夜明けの空に、鳥が飛ぶ 3



 愕然とした面持ちで、瑪瑙が掠れた声で聞き返した。

「私達、帰れないんですか・・・?」

 まだなんの実感も涌いていない、ただ問い返すだけの乾いた響きが余計に彼女の衝撃を表しているようで、僅かに眉根を寄せた。沈痛な顔をする兄妹・・・マグナとトリスに、アメルまで目を伏せて。瑪瑙が、戦慄く唇をきゅっと引き結び、俯いた。
 膝の上で握り締められた手が細かく震え、白くなるほど握り締められている。

「ごめん・・・」

 本当に、申し分けなさそうに・・・自分が悪いわけでもないのに、謝るマグナに瑪瑙は俯いたまま首を振った。瑪瑙も私も、頭では判っている。誰も、ここにいる誰も悪いわけではないのだと。むしろ、彼らにとってこの事は全く関係のないことだと言ってもいいだろう。だから、マグナが私たちに謝罪の言葉をかけるのは間違いだ。解っている。解っているのだが、しかし、感情が納得してくれない。判っていても、無関係だと知っていても、当り散らしたいほどの理不尽な感情が渦巻くのを止める術はなかった。さすがに、それをあからさまに相手にぶつけるような真似まではしないけれど、俯いて肩を震わせている瑪瑙が、荒れ狂う感情の波と戦っていることは容易に想像がついた。
 いつも穏やかな瑪瑙。人を責めるなんて考えたこともなさそうな、お人好しで甘ちゃんな優しい瑪瑙。声を荒げることも早々ない瑪瑙が、だからこそ押し込めるように耐えている姿に目を細める。

「瑪瑙」

 殊更に、優しく声をかけて。慰めるつもりではなく、ただ落ち着かせるように。ふわふわの蒸し栗の髪に手を伸ばし、頭を撫で、肩を叩く。見上げてきた瞳に浮かんだ透明な雫を、見ないふりをした。

ちゃん・・・」

 桜色の唇が震え、名前を呼ぶ。微笑めば、こくりと瑪瑙は頷いた。ごしごしとやや乱暴に目尻に浮かんだ涙を手の甲で拭い、僅かに震える口元で微笑を刻む。
 濡れた睫に、健気な微笑みは・・・とりあえず男達を瞬殺する勢いの破壊力であったと言っておこう。

「まずは整理しておきましょう。瑪瑙も混乱してるしね」
「え、うん・・・は随分と落ち着いてるけど・・驚かないの?」
「昨日ミモザさん達にある程度聞いてたから、さして。まぁ、ここの制度にはちょっとは驚いたけど」

 目を瞬くトリスに笑みを返し、説明された事柄について頭の中で整理していく。

「まず、ここはリィンバゥムという世界。リィンバゥムには召喚術というものがあって、リィンバゥムの周りにある四つの世界から、その世界の住人を喚び出すことが出来る」
「うん」

 確認するように口にだすと、こくりとトリスが頷いた。ちらりと視線をネスティの方に向ければネスティも異論はないようなので続ける。

「四つの世界にはそれぞれ名前があって、一つは鬼妖界シルターン・・・ハサハのいた世界と、一つは冥界サプレス・・・えーと、バルレルのいた世界。そして幻獣界メイトルパ、機界ロレイラル・・・・シルターンは妖、龍神、侍とか・・・そういうのがいる世界で、サプレスは悪魔や天使のような霊的な存在がいる世界で、メイトルパが獣?獣人とか、そういう系統がいる世界で、ロレイラルが機械・・ロボットみたいなものなのかな?そういうのがいる世界、と」
「そうだよ。すごいね、。もうそんなに覚えちゃったんだ」
「さっき説明してもらったばかりだしねぇ」

