夜明けの空に、鳥が飛ぶ 1
ひたりと、何かが頬に触れる。
じんわりと暖かく、躊躇いがちに触れるそれに夢と現を微睡みながら薄らと瞼を持ち上げた。
「 」
泣きそうな声が、熱を孕んで誰かを呼んだ。
※
「・・・・・・・習慣って怖い」
天井を視界目一杯に映してポツリと零した。そこかしこにだるさがまだ残っているものの、頭の方はすっきりとしている。眠気もない。数回瞬きを意識的にして、むくりとベッドの中で上半身を起き上がらせた。コキコキと肩を鳴らして首を回しながら窓を見る。
まだ夜明けからそう時間が経っていないのか、薄ぼんやりとした朝焼けの風景が見えた。
軽く欠伸を一つ零してベッドの上に投げ出していたジャージを取ると、上に羽織る。
まだ体温の残る暖かいベッドが名残惜しいが、眠気もないのに眠るのもあれなのでベッドから這い出た。ぺたりとフローリングの床に足を置いたところで、あ、とばかりに動きを止める。・・・この家、土足式だった。スリッパなんてものはなかったので、違和感を覚えながらも室内でスニーカーを履く。紐を結んだところでベッドの横に立つと、隣から寝返りをうつ音が聞こえて振り返ると瑪瑙の瞼がピクリと動く。長い睫が震え、ゆっくりと瞼が持ちあがり澄んだ飴色の大きな瞳が瞼の下から露わになる。寝起きに掠れた声を出して瑪瑙が上半身を僅かに起こした。
腕を支えにして上半身を支え、伸ばした片腕が頭の上をさ迷う。べしべしと枕元を叩いてる辺り、きっと目覚まし時計でも探しているのだろう。寝ぼけてるのか・・・なんか見てて面白い。あえて何も言わずその光景を見守っていると、ようやく頭の上に目的のものがないことに気付いたのか、瑪瑙が目を見開いて上をみた。
飴色の瞳がこれ以上ないぐらい見開かれ、口が半開きの状態で何度か瞬いた。
「え・・?あれ?とけい・・・あれ?」
しきりに首を傾げて呟く瑪瑙に堪えきれず、くくっと笑い声を噛み殺すが、吹き出した声は静かな室内では割りとよく響く。
「おはよう、瑪瑙。言っとくけど、時計はないわよ」
「えっ!?・・・・あ、ちゃん!・・え、なんで、ちゃんがっ?」
ぐるっと勢いよく振り向いた瑪瑙の目が再び大きく見開かれ、混乱しているのかわたわたと慌てて起き上がり、ベッドの上に座り込むと挙動不審にそう問われる。混乱してるなぁ、とまさに人事のように考えながら、髪を手櫛で適当にすいた。洗面所開いてるかな・・まぁあれだけ泥のように皆寝てたんだから、まだ起きてないだろうな。瑪瑙も疲れてたのに、こんな時間に起きるなんて習慣とは恐ろしい。
「はいはい瑪瑙、落ち着いて。とりあえず朝一番に他人に対してすることは?」
「えっと・・・あ!おはよう、ちゃんっ」
驚きと混乱でぐるぐると視線を動かしている瑪瑙を宥めるように、軽く手を叩いて注意を引きつつやんわりと促せば、にっこりと花開くような満面の笑みを浮かべる瑪瑙。
うむ。満点花丸いい笑顔。朝からいいもの見たな。これは屑桐先輩達が心底羨ましがるだろうなぁ。・・・もっとも、今のところこの出来事を伝える術もないのだけれど。
昨夜のことを思い出しつつ、ニコニコと笑っている瑪瑙を見やり――弱ったように眉を下げる。今から、現実を突き付けねばならないなんて、酷い朝だこと。
それでも、言わねばならないのだろう。告げねばならないのだろう。現実を、見せねばならないのだろう。
嫌になるな、と思いながら僅かに口唇を震わせ、躊躇いがちに口を開いた。
「さて・・・瑪瑙。昨日のこと、覚えてる?」
「え?昨日、の・・・・・・・・・・・―――ぁっ・・・」
瞬間、見開かれた瞳が揺らめいた。握られた白い拳が口元に当てられる。
ザァ、と顔から血の気が引いて、青褪めた顔で唇を震わせる瑪瑙の肩に、そっと手を置いた。振動が伝わり、瑪瑙が視線を私から、ベッド、壁やドアなどにぐるりと向けられ、そうして、くしゃりと顔を歪めた。か細い声が、ぽつりと零される。
「・・・ここは、私の家じゃ、ない、の・・?」
「・・・うん」
「ここ、は、ちゃんの、家でも、ないの、ね・・・?」
「そうよ」
「きのうの、ことは。夢じゃ・・・ないの・・?」
信じ難いことなのだと、信じたくないのだと言うように。震える声で、瑪瑙が縋るように私を見上げる。
