涙の花弁
零れた涙が筋を作り、ぽとりと落ちた。
※
要するに彼は、アメルを探していたのだろう。二階から伺い見た黒い装甲の持ち主を思い浮かべ、ならば町中であんな目立つものがいたことも納得できる、と顎に手を添えて頷く。
少なくとも好意を持っている相手が敵、場合によっちゃこれからまた戦う羽目になるかもしれない、ということにいくらかの苦みが胸中に広がる。戦いたくないな、とか、もっと別の形で再会できれば、とか。幾度かの堂々巡りを繰り返して、けれどどう考えようとも覆ることのない現実に溜息を零した。あぁ、どうしようもないことばかりが、目の前に突き付けられていく。
「・・・しょうがないよねぇ」
呟き、目の前で揺れる前髪を軽く払いのける。嘲るように口角を吊り上げ、肩越しに後ろを振りかえり、もう見えはしない漆黒を追いかけた。敵なのならば、戦うことが必然になってしまうのならば。
―――容赦は、しない。それは覆せない絶対の真理。私の心は常に一つを決めている。回避できるのならばその道を探すことに手など抜きはしないが、前提は振りかかる火の粉は振り払う、という精神である。もっとも、どこまで私が関わるかにもよるが。
「んーさて、さて。方針も決まったし下行きますかー」
ぐっと伸びをして立ち上がる。必要のなくなった武器(台所用品)を集めながら、胡椒を見た。・・・・・・・買出し、行かないとなぁ。今日の晩御飯がなくなってしまう。
調味料は必要だよねぇ。あとどうせ近いうちにここ出るだろうし、武器でもなんか調達しないとなぁ。フォルテにでも剣を教えてもらうか。ネスティとかに召喚術でもいいかもしれない。
とにかく、戦う術は必要だと、ブツブツ算段を立てていると、どったんばったんと何やら階下が騒がしくなっていることに気づいた。途切れ途切れに、リューグらしき怒声も届いて、眉を寄せる。戦闘の後だってのになに騒いでるんだろう、あいつらは。はぁ、とため息をつきながら、のそのそと階段を下りる。両手にきっちりと片づけた武器を抱え、ドアの前に来た所で手が塞がってあけられない、という事実に気が付いた。・・・足?いや、これ襖じゃないし。
声をかけるか、と思った瞬間部屋の中でリューグと、大人しそうだった(イメージ的に)ロッカの怒声が聞こえてきたのにやっぱやめよう、と即座に室内に入ることを断念した。
わざわざ好き好んで面倒そうな渦中に飛び込む趣味はない。ほとぼりが冷めるまでどこかに引っ込んでいよう、とそのまま背中を向けると、後ろからガチャリとドアが開く音がした。・・・ガッデム!
「何処に行く気なんだ、君は」
「二階にでも行こうかな、と。やっぱりさ、喧嘩してるトコにわざわざ入りたくないじゃない?」
後ろから聞こえてきた美声に振り向きつつ、ニッコリと笑って答えると溜息をつかれた。秀麗なネスティの顔が歪み、眼鏡を指先で押し上げると仏頂面を形作る。ネスティの疲労度が日増しに増えてる気がするのは気のせいだろうか。ていうかせっかくの美形も、そんな怖い顔をしていたら魅力半減だと思うんだけどね。まあ、悪人面なら屑桐先輩やら御柳やらで慣れてるからさして問題ではないんだけど。
「その気持ちも大いに理解できるが、君だけ安全圏にいさせるのは面白くないな」
「あら嫌だネスティ。そんなことじゃ良い男にはなれないわよ?」
「なれなくて結構。それよりもどうにかしてくれないか、この現状」
