猿夢



 リビングの壁一面の大きな収納棚に納まる42インチの液晶テレビに最新の技術により色鮮やかに写しだされた映像美を、L字型の大きなソファの端に納まりながらじっと見つめる。
 映っているのは己の可愛い子が出演しているドラマだ。推理サスペンスもので、愛し子は英国からの天才留学生として探偵役となり、確かその相棒となる相手は昨今頭角を現し始めたアイドルが演じている。殺人事件が起こり、天才故に生意気で鼻持ちならない探偵が、相棒と共にトリックを暴き犯人を追いつめていく――今日は電車の時刻表と切符を使ったトリックのようだ。じっとそのドラマを見ていると、玄関の後が開く音がし、続いて小さいが足音も聞こえてくる。あぁ、帰ってきたのだな、と瞬きをこなすとリビングと廊下を隔てるドアが開き同時に後ろを振り返った。

「おかえり、サンダルフォン」
「ただいま帰りました、ルシフェルさ――な、何をみているんですか!?」
「君が出演しているドラマだ」
「み、見ないでください・・・!」

 そういって、顔を赤くした彼は慌てた様子で駆けより、ローテーブルの上に置いていたリモコンを取ってぱちっとチャンネルを変えてしまった。切り替った報道番組でスポーツ界の不祥事を読み上げるアナウンサーの顔が映る。流麗な台詞が、面白みのないニュースを読み上げるそれに変わってほんの少しだけ眉を下げた。あぁ、いいところだったのに。

「あ、あんなもの、ルシフェル様が見るほどのものでは・・・!」
「そんなことを言ってはいけないよ、サンダルフォン。自分が演じた役もドラマも、卑下してよいものではない・・・それは自分にも、それを作り上げた全ての人にとっても失礼なことだ」
「うっ・・・すみません・・・」
「わかってくれたならば嬉しい。それで、続きをみても良いだろうか?」
「うぅ・・・っ・・・・ど、どうぞ・・・・」

 何やら顔を真っ赤にして苦渋の顔でリモコンのチャンネルを変えたサンダルフォンは、そのまま逃げるようにしてキッチンへと飛び込んでしまった。珈琲を淹れてきます、との声にありがとう、と返しつつ、何故あのように顔を赤くしているのだろう、と首を捻る。
 ふむ。まだ演じることに抵抗があるのだろうか?昔から私が持てる全てをあの子には注いできたつもりだが、それは押し付けだったかもしれない。けれどあの子の才能は素晴らしいものだ。埋もれさせておくには惜しいと思う。どうせならば、と思ったが、彼が乗気ではないのなら、辞めさせるべきか・・・。思案気味に睫毛を伏せると、テレビから駅のアナウンスが聞こえて咄嗟に顔をあげた。丁度シーンは電車の中のそれに変わっていて、車窓を流れる景色を気だるげに見つめるサンダルフォンの横顔が映っている。ぼぅ、とその顔を見つめていると、ふと芳しい香りが鼻孔を掠めた。視線を向けると、マグカップを2つもって、サンダルフォンがこちらに向かってくるところだった。差し出されたマグカップを受け取り、中を見ればふわり、と珈琲独特の香ばしい匂いが漂いふっと口元を緩めた。口をつければ、舌先に広がる苦みに仄かな酸味。

「美味しいよ、サンダルフォン」
「ありがとうございます」

 嬉しそうにはにかむ姿に目を細め、まだ電車内でやり取りを続けるドラマを見つめる。あぁ、あの台詞回しはよかったな、と思った刹那、横からサンダルフォンが躊躇いがちに話しかけてきた。

「あの、ルシフェル様・・・」
「・・・なんだい?」
「どうか、しましたか?その・・・俺の、演技がどこか・・・」

 そういって、不安気に瞳を揺らめかせるサンダルフォンにぱちり、と瞬きをする。ちらちらと先に進むドラマを横目で見ながら、伺うような上目使いに、あぁ、と内心で頷いた。不安にさせてしまったのか。安心させるように目元を細め、ぽん、と彼の頭に手を置いた。

「そういうわけではないよ。君の演技は素晴らしい」
「そ、そんなことは・・・まだまだルシフェル様に遠く及びません」

 そういって、俯きながらも嬉しさが隠せないようにはにかんだ姿にふっと微笑むが、ふとサンダルフォンの視線が今度は不安でもなく疑問、いやこれは心配、だろうか?そういったものになっていることに気づいて、小首を傾げた。

