逃亡者 前



 立ち上がればくらり、と立ち眩みを感じ、眉間に指を添えたまま軽く左右に首を振った。
 まあ出で立ちがどうであれ、あそこにいるのは紛れもなく人であり、いきなり襲いかかってきた男のような鎧も着ていない。至って普通の・・・普通の、人達だ。服装は置いといて、見た限りは、だけれど。
 立ち上がり、思案している私を不安そうに見つめる瑪瑙に気付き、笑みを浮かべると腹を括る。ここでこうしたところで何が変わるわけでもない。でも当たって砕けたら嫌だからほどほどにしようかしら。

「すみませーん」
「えっ!?」

 歩み寄りつつ声をかけると、一斉に過敏なほどの反応で振り返る。しかもなんか武器まで構えられてしまった日には、私はどう反応したらいいんだろうか。
 そのまま、緊張した面持ちで観察するように見られ、びくり、と瑪瑙の肩が上下した。瞳に色濃く脅えが浮かび、握り締めてくる手をぎゅっと握り返して安心させるようにしながら、眼を細める。こちらとて、武器を構える人間をおいそれと信じることはできない。
 なにせ先ほど殺されかけたばかりなのだ。目の前の奇抜な人達以上に、警戒心を強める。もっとも、今の行動で鎧の男とは別口だということが、半ば確信に近い形で納得出来たが。さりげなく女の子を庇うように動いているのだ。それに仲間ならば、まず私達の姿を見れば警戒心も露わに様子を見るより、即行で切りかかりそうだ――さっきみたいに。
 演技にしてはいささか大仰過ぎるし、大体する必要もないだろうから・・・おそらくは白。けれど警戒心をまだ解くことはできないので、そっと瑪瑙を後ろに庇いながらいつでも逃げられるように距離を取って身構えておく。そんな私の緊張を崩壊させるかのように、武器を構えた中で真中にいる青年が、なんとも素っ頓狂な声を出した。

「え・・・あ、人!?」

 第一声にしてはかなり失礼だな。む、と眉を寄せてから、様子を探るように素っ気無く答える。

「人以外に見えるのならかなりショックですね。それとも、そこに転がってる鎧の男達のようにでも見えますか?」
「う、ううんっ。え、ということは、生き残り?!」

 少年に幾分顔立ちの似た、似たような服装をした少女が眼を白黒させながらそう問い掛ける。生き残り・・・うーん。まあある意味生き残りではあるが。しかし、含まれる意味合いはたぶん違う。私達はこの村の生き残りでは、ないから。もっとも、今のこの状況でそんな事情説明をしている暇など皆無だ。

「生き残りがいたのか・・・」
「若干違いますけどね」
「は?」
「いえ。あなた方は・・・そこに転がってる黒い鎧の人達の仲間、などではないですよね?」

 こんな風に問いかけて「はい仲間です」などと言うはずがないことは承知しているが、あえて口に出すことで相手の反応を探ってみる。仲間であるのならば、多分この後演技を止めて切りかかってくるはずだ。性格が悪いならそうだし、確実性を狙うならもう少し演技を続けるかもしれない。どちらにしろ一つの分岐点だ。疑わしい視線に、赤いマントに全身隙間なくピッシリと着込んだ眼鏡の青年が、眉間に皺を刻み眼鏡を指先で押し上げた。

「それはこちらの台詞だ。・・・君達こそ、黒鎧達の仲間じゃないのか?」
「ちょっと、ネス!」
「・・・お互い、信用できない、ということですね」

 なるほど。見た目通り、頭の回転は速いのか。横で声をあげる少女を無視して睨みつける青年を見返し、ふっと口角を吊り上げる。

「上等です。お互い疑いにかかってるなら話は早い」
「ほぅ?」
「率直にいいます。私達の目的は「無事に生きてここから脱出すること」です。ですから、あなた方を敵ではないと仮定してお願いしたいのですが・・・同行させていただけませんか」
「・・・安全だともわかっていないのに?」
「今の状況では何が安全で、何がそうでないのか、なんてわかりませんよ。唯一の目印は殺意がある人間は黒い鎧を装備しているということだけ・・・なら、ここは一つ信じてみるのも賭けでしょう」
「随分と危険な賭けだと思うが・・・負ければ死ぬんだぞ?」
「ぶっちゃけ私達武器もなんにも所持していないんですよ。色々あったんでこのままだとどの道殺されるか野垂れ死ぬかの道しかなさそうなんで。だったらまあ、助かる可能性が高そうな方に一つ賭けるのも運試し、ですよ。警戒するのもおおいに結構。疑いにかかるならどうぞ遠慮なく。ただ私達は、今を生き延びたいだけですから」