すげなく言い返されて、軽く肩を竦めた。続きの懇願には眉をひそめて、荷物をネスティに押し付けて室内へと入る。別に喧嘩を止めるつもりはないけど(そんな面倒なことやってられるか)現状がどうなっているのか、多少なりとも気になりはする。入り込んだ室内では、遠巻きにフォルテ、ケイナ、ミモザさん、ギブソンさんの大人組が困ったように、あるいは呆れたように事の中心を傍観していた。下手な介入が火に油を注ぐことを理解しているのだろう。そういう大人の思考が出来ることは良いことだ。んで、だ。問題は、と、視線を周りから中心に向けると、赤と青が切迫した顔つきでマグナとトリスと、何故か瑪瑙に詰め寄っているところだった。その足元で護衛獣二人が、戸惑ったようにおろおろとしている。
いや、戸惑っているのはハサハだけで、バルレルは面倒そうに顔を顰めていた。今度は何に巻きこまれたのよ・・・。
ふぅ、と溜息を吐くと、沈黙を守っているアメルの方に視線を向ける。瞬間、ピクリと眉が跳ねあがった。唇が白くなるまで噛み締め、泣くのを堪える姿が視界に入る。苦しそうに寄せられた眉に、泣きそうに歪んだ目。・・・・泣いているのかもしれない。何か言いたそうに震える唇が、結局言葉にならずじまいで閉じられる。長い睫毛が瞬きをして、―――頬を、一筋、涙が。
「何してるの」
騒がしい室内に、唇から零れた冷たい声が響く。思いの外響いた声に、驚いたように周りの・・・事の原因達の、視線が向けられる。私を認めた瞬間、瑪瑙の顔に安堵が走ったが、次の瞬間には不安そうに瞳が揺らいだ。
「ちゃん・・・?」
「何してるの、って、聞いてるんだけど」
控えめな声をあえて無視し、被せるように言葉を紡ぐ。カツカツとブーツの音をたてて渦中に近づき、目を細めた。
「・・・丁度いい。コイツ等じゃ決まらなかったんだ」
マグナに詰め寄っていたリューグが、そう言うと私に向き直る。解放されたマグナは、ほっと息を吐いて私を見て、顔を引き攣らせた。失礼な。
「決まらない?何が」
「俺と、コイツの意見。どっちを選ぶかってことだよ」
荒んだ目で見てくるリューグに首を傾げ、説明を促せばやはりわからない。根本的なことを伝えていないな、と思いながら視線を横に流した。それを受けとめた瑪瑙が、おずおずと口を開く。
「あのね、さっき、これからどうするかって話しをしてたんだけど、その、ロッカ君とリューグ君の意見が全然違ってて、それで喧嘩になっちゃって・・・決まらないからどっちにするかって、選んで欲しいって、言われたの。でも、答えられなくって」
「ふぅん・・・『二人』の意見、ねぇ・・・どんな?」
皮肉気に唇を歪めて、薄く笑みを貼りつけながら問い掛けると、今度はトリスが口を開いた。
「リューグはね、敵をやっつけに行こうって言ってるの。どうせ戦うことになるんだったら、コッチから向かって戦ったほうがいいって。・・・その、村のことも、あるし」
「なるほど。ロッカは?」
最後の方は少し言い難そうに言葉を濁したトリスに頷き、もう片方の意見を促すと次はマグナが口を開く。少し、視線を泳がせるマグナに、そんなに今の私って怖いかなぁ、と首を傾げた。
「ロッカは、このまま戦わないで逃げるのがいいって。不必要に血を流したくないから・・・戦力的にも、まだ俺達じゃあ無理だし・・・」
「ふむ。・・・・・・これはまた、両極端ねぇ」
ベクトルが全く逆じゃない。どこまで思考回路違うのよこの双子。二人の意見、とやらを聞いて、隠しもせず呆れたように顔を崩した。片や戦う、片や逃げる、どちらも正しく、そしてどちらも大いに間違っている。しかもお互い譲り合う気も妥協する気もないらしく・・・無駄に頑固なことだ。額に手をあて、低く唸ってから顔をあげた。それを、待ちわびたようにリューグが詰め寄ってくる。
「お前はどっちを選ぶんだ?」
「さんは、僕とリューグとどちらを選びますか」
