人も歩けば人に当たる 3
背後からの声は、高く澄んだ女性の声だった。
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びくっと肩を跳ね上げて勢い良く後ろを振り返る。ハサハは耳をぴんっと立てて強ばり、バルレルは素早い動きで私の前へと回ると険しい顔で正面を睨んだ。
「にゃは、にゃははっそんな警戒しなくてもいいじゃな~い?別に取って食やしないんだからさ~」
そう、やはり何処か緊迫感に欠けた口調と笑みを浮かべて、赤いチャイナドレスに身を包んだ女性が悠々と立っていた。お団子に両側で束ねられた栗色の髪に、仄かに赤く染まっている頬は艶めかしいというのとはまた違う。ていうか、お酒の匂いがここまで漂ってきてるんですけど・・・。さりげなくハサハを外套の内側に包み込んで心持ち女性から引き離す。
いや、妖狐だったらやっぱり嗅覚は鋭いかなぁ、とか。考えちゃうわけでして。ていうか、やっぱりなんか、怪しいし。格好は馴染み深いんだけどねぇ。
「テメェ、何モンだ?!」
「人に物を訊ねる時はまず自分から言うものよ~ま、今日のメイメイさんは機嫌がいいから名乗ってあげ、」
いきり立つバルレルに向かって飄々と言い返す女性・・名乗る前にすでに名前を言ってる所は突っ込むべきか否か、と悩んでいる合間に不自然にその先が途切れる。
その目が私を見て言葉を途切れさせたから尚の事、うん?とハサハを抱えたまま眉を寄せた。女性の眼鏡の奥の瞳が、これ以上ないというほどに見開かれている。表情が固まり、まるで時が凍ったように、静寂が辺りに落ちて。・・・ここにきてから、どうもこういった視線を貰うことが多いのだが、なんなんだ、一体。異様な雰囲気に怪訝に思いながら女性を見つめ、口を開いた。
「あの、」
「貴方、何か探し物をしてるんじゃない?」
「はい?」
薮から棒になんですか、いきなり。突然の台詞に、続くはずだった言葉を飲みこんで間の抜けた声を出してしまった。ハサハも一緒に首を傾げ、突然過ぎる女性を凝視する。
バルレルはバルレルで警戒を解く気はないみたいだし、なんだかすごく奇妙な空間が形成されてるような気が・・・。通りかかる人に物凄く奇異の目で見られてるんですけど。
「いきなり、なんですか」
「うぅーん。こんな所で立ち話もなんだし、中へ行きましょ」
「いや、あの人の話し・・・」
「ほらほら入った入ったー!」
「え、あの、ちょっとお姉さん?!」
問答無用にぐいぐいと背中を押され、言われるままに怪しげなあのチャイナ風の店内へと押し込まれる。いくら私が適応力高くても、いきなり過ぎると困るんですが。
助けを求めるようにバルレルを見やるが、バルレルもバルレルで呆気に取られてポカンとしている。
・・・・つ、使えねぇ・・・!内心でガックリとしつつ、ハサハを見ればハサハも戸惑ったようにオロオロと視線を泳がせ、結局私の後について店内に入った。押し込んだ張本人と言えば、店内へと入った途端背中から離れて前方へと進み、椅子を取り出して私の前に置いた。つかみ所のない、やんわりとした微笑みを口端に浮かべ、手を差し伸べる。
「ささ、ずずぅいと座っちゃって座っちゃって」
「・・・・・・・・・はあ。判りましたよ」
酒精の匂いがムンと立ち込める屋内は不審なことこの上ない。カウンターにも、その奥にも酒精の匂いを裏付ける酒瓶がゴロゴロ転がっていて、いや、マジなんだここ。と目を半眼にした。しばらくじぃ、と女性の顔を見つめるが、相手は表情から気取られるようなヘマはしないのか・・はたまた本気で何も考えていないのか、その微笑みからは何も窺い知ることは出来ない。恐らく、いや絶対前者なのだろう。ここまで私が計り知れないとは、軽い驚嘆を覚える。
かといってこのまま睨み合いを続けるのも可笑しいので、酒の匂いに眉を潜めながら妥協して薦められた椅子に腰かけた。ハサハを立たせるわけには行かないので抱き上げて膝の上に乗せる。
その動作をしてから、バルレルがようやっと放心から帰ってきて店内へと入ってくる気配がした。私と、ハサハを見てからピクリと眉を動かしむすりと仏頂面になってしまったけれど。
とりあえず手招きして呼び寄せることは忘れない。素直にとことこと歩み寄ってくる姿はなんだか外見と相応にも見えた。さて、メンバーが揃った所で問題へと移りますか?