どうか否定してくれと飴色の双眸は雄弁に語っていて、血の気の引いた頬に痛ましく思いながら、やんわりと瑪瑙の両頬を包んだ。
視線を逸らすことがないようにひたりと合わせれば、瑪瑙の目に自分の顔が映りこんで、彼女の息が刹那に止まる。
「夢じゃないわ。全部全部。瑪瑙に起きたことも、私に起きたことも。全部、現実よ」
「――・・・っ」
淡々と、あえて感情を削ぎ落とすかのように事務的に告げる。けれども言い含めるように、噛みしめるように、ひたりと見つめて言い切れば、瑪瑙の喉がひくりと引き攣った。
「人が、いっぱい、死んでたわ・・・」
「うん」
「家が、燃えてて、人が、人を、殺して・・・!」
「うん」
「・・・ふっ・・・・・ぅ・・どう、して・・・・・?なんで、あんな・・・・ここは、何処なのぉっ」
みるみるうちに盛り上がった涙が、限界を越えてつぅ、と卵形の頬を滑り落ちた。頬を包む両手の上に、それはほろほろと流れ落ちてくる。混乱と恐怖、悲しみと切なさ。色んなものが混ざって、情緒不安定になったのか瑪瑙が喉を引く付かせて鳴咽を零す。
いや、・・・きっと、私が可笑しい。冷静に物事を受け止め、昇華しようとしている、私が異常なのだ。これが、普通の反応なのだ。取り乱して、泣いて、震えて、脅える。これが正しい反応なのだろう。それとも、私はまだ現状に納得できていないのかな?
はらはらと涙を零し続ける瑪瑙が私にしがみつき、肩口に顔を押し付けて声を殺す。その背中に手を回し、撫でてやりながら窓をみる。もう朝もやも晴れて、しっかりと朝という認識をさせる光度が視界に飛び込んできた。静かな始まりの光に、目を細めて瑪瑙を抱く手に力をこめる。今だ震える瑪瑙をそうやって抱きしめていると、やがて震えも収まり始め、見計らうように私は耳元で囁いた。
「・・・瑪瑙。もう、大丈夫?」
「・・・ぅん。平気よ・・・・ごめんね。ちゃん。ちゃんも・・・・不安なのに、私ばっかり泣いちゃって」
「いんや。構わないって。どうも私はその辺りの感情がちとサボってるみたいなのよね~。逆に瑪瑙が私の代わりに泣いてくれてるみたいで嬉しいかな」
カラカラと笑って頭を撫でると、赤い目元を和ませて瑪瑙がはにかむように微笑んだ。ふむ。しかしこんな明らかに泣きました!って顔で人前にはでられんぞ。
濡れた睫とか艶っぽいとは思うけど・・・朝っぱらからこんな姿男に見せるわけに行かないし。むしろ起きてるのかどうかすらわかんないけどさ。
「ちゃん・・・ありがとう」
「あはは」
いや、本気なんだけどね?慰めではありませんよー。とは思っても言わないのが常識というものだ。ぽんぽん、と頭を軽く2、3度叩いて立ち上がる。ベッドの上で座り込んでる瑪瑙は室内を見回し、軽く小首を傾げた。
「ここって、誰の家なの?」
「覚えてない?昨日の少年少女達の先輩の家だって」
「そうなんだ・・・昨日はいっぱいいっぱいでお話、聞こえてなかったのかも」
「だろうね」
瑪瑙、半ば死に掛けてたもんね・・・。まぁ、あの村からここまでかなりの距離があった上に全力疾走で、しかも立ち止まれば死ぬかもしれないという瀬戸際だったんだ。誰もろくに説明なんざ聞いてないだろう。場慣れしているような感じは、したけど。特にあの若草色の髪の男と巫女服の女の人は。あとは・・・・・そうは見えなかったなぁ。けど、私たちよりは慣れてるようにも、見えた。まぁ、曰くここは異世界らしいし。聞く限りではファンタジーな常識がそこかしこにあるようなので、常識が私たちとは違うんだろう。
「さ、下に行こうか。人に会う前に身だしなみ整えないとね」
ジャージ姿というのがなんとも言えませんが、そこはそれ。仕方ないんだよ、部活中だったんだから。むしろユニフォームじゃなかっただけマシ!こんな状況で野球のユニフォームは緊張感ないって。ジャージもジャージで緊張感があるとは思えないけど。
制服だったらまだよかったのにな・・・一応正装だし。学生の。そんなことを思いつつ、瑪瑙を引きつれまだ誰も起きてないらしい屋敷内を徘徊することにした。
※
うわぁ、すごい偶然。ミモザさんと下に降りたところで出くわし、軽く目を瞬くとにっこりと笑った。
ギブソンさんでなくてよかった。男なんかに瑪瑙の寝起き姿なんぞ見せられるか!!
