夜明けの空に、鳥が飛ぶ 2



 ザァ、と音をたててシャワーノズルから熱いお湯が降り注ぐ。温度を計るように腕を伸ばしてお湯に触れ、ほどよい温度になったところで、少し考えて頭を突っ込んだ。
 頭から爪の先まで、みるみる内に濡れていく。俯いたまま足元をみれば、多少の汚れが体を流れるお湯と共に排水溝へと流されていくのが見えた。
 あぁ、それだけ汚れていたんだなと思いながら、降り注ぐシャワーからばしゃりと音をたてて顔をあげて、喉元から胸元にかけてお湯を浴びながら、張り付く髪を乱雑に掻き上げて後ろへと撫でつける。
 すっきりとクリアになった視界に、湯気で曇った鏡が見えた。映る自分が曇り止めのされていない鏡の中で曖昧な輪郭で映っている。ただそれをクリアにしようという気は起こらず、ただ水滴の張り付く曇りきった鏡をぼんやりと見つめるのみだ。
 それから浴室にあるボディソープやシャンプーなどで体を洗うと、濡れた髪を絞って水分を落としながら、脱衣場へと出た。タオルで体を拭きながら、ちらりとシャワーを浴びている最中、ミモザさんが用意しておくと言っていた着替えを見やる。籠の中にきちんと畳まれて置いてある衣服はあの奇抜というか、いかにもファンタジー!な服かと思ったが、意外なことに特にそんなこともない、割と普通のシャツとズボンだった。あぁよかった。いきなりあんな格好しろとか言われてもたぶん結構な勇気がいるよ・・・!
 白いシャツはやや丈が長く太股まで覆い隠すぐらいで肩幅も余る。ちょっと異様にベルトが多かったりするけれどそこは置いといて、ズボンは・・男物なのか裾が長くてしょうがないのでちょっと折らせて貰うことにした。・・・・・・ていうか上下共に男物ということは、これはギブソンさんの服なのか?あの人なんというか、魔法使い!って感じの服装だったからこんな服持ってるとは思わなかったよ。うむ。そんなに可笑しくもないし、不自然でもない。こんなもんでしょ。
 自分で自分を見下ろしながら、姿見こそないが脱衣場にある洗面台の鏡でおおよそ自分の恰好をチェックしていると、いきなりドアが開いてにょきっと顔が出てきた。突然開いたドアに驚いて振り向けば、濡れ羽色の髪からぴょこんと飛び出た、獣毛に覆われた大きな耳がピコピコと震える姿が確認できる。僅かに目を見開いて更に視線を下に落とせば、見上げてくる幼い・・10ぐらい、だろうか。幼い少女の円らな瞳と目があった。少女はその大きな獣耳におかっぱの髪を揺らして、おずおずと脱衣場に入ってくる。
 少女は一見ファンタジーなこの世界感にはそぐわないような純和風の、藍色の着物を着こんでいた。慣れ親しんでいるわけでもないが、やはり自分のいたところの伝統文化を目にするのはなんだか妙に懐古意識を浮かばせる。落ち着くといえば、落ち着くともいえるだろう。自分の知っているものというのは、それだけで心強い。しかしそんな少女の手にはその小さな掌には余る水晶を抱え込むように持っていて、何故に水晶?と首を捻らずにはいられない。おまけに少女の腰部付近では、ふっさふさの尻尾が左右にゆらゆらと揺れていて・・・一言で言わせて貰うなら、化け損ねた幼い狐?よくわからないが、人間ではないのだろうな、と偽物とも断言できない耳と尻尾を見やり、首を捻った。

「おはよう・・・?」
「・・・・・・・・おは、よう・・・・お姉ちゃん・・・・・」

 いきなり予想外もいい所な人物の出現に、戸惑いながら小さく微笑む。いや、小さい子を不安にさせるわけにもいかないし。たどたどしく返してくるその仕種に、癒しのオーラを感じて少し感動した。しゃがみこみ、少女の視線に合わせるように目を合わすと、じっと見つめてくる穢れを知らない黒い瞳が、同じように私を見返した。・・・やけに、人の目を真っ直ぐに見てくる子だな。