「いきなりなんなんですか、人を押し込んだりなんかして。押し売りは御免ですよ」
「にゃははははそーんな悪徳商法しないわよぉ。ちょぉっとお客さんが困ってるみたいだから手伝ってあげようって思っただ・け」
カウンター越しに座った相手に、小さく笑いながらそういえばパタパタと手を振って軽くかわされた。ふぅん?気付かれない程度に眉を動かし、殊更笑みを深める。中々、侮れない人だ。
「困ってるって?」
「貴方、探し物してるでしょう?いえ、探し人って言った方が適切かしら、この場合」
頬杖をついて、油断ならない眼鏡の奥の瞳が細められる。まるで高みから見下ろしてくる、全てを見通しているかのような遠い視線。・・・いや、そこまで傲慢じゃない。見通す者よりも、まるで見守る者のような眼差しは懐かしむように瞬きをした。
「へぇ。何を根拠に?」
ピクリと動こうとしたバルレルを一瞥して止め、同じようにカウンターに片腕をついて顎を置く。ほとんど同じぐらいの視点になった目が、楽しそうに歪んだ。
「そりゃメイメイさんは占い師だもの。なんだって判っちゃうのよ」
「占い師?あぁ、なるほど」
語尾に音符がつきそうなぐらい軽い調子で言われた言葉に、こっくりと納得を示す。それにギロン、とバルレルの冷たい視線が飛んできたが、あえてそれは無視をした。
別段私も、心底信じているわけじゃない。むしろ、占いなんて信じる信じないという部類でもないのだ、私の中で。ただ一つの道標のような、そんなささやかな認識だ。
――ただ、それは向こうの世界の話で、ここは異世界リィンバゥム。この女性の耳の形状から見ても、生粋の人間のようには見えない。だとしたら、何かあっても別段不思議ではないのかもしれないと思うのだ。
「じゃ、占って貰えるのかしら?メイメイさん」
「にゃははは~そうでなかったらわざわざお店の中にいれないわよぉ。て、なんで名前?」
「いや自分で言ってたでしょ、今さっき」
抜けたことを言い出す相手に呆れたように裏手を決めると、一瞬きょとんとしたあと、にゃははははははは~!とメイメイさんはまた笑い出した。・・・これは天然なのか故意なのか、いまいち判断がつけにくい。苦笑いを浮かべていると、ぐいっとまたしても外套が引っ張られて鬱陶しげに視線を向ける。
「何、バルレル」
「テメェ、本気か」
「何が?」
「とぼけんな。・・・・本気でこんな飲んだぐれを信じる気なのか?」
飲んだぐれって・・・そりゃ確かに店内のそこかしこから酒気の匂いはするし、カウンターの奥には一升瓶が何本もゴロゴロ転がってるし、メイメイさんの頬は赤くてお酒の臭いがすごいするけど・・・・あれ、フォローのしようもないぞ?
