手に入れた事実



 目が、覚めたら・・・・全て夢になるのか。





 乾いた喉が痛い。暗闇の中、目の前を走り続ける背中に連れられ、逃げ込んだ場所はどこかの屋敷。知り合いらしい人の家に逃げ込み、それぞれはすでに部屋に放り込まれてダウンしている。とりあえず、この家の家主は・・・えーと、眼鏡の青年と、兄妹らしいあの2人の先輩だという簡潔な説明しかして貰えていないんだけど。与えられた部屋の中で、ぐったりとしている瑪瑙を尻目に立ち上がる。座っていたベッドのスプリングが軋み、音をたてると、薄闇の中でカーテンを引いていない窓からやけに大きな月の淡い光が室内を照らした。

「・・・どこに・・・行く、の・・・?」

 掠れて途切れ途切れの声に振り向き、ベッドの上で横たわる瑪瑙を見た。
 今にも落ちてしまいそうな瞼を重たげに持ち上げ、半分閉じかけた目で私を見つめる。
 ほとんどぼんやりとしていて焦点の定まらない視線に、あまり私の姿も把握できていないのではないだろうか、とちらりと思う。その姿にくすり、と笑い声を零し、向かっていたドアから反転してベッドの横まで向かった。
 眠たそうに見上げてくる瑪瑙の表情は色んなものが混ざって、結局疲労という影を色濃く落としている。
 その疲れ切って微睡んでいる姿を見下ろして、白いシーツに散らばる蒸し栗色の髪と、驚くほど整った人形のような小さな顔に、まるで御伽噺のお姫様のようだと、知らず瞳を細めた。冴え冴えとした青白い月光が、スポットライトのように柔らかに瑪瑙の上に降り注いでいるから余計にお伽噺染みていて、惜しむべくは恰好が学校指定のジャージ姿ということだろうか。制服を汚すよりはマシだったのかもしれないが、これがお姫様みたいなドレスだったらさぞかし絵になったことだろう。いやはや、実に惜しいことをした。
 一種、幻想的なものさえ作り出すその光景に、感嘆の吐息を零してベッドの縁に浅く腰掛けた。きしり、と僅かな軋みを感じ、一瞬揺れたベッドに、けれど瑪瑙は相変わらず眠たそうなまま。そこに、少しだけ不安そうな色を見つけて、安心させるように頬にかかる髪の一筋を払いのけた。

「ちょっと下まで行くだけだから、大丈夫よ。家の外に出るわけじゃないから」
「どうして・・・?」
「んーまぁ、現状を早めに理解したいからかな」
「明日、でも・・・」

 皆まで言う気力がないのか、細い声は片言しか紡げず、そんなに眠いのなら眠ればいいのに、と少し呆れた。ゆっくりと頭を撫でてやりながら子守り歌のように優しく紡ぐ。

「性分なんだよ。早く現実を理解したい・・・安心、したいのかな」

 一瞬閉じた瞼を、はっとして持ち上げて瑪瑙が弱々しく手を握り締めた。

「なら・・わたしも・・・・」
「そんな状態で何言ってんの。ここは私に任せなさいって」
「でも・・・ちゃんだって・・絶対、私より・・・疲れてるのに・・・」
「平気。なんだか、今日は随分と調子がいいの。・・・さぁ、もう寝なよ」

 撫でていた手をそっと瑪瑙の目の上に被せるようにして置き、囁いた。調子がいいというよりも、興奮冷めやらず、といった状態なのかもしれないが。目隠しの要領で置かれた掌に、大きく瑪瑙が息をつく。

「でも・・・>ちゃん、ひとりは、こわいわ・・・」

 目元に置いた掌に、そっと柔い手を重ねて控えめに握ってきた瑪瑙に、ぱちりと瞬いて唇から吐息を零した。あぁ、そうか。そうだなぁ。零れた本音に、笑みを刷く。
 口の端に浮かべたそれは苦く、手慰みのように絹糸のように細くしなやかな髪に握られている手とは逆の手で指を通した。さらさらと蒸し栗色の髪を指先で裂くように筋を描いて、引っかかりもなくするりと抜ける感触に、きしりとシーツに爪を立てた。