「サンダルフォン?」
「あの、では、ルシフェル様。俺の演技が問題ないのでしたら、何か他に気になることが?」
「うん?」
「・・・どうも、あまり顔色がよくないようでしたので・・・」

 そういって、心配そうに眉を潜めた彼に、きょとん、と瞬いてから、あぁ、と1つ吐息を零した。考えるように顎に手を添え、僅かの逡巡の後に微笑みを浮かべる。

「大したことではないよ」
「何かあったんですね!?」
「本当に、他愛のないことだ。君が気にするほどのことでは・・・」

 ないよ、と言いかけたところで、サンダルフォンが悲しそうに眉を下げた。俺では役に立ちませんか?と小さな声で言われると、咄嗟にそんなことはない、と否定してしまう。
 悲しい顔をさせたいわけではないのだ、私の愛しい子。掬い上げるように両頬を掌で包み、目線を合わせると途端にサンダルフォンの顔がぼん、と音をたてて真っ赤に染まった。え、あ、う、え、と戸惑うようにぐるぐると回る目線に、憂うように目線を下げる。

「る、るるるるしふぇるさま・・・!?」
「・・・君を不安にさせたいわけではないんだ」
「えっあ、う、ふぇ?!」
「けれど、そんな顔をさせては意味がないね。・・・サンダルフォン、少し聞いてもらってもいいかい?」
「はははははははいぃぃぃ・・・っ」

 もう終わった話ではあるのだけれど、と前置いてから、するりとサンダルフォンの頬を撫でて彼を解放する。やたらと深呼吸をしているようだけれど、大丈夫だろうか?そう思いつつ、ぽつぽつと口を開いた。