なんでこんなときだけ息ピッタリなの、あんたら。出かけた言葉を飲みこんで、視線をさ迷わせると注目が私に集まっていることに気づいた。更に視線を動かしていくと、アメルの、悲しそうな瞳と目が合う。揺れる眼差しを見つめて、吐息が一つ零れた。
あぁ、また、泣いてしまうのだろうか。また、彼女は涙を落とすのだろうか。また、傷つくのか。苦しむのか。悲しむのか。・・・何度、あの子は泣けばいいのだろう。
「馬鹿じゃない、あんた達」
口から出た言葉は、吐き捨てるような強さで蔑みを帯びていた。自分でもちょっとビックリするぐらい苛ついた声だった。あれ、私結構頭にきているのかもしれないな。
「なっ」
「どういう意味ですか」
私の発言に、鼻白んだリューグとは反対に不愉快そうにロッカの鼻に皺が寄る。不愉快なのはコッチだ、と内心で悪態をついて腕を組んだ。苛々する。大切なものに気づけない、盲目さに腹が立つ。
涙を見るのは嫌いだ。それは綺麗だけど、綺麗な分とても悲しいから嫌いだ。無論泣かなくては耐えられないこともある。泣くことが悪いことだなんて思わない。泣くことが救いになることも知っている。けれど、今の涙は違うのだ。怒りの涙なら耐えもしよう。喜びならば受け止めよう。けれど、哀憐の涙ほど見ていて苦痛な涙はない。回避できない涙があるかもしれないけど。でも、これは回避できることなのに、指先で掬うことも出来る涙なのに。それに気づかず、しようとしないこの馬鹿な双子がひどく腹が立つと同時に、どうしようもない呆れが先立った。
「言葉そのまま。今これ以上の言葉はないわね。・・・・・・馬鹿だわ、あんた達」
「テメェ、言わせておけば!」
ふっと嘲笑を零して鼻先で笑うと、リューグが顔を真っ赤にして掴みかかってきた。リューグの手が胸倉に伸びてつかもうとしたところで、鈍い色をした刃物の切っ先がひたりとリューグに合わさる。びくり、とリューグの手が止まり、驚いたように目を見張った。
私自身も、ここで介入者がいるとは思わず心持ち目を見開き、刃物の先を目で追いかける。長い柄の先・・・槍を握る小さな手に、鋭い赤い瞳がリューグを睨みつけていた。
「バルレル」
「コイツに掴みかかるたぁいい度胸じゃねェか。あぁ?」
口端を吊り上げ、獰猛な犬歯を覗かせるバルレルに、一気にリューグの眉間に皺が寄った。バルレルの全身から、刺すような殺気が滲み出て相手を威圧する。それは到底仲間に向けるものとも思えないほどに苛烈で鋭利で、恐らく、彼は今向けている刃先をリューグの喉に突き刺すことも厭わないだろう。そう、思わせるだけの本気が、バルレルの真紅の瞳から伺い知れて、トリスの顔から血の気が引いた。やめて、と唇が動いたが、彼からの威圧感が喉をひりつかせるだけで言葉を出せないようにしている。リューグでさえも、額にじんわりと汗を浮かばせているほどだ。
一触即発の雰囲気に、また収拾がつかなくなりそう、と思ってバルレルの頭を手で鷲掴む。今はそんな殺気のぶつけあいをしている場合じゃないのよ、マジで。場の空気をまるで読まない態度で、ぐいっと掴んだバルレルの頭を強引に後ろにやる。やや乱暴で雑な行いだったせいかひゅんっと危なく穂先がリューグの鼻先を掠めたが、そんなことはどうでもいい。
「なにしやがる」
「引っ込んでなさい」
不満そうに見上げるバルレルに冷めた目で言い捨てると、僅かに眉を上げるが、結局は何も言わずバルレルは引き下がった。あれほどの殺気を収めて、溜息一つで下がったのだ。トリスが目を見開いたが、バルレルはそれを気にする風でもなくただ無言で私に言われたまま、私の後ろに下がっていた。だが、恐らくまた何かあれば・・それこそリューグかロッカかが私に対して事を起こそうとすれば、彼は迷わずその狂槍を振るうのだろう。あれ、バルレルはトリスの護衛獣じゃなかったっけか?