「私は・・・、が名前だよ。お嬢ちゃんのお名前は?」

 なんというか自分でいうのもなんだが、口調が激しく胡散臭い、と言った後に気付いた。
 お嬢ちゃんて・・・!!うわぁ、傍からみたら私はもしかしたら危険なお姉さん?
 しかしそんな私の思考に気付くことはなく、目の前の獣耳の女の子は水晶玉で顔の下半分を隠しながら、か細い声で答えた。

「ハサハ・・・」
「そう。ハサハちゃんか・・・可愛い名前だね」

 にっこりと微笑むと、ハサハちゃんも小さく微笑んでくれた。
 そして、やはり小さな掌で私の服の裾を掴むと軽く小首を傾げる。

「お姉ちゃん・・・不思議な感じが・・・する、・・・」
「・・・あぁ、それはたぶん私がここの世界の人間じゃないからだよ」
「・・・・・召喚獣、なの・・・・・?」
「まあ、そんなものだと思うよ。とりあえず異世界の人間だってことは確からしいから」

 昨日の説明と足して見るに、召喚獣とは名前そのままの意味なのだろう。自分で言ってて酷く曖昧な答えだな、と軽く苦笑する。今だ自覚が足りないのか、それとももう諦めてしまっているのか、割とあっさりとした言い方になったのは驚きだが。
 案の定、ハサハもよく判らないのか首を傾げて、少し思案するとたどたどしく口を開く。。

「・・・・・もう一人の、お姉ちゃん・・・も・・・・?」
「うん。瑪瑙も私と同じ世界から来たから。原因は、知らないけどね」
「・・・・・ハサハも、お姉ちゃん達と・・・・・同じ、だよ・・・・」
「ぅん?・・・どういう意味?」
「ハサハ、お兄ちゃんに召喚・・・・されたの・・・・・」
「ふぅん・・・お兄ちゃん、ねぇ。(お兄ちゃんって結構いるんですけど)そっか」

 いまいち飲み込めないが、立場的に一緒なのだということが伝えたいんだろう、と勝手に解釈をして頭を撫でた。人の機微に敏感なのかもしれない。優しい子なんだな。
 気持ちよさそうに目を細めて、嬉しそうに顔をほころばせる姿に、昨日の殺伐としたものが嘘のように思えた。これが日常だよな、と改めて確認する。もっとも、今までの日常と比較すると、やはり目の前の少女は規格外ではあるが。だって獣耳・・・これ、本物だよねぇ、と思わず耳に手を伸ばして軽く触れてみた。拒絶されるかと思ったが、擽るように指を動かすと心地よさそうにとろんとハサハの目が和む。ピクピク、と機械ではまず有り得ない自然な動きと、やはり人工では作り得ないだろう、暖かい動物そのものの耳の感触に、本物だと頷いた。昨日ほど葛藤が激しくないのは、多分睡眠を取っていくらか落ちついたからなんだろう。
 それにしてもこの子一体どういう生き物なんだろう。一人じゃ一向に答えが出せそうもないことを考えながら、そっと立ち上がる。それから幼女・・・ハサハに手を差し伸べて、なにはともあれ、とその手を取った。

「瑪瑙が待ってるから、出ようか」
「・・うん・・・」

 いつまでもここにこもっているわけにもいかないからなぁ。はたはたと嬉しそうに揺れ動く尻尾をちらりと横目で見やり、あぁ、癒される、と密やかに拳を握りしめた。





 リビングで出されたお茶を啜りつつ、ふぅ、と少し熱の篭った息を吐き出した。隣で瑪瑙も同じように熱いお茶を口に含み、こくり、と喉を鳴らして嚥下する。
 ちなみに私の足の上にはハサハがちょこんと座ってたりするのだが、可愛らしいので良し!しかし、妙に懐かれているな、とぼんやりと考えて目の前に座っている面々を見た。
 やはり、昼も夜もぴっしりと隙間なく服を着こなした眼鏡の美青年に、若草色の髪の男、巫女服姿の女性が興味深そうに私達を見ている。いや、興味深そうなのは若草色の男性と巫女服の女性だけで、眼鏡の青年はくっきりと眉間に皺を寄せて険しい顔をしている。離れた所には、赤い色の悪魔らしき少年もいて、私達を凝視していた。いや、むしろ私を凝視しているような・・・・なんか、全身にちくちくと視線が刺さって、結構痛い。見えていない人達もいるが、それはまだ寝ているんだろう、と解釈して前の彼等に微笑んだ。