「大丈夫、一人になんかしないわ。瑪瑙が眠るまで、ここにいるから。安心して寝ていいよ」
「う・・ん・・、ちゃん・・・」

 不安を溶かすように甘く。恐らく、屑桐先輩たちが聞けば誰だお前と言われるぐらいに柔らかな声で、優しい手つきで。髪を撫で梳きながら囁くと、瑪瑙はまるでそれが抗いがたい誘いのように、最後に細い声でそう呟いたっきり、唇はもう動かない。掌の下で長い睫毛が震えて下がり、かわりにすぅ、すぅ、という寝息が聞こえて緩やかに胸が上下する。しばらくそのまま瑪瑙の目を覆い、完全に寝入ったことを確認するとそっと退けた。瞼を閉じた姿は益々神秘的で、男共が一目惚れするのもよく判る。例えるのならば、まるで眠り姫のよう。長い睫毛が月光でかすかな影を目元に落とし、青白く見える肌の色が綺麗だった。

「おやすみ。瑪瑙」

 もう届かないけれどそう言い残して、立ち上がる。スプリングの動きももう気にならないほどに、深く眠る瑪瑙。よっぽと疲れたんだなぁ。それもそうか。あんな事があったんだ。
 疲れるのが当たり前だ。泥のように深く、深く・・・疲れて眠るのが当たり前。だからそう。夢を見ないほどに、深く眠っていてほしい。きっと、今宵の夢はあまり楽しいことにはならないだろうから。
 毛布を瑪瑙の肩まで上げて掛け直してやりながら視線を上げ、窓をみる。大きな月を見上げ、降り注ぐ月光が心地よいと感じた。

「・・・大きいな」

 向こうでこんなに大きな月は見たことがない。ポツリと零して、くるりと踵を返した。なるべく音をたてないようにドアを開け、閉める。もっとも、ちょっとやそっとの音じゃ起きはしないだろうけど。パタン、と閉じたドアを一瞥して階下に向かった。つか、なんてでかいんだこの屋敷。豪邸、と言うに相応しい内装と部屋数に、どんな先輩なんだか、と首を捻る。
 いきなり大人数で押しかけたのに(しかも真夜中に)びくともしないで部屋に押し込んだし。随分と出来た先輩というか、懐が広いというべきなのか・・・。とんとんとん、と足音をたてて階段を下りきれば、リビングの方で微かに明りが漏れているのが見えた。起きてるのか・・・それなら好都合だな。
 寝てたらどうしようかと思ったけど・・その時は諦めるしかないんだけどねぇ。無造作にドアを開けると、ソファの上で机を挟んで向かい合ってる男女が目に入る。ドアが開いた音に反射的に振り向いた2人に愛想笑いを返して、てくてくと近寄った。

「あら、貴方マグナ達と一緒に居た・・」
です。。始めまして」
が名前でいいのかい?」
「はい」
「そう。私はミモザ。こっちはギブソンよ。一応マグナとトリスの先輩なの」
「ネスティもいるだろう、ミモザ」

 夜中にいきなり出てきたというのに、大して動じた風もなく笑顔で応対する姿に感心する。
 眼鏡をかけた女の人はミモザさん、金髪の男の人はギブソンさんで、ギブソンさんに勧められるままソファに腰掛けた。当のギブソンさんは入れ変わりに立ち上がり、どこぞへ歩いていく。その背中を見ていると、不意に前方から声がかけられた。

「それで、どうしたのかしらこんな夜中に。貴方だって疲れてるでしょう?」
「えぇまあ。・・なんというか、聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと?」
「はい。明日でもよかったんですけどね。どうも気になっちゃって眠れそうもないんですよ」

 苦笑していうと、目を細めて相手も笑った。観察、されてるのかな。これは。口角をつり上げて笑いながら、眼鏡の奥の目を見返す。悪気はなさそう。ただ、そういう性分なのか・・・まあいいや。

「それはそうと貴方、随分変わった服着てるわね」
「え?あ、あぁ。ジャージですからね。すみません、みっともない格好で」
「あら、別に気にすることじゃないわよ?マグナたちなんてそれ以上にボッロボロだったもの。それで、聞きたいことって何かしら」

 冗談を交えて笑いながら小首を傾げられ、促される。そして丁度、机の上にことん、とマグカップが置かれた。湯気が立つ乳白色の液体に目を瞬き、手の引っ込んだ方向へ顔を向ける。そこには微笑んでミモザさんの前にもカップを置いているギブソンさんがいて。その手にはもう一つカップが握られていて、あぁ、わざわざこれを煎れにいっていたのか、と得心がいった。