「それは、何時頃から見始めたのか、それすらも定かではない話だ――」



 気が付けば私は電車の中にいた。ガタンゴトン。ガタンゴトン。電車がレールを走る音と僅かな振動。流れる景色はなんてことはない普通の光景だ。そうだね、私自身が電車に乗ることは少ないけれど、全くないわけではないのだよ。それも、そんな記憶から引っ張り出した光景だったのかもしれない。
 変だな、と違和感を覚えたのは私の前に座っている乗客の様子からだった。不思議なことにね、それまで私は自分が電車内にいることも行き先もわからず揺られていることにもなんの疑問も覚えていなかったのに、その乗客をみて初めてこれは変だ、と気が付いたんだよ。
 その乗客は、俯いて顔面を蒼白にし、脂汗を浮かせて何かに怯えるように背中を丸めていた。体調でも悪いのだろうか。そう思っていると、私の耳に何かぶつぶつとその乗客が呟いている声が聞こえた。電車の揺れる音にまぎれて、ぶつぶつと。なんだろう、と思って耳をすませると、両手を握り合わせて、何やら祈るように彼はこう言っていた。
「目を覚ませ目を覚ませ目を覚ませ早く目を覚ませ」とね。なんだと思って周りをみれば、彼の前に座っている女子高生も、その前の老人も、その前のサラリーマンも、皆同じようにガタガタと震えながら同じことを呟いていた。それも、一様に何かに煽られるように必死にね。目を覚ませとは、と思ったところで、あぁ、これは夢なのかと察したよ。
 明晰夢、というのか。やたらとはっきりした夢で、これは夢なのかと認識はしたけれど、目が覚める様子はない。ただぼんやりと、この電車はどこに向かっているのだろう、と考えたぐらいだった。あとは、そうだね・・・しいていうなら、何故彼らはこんなにも怯えているのだろう、と。夢だとわかっても、何故か座っている席からは動けなかったし、結局は目が覚めるまで待つしかない。まるで縫い付けられたようにぴたりと、立ち上がりもできずに席に座ったままでいると、やがて電車内にアナウンスが流れ始めた。
 「今から切符を切りにいきまぁす」電車の車掌特有の、あのアナウンスの声が電車内に響き渡る。切符、と言われても、そういえば自分はそんなものを持っているのだろうかとポケットに手をあてたところで、前の車両の自動ドアが開いた。同時に、ひぃ、という悲鳴も。なんだろう、と思って前を見ると、そこにいたのは、人ではなかった。まぁ、ある意味は人に近いのかもしれないけれど、とにかく人ではなかったんだ。なんだったのかって?そこにいたのは、駅員の制服を着た、猿だったよ。蟹股で、背中を丸めて、しわくちゃ顔の、不気味にニタニタと笑う、・・・猿に似た何か、だ。さすがに驚いて、息を止めると猿はそれが当然のようにすたすたと通路を歩いて、乗客の横に立った。乗客はひどく怯えて、顔面を蒼白にさせて逃げようともがいていたけれど、猿はそんなこと気にもしていないように鞄から道具を取り出した。よくは見えなかったけれど、あれは切符切りの道具ではなくて、恐らく、ペンチか何かだったのだろうと、そう思うよ。今思えば。・・・何故そう思ったか、と言われると・・・・その道具で、猿は笑いながら爪を剥ぎ取り始めたからだよ。「切符を切りまぁす」と言いながら、その爪が切符だと言わんばかりに、べりべりと。悲鳴をあげる乗客など意に介さず、それが仕事だとでもいうように、全部の爪を剥がしていく。電車の中がその乗客の悲鳴で満たされると、皆より体を震わせて小さくなった。まるでその猿から身を隠すように。そこでようやく悟った。あぁ、皆、この猿に怯えていたのか、と。1人の乗客の爪を全て剥ぎ取り終えると、猿は次の獲物を探すようにぐるり、と首を巡らした。爛々と、およそ猿とは思えない猟奇的な目と、目が合った。・・・顔を背けていればよかったね。けれど何故か、ぼうっとして私は他の乗客のように身を隠すようなことはしていなかった。目が合うと、猿はニタァ、と裂けた口元で嗤った。あぁ、見つかってしまったな、と思うと、猿は私の前まできて、こういった。
 「切符を切りまぁす」手を取られ、ペンチで爪先を挟まれると、負荷がかけられる。みり、めし、と鈍い音がして、指先に夢とは思えないほどに鋭い痛みが走った。痛いのだと、痛みがあることに驚いて目を見開いて、自分の指先から血が滲む様を思わず見つめてしまったよ。明確な痛みがある夢など、そう見るものではないからね。やけに現実染みていて、ニタニタと笑う猿が不気味で――一際激痛が走ると、べりべりべり、と爪が、剥がれたんだ。その瞬間、目が覚めた。
 さすがに、その時は飛び起きてしまって。そう、心臓がどきどきして、寝ている間に汗も掻いていたんだろうね。背中がぐっしょり濡れていて・・・指先に、痛みがあった。
 あぁ、君は察しがいいね。さすがだよ、サンダルフォン。・・・私の小指の爪が剥がれて、布団は一部が赤く染まっていた。
 次は、それから何日か経った後だ。また同じように、乗り込んだ覚えはないのに、電車の中にいた。ガタンゴトン。揺れる電車も、流れる車窓も変わらない。私は気が付いたら電車の中で、席に座って俯いていた。しいて変わっていることといえば、・・・乗客が、減っていたことぐらいか。さすがに、爪を剥がれた電車だ。いい気持ちになるはずがなく、前回同様に乗客は「早く覚めろ」と念仏のように唱えていてね。お通夜のように沈んだ電車の中で、逃げることもできずに座り込んでいた。そうしたら、またアナウンスが流れたんだ。
 「次は目玉刳り貫き~目玉刳り貫き~」楽しげな声で、物騒なことをいう。前回のアナウンスとはやけに違う内容だな、と思っていると、また前の車両と繋ぐ自動ドアから、駅員の服をきた不気味な猿が入ってきた。片手に銀色のスプーンを持って、鼻歌を歌いながら。そして今度は、泣き叫ぶ乗客の顔を鷲掴みにして、持っているスプーンで、両目を刳り貫いたんだ。生きたまま、意識がある状態で、まるで玩具か何かのように、スプーンの先を眼孔に突き刺して、ぐるりと抉り取る。悲鳴が、また響いた。窓に血飛沫が跳ねて、猿共の笑い声と、乗客の悲鳴と懇願だけが響く・・・異様な空間だ。「痛い、助けて、やめて」叫び声が、やがて聞こえなくなった。スプーンに乗った、まだ視神経が繋がっている血塗れの目玉がころころと揺れて、きゃっきゃとはしゃぐ猿の声だけが聞こえる。どさりと、通路に投げ出されるように乗客が倒れて、じわじわとその周辺だけ赤い血が広がっていった。その顔を踏みつけて、猿の顔が、こちらを向いた。目が合う瞬間、咄嗟に顔を伏せると、また目が覚めてベッドの上だった。