「はじめまして、と言った方がいいですかね」
「あ、あぁ・・・そう、だな・・・」

 口火を切った私に、少し狼狽しつつ眼鏡の青年が頷く。昨日とのギャップにでも驚いているのか、それとも先手を切られたことに動揺しているのか。まあいいや。正確に言うと昨日会っているので、はじめましてとも言い難いが、お互い名乗りもしていなかったのだからこれが妥当だろう。そもそも、印象はお互いあまりよくない。なにせ疑い疑われ、から始まったのだ。ぎこちなくなるのも当然である。
 むしろさくっと切り換えた私が可笑しいのか。とはいってもねぇ・・・昨日の黒鎧と彼らのやり取りやら、ミモザさん達の言動を考えてみるだに、敵という線は非常に薄そうなのだ。赤い髪の・・リューグ、だったか。あの辺りの行動なんて本当に憎しみもそのままといった感じで、あれが演技だとしたら、私ちょっと人が信じられなくなる。総合的に考えて彼等は白。少なくとも好んで危害を加えるような人間ではないはずだ。特に昨日の兄妹とかね?これでも観察眼も人を見る目もあるつもりだ。

「さて、色々聞きたいですしお話ししたいはやまやまなのですけど、順序的にはやはり自己紹介が妥当ですよね。まだ起きてきていない人達もいますけど。私はといいます。こちらでなら・・・・でしょうか」
「あ・・・私は、白銀瑪瑙といいます。えっと、・・・メノウ・シロガネ、で・・・」

 とりあえず横文字圏内だろう、ということで付け足せば、少し戸惑いつつ瑪瑙も続けた。
 何故そんな風に自己紹介を、と横目でちらちらと不安気に視線が送られ、そういえば説明する暇がなかったな、と遠くを見る。・・・これからのことは、瑪瑙には大層きついことになる。まいったなぁ、と内心でぼやきながら、もぞもぞと座りなおした。
 ・・・いや、背中から、物凄い威圧感というか、殺気というか・・・そういったものがいきなり膨れ上がった物だから、居心地が非常に悪く。背後といえば確か悪魔少年しかいなかったと思うから、彼からのものなのだろう。なんで?と疑問が頭をもたげるが、今はそんなことに構っている余裕はない、と溜息を一つ吐いた。疑問に思えど、やはり無視するのが一番だ。居心地の悪さは中々に最低値をたたき出したが、前を見れば軽く眉を動かして、眼鏡の青年が口を開いた。

「昨日とは大分態度が違うな・・・。僕はネスティ・バスク。・・・・姓名があるということは君達は貴族なのか?」
「いえ。至って普通の一般庶民ですが」
「へぇ?そりゃ可笑しいな。ここじゃ姓があるのは貴族だけだが・・・あぁ、俺はフォルテ。旅人だな」
「私はケイナよ。一応、コイツと一緒に旅をしているの。よろしくね?」
「はい。こちらこそ」

 至って愛想良く受け答えしながら、与えられた新たな情報に高速で脳を動かす。
 瑪瑙はこういったことが苦手なのだ。瑪瑙自身自覚しているので、口を噤んで成り行きを見守っている。瑪瑙は、人見知りだ。だから余計に、今は頭が回っていない状況で、おまけに昨日の惨劇ときたら。不安になりもするだろうし、現状がサッパリ呑み込めていないのもわかる。私だって、昨日多少とはいえ話しを聞いていなければ、ここまで落ちついてはいられなかった。少なくともかなり度肝を抜かれることは言われたので、今更どうこう言われてもあれほどのインパクトは望めそうもない。だから落ちついて情報を得ようと思える。警戒していた人達を、あっさりと信じてみようと思える。ここは、私達がいた場所じゃないのだと納得して、もっと別の、とても、とても遠い場所なのだと。
 まぁ、今はそんなことよりも目先のことだ。そうか。リィンバゥムは姓は貴族しか名乗っちゃ駄目なのか。じゃあこれからは名前だけ名乗らないと駄目なんだなぁ。昨日ギブソンさんがわざわざどっちが名前か確認したけど、それにはこういった意味もあったのか。なるほど。瑪瑙が物凄く不思議そうに小首を傾げているが、その謎はおいおい明かされるので、今は黙っておこう、とアイコンタクトを送る。心得たように、瑪瑙は頷いてまた前を向いた。