 ファンタジー一直線だな。何かのゲームか、これ。感心したように頷くマグナにははん、と笑みを浮かべる。けれど、内心は非常に居心地の悪い気持ちを味わっていた。うん。・・・うん・・・・。いや、だって仕方ない。チクチクというよりはグサグサと突き刺さる勢いで、話している間中、いや私がこの部屋に現れた瞬間からずぅっと熱視線が注がれ続けているのだから。
 思わず口を閉ざして横目で注がれる視線の先を見やれば、食い入るような真紅の瞳がバッチリシッカリガッチリと私を睨んでいる。・・・睨むというか真剣すぎて睨まれてるように思えるだけで、多分本人に睨んでる気はなさそうだけど。なんだね君。私が何かしたかね君。少なくともそんな凝視されるようなことした覚えは今の所まだないんですけど?!
 しかし、その居心地の悪すぎる熱視線も、周りは鈍いのか・・・いや、フォルテ辺りはチラチラとバルレルを見ているようだが、あえて口出すつもりはないのか口を噤んでいる。ここでちゃかしでもしてくれれば和むものを、様子見とばかりに黙られてしまってはこちらも無視するしかないではないか。溜息を零して、続きを口にした。

「で、その中のどれにも当てはまらない・・・まだその存在を解明されていない世界が、名も無き世界、と呼ばれているということで・・・私と瑪瑙は、その世界から召喚された、と」
「・・・うん」
「んで召喚された者・・召喚獣って言われるんだったよねぇ・・・それは召喚した際に誓約というものがかかる上に、召喚主にしか元の世界に送還出来ないことから絶対服従ということになる、と。ふむ。中々シビアな関係じゃない」

 そこまで復習して、にやりと口角をつり上げた。召喚された側の意志は完全無視、むしろそんな意識を持つことさえすでに否定されているようなシステム。
 相性が良くて、召喚獣を道具じゃなくて一固体と見てくれる人の所に行けたならまだしも、そうでなかったら地獄だわね。これ。

「それで私達はこの中の誰にも召喚されたわけではなく、召喚主が不明なので元の世界に帰ることが出来ない。よってはぐれ、と呼ばれる召喚獣、ってことになるわけね」

 うーん。なんかとんでもない境遇になってきた?もしかして。困ったように眉尻を下げ、後ろ頭をかく。瑪瑙が哀しそうな顔で胸の前で手を組み、ハサハはじぃ、と私を見上げる。再び沈黙した周りに、ふぅ、と溜息を吐いて。

「仕方ないわね」
「えっ?」
「そうなったもんは私達にはどうしようもないわけだし・・・ここにいる誰にも責任なんてないし。うん。まあ気にしてても今の所始まらないからとりあえずその話しは置いておこうか」
「えぇ!?ちょ、それでいいの?」
「それでいいもなにも、言ったでしょう。仕方ないって。どうしようもないじゃない?召喚主は行方不明。送還術はすでにない。ここにいる人達じゃ私達を還すことが出来ない。まさしく八方塞がりの打つ手無し。考えててもかなり無意味。だったらまあ、ひとまず置いておくことしか出来ないわけよ」
「うわぁ、お前さん随分とあっさりしてるなぁ」
「現実的と言って欲しいな。・・・・とりあえず、それでいいよね。瑪瑙」
「・・・・うん。ちゃんの言う通り、私達じゃどうしようないもの」

 苦笑を浮かべて頷いた瑪瑙の頭を軽く撫で、唖然としている面々をみる。
 だって仕方ないじゃない。どう見たって、考えたって、自分でどうこう出来る範囲を逸脱している。そもそもがこんなファンタジーとは無縁の世界の人間に、いきなり帰る方法を模索しろと言われても結構な無茶ブリだ。ていうかハッキリと還ることは召喚主がいないとムリって言われちゃったし。他の可能性を探るにしても、現段階で考えるにはちょっと色んなものが足りない状態だ。
 できることと言えば、召喚者を探し出すことぐらいしかできないし?それにしたって、かなり絶望的な状況だとは思うけど。諸々のことを加味して、ひとまずこれは横に置いておくしかできることはない事柄だと判断したまでだ。むしろ当り散らさないだけ感謝して欲しいぐらいである。はてさて。となると次は・・・。