「ありがとうございます」
「いや。もう夜だし、紅茶やコーヒーはどうかと思ったからホットミルクにしたけど、よかったかい?それと、これを頬に貼っておくといい。怪我、してるだろう?」
「え?・・・あ」

 差し出されたバンソーコーに軽く目を瞬き、頬に触れる。痛みはないけれど、指先に切れ目とざらりと何かが固まっている感触が伝わって、そういえば、と記憶を掘り返した。・・・鎧の男と一戦交えた時に頬を掠めたような気がする。その時のか。軽くお礼をいってそれを受け取ると、ミモザさんが苦笑しながら言った。

「ちょっとギブソン。鏡もないのに自分で貼るなんてできないでしょう」
「あ、そうか・・・」

 伸びてきたミモザさんの腕がバンソーコーを取り上げると、慣れた手つきでペタリと頬に貼られる。ひんやりとした感触がして、気持ちがよかった。

「だぁめよー。女の子が顔に傷つけちゃ」
「あはは・・・不可抗力ってことで」

 軽く笑いを返しながら、マグカップを取る。口に含むとやけに渇きを訴えていた喉に、染み入るように仄かに甘いミルクの味が広がった。蜂蜜も入れたんだろう。砂糖よりもコクのある甘みがほどよく口内に溶け込んでくる。熱めのそれも、汗をかいて冷えた体には丁度いい。
 こくり、と飲んで慣れ親しんだ味にほっと息をついた。今まで起きた全てが現実離れしすぎていて、不安だったものが知っている味に堪らず解けたようで、僅かに震えた手を誤魔化すようにもう一度マグカップに口をつけた。
 なんか、安心するなぁ。緩んだ口元で、マグカップを机に置く。ちらりと前を見ると、ミモザさんの横にはギブソンさんが座っていて、聞く体勢は万全のようだ。見つめてくる目に背筋を伸ばす。

「聞きたい事というのは・・その、なんというか・・・ここが何処なのか、ということなんです」
「ここが?あぁ、そうね。急だったから、判らなくても当たり前ね」

 一瞬動いた眉はけれどすぐに戻って、納得したように顔に笑みが浮かぶ。組んだ足の上に手を置き、ミモザさんが口を開いた。

「ここは聖王都ゼラムの高級住宅街、て所かしら」
「聖王都?・・・え、なんですかそれ」

 聞き慣れない単語に目を瞬くと、逆に驚いたように見返される。え、なに。それは知っておかないと駄目な基礎知識なの?言っとくけど私はそれなりに成績優秀なんですよ。
 ある程度の知識なら持ってますけども、そんな国聞いたこともない!いや世界には私の知らない国が一杯あるんだから、知らなくても当然、か・・・?・・・いやでもさすがにこんな重火器ですらない剣とかステッキぶん回すような国はなかったというか・・・新しく出来た、とか・・・。しかしそんな話しニュースにもネットにも流れてないし・・・。誰も話してる所すら見たこともないんですけどねぇ。

「ちょっと待って!聖王都を知らないの?」
「はい。これっぽっちも。ちなみに記憶喪失だなんてことはないですから」

 瑪瑙に聞いても絶対知らないっていうぞー。すっぱりと言い切ると、2人は顔を見合わせて顔色を変えた。・・・・・・・うわぁ、なんかそこはかとなく嫌な予感がする・・。
 そのただならぬ様子に、思わず気付かれない程度に眉を顰めた。頼むから変なことになってないでくれよ。

「・・・君。君は何処から来たんだい?」
「え。日本ですけど」
「ニホン、・・・・・それは、確かあの子達もそんなことを言っていなかったか?ミモザ」
「そうね・・・言ってたわ。ねぇ。貴方、チキュウ、というところからきたんじゃない?」
「えぇまあ。一応そういう名前がつけられてますね」

 なんかいきなり規模がでかくなってやしませんか?地球?いきなり地球ときますか。星単位でなんか関係があるんですか・・?
 怪訝に、そして一抹の不安を感じて相手を見ると、2人は言い難そうに言葉を濁す。・・・・・・・いやいやいや、なんかものすっごい不安になるんですけど!

