諦念はすぐに覆される
こっちを向いて、こっちを向いて。お願い。デロを見て。
僅かに戦慄いた唇を閉じて、階段の手摺にもたれかかりながら足元の階下で学なしと話している彼の人に泣きそうになる。どうしてそいつと話してるの。そんなの放って、こっちをみたらいいのに。あの魂を掴み取る闇色の双眸が、自分ではなく他に向けられてるのが悲しくて仕方ない。自分ではなく、向けられている相手が、ただただ羨ましく、嫉ましい。・・・今度デビットと共謀して悪戯をしかけよう、と堅く心に誓って、ずるずると柱に沿って蹲った。
「・・・」
こっちをみない。デロをみない。それが堪らなく悲しくて、切なくて、きゅっと萎んだ心臓を衣服の上から押さえた。夜色の双眸。あのきれいなきれいな至高の色が見えない。こちらを見ない。その目に映さない。学なしばかりを、見ている、その目。会話をしているのだから当然なのだが、ただそれでも嫌だった。向き合って話している、の声を間近で聞いて、名前を呼ばれて、その目に映してもらって。―――あぁほら、あの蕩けるような幸せな顔を、無償にペンキで滅茶苦茶に塗りつぶしてやりたくなる。その声も視線も仕草も、全部全部デロに向けてくれたらいいのに。それでも、あの会話に割り込むことができなかった。別の人間ならできるのに。そんなの、簡単な話なのに。ただあの人であるというだけで、邪魔をしてはならない、という抑止が働くのだ。らしくないかもしれない。けれどそれで満足している。本当は、本当は割り込んで、ティキからその目を、自分に映して欲しいと願うけれど。
「我慢、我慢・・・」
邪魔はしたくない。の邪魔だけはしたくない。自分の望みも全て飲み込んで、尽くすことなんてわけはない。手摺の格子を握り締めて、額をぐっと押し付けながら、食い入るように斜め上から見下ろす横顔を見た。会話が終わったら、声をかける。声をかけたら、振り向いてくれるかな。あなたの名前を呼んで(本当はそれだけで震える声を、隠せる自信はなかったけれど)、大きく手をふって。階段なんてまだるっこしいものは使わない。このまま飛び降りて、すぐに傍にいって。そうしたらあなたは見てくれるかな。声を聞かせてくれるかな。・・・今、ティキに向けたように、瞳を細めて微笑んでくれるかな。してくれるかもしれない。してくれないかもしれない。ゆらゆらと不安に視線を揺らめかせると、不意に彼の人が動いた。首が回され、上向いていく。思わず呼吸を止めて格子を強く握り締めると、今まで横顔でしか見えなかった顔の正面が、はっきりと視界に入って。・・・いや。彼の人の闇色の双眸に、正面から、自分が映ったのが、わかって。ヒッと零れた短い声を、彼の人は気にした素振りもなく不思議そうに首を傾げた。
「ジャスデロ?そんなところでなにしてるの」
「ヒッ・・・を、待ってた、よ、っ」
呼ばれた。名前を呼ばれた。瞬時に思わず目の奥が熱くなったが、我慢してぐっと堪えると、勢いよく立ち上がりながら身を乗り出して声を張り上げる。そんなに声を出さなくても届くとは知っていたけれど、より近くに、より確かに。届けたい思いが先走っては、大袈裟な身振りになる。の後ろで、ティキがひどく面白くなさそうに眉間に皺を寄せていたが、知ったことではなかった。むしろ、胸中を占めるのは大きな喜びと感動、そして明らかな優越感。見上げてくるに、そっちにいってもいい?と尋ねると、いいわよ、と肯定が返り益々嬉しくなって、飛び跳ねるように手摺から身を躍らせた。
「デロ・・・ちゃんと階段使ったら?」
「ヒッこの方が早いよ!早くのところに行きたかったしっ!」
「元気ねぇ」
そういってにこりと笑った顔に、急激に頬に熱が集まる。どくん、と心臓が大きく胸を内側から殴ったのを感じながら、ああこれだから諦められない、と口元を綻ばせて胸元を握り締めた。これだから、願うのを止められない。呼べば答えてくれる、その甘美な味を知ってしまえば、それを知らなかった頃には戻れないように。こっちを向いたに、分不相応な期待を、求めてしまう。
「ヒヒッ!、、学なしなんか放って、一緒にあそぼ!」
とりあえず、その横にいるそれには後でタバスコ爆弾でもデビットと一緒にぶちこんでやろう、と考えながら、両腕を広げてにっこりと笑った。
諦めても諦めても、諦められないのはあなたのせい!