苦笑を浮かべると、またしてもきつく睨まれて軽く肩を竦めた。ハサハはきょろきょろと辺りを見回していて、私達のやり取りに気を配っている余裕はなさそうだからこの辺りは放っとくとして。
「藁をも掴む心積もりで当たって砕ける。どうせ当てもないんだし、余興程度にはいいんじゃない?」
「あのなぁ、」
私の言い回しに呆れた様子で半眼に瞼を落とすバルレルの頭に手を置いて、ぐしゃぐしゃといささか乱暴に掻き回して最後にデコピンを一つプレゼントする。
「いっ!?」
「はいはい。じゃ、メイメイさんお願い出来ます?」
「いいわよぉ。まっかせなさぁーい!」
どんっと胸を張るメイメイさんがいそいそとカウンターの奥に引っ込むと、次に出てきた時は片腕に酒瓶を携えて現れた。・・・・・何故酒?!銘柄は雪見と書かれた日本酒っぽい、透明な液体が並々と一升瓶の中で揺れている。ポカン、とその様子を見ていると、いきなりメイメイさんは瓶を開けるとそれを豪快に煽ったのだ!え、いやちょ、待って!
「メイメイさん?!」
「ぷはぁ!んふふふふやぁっぱりお酒って美味しいー」
「いやそこはどうでもいいんですけど、いきなりお酒飲むなんてどういうつもりですかあんた?!」
占いは?!私の探し物は!?なんでいきなり一升瓶のラッパ飲みを見せられなきゃならんのだ。
「心配しなくてもぉ、これがあたしのスタイルだから、大丈夫だってばぁ!にゃはははは!」
そういって大笑いするメイメイさんに、唖然とする私達。なんて・・・なんて怪しいこと極まりない店主なのか・・・!戦く私たちの横で、ふとごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえた。やけに大きな音として聞こえたそれに対して振り返ると、バルレルが目を爛々と輝かせて、食い入るようにメイメイさんを見つめていた。・・・いや、違う。正確に言えば、メイメイさんが握っている、一升瓶に注がれていた。
「おい、オンナ。その酒よこしやがれ!」
「えぇー嫌よーこれはあたしのなんだから」
「いいからよこせっ」
「いっやよぉーにゃははははははははははは!!!」
体を不自然にくねらせながら、酒瓶抱えるメイメイさん。それに向かって突っかかるバルレル。何が何だかわかってないハサハに、ちょっともうどうでもいいな、と思わず遠い目をする私。思わず深く溜息を吐いた。あぁ、ちょっとばかり期待してた自分が物悲しいです。
お酒の取り合いをしている子供と大人を半眼で見やり、ガタリと椅子を動かして立ち上がる。ハサハはきっちりと抱き上げて、さぁさっさとお暇しようかと背中を向けた。
はぁ・・・無駄の時間だった。踵を返して出口へと向かうと、バルレルが気付いて慌てて駆け寄って私の後ろにピッタリと寄り添った。それをじと、と見やって気まずそうな顔をするバルレルから視線を外し、外の光りが溢れる出口に一歩踏み出した、刹那。
「声を聞きなさい。そうすれば貴方の望むものが得られるわ」
凛、とした声が鼓膜を震わせ、ピタリと足が止まる。さきほどまでの力の抜けた声ではなく、まるで信託の下った巫女のように厳かな声。緩慢に振り向けば、柔和な微笑みを浮かべて酒瓶片手にメイメイさんは私を見つめていた。
真っ直ぐで、底知れない硝子越しの眼差しが、穏やかな色を映してただ静かに漂っていた。・・・ふむ。
「。それが私の名前よ」
それだけ言って、にっこりと笑みを残して外套を翻した。薄暗かった店内のおかげで、外の光りがやけに眩しく感じられる。目を細めて、そのまま後ろを振り返ることなく私はあてもなく歩き出した。
声を、か。・・・結局具体的なことは何も言ってくれなかったなぁ、メイメイさん。これからどうしろと、と店内を出てからがしがしと頭を掻いた。
※
呟きが零れる。さきほどまで彼の人が腰掛けていた椅子に視線をやり、瞳を眇めて。
「知ってるわ・・・貴方の名前」
瞼をゆっくりと落とし、浮かべる。微笑みは苦みと憂いと、愛しさと恋しさを秘めて、囁いた。
「」
映るのは闇。
思い出すのは輝き。
感じるのは思い。
呟きは、ただ自分の中で。
自分の中で、小さな波紋が広がっては消えた。