「な、なんですか?それとこれとどう関係が・・・」
「言い難いんだけど・・しょうがないわね。、今から言う事が信じられなくても、とりあえず私達の話しを全てきいてくれるかしら?」
「は?え、あぁはい。判りました。・・・て、そんな信じられないような話しなんですか?」

 なんか物凄く聞くのが怖いんですけど。顔を顰めていうと、ギブソンさんが苦笑いをした。・・・信じられない話しなんだね。あーなんだよ。なにが起こったっていうんだよ。信じられないっていうのなら、もうすでにあの村でミステリー映画のごとき惨劇に巻き込まれた時点で信じられないよ。ただでさえ混乱してるのに、その更に上乗せですか。

「簡潔に言うとね。ここは貴方のいた世界じゃないのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぃ?」

 今物凄くあっさりと重大発言したよね。ね?あまりにさらっと言われたせいでちょっと頭の回転が追いつかず、思わず間抜けな声をあげてしまった。それに、その反応は普通だな、といわんばかりにうんうんと頷くギブソンさん。え、ちょっと待って。・・・私のいた世界じゃない?え?・・・えーと。

「・・・・・じゃ、何処なんですか」
「ここは異世界リィンバゥム。貴方のいた所は私達の所で言わせて貰うと、名も無き世界、と呼ばれているわ」
「名も無き世界?リィンバゥム?・・・・・・・・・・・・・・・異世界?」

 重要だろうポイントを疑問符つきで復唱し、眉間に指を添えた。固く寄った皺を解すようにぐりぐりと動かして。・・・・・・異世界。リィンバゥム。名も無き世界。異世界。・・・・・異なった、世界。ふむ。

「私達が住んでいた所と、場所どころか世界そのものが違うんですね?」
「そういうことになるね」
「なるほど。じゃあ、・・・・・・・私達は、帰ることが出来ますか?」

 信じられないといえば信じられないが、とりあえずこの人達が嘘を言うとも思えない。というか、この状況でそんな馬鹿みたいな嘘吐かれても、利益も何もあったものじゃないだろう。そこまでする意味もないだろうし。だから、とりあえずその「異世界」という話しが本当だと仮定して、とりあえず問い掛ける。じっと相手の目を見据えると、一瞬相手の息が詰まり、・・・瞳が、揺らいだ。・・・あぁ。

「無理なんですか」

 その反応に、そっと苦笑を浮かべると、息を詰めて2人が申し分けなさそうに眉根を寄せた。

「・・・召喚された者は、その召喚した者でないと元の世界に送還することは出来ないのよ」
「は?召喚?召喚って、あの召喚ですか?」
「・・・あぁ、そうだね。君にはまずこの世界の理を教えないと通じないんだった」

 再び耳慣れない・・・いや、知ってはいるが日常的に使うことのない言葉に、きょとんと目を瞬くと、ギブソンさんが苦笑いをして首を傾ける。うーん。もしかしてファンタジーな世界突入ですか?ギブソンさんの台詞に困ったように眉を寄せると、すっかり冷めてしまったホットミルクを口に含む。生温いけれど美味しいから良し。こくりと飲み干して、相手を窺う。ギブソンさんは、ゆっくりと息を吐きながら口を開いた。

「この世界・・リィンバゥムの周囲には4つの世界が確認されている。召喚とは、このリィンバゥム特有のもので、ある鉱物を媒介に、その世界の住人を喚びだすことなんだ」
「鉱物っていうのが、これね。私達は総称してサモナイト石って呼んでいるわ」

 ギブソンさんの説明を補足するように、ミモザさんが懐からその、サモナイト石というらしい鉱物を取り出してみせた。
 宝石のような輝きのある、エメラルドのような石だった。綺麗にカッティングのされているその石を覗きこみ、ファンタジーだ、と内心で呟く。

「サモナイト石には種類がいくつかあってね。それぞれ色彩が異なるの。それによって召喚できるものも違ってくるわ」
「これ一つでは全てを呼び出す事はできないと?」
「そういうことになるね。これはメイトルパ・・・幻獣界、いわゆる亜人や獣人・・・というのはわかるかな?」
「わかりますよ。知識だけですけど」
「それだけでも十分だよ。その獣人達が住んでいる世界でね。そこと繋がっているんだよ」
「そうなんですか・・・」

 相槌を打ちながら、なんだかとんでもない事態になってきたなぁ、と知恵熱の出そうな突拍子のない話に、視線が揺らぐ。
 よりにもよって世界を越えてるだなんて。とりあえず今まで私達がいた場所ではないということはわかっていたし、できるならば夢で、という思いも消えていない。嘘だろ、と言いたい。鈍い痛みを覚え始めた頭に、手を添えて溜息を零す。ダメだ。あまりにもあれな会話過ぎて、頭は追いついても心が追いついてくれない。このまま聞いても、冷静にそれを情報として処理なんかできそうにない。私の中の常識が、この非常識に物凄い反発をしている。
 あぁ、いっそ誰かこれは全て夢なのだと高らかに叫んでくれればいいのに。そう思っても、残念なことながらこれは夢だよ、なんて言ってくれる声はなかった。