「そっちの事情説明かな。コッチの方は一応終わりってことで、今度はそっちの説明をしてくれると嬉しいんだけど」

 なんであんな村で殺戮が行われていたのか。なんで追いかけられたのか。なんで殺されかけたのか。これからどうするのか、それを決める為にも・・・聞くしかないでしょ。
 いや、当面のところ私達は、自分の召喚主探ししないといけないんだけど。

「・・・あたしにも、よく判らないんです」

 少しの沈黙の後、アメルが口火を切った。すっかり冷めてしまった紅茶を片手に、縁に口をつけてこくりと飲む。いっぱい喋ったら喉乾いたんだよねぇ。

「ただ、突然あの黒騎士達があたしをどこかに連れ去ろうとしてて・・・そこを、マグナさん達に助けて貰ったんです」
「俺達も、突然爆音が聞こえて外に飛び出したら・・・黒騎士達が村の人達に剣を向けてたんだ。それで、とりあえずアメルを助けないとって思って・・・・後は達と合流してそのまま」

 補足するようにマグナがアメルに付け足すが、大雑把過ぎて全然わかんねぇ。つまり、なんだ。あの男達はアメルが目的だった、と。そういうことなわけ?その為だけにあんな大量虐殺?うわぁ、中々すごいことしてくれるじゃない。

「質問」
「何?
「なんでアメルが狙われるの?言っとくけど、そこまで価値があるようには思えないんだけど」

 あんな何もない如何にも田舎です、ささやかな農産物だけで暮らしてます、って感じの村の一村娘程度になんであんなことになるのか。それだけの価値がどこにあるのか。いやそりゃ可愛い顔はしてるけど、美少女度でいうなら瑪瑙の方が高いし。え?失礼だって?客観的意見と主観的意見を混ぜた正当な評価である。
 さておき実はどっかの貴族だったんです、とか何かの最終兵器だったんです、とか重要な鍵なんです、とかそんなファンタジーの王道なわけですか。だとしたら絶対その内世界の平和をかけて!!とかになるのかなぁ。うわ、それはちょっと勘弁して欲しいんですけど。ただでさえややこしいことになってるのに。

「そっか。達は知らないんだっけ。アメルの能力」
「能力?」

 やっぱり最終兵器か重要な鍵説?!ファンタジーの王道をひた走る展開になりそうですよ。納得して頷いたマグナに続いて、トリスが笑顔で言った。

「アメルにはね、癒しの力があるのよ!」
「・・・・・癒しの、力?」
「はい。人の内側から傷を癒すんです。今から一年前ぐらいに出てきた力なんですけどね。その力のおかげで、村では聖女、なんて呼ばれるようになってしまったんですけど・・」

 どことなく寂しそうに微笑むアメル。村のことを思い出しているんだろうな、きっと。

「ふぅん・・癒しの力、ねぇ」
「すごいわ。人を癒すことが出来るなんて」

 感心したように、目を丸くする瑪瑙に、アメルがはにかむように笑みを浮かべる。
 まぁ、ファンタジーに回復キャラは必須なわけだけど。でも実際そんな人を目の前でみることが出来るなんて、ちょっとした感動よね。しかし。