 ぱっと両腕を広げて何も持っていないことをアピールしながら、堂々と微笑む。正直言って、折角出会えたまともそうな人とこんなにもピリピリした雰囲気になることは痛いが、これは必要な駆け引きだろう。そもそも、警戒を怠れないのは私達も同じ。
 右も左もわからない状態で、どうにもできないのだから――信じる信じないという判断基準さえ、今はあやふやだ。なにせ、私達は何も知らない。まるで幼子のように、何も。そんな私たちに出来ることと言ったら、神経を研ぎ澄ませて、一つの違和感も見逃さないように警戒をすることだけだ。向こうが何かをしてきても、ある程度対応ができるように意識を極限まで高めなくては。意外そうにじろじろと私達の全身を眺めている青年の横で、少年と少女がずいっと身を乗り出す。押し退けるようにされた青年は、君達!!と叫んでいたが、2人は何処吹く風とばかりに、私達に顔を近づけた。心持ち、瑪瑙と2人して後ろに仰け反る。

「安心して、私達は敵なんかじゃないから・・・それに、私もあなた達を信じるわ」
「あんなに堂々と疑っていい、なんて普通言えないからね。大丈夫、絶対守ってあげるから」
「あ、ありがとうございます・・」

 力んで拳を握り締め宣言する2人に、瑪瑙がこわごわと感謝の言葉を口にする。その瞬間、少年含む男連中の頬に朱が走ったが、ここはあえて気付かなかったふりをしておいてやろう。若草色の髪の、一番の年長者だろう屈強そうな男の後頭部に、巫女服姿の女性の拳がめり込んだのも、私は何も見ていない。ていうか・・・巫女服、よねぇ、あれ。知ってる巫女服と多少違うが、概ね見覚えのある服装である。うわ、なんか安心したー。少なくとも、私達と話しが通じるかもしれない人がいるわけだ。ほっとしつつも、さっきからチラチラチラチラ視界に入ってくるこの場では異様としか言いようのないモノに、互いに疑っている、と確認したばかりなのに「守るから!」と言ってくれた少年少女から視線を下に落として、この奇抜な面子の中でも一層珍妙な存在を見下ろした。
 一人は、背中に黒い翼のある少年。蝙蝠を思わせる皮膜の翼は、薄く透けて血管が見えるように息づいている。それだけで、あれが偽物などではなく本物なのだと、否応なくつきつけてくれた。もう一人は、大きな獣耳をつけた着物姿の少女だ。
 兎・・・よりも三角に尖った大きな耳はふわふわとしていて、お尻にはこれはまたふさふさとした尻尾がある。時折耳がぴくぴく、と動き、尻尾もはたはたと揺れていることから、これもまた偽物ではないのだろう、と思わせる。本物、・・・なのか。これは。やっぱり。
 できるならコスプレ路線の方が嬉しい、・・・・・・・・・はずもない。こんな状況でそんな集団には会いたくないわ、私。困惑の眼差しで見つめると、必然的に悪魔っぽい少年の赤い瞳と、目が合った。
 ――――その瞬間の、彼の眼差しの熱さを、・・・・どう言えば、よかったのか。
 目が合った瞬間に、見開かれている少年の眼差しが強く注がれる。唇が小さく戦慄き、思わず、といった風に足が一歩を踏み出して。しかし不意に、見つめてくる眼差しが泣きそうに歪んだ。眉はきゅっと寄せられて、紅い瞳が惑うように揺れ動く。歓喜、疑念、不安、戸惑い――様々なものが、少年の揺れる瞳に浮かび上がる。だというのに、少年の目はただの一瞬たりとも私から逸らされはせず・・・怪訝に眉を寄せると、こほん、と咳払いが聞こえて咄嗟に視線をそらした。一瞬、逸らす前の少年の唇が何かの音を作ったような気がしたが、横目で見たときにはしっかりと閉ざされていた。気のせいだったのだろうか。