・・・まぁ、今はそんなことは置いといて。私の為に行動してくれたバルレルにはちょっと悪い気もしたが、今はこの馬鹿二人に気づかせるのが先決だと、体を向け直す。
「まず言っておくけど、私はどっちの意見にも賛成しないわ」
「何故ですか」
「何故?何故だと私に問うの?全く、しようのない。・・・赤の他人の私が言うのもなんだけど、当事者が無視されている意見にどう賛同しろっていうの。馬鹿馬鹿しい!」
「馬鹿馬鹿しいだと?・・・じゃあどうするっていうんだよ!!俺と、コイツの意見以外になにかあるのかよっ」
激しく言い募るリューグに、さっきの台詞聞いてなかったんか、と思いつつ溜息をつく。私の意見なんて必要ない。必要なのは、当事者の意見だ。それも、1番の被害者の。どうして。
「どうして二択しかないのよ」
「ああ?」
「どうして、二択しかないのか、って、言ってるのよ」
「そんな、それはこの二つしかないからじゃないですか」
言っている意味が判らない、そういった風に眉を寄せるロッカに、ピキリ、と額に青筋が走った。あははははは・・・・いい年してなんつー視野の狭いこと言ってるのかしらこの双子は!ひくり、と顔を引き攣らせながら、額に手をあてて大袈裟に頭を振って溜息を零した。
「問題外ね」
「・・・さっきからなんなんだよお前は。何が言いたいんだよッ。人を馬鹿馬鹿言っておきながら次は問題外?じゃあお前にはなにかいい案があるのか!?」
「さん。何か言いたいことがあるのなら、言ってください。でないと、流石の僕でも・・・」
「怒るって?ハッ。だから馬鹿なのよ」
前髪をかきあげ、眉間に皺を寄せて睨む。口元には嘲りを浮かべ、目を細めた。本当に、なんて、視野の狭い。見ようとしない盲目さは、最高に嫌悪の対象だ。
「二つしかないなんてよく言えたものね。じゃあ聞くけど本当にそれで全てなわけ?他にも意見なんてたくさん出るでしょう?話し合いっていうのはね、お互いの悪いところと良いところを言い合って、そして聞き合うことなのよ。盲目的に一つのことしか主張しないそれは話し合いじゃなくてただの怒鳴り合いって言うの。もしくは喧嘩。そんなので本当にやってけると思うのなら、一度痛い目みてきなさい。まあ、後悔する前に死ぬかもだけど」
笑いながら、けれど声だけは冷ややかに。凍えたそれに、二人の息が詰まる。反論してこないところをみると、まだ自覚があるのだろう。救える馬鹿でよかった。
「まあ、それに最大の疑問はどうして二人しか意見を出してないのかってことよね」
「え?」
「あんた達はなんの為に、誰の為に、意見を出し合ってるの?自分の為?村人の為?ねぇ、誰の為なの?」
「んなの決まってるだろうが。アメルを守るためだ!」
「そうです。アメルを、僕達は守りたいから・・・」
言いきった双子に、それが判っていながらなんで行動できないのかなぁ、と頭をかいた。ちゃんと大切なものを見極めてる癖に、どうして馬鹿な喧嘩しか出来ないんだろう。これだから猪突猛進は、とぼやいて、目を半眼にして顎をしゃくった。
「じゃあ、その守りたいものが泣いてるのにいい加減気づきなさいよ」
「えっ?」
呆れたように視線を流すと、反射的に二人が背後を振り返る。その目が大きく見開かれたことが容易に想像出来て、また溜息を落とした。
「アメル・・・」
「ロッカ、リューグ・・・っ」
きゅ、と寄った眉に慌てた様子で二人が駆け寄って必死に慰める姿を見ながら、腕を組む。ポロポロと涙を零し、唇を噛み締めるアメルに静かな目を向けた。どれだけ言いたいことがあって、どれだけ言葉を我慢して、何を感じて見ていたのか。それはアメル本人にしか、わからないけれど。しかし、今、私が彼女に言う言葉これしかない。
「アメル。言いたいことがあるなら、今、言いなさい」
告げると、二人が視線をこちらに向け、アメルは流れる涙をそのままにはっとして顔をあげた。視線がひたりとあって、静かにただアメルを見つめているとアメルの拳に力が篭り、ぐしゃ、と、スカートに皺がよる。唇が戦慄き、一度きゅっと引き結ばれる。周りの注目がアメルに集まり、気後れしたように僅かに俯いて。さらり、と流れた亜麻色の髪がアメルの両頬で揺れた。
「アメル」
「・・・っ」
ゆっくりと、柔らかく。促すように名前を呼ぶ。ぴくっと震えた肩に両側でアメルの言葉を待っている双子の指先が動いた。やがて、恐る恐る顔をあげたアメルは一度私を見つめ、それから両側の二人に視線を向け、くしゃりと顔を歪め、嗚咽を零す。
「あ、たし・・・あたし、は・・・っ二人に喧嘩なんて、して欲しく、ない・・・っ」
「アメル・・・」
「どうして・・?二人に喧嘩なんてして欲しくないよ・・・っあたしの為、とか、そうじゃなくって・・・折角、無事だったのに・・・!」
震える声はか細くリビングに響いていく。涙混じりのその声に、どれだけアメルが心を痛めていたのかが伝わって、リューグの眉間に皺が寄った。
「おじいさんとも離れて・・・それで、ロッカとリューグまで離れちゃったら・・・あたし、どうしたらいいの・・・・?喧嘩なんて、しないでよ・・・っ」
「悪い・・・」
「アメル、ごめん・・・ごめん、アメル」
小さな訴えに、双子の顔が痛ましげに曇る。泣き出したアメルを、まるで幼子に対するように頭を撫で、肩を抱き、慰めて。険悪な空気が薄れ、逆にこれはこれで居心