「・・・それがあったとしても、不自然よね・・・」

 ポツリと、誰にも聞こえないように呟く。隣の瑪瑙も、すぐ下にいるハサハにも、聞こえないぐらい小さな声で。顎に手をかけ、思案するように目を半分伏せる。
 すでになんかもうほのぼのとした空気を作り出している瑪瑙とアメルと、その輪の中に入るマグナとトリス達を放って、思考を巡らせた。癒しの力・・貴重なのかもしれないけど・・・だからといってその為だけにあれだけのことをする理由が見当たらない。召喚術なんてものがあるぐらいだ。もしかしたら召喚術で代用できるのかもしれないし、アメルのほかにだって使い手は多くはなくともいるのかもしれない。それに、手に入れるだけなら夜中にアメルの所に忍び込んで攫えばいいだけの話だろう。
 わざわざあんな目立つ行為をする意味がわからない。仮に他者を手にかける必要があったにせよ、それもその時見られた人物だとか、邪魔してきた人だとか・・・その程度しか手にかける必要はないはずだ。村を焼き払い、村人全員、しかも観光客まで巻き込んで殺戮行為を行う必要なんて、何処にもないのだ。
 むしろそんなことをしたら目立って仕方ない上に、余計な手間暇がかかる。人殺しに快楽を見出すような、そんなヤバイ人種にも見えなかったし・・・ふーむ?

「お手上げね」
「お姉ちゃん・・・・・・・?」

 その声だけは聞こえたのか、不思議そうにハサハが小首を傾げる。
 気にしないで、というようにハサハの頭を軽くぽんぽんと叩き、話し込んでいる面々は無視してネスティ達の方に視線を向けた。ブレインは、きっとこっちだろうし。ていうか見た感じ、頭使うことに慣れてなさそう。あっちは。

「で、これからどうするつもり?」
「僕はマグナとトリスの監視のようなものだからな。あの2人次第だ。もっとも、それで認められない場合は反論するが」

 ・・・監視?え、なんかしたのかあの2人。怪訝に思いながら、まあその辺の事情もおいおい判るだろう、ということであえて訊ねることはしない。ネスティの台詞に軽く頷きながら視線をフォルテ達に向ける。ちなみに敬語やらさんづけも必要ないと言われたので遠慮なくタメ口。

「そっちは?」
「俺達は根無し草の冒険者だからな。まぁ、とりあえずは成り行き任せ、だ」
「なるほど。・・・要するに、あっちの2人がどうするかで話しが決まるわけね」
「そういうことになる。君達はどうするんだ?」
「召喚主を探すしかないでしょう。もっとも、可能性はゼロに等しいけど、ね。でも話しからすると、私達を召喚したのって黒騎士達かもしれないのよねぇ。それか村人の中の誰かとか?」
「黒騎士はともかく、村人の可能性は低い。一般的に召喚術ってのは派閥の奴にしか扱えないもんだからな」

 フォルテの台詞に、眉を動かす。怪訝に顔を顰め、首を傾げた。

「派閥って?」
「召喚師が集まる機関のようなものだ。主に貴族だな。そこで召喚術について学び、試験に合格すれば独り立ち出来る。マグナとトリスもその昇格試験に一応合格して、見聞の旅という任務を与えられたわけなんだが・・・」
「ふぅん。じゃ、ネスティは2人が無事任務を果たせるかどうかの監視ってわけね」

 なるほど。つまり、召喚師にしか召喚術は扱えない。派閥に入ってない一般市民は召喚術を使えないから、私達を召喚した人は村人の中にいることはない。ということで可能性があるのは黒騎士連中ということで・・・うわぁ。

「絶望的?」
「だな。よしんば村人・・もしくは聖女の奇跡を求めてきた冒険者達だとかだとしても、ほとんど全員殺されてるからな・・・・こりゃ絶望的だな」
「フォルテ!」

 頷いて言ったフォルテにケイナが声を荒げて後頭部を殴り付ける。そのままテーブルに額を打ち付けるフォルテに、痛そうだなぁ、とちょっと同情しながら溜息を吐いた。同情の視線が向けられるが、軽く肩を竦めて苦笑することにする。

「ま、なんとかなるわよ」
「楽天的だな」
「そうしないとやってられません」

 軽く息を吐き出したネスティに、軽口を叩いてハサハを抱きしめた。じっとりとなんか視線が真横と斜め後ろから向けられているのが激しく気になりますけども。きゅぅ、と擦り寄ってくるハサハを軽く抱きしめかえしながら、ほぅと吐息をついた。

「面倒なことになったなぁ・・・」

 高く澄んだ、鳥の声が聞こえた。