「全く、君達は・・・とにかく、どうするにせよここでこうしているわけにも行かないだろう。早くここから離れないと・・・」
「待ってください!まだ、村の皆が・・・っ」

 仕切り直す為の一言に、亜麻色の髪の少女が血相を変えて反論した。その必死な声に、眉を顰める。村の皆、というけれど・・・たぶんもうここに集まっている人以外は生きていないだろう、と予想する。ここまで走ってくる間にも、生きている人間など一人も見かけていないのだ。それに加えてこの惨状。生き残っている方が珍しいかもしれない。亜麻色の髪の少女に、一瞬口を噤んだ眼鏡の青年が、苦渋の顔で口を開く。出てくる内容が簡単に予想出来て、けれどそれでも少女は納得しないだろうと思った。そして、そこの兄妹も、たぶん納得しない。お互い疑っていると、信用できないと目の前で会話していたというのに、私達に対して守るから、といったその目が、とても真っ直ぐだったから。しかし、眼鏡の青年が何かを言う前に、切羽詰まった声が辺りに響いた。

「アメル、無事か!? 」
「リューグ・・・」

 一斉に向けた視線の先に、これまた奇抜な格好をした赤髪の青年が亜麻色の髪の少女に向かって駆け寄ってきた。・・・・トゲトゲが痛そうだな。どういうつもりであんな服にしたんだろう。
 そんなちょっとどうでもいいことを考えている間に、青年は少女の無事を確認すると、ほっと息を吐いてちらりとこちらを向いた。

「お前たちが、この連中からアメルを守ってくれたのか?」
「まぁ、一応はな」
「そうか・・・ん?ソイツ等は・・」
「あ、ついさっき、合流した人達なんだ。大丈夫。敵じゃないよ」
「どうも」
「こ、こんばんは・・」

 いやだからさっき思いっきり信用できないって言ったばかりでしょう。笑顔でこちらを見ながらさらりと言い放った少年に、眼鏡の青年の額にピシリと青筋が走った。(ような気がした)その微妙な空気と見なれない私達に思うところがあったのか、険しい表情で吐息を零す青年・・・リューグ?だっけ?しかし、私は見た。瑪瑙を見た一瞬、彼の頬が赤く染まったことを!!相変わらず、何処の誰でも瑪瑙には敵わないのねぇ。それ以上身内の話しに加わるわけにも行かず(どうもここにいる人達は私達を除いて顔見知りのようだ)瑪瑙と2人で顔を見合わせると、不意にアメルさん、だったかはリューグに泣きそうな顔で詰め寄った。

「ねえ、リューグ、村の人たちは、みんなはどこにいるの?みんな、ちゃんと逃げられたんでしょう?そうなんだよねっ!?」

 ひゅっと誰かが息を呑んだ。必至の形相で問い詰めるアメルの顔は今にも泣き出しそうに歪んで。誰もがリューグに向かって、一縷の希望のように、不安そうな視線を向けた。・・・もっとも、あまり期待なんて出来そうもないけれど。

ちゃん、大丈夫だよね?この村の人達、無事、だよね・・・?」
「・・・、いや。たぶん・・・」

 小さく訊ねてくる瑪瑙に、言葉を濁しながら顔を顰める。目を細め、見つめた先のリューグの顔が辛そうに歪んだのを見る。すがりつくような視線に耐え切れないように、僅かに逸らされた目にびくりとアメルの肩が跳ねた。少しだけ俯き、けれど固く閉ざされた口は決して開かずに。嫌に重たい沈黙が辺りに落ちた。それが、言葉よりも雄弁に事実を語る。
 誰もが顔を青ざめさせ、うそ・・・・、とアメルがひどく掠れた声を零した。ざくり、と何か切り付けられたような痛みが空気に混じり、重たい。その空気を取り払うように、唐突にリューグが激昂した。

「あいつら、一人残らず殺しやがった・・・・・女も、子供も、病人でさえもッ!」

 その声が、ひどく泣きたそうだと感じたのは、気のせいだろうか。そう思わずにはいられないほどに、怒りに染まった声から迸るものは、周りを強ばらせた。瑪瑙が、アメル同様に顔を悲しそうに歪ませ、私の腕に顔を押し付けた。
 僅かに染み込んできた熱いものに、そっと瑪瑙の髪を撫で付ける。柔らかなその蒸し栗色の髪が、僅かな微風にさらりと揺れた。けれど、悲痛なその空気も長くは続かない。
 カチャン・・・という小さく金属がぶつかるような音にはっと顔をあげ、音のした方向に視線を向ける。まだ誰も気付いていないのか、全員、2人にかける言葉も見つからず沈黙していて。私は、それを尻目に瑪瑙を庇うように引き寄せ、喉を鳴らした。怪訝な視線に、目を向けることも出来ずに。


 凝視した先に、漆黒の影がただ、佇んでいた。