「おはようございますミモザさん」
「おはよう、。随分早いのねぇ、貴方」
「習慣なんで。・・あ、ミモザさん、こっちは同じ世界から一緒にきた私の親友で、白銀瑪瑙っていうんです。瑪瑙、こちらはミモザさん。この家の家主さんだよ」
「は、はじめまして。白銀瑪瑙といいます。えっと、ベッドをお貸し頂きましてありがとうございました」
和やかに朝の挨拶を交わしながら、ふと背中に隠れながら不思議そうにしていた瑪瑙に気付き話しを振る。突然のことに瑪瑙は目を瞬かせるが、すぐに順応して小さな微笑みを浮かべると軽く会釈しながらそう言った。ミモザさんはミモザさんでそれを微笑ましそうにみる。
一瞬目を見張ったことから、たぶん瑪瑙の泣きはらした顔と類まれなる美少女っぷりに驚いたんだろう。瑪瑙は生粋の美少女だからなぁ。顔立ちなんかそれこそ人形師が作った人形みたく、左右整っていて、素材一つ一つが極上だし。飴色の瞳は光りの加減で金にも見えるし、光りが入らなければまるで琥珀のようだし。蒸し栗色の髪はふわふわとしていて柔らかく、一本一本が細くてさながら絹糸のよう。・・・・・・・・正統派美少女の名を欲しいままにしているわね・・・。
「正確には昨夜会っていたから初めましてじゃないけど。ちゃんとした自己紹介は初めてだものね。私はミモザ。あなた達を連れてきた子達の先輩にあたるの」
「ミモザさん、ですね。先輩って、言うと・・学校の?」
「学校?」
「あーまあその話しは後でしましょうよ。まずは面子が揃わないと進め難い問題ですし。それよりも洗面所の場所とか教えていただけると嬉しいんですが」
「それもそうね~。とりあえず洗面所はこの廊下の奥の方よ。ついでにシャワーも浴びてらっしゃいな!どろどろだったでしょ?さっぱりした方が色々と落ち着くだろうし、ね」
「ですね。じゃ、お言葉に甘えさせて頂きます。行こう、瑪瑙」
「うん。失礼しますねミモザさん」
「はいはい~また、後でね」
軽く手を振ってくるミモザさんに笑いかえし、洗面所に行けば・・・案の定というか、なんというか。広い。とにかく広い。少々唖然とするものの、気を取り直してシャワーを浴びることにする。どろどろだからなぁ。こんな格好でベッドに寝てたなんて・・・ちょっと申し訳ない。不可抗力なわけだが。瑪瑙も瑪瑙で自分の格好を見下ろして少し苦笑し、脱ぎにかかる。2人ではいってもきっと大丈夫だろうけど・・・ここは一人ずつにしとくか。シャワーまで二つあるとは思えないし。
「ちゃんは入らないの?」
「私は後で入るよ。先に入っておいで」
「そんなの悪いよ!ちゃんが先に入って?私昨日からちゃんに迷惑かけっぱなしだもの。これぐらいちゃんが優遇されるべきだわっ」
「いや、んなこと気にしなくても・・・」
ずずい、と詰め寄ってくる瑪瑙に困ったように眉を八の字にして遠慮するが、瑪瑙の目には決意という文字がメラメラと燃えていた。頑として譲りそうにないその気迫に、頑なに遠慮するのもなんだし、と簡単に折れてみた。さっさと入ってさっさと出ればいいだけだし。苦笑しつつ、判った判ったと承諾すればほっと安堵したようににこにこと満面の笑みを浮かべる。それに、やはり苦笑したくなりながらジャージの下に着込んでいるシャツに手をかけると、はっとした瑪瑙が頬を赤く染めて慌てて俯いた。・・・・ぃや、同性なんだし、そんな反応しなくてもいいのでは・・・?耳まで赤くしている瑪瑙に多大な疑問を覚えつつ、突っ込むのもなんなのであえてスルーし、浴室のドアに手をかけた。