「突然ですけれど、昨日はすみませんでした。いきなりわけのわからないところに出てしまったので、混乱していまして。気分を害されたでしょう」
「え、いや・・・。混乱するのも、確かにわかる。僕達もはっきりいって状況がわかっていなかったからな・・・」
「そうなんですか?・・・昨日は本当に、わけがわからなくて。少なくとも皆さんは危ない人達ではないと思いましたから、今は安心しているんですけど」

 本当に・・・昨日については困った。余裕がなかったのが原因だろう。申し訳なく眉を下げて、吐息を零すと、目の前の3人はいささか戸惑い気味に視線を泳がせた。対応にあぐねているな?

「・・・君達は、何者なんだ?あの村の人か?それとも、聖女の癒しを求めた旅人か?」
「聖女の癒し?(また何かファンタジックなものが・・・)いえ。なんといったらいいか・・・本当自分でもよくわかってないんですけどね。昨日、少しだけここの家主の方とお話をさせていただいたんですけど」
「ギブソン先輩達と?」
「はい。何においても情報が欲しかったので。今の自分の現状を知りたくて。それで、お話を伺ったんですけど」
「あぁ」
「・・・どうやら私達、この世界の人間じゃないみたいなんですよね」
「そりゃ、どういうこった?」

 苦笑して言うと、驚いたように目を見張られ、若草色の男性・・・フォルテさんが、怪訝な顔で首を傾げた。そして横からも瑪瑙が大きく目を見開き、え?と口を動かした。
 瑪瑙の方を振り向き、多少困ったように微笑むと、思案深くネスティさんが口を開いた。

「・・・もしかして、召喚獣、なのか?」
「そう、ですね。異世界からこの世界に召喚されたものを全てそういうのなら、私達は召喚獣というものになります」

 ネスティさんの呟きにちらりと膝の上にいるハサハを見下ろして、でも「獣」って感じしないよねぇ、と一人ごちる。どうもファンタジー小説の影響か、「人じゃないもの」がそういうレッテルに相応しい気がするのだ。召喚獣って言われるとなんかちょっと違和感。

「正直よくわからないんですが、名も無き世界、というところからきたそうですよ?」
「名も無き世界から?そりゃ、余計にあの時のことはよくわからなかっただろうなあ。召喚されたばっかりだったのか?」
「そうですねぇ。気がついたらすでにあの状況でしたから。いきなり黒鎧の人に襲われるし、周りは火事と死体で一杯だしで、まず事態を受け止めるのが困難でしたからねぇ」
「それは災難だったわね。召喚主はいなかったの?」
「周りに生きた人間はいませんでしたね。とはいっても、とりあえずここが異世界である、ということぐらいしか話しは聞いていないので、これ以上はよくわからないんですけど」

 話しについてこれていない瑪瑙にちらりと目を向けて首を傾げると、3人はふむ、と沈黙して視線を見合わせた。そういえば。

「・・・他の方々は?まだ寝てるんでしょうか」
「あぁ。・・・全く・・・アメルはともかく、あいつ等までこんな時間まで寝ているとは・・・」
「しょうがないだろ、ネスティ。どっちも疲れているんだからな」
「しかしだな、もう昼近い。・・・・そろそろ起きて貰わないとこちらが困る」