 あぁ、今度は逃げられた。ほっとして、思ったんだ。今度は猿に目をつけられる前に目が覚めたから逃げられたのだと。安心して、まだ夜中だったけれどまた寝る気にはなれなくてね。その日はそれから1日中起きていたように思う。仕事もあったから、辛くないとは言えないけれど、仮眠を取る気にはなれなかった。寝てしまえばまたあの夢をみると思うとね。あのように趣味の悪い、苦痛を伴う夢はできるならば見たくない。何故あのような夢を見たのか。それも、一度ならず二度も。怖いというよりもひたすらに不気味だった。結局あの出来事は夢であるけれど、寝てしまえばまたあの夢を見てしまうのではないか。そう考えてしまうと、どうにも寝る気にはなれなくてね。幸い、仕事はいくらでも詰められたから、寝る暇もないようにしていたよ。・・・さすがに、数日寝ないのはきつかったけれど。うん?今は大丈夫だよ。言っただろう?終わった話だ、と。まぁ、そんなことをしているとね、化粧で誤魔化しても顔色がよくないことは気が付かれる。いつまでも気づかれないままとは思っていなかったけれど、さすがに身内でもない人間に感づかれるとは思っていなかったよ。誰か、って。・・・確か、別の事務所のマネージャーだったように思う。ドラゴンナイツが所属している事務所の・・・そう、、だ。そういえば君もあの事務所所属の男性アイドルと仲が良かったね。まだ若い、確かグランという・・・うん?違うのかい?とても親しいように見えたけれど・・・君がそういうのならばそうなのだろう。
 まぁ、とにかく、そのマネージャーに気づかれてしまってね。数日寝てもいなかったし、指摘されて動揺もしてしまったんだろう。判断力が鈍って、うっかり夢のことを話してしまったんだ。悪夢は人に話せばいいとはいうけれど、まさか全くの他人に話すことになるとは考えても見なかった。よほどあの時の私は追い詰められていたのかもしれない。ただ、話すと少し胸の支えが取れたように思えた。その安堵感からか、そもそも数日寝ていない上に仕事を詰め込み過ぎていたからか・・・あれほど寝ないようにしていたのに、うっかり楽屋でうたた寝をしてしまった。・・・そうだね、その通りだよ。また、あの夢だった。変わり映えのしない電車の中で、ガタンゴトンと揺れる音がする。車内の乗客は・・・目に見えて、減っていた。私の前の前に座っていた乗客も。その反対側に座っていた乗客も。いつの間にか、消えていた。座席に、真っ赤な血の痕だけを残して、人だけがいない。・・・恐らく、私が寝ていない数日の間で、殺されてしまったのだろうね。所詮夢だと、その時ばかりは思えずに、ただ茫然と電車に揺られていた。早く目覚めなくては、と思っていたけれど、どうやっても目は覚めてはくれなかった。そうしている内に、またアナウンスが流れてきた。
 「次は切断~次は切断~」・・・・また一段と物騒な内容だ。想像はしやすいけれど、かといってその対象になりたいわけでもない。けれど体は縫い付けられたように座席から動けず・・・とにかく、祈る他ない状況だった。また、あの猿共が現れる。きゃっきゃと甲高い声で、楽しげに、今度はチェーンソーを持って。私の前の座っていた男性が、悲鳴をあげて立ち上がった。あぁ、動けるのかと思って眺めていたら、逃げようと座席から走り出した男性の、足が飛んだんだ。放射線を描いて、飛ばされた足が電車の窓にぶつかる。べしゃりと、窓に叩きつけられた足が落ちると、べっとりと窓には血の痕がついた。膝から下を切り落とされた男性はバランスを崩して無様に通路に倒れ伏して、何が起こったかわからないように茫然としていたよ。呆けた顔で私をみて、それから、恐る恐る後ろを振り返った。そこでようやく、自分の状態を理解できたのだろうね。男性の、獣じみた絶叫が車内に響いた。通路は、男性の切り落とされた足から流れる血で真っ赤に染まっていき、猿が、チェーンソーを持って、ケタケタと笑いながら、その血だまりを踏みつけた。そこからは・・・あまり、口にしたくはないな。気持ち良い光景ではなかった、とだけ。車内は最早、その男性の血で真っ赤に染まって・・・私は、やはり逃げることもできずに、その光景を眺めていた。可笑しな話だ。あの男は逃げようとしていたのに、私だけは、その席から動くこともできなかったのだから。
 だが、猿に目をつけられる前に目が覚めればまだ助かる。しかし、事はそう上手くは運ばなかった。猿と、目が合った。ニタリと嗤う目と合い、次は自分の番だと理解した。チェーンソーの唸る音が、ガタゴトを揺れる電車に響き渡る。逃げなくては、と思うのだが、体が動かない。そうしている内に、猿は目の前まできて、チェーンソーが迫っていた。ニタニタと嗤う顔。囃し立てるような他の猿の声。高速回転をする鋸刃が、首元に迫って、・・・私は、抵抗することも忘れて、魅入っていた。今にも、首を、落とされそうになっているというのに、ただ、じっとしていて・・・その、時だ。
 「また、置いていくつもりですか」と。そんな声が聞こえた。なんのことだと思う前に、首元に迫っていたチェーンソーが誰かによって弾かれ飛んで行った。その時初めて、猿共が狼狽える様を見たのだ。私の前に、奇妙な恰好をした・・・そう、まるで、ゲーム、の、ような?そういう、恰好をした、背格好の小さな、少女の背中があって。少女の手には、剣が、握られていた。そう、それも、ゲームや、アニメのような、といえる剣だった。恐らく、その剣で、チェーンソーを弾き飛ばしたのだろうことはわかった。よく、あの細腕でそんなことができたものだと思ったが・・・夢のことであるし、なんてことはないのだろう。その少女に、いやに猿共は怯えていた。今まで、乗客を嬲り殺していた醜悪な姿からは想像できないほどに、天敵に遭遇したとばかりに怯えて、じりじりと追い詰められて・・・その後は、実は覚えていないんだ。何か少女がしていたようにも思うし、直後に目が覚めたようにも思う。ただ、わかるのは、あの少女が助けてくれたのだな、ということだけ。
 ・・・・それ以後は、もう夢は見なくなった。見ているのかもしれないが、覚えていない。ただ、電車を見ると、アナウンスを聞くと、その夢を思い出すことがあるんだ。あまり、良い思い出でもないから、少し、気になるけれど・・・もう見ないのだから、大したことではないよ。