「大丈夫?。・・・いきなりだったものね。こんなこと言われても信じられないでしょう」
「あぁ、いえ・・・すみません。わざわざこんな時間に話しかけたのはこっちだというのに・・・少し、突拍子がなさすぎて」
「そうだね。一度に色々言われても混乱するだけだろう。ただでさえ、今は疲れているだろうし」
「そうね。見たところとんでもない目にあったみたいだし?疲れたはずよ。そういえば、貴方達一体どうして逃げてきたの?」
「・・・うーん。私にもよくわからないんですけどね。事の始まりは。ただ、気がついたら火事になった村と、黒い鎧の男達が人を・・・村の人を、殺してた、らしくて。詳しいことは何も。こっちも殺されそうになったから必死で逃げてきただけですし」
「あらー。大変だったのね」
「そりゃもう。こっちなんかいきなり気がついたら家は焼けてるは殺されかけるはで、大変なんて話じゃなかったですよ」
「災難だったね、それは」
「本当に。・・・すみません、わざわざ話して頂いたのに・・・」
「いいのよ、気にしないで。知りたいと思うのは、普通のことだもの。今日はもういいから、明日話しましょ。ゆっくり眠ってね、
「おやすみ。いい夢を」

 軽く頭を下げて、2人の声を聞きながらリビングを出る。・・・ふぅ。あーなんかもうどうしよう。
 階段を登って自分の部屋の前までくると、がっくりとうな垂れた。ごつん、とドアに額を打ち付けて目を閉じる。大変だ。色々と。寝て起きたら夢を希望するけれど、そうでなかった場合は・・・この自称異世界とやらに本当に私達は居ることになるのだ。
 声に反応した途端、気がついたらここにいて。地球ではなく、ましてや日本なんかでもなくて、異世界ですとかカミングアウトされて。それだけならまだ、こんなにも落ち込む必要なんて、ないのに。溜息をまた一つ零した。なんだか異世界であることをすでに納得してしまっているような、不思議な心地だけれど。認めたくない。納得、したくない。
 けれどどうしてか・・・理性が、ここは「違う」のだと、声高に叫んでいる。もしも、もしもだ。もしもここが、本当に異世界なのだとしたら。・・・私達は、帰ることが出来ないと、はっきりと言われてしまった。元の世界に戻る術はわからないと、そんな風に曖昧にされることもなく、ただ、帰れないと。 ――――可能性すら、見当たらない。

「結構、きつい、な・・・」

 思いの外ショックを受けている自分に苦笑を零し、前髪をかき上げる。茶色い木製のドアが視界一面に映る。うーん。明日の朝どうやって瑪瑙に話そう。ありのままを伝えるしかないんだけどさ。それは。

「まぁ、・・・・まだ知らないことはあるみたいだし・・・明日で、いいか」

 今日はもう考えるのを止そう。色々、疲れてきた。一度に考えたって、判るわけもない。一つずつ、片づけていくしかないんだ。うん。そうやって行けば、結構あっさりと解決するかもしれないし。何がどうなってこうなったのかとか、わからないしね。

「よし。寝よ」

 言い聞かせるように頷くと、ノブに手をかける。ガチャリ、とノブを回して室内に入れば、窓から入る月光が相変わらず冴え冴えと室内を照らしていた。明るい月夜に目を細め、すぅすぅと寝ている瑪瑙をみて微笑んだ。今は、ただ、夢の中にいられれば・・・それで、いいのかもしれない。吐息を零し、嫌に明るすぎる月明かりを遮るようにカーテンを引いて、一層の暗闇に沈んだ室内でジャージの上を脱ぎ捨てる。脱いだジャージをベッドの上に投げ捨てると、のったりと鈍い動作で毛布の下に潜り込んだ。柔らかな布団の感触に、一気に瞼が重くなった。・・・思っていたより、ずっと疲れてたみたいだ。重くなった瞼に逆らわず、ゆっくりと閉じればすぐさま睡魔が私を包み込む。いともたやすく、私は意識を深く沈ませた。
 例えそのあと、キィ、と静かに扉の開く音がしようとも、気づく事もなく、ただただ私は、深い眠りにその身を預けたのだった。