 渋い顔をするネスティさんに、苦労してそうだなぁとのんびりとお茶を一口啜った。
 ケイナさんはケイナさんで苦笑して、じゃあ起こしに行きましょうか?とネスティさんに言っている。そういえばさっきから心中で名前呼びしてるけど、ネスティさんはバスクさんと呼んだ方がいいのか?ていうか、姓名があるということは・・・貴族なのか。ふぅん。

「いや、僕が行こう。あいつ等はちょっとやそっとのことじゃ起きないからな」
「そう?じゃあ私はアメルを起こしに行くわね。フォルテ、くれぐれもとメノウに変なことするんじゃないわよ?」
「するわけないだろうが!!」

 じと目で睨まれたフォルテさんが、焦ってそう言い返す。なんとなく、力関係が判った気がするなぁ。

「じゃあ、皆さんが揃った所で話しの続きをする、ということでよろしいですか?」
「あぁ。そうして貰うと助かる」

 私が確認するように言うと、ネスティさんがこくりと頷いてマントを翻してリビングから出て行った。同じようにケイナさんも念押しに、とフォルテさんに忠告してから背中を向ける。
 ふぅ、と疲れたようにどっかりとソファにもたれたフォルテさんが、じぃ、と見ている瑪瑙に気付いて苦笑した。

「いや、悪ぃな。変な所見せちまって」
「え、い、いえ!あの、その・・・お2人共、とっても仲がいいんですね」

 それに慌てて瑪瑙がフォローするが、フォルテさんは笑って流した。大人だな、と思いつつ、あたふたとしている瑪瑙には悪いがどうせ起きてくるまで暇だし、とまた一口お茶を啜る。・・・あぁ、ちょっと普通にこのお茶美味しい。茶菓子があればもっといいのになぁ、と少し惜しく思いながらのほほん、とハサハの頭を撫でた。身近に癒しオーラが溢れてると最早異世界とか結構どうでもよくなってくるなぁ。とかなんとか思っていると、ふと横に気配を感じて首を振り向けた。そこに、ひどく複雑そうな一対の真紅の瞳を見つけて軽く目を瞬く。ついさっきまで、後ろの方にいたのに・・何時の間に。

「・・・あぁ、そういや君の名前訊いてないね。私のは聞こえてた思うけど・・・よ。よろしく。君は?」

 至って友好的に微笑みを張り付かせて、軽く首を傾げて問い掛ける。何処にも、可笑しい所なんてなかったと思うのだけれど。なのに、少年の顔が歪んだのに目を見開いた。
 酷く、傷ついた様子で・・・・悲しそうな眼差しで。切なげに眉を寄せて、僅かに唇を震わせると、少年は口端に笑みを浮かべた。く、と釣りあがった口角は皮肉気で、けれども瞳は悲しさを払拭させたように柔らかく細められ。

「―――バルレル、だ」

 噛み砕くようにゆっくりと、一音一音はっきりと口にし、私に真っ直ぐな視線を向ける。細められた瞳が、あまりにも甘く柔らかいから、正直、戸惑った。何故、そんな顔をするのか。その前に見せた、辛そうな表情の意味も掴めず。ただただ、懐かしむように、尊いものでも見るように、見上げてくる真紅の眼差しが不思議だった。とりあえず、なんでそんな顔をするのか訊ねようと唇を戦慄かせるとほぼ同時に。

「いい加減に起きないか!!!!!!!」

 明らかな怒声が屋敷内に響き渡り、カチャカチャと机の上の食器が振動で揺れた。
 瑪瑙はびくりと肩を跳ね上げて私の腕に咄嗟にしがみつき、ハサハも耳をピン、と立てて私に擦り寄る。フォルテさんは体勢を崩し少しソファからずり落ち、バルレルは不機嫌な様子で顔を逸らす。うん・・・・なんつーか。

「近所迷惑だな・・・」

 そしてそれをさせるほど寝起きが悪いのか、あの子達。ポツリと零すと、少し零れたお茶をミモザさんが慣れてきた様子で持ってきた布巾で拭き取った。なんか、ミモザさんもギブソンさんも平然と屋敷が揺れるぐらいの怒声に対処していて・・・そんなよくある日常なのか、これ。
 そして、どたばたと下りてくる音がしたのは、それからすぐのことだった。