「ただ、あの夢の少女は、気になるけれど」
「・・そう、ですか。ルシフェル様がそのような悩みを抱えていたなんて・・俺は、全く気付かず・・・!」
「君はその頃舞台で忙しかっただろう。もう終わったことなのだから、そう気にせずとも・・・」
「いえ!あなたの弟子として、師匠の体調にも気づけないなんて、俺は・・・っ」

 苦悩する愛し子に、そろりと手を伸ばして頭に手を置いた。ぽんぽん、と軽く撫でると、ぴたりと動きが止まる。そのままふっと息を吐いて、囁いた。

「ありがとう、サンダルフォン。しかし、もう夢は見ていない。君が気に病むことなどなにもないのだよ」
「ルシフェル様・・・」
「君は本当に、優しい子だ」

 言いながら撫でて、そういえば、とべリアルが言っていたことを丁度思い出したので、そっと背中に腕を回し、軽く引き寄せた。こういうスキンシップは今までしてこなかったな、と思ったので、安心と感謝を伝えるために、ぎゅっと抱きしめてみる。大事ならば、スキンシップは有効だと、べリアルは言っていたが・・・。

「・・・サンダルフォン?」

 ・・・・・・・・・・・寝てしまったのか?沈黙し、胸に寄りかかって動かない彼に、首を傾げる。・・・仕事で疲れていたのだろう。そんな状態で、私の話など長々と聞かせてしまって申し訳なかったな、と思いながら、そっと体を離してみると、ぐにゃり、とサンダルフォンの体勢が崩れる。おっと。咄嗟に抱き留め、そのままゆっくりと倒して、膝の上にサンダルフォンの頭を置いた。寝ている彼の額にかかる髪を払いながら、しばらくこのまま寝させてあげよう、と顔をあげる。ああ。

「ドラマ、終わってしまったな・・・」

 まぁ、録画をしているので問題はないけれど。とりあえず、見逃したところから、もう一度見直すことにしよう。リモコンを手に取り、録画画面を開いて、ぽちりと操作した。

「・・・また置いていくとは、どういう意味だったのだろうね」

 画面に再び映ったドラマの、電車の窓に。
 猿の影が、横切ったような気がした。