鳴り響く銃声 1



 不思議で、曖昧なこの感覚はなんなのだろうか。





 私と瑪瑙は初めてだった。アメルが人を癒す、というその行為を見たのは。翳された掌から淡い・・・途方もなく優しい光りが溢れて、傷口を照らし出す。泣きたくなるほど暖かな光は、見ているだけで心の奥底までも柔らかく包み込むような慈愛に満ちて。まさに、癒すという行為そのものだと思った。
 治すのではない。癒すのだ。どう違うのか、なんて、実はよく判らないけど。だけど、ただ漠然と思った。アメルの治癒は、本当に癒しの力なのだと。そんな力を行使する、光りに包まれたアメルの姿はまさしく聖女と呼ぶに相応しい。
 照らされた亜麻色の髪が、半分閉じられた瞼が、目元に影を落とす睫が。神々しささえ感じて、目元を細めた。不思議な、感覚。

「・・・きれい」

 ポツリ、と瑪瑙がそう零す。ほとんど無意識のような独り言を、胸の内で繰り返した。


きれい。


 穏やかな光りは目に痛くなく、見る間に傷口を塞いでいく。痛々しかったはずのそれが、怪我する前となんら変わりない姿になるまでにそう長い時間はかからなかった。


きれい。


 もう一度そう繰り返して、首を傾げた。

「・・・なんだろう」

 零したそれに、反応した瑪瑙が私を見る。口元を手で覆い、次の傷へと取り掛かったアメルを尻目に視線を落とした。視界に、黒いブーツの爪先が映る。

「どうしたの?」
「うーん・・・なんか、変な感じ」
「何が?」
「さぁ。よく、わからないけど・・・変な、感じがする」

 背筋が痒いような、ぞくぞくするような。アメルが放つ淡い光が、妙に胸をざわめかせた。不快感に近く、けれどもそんな負の感情だけではない、奇妙なデジャ・ビュ。
 相変わらず柔らかく傷口を包む光に、なんとなく居心地が悪く顔を顰めて窓際に寄った。
 不思議そうな瑪瑙に、誤魔化すような笑みを向けてから、窓の横に背中を預けて一つ溜息を零す。ぐしゃりと前髪をかきあげて、そういえば、と視線をアメルから窓へと向けた。
 落ち着かない理由といえば、もう一つある。すぅ、と目を細めて、指先で唇を辿り、窓から視線を移してボロボロの双子を見やる。二人が、生きてココに来れた、ということが引っかかる。
 思考を巡らし、レースを少しだけ捲り窓の外を見れば、相変わらず広い庭先と正門に続く道が見える。その向こう側の閑静な住宅街を見つめ、喧騒とは程遠い、と吐息を零した。

「なにかあるんだろうな、コレは」

 呟きに、確信に近いものを含めて眉を潜める。安堵感に溢れている室内で、アメルの癒しを見守っている面々とは裏腹にざわめく心中に、嫌な予感、と一人ごちた。無傷とは言えない、けれど深いとも言えない傷を負った二人の帰還。
 おじいさんのことは、実はそんなに心配していない。ほとんどどころか全くと言っていいほど知らないのだ。死んでいたらさすがに後味は悪いかもしれないが、けれどさりとて感受性豊かに悲しむ気にも、なれない。
 言うならばブラウン管の向こうで有名人の誰かが死んだ、とか、その程度の感想しか私は持ちようがなかった。冷めた人間だな、と自嘲気味に思いながら、まあ生きてるらしいし、今はそれでいいかと納得する。
 あぁ、それはそうと問題はどうして二人が無事に戻ってこれたか、だ。あの時とは状況が違う。いくらでも相手は援軍を呼べただろうし、火に巻かれたなんていう失態、あの悪趣味仮面がするとはどうにも考えられない。私達の時と違って、彼らに足止めしてくれるような仲間なんていなかったし、召喚でもしたのかもしれないが・・・召喚は一応召喚師しかできないことらしいので、その線はないだろうと思う。となると。

