逃亡者 後



「ほぅ、こんな所に隠れていたのか」

 低い、けれど仮面にくぐもった声が思いの外辺りによく響いた。ばっと音がする勢いで全員が振り返る。私は、変わらず視線をそこに定め、苦々しく舌打ちした。さっさとここから離れればよかった・・・!

「随分手間がかかるとは思ったが・・・まさか冒険者ごときに遅れをとっていたとはな」
「テメェ・・・!」

 今までの鎧の男達と共通する、漆黒の鎧。違うところといえば、熱風にばさりと大きくはためくマントと、フルフェイスの兜。しかも恐ろしく趣味が悪い。髑髏でも模しているのかあれは。
 そして、付け加えるのなら体中から発せられる威圧感は、私が撃退した鎧の男とは比べ物にならないほどに、重く息苦しい。長身の相手から見下ろされるその圧迫感に、息が詰まりそうだった。ごくりと、誰かの喉が不自然に音をたてる。人数的には明らかにコチラが勝っているというのに、それが全くの強みに思えないほどに、男から感じる威圧感は恐ろしかった。悪趣味な仮面をしてる癖に、なんて奴だろう。せめてもっと普通の仮面をしやがれ、と現状に全く関係のないことで悪態を内心で吐きつつ、視線を辺りに走らせる。見たところ、男の味方はいない。ということは、こいつは今ここにいる1人だけ。
 なら、勝てはしないだろうが、逃げ切ることなら出来るかもしれない。相手は一人だというのに、真っ先に逃亡という選択肢しか出てこない辺り、私も相当ビビっている。いや、仕方ない。どうにも頭の中で赤いランプがビカビカと光っているのだ。勝てる気がしないってこういうことなのね。

「無駄な抵抗はよせ。抵抗しなければ苦痛を感じる間もなく全てを終わらせてやろう」

 比喩ではない。確実に男はそれが出来る。淡々とした口調が余計な恐ろしさを引き立たせ、厄介なのが来たなぁ、と唇を舐めた。大体、そんなこと言われて抵抗しない人間なんてほとんどいないと思うが。しないというよりも、出来ないという方が正しい気もするし。
 数の上ではこちらが勝っているはずなのに、どうにも勝てる気がしないのが恐ろしい。普通、これぐらいの人数差があればもうちょっと余裕も持てると思うのだが、どうにも男の纏う威圧感がそれをそうとは感じさせてくれないのだ。これはまずい。警戒ランプがパトランプみたいにぐるんぐるん回ってる。こんな状態で私達に出来る唯一といえば、意表でもなんでもいいから隙をついて逃げ出すことぐらいしかない。
 とりあえず逃げろ、と言うつもりで開きかけた口は、視界に映った光景に別の言葉を吐き出す。

「ふ・・・・ふざけんじゃねぇ!!!!」
「馬鹿!!」

 吠え声をあげて、斧を振りかざし斬りかかるリューグに私の罵倒が飛ぶ。
 それに向けられる複数の驚きの視線を、更に驚愕の光景が持って行った。
 ギイィン、と鈍い金属音が辺りに響き、リューグが振りかざした渾身の一撃はいともあっさりと仮面の男に弾き飛ばされる。その光景に言わんこっちゃない、と隠すこともなく盛大な舌打ちをした。

「リューグっ?!」
「なんて野郎だ・・・片手で、あの小僧の斧を弾きやがったっ!」

 若草色の髪の男が焦りを隠すこともなくそう吐き捨てる。倒れ込んだリューグに慌ててアメルが駆け寄る様を視界の端に捕らえながら、不意をつき難くなった、と拳を握った。
 チャンスは最初の一回・・・たった一度の攻撃の時にどうにかして不意をつくしかなかったのに。これでは、2回目以降なんて・・・やり難いったらありゃしない。うわー・・・・どうするよ?・・・ん?

「我々の邪魔をする者には、等しく死の制裁が与えられる。例外は、ない」
「くそぉ・・・ッ」

 芝居がかった調子で朗々と響き渡る声は躊躇いというものが感じられず、冷徹に言い切る仮面の男に誰もが拳を握った。今ならもう誰もが判っている。目の前の男は、今までの誰よりも強いのだと。出来ることならそれをもっと早い段階で悟って欲しかったなぁ、というのは我が侭だろうか?しかし死の制裁とは・・・また大きく出たもんだ。寄りにもよって、裁く、と。この状況で、こいつが、私たちを。言い分も抵抗も何も聞かずに、理不尽に剣を突き付けるだけの相手が、裁く、などと口にする。ふつり、と腹の奥がざわめいた。あぁ、それは、なんて―――腹立たしい。

「冗談じゃない」
「何?」
ちゃん・・っ!」

 嘲笑を篭めて吐き捨てると、仮面の男がゆるりと視線を私に向ける。
 瑪瑙が青ざめて叫ぶが、後ろに押しやって真っ正面からその視線を受け止めた。
 驚きと何を、という視線が集まる。ピリ、と張り詰めた空気の中で、男が目を細めたことを雰囲気だけで悟った。

「なんで私達が、アンタなんかに裁かれないといけないの?アンタに私達を裁く権利があるだなんて、一体どこのどなた様が決めたのかしら?」
「口はよく回るようだな」

 あまり感情の篭らないそれに、さすがだなぁと変に感心しつつ、集団の前に出る。
 瑪瑙が行かせまいと腕を掴んでいたが、やんわりとそれを解いて紫がかった髪をした少女に瑪瑙を押し付ける。アメルとリューグの横まで歩いてきた所で、相手の圧迫感に微かに震えが走った。恐怖というよりも武者震いに近い。何故だろう。妙に冷静だ。あれほどビカビカと光っていた赤いランプは為りを潜め、今は自分でも信じられないほどに冷え切った頭で仮面の男を見やる。
 あれほど怖いと、威圧感は恐ろしいと怯んでいたのに、怒りが突き抜けて一周ぐらいしてしまったぐらいに凪いでいる心に不思議だなぁ、とやはり冷静に思った。今は、怖いというよりも、ひたすらに、ふざけんじゃねぇ、という腹立たしさが胸中を占めている。

「人の意見も話し合いの場も持たずにいきなり切りかかってくるような理性の欠片もない野蛮人が、裁くだなんて高尚なこと、言わないでくださる?」

 口角を持ち上げ、柔らかく微笑みを浮かべて小馬鹿にしたように殊更丁寧な口調で吐き捨てれば、相手の肩が何か琴線に触れたかのように揺れた。ぎろり、と向けられる視線が強さを増したのを感じる。
 周りの視線を一身に浴びて。なにか後ろから前とはまた受ける感じの違う、それでも突き刺さるような視線を感じたりするのだけれども。その疑問は隅に置いておき、チラリと視線を仮面の男から一瞬逸らして、それから微笑みをにやり、と不敵なものに変えた。
 刹那、仮面の男の横にある茂みから、人影が飛び出す!

「うおぉぉぉおおぉぉぉぉお!!!!!」
「なにっ!?」

 ギイィン、と鈍い音をたてて飛び出してきた人影に不意をつかれ、仮面の男が弾き飛ばされる。リューグの時とはまた逆の結果になり、隣のアメルとリューグはその人影に目を見開いた。

「おじいさん・・・!?」

 おじいさん!?あれがか!??アメルの驚きと喜びの混じった声に目を大きく見開き、仮面の男に斬りかかる人影を見る。茂みに誰かが潜んでいたことは判ってたけど・・敵意もあまり感じなかったし、ほぼ賭けのつもりで相手の気を逸らしてみたのだが・・・(結果的に勝ったけど)よもやアメルのおじいさんとは!ていうか・・・一滴も血の繋がりがあるようには見えないんだけど。筋骨隆々として、今周りにいるどの男よりも男らしい体つき。
 逞しい体が仮面の男と凌ぎあい、火花を散らす姿は圧巻だ。運がいいな、私。そしてやっぱり老人には見えないわ。

「皆さん、早く逃げてください!」
「ロッカ!?」

 少しばかり唖然としていると、今度は若々しい青年の声が聞こえ、振り向けばそこには・・・。

「同じ顔?」

 近くにいるリューグの顔と目の前で槍を抱えている青年の顔を見比べ、瞬いた。
 双子なんて別にさして珍しくもないが、いきなり見せ付けられればやはりそれなりに驚く。
 まあ、髪の色が違うからわかりやすいといえばわかりやすい。顔つきも、何処となく違うし。

「あいつは僕達がここで食い止めます!ですから、アメルを・・・その子を連れて逃げてください!!」
「あたしは嫌です!おじいさんたちを置いて逃げるなんてできません!!」

 アメルを私達の方へとやって、切羽詰まった様子で・・・けれど、確かに決意した顔で言い切る青年ロッカに、けれどアメルは首を横に振って拒絶する。目尻から零れた雫が、首を横に振った反動で空中に散った。

「聞き分けのないこと言わないでっ。貴女が逃げなくちゃあの人達がしたこと全部が無駄になるって判らないの!?」
「でもっ・・・!」

 巫女服の女性がアメルに向かって叱り付けるが、アメルはそれでもまだ渋る。
 辛そうに歪んだ顔に再び涙が盛り上がったのを見て取り、眉を寄せた。・・・頭の理解と、感情の納得は、全くの別物なのだ。理解は出来ても、納得なんて出来るはずもない。
 大切な人が、家族が、危険な目にあっているのに、あっさりと納得して逃げるなんて誰が出来るだろう。例え、それしか出来ないのだとしても。

「大丈夫だよ、アメル。ちょっとお別れするだけだから・・必ず迎えに行くから、先に行っててくれ」
「安心しろ、アメル。・・・・死にゃしねぇよ」

 微笑んで言うロッカとは対照的に、仏頂面で、けれど力強くリューグが続ける。
 ・・・・リューグも、一緒に残る気か。まあ、この短時間でもリューグの気性が大分荒いことは判ったし。一緒に逃げるなんてことはしないだろうな。しかし、この極限状態でよくもまあ自分より他人を考えられるものだ。感心したようにその光景を見つめ、すぅ、と目を細める。

「ロッカ・・リューグ・・・!」

 アメルの、動きが止まった。瞬間、アメルの腕を掴むと青みがかった髪の青年に向かって突き飛ばすようにして押し付ける。

「きゃぁ!?」
「うわっ」
「あんた、しっかりその子捕まえとくのよ!!」

 間髪入れずそう言い放つと、戸惑いの眼差しが向けられるものの、すぐ後にはしっかりと青年は頷いた。アメルが大きく目を見開く。その非難の篭った眼差しをさらりと無視して、少し驚いているロッカを見やった。ひたりと合わさった視線に、ロッカは小さく微笑んだ。

「さぁ、アメル!」
「・・・ッいけえぇぇっ!!!」

 リューグが吠え、今まで一人で奮戦していたおじいさんの加勢に加わる為に背中を向ける。ほとんど同時に、ロッカも槍を構えて仮面の男に突き掛かった。その後ろ姿が、仮面の男に向かっていくのを見届けるか見届けないかの内にこちらも踵を返す。今だ戸惑っている瑪瑙の片腕を捕らえ、引っ張りながら走り出せば遠くで剣の交じり合う音が高く響いて。



「ロッカ!リューグ!おじいさあぁぁぁぁん!!!!」



 アメルの悲痛な叫びが、炎に巻かれた村に遠く、遠く響き渡った。