちっ、もう1人犯罪者がいたってのにみすみす見逃しちまうとはな」
そういって、不愉快そうに舌打ちをした松田が嫌なものを飲み干すように焼酎を煽る。おいおい、あんまり勢いよく飲むとアルコールが回りやすいぞ?注意しながらも、気持ちは同じだ。手の届くところに居たというのに、捕まえるどころかそのまま逃がしてしまうとは、とんだ失態である。苦いものを覚えて、砂肝を更に頬張った。あぁ、くそ。胸糞悪い。
「・・・ちゃんと言えばよ」
「ん?なんだ?」
「どうした?」
「いや、警備員の話をしたとき、妙な反応だったんだよな」
ビールに口をつけながら、腑に落ちない複雑そうな顔で萩原がぼやく。妙な?と首を傾げる俺と松田をちらりとみて、ぐいっと残りのビールを飲み干すと、とん、とテーブルにジョッキをおいて酒臭い息を吐き出す。
「『警察に捕まった方がよかったでしょうに』」
「は?」
「うん?」
「溜息吐いて、憐れむように、そんなこと言うんだぜ?そりゃ警察に捕まる方がいいだろうけどよ、わざわざそんなこと言うか?」
「いや・・・言わねぇな」
神妙に、いや怪訝そうに、か。目を細めながら首を傾げた松田に、だろぉ~?と管を巻きながら、萩原が店員を呼びつけて更にビールを注文する。ついでにつまみも注文しつつ、不可解な台詞に俺もまた眉を潜めた。
「どういう意味で言ったんだろうな、そりゃ」
「俺も聞いてみたけど、そのままの意味だって返されて有耶無耶よ。ちゃんなーたまーに意味深なこと呟くからなぁ」
「・・まぁ、子供の言うことだろ。本当にそのままの意味なのかもしれねぇし、気にするほどじゃねぇだろ」
「ちゃんが~?松田ぁ、あの子の達観ぶりは知ってんだろ~?」
「萩原、お前ちょっと酔ってきてんだろ。その一杯でラストにしたらどうだ?」
「俺は!まだ!飲めますぅ!」
「うっざ。お前潰れたら放置するかんな」
「ひっどーい!松田君あたしを置いていくってーのぉ~~?」
「やめろやめろ首しめんな馬鹿!!」
「あーこりゃ出来上がってんな」
腕を伸ばして松田に絡みつく萩原に、こりゃ松田の部屋に転がり込むだろうな、と思いつつ枝豆を押してぷりっと豆を取り出して口に放り込んだ。ほんのりとした塩気を味わい、ふと、女子中学生の事情聴取のことを思い出した。
確か、少女は、あの時、こう証言していた。
『老教師の他に、壁を這い回る女の影があったんです』
事件の恐怖故、それともその前の女教師の姿が強く印象に残っていたのか。錯乱していると思われたその証言が、あの時照らし出した影と重なって、妙に脳裏にこびりついて離れなかった。