「泳がされたのかな」

 ポツリと呟いて、目を細める。窓の外に見えた漆黒の影を見咎めて、肩を落とした。建物の影から、こちらを窺うように。数人の人影が徐々に家を囲んでいく。
 落ち着く暇もありゃしない。捲っていたレースカーテンをシャッと音をたてて閉めて、とりあえず一通りの治療が終わっている二人と、その二人を囲んでいる面々に向き直る。このほのぼの空気をぶち壊すのは、果てしなく申し訳ないんですが。

「お疲れの所申し訳ないんですけど、もう一っ働き、することになりそうですよ」

 声をかけた瞬間、一斉に振り向かれて少し圧倒される。苦笑しながら、険しい顔で見てくるリューグの視線を流してフォルテに顎をしゃくった。真剣な顔で大股に近寄り、私の横でレースカーテンをそっと捲って外を窺ったフォルテが、嫌そうに顔を歪める。

「おいおい・・どうもあちらさんは働くことが大好きみたいだな」
「もう少し時間潰しをしてくれても、罰は当たらないんだけどねぇ・・・ケイナ、瑪瑙。マグナ達呼んできて」
「うん」
「判ったわ」

 フォルテの苦笑いに、全くだ、と答えるように頷いて心配そうな瑪瑙とケイナに指示をする。二つ返事で返ってきたそれを見届け、視線を双子達の方に向ければ、なんというか三者三様の反応だった。リューグは今からすでに殺気立ってるし、ロッカは沈痛に顔を歪めてるし、アメルは脅えてるし。それを一瞥してから軽く肩を竦め、さてどうしたものか、と顎に手を添える。戦うことになるのは確定だが、私と瑪瑙は非戦闘員だ。召喚術なんか使えないし、武器なんか手に取ったこともない。あの時は農具で、加えて危機的状況だった。
 要するに火事場の馬鹿力、というものが発動していただけで、今ここで実践に出向け、と言われても返り討ちが関の山である。うーむ。まあ、家の中で傍観が妥当かな。
 足手纏いになってもどうかと思うし、戦うにしても後ろでフォローしか出来ないわよね。


「あ、ミモザさん」

 屋敷内待機だよなぁ、と思っている間にミモザさんとギブソンさんが奥から出てくる。
 かけられた声に俯いていた顔をあげ、いつもよりもやや鋭さを帯びた表情に緩く笑みを浮かべた。

「どうもいらないお客さんがきたらしいけど?」
「えぇ。閑静な住宅街には到底不向きな、黒いお客様が」

 直接的ではない言い回しに、こちらも悪乗りしてそう答える。まるで悪戯っ子のような笑みを互いに浮かべ、次いで面倒そうに後ろ頭を掻いた。後ろの方で苦笑いしているギブソンさんはとりあえず流して。

「とりあえず、確認の方はマグナ達が下りてきてからですよ」
「そうだね。たぶんそろそろ下りてくる頃合いだと思うが・・」

 そう呟いたギブソンさんの声に被った、ドタバタと騒がしい足音に思わず入り口に視線を向けた。もうちょっと静かにやってこれないんだろうか、あの子らは。まあ、なんだかそれももうすでに慣れてしまったのは、単に彼等の性格の賜物だろう。

「アイツ等が来たって本当?!っ」

 バァン!と人様の家だというのに破壊する気か、と思うほど勢いよくドアを開け放ち、雪崩れ込んだマグナとトリスに苦笑いを浮かべる。後ろから来たネスティの眉間に深い皺が寄っているが、さすがに今のこの状況で怒鳴るほど、彼は空気が読めないわけではないようだ。
 渋面のまま肩で息をしている二人を見て、溜息を零すだけで止めている。苦労性っぽいな、彼は。続いて瑪瑙、ケイナも部屋の中に入ってきて、それを一瞥すると肩を竦めて微笑んだ。

「たぶんね」

 そのまま、息を飲んだ彼らを尻目に、視線を窓の外に流した。着実に、家の周りを黒い人影が囲んでいくその光景に、半眼になる。まったく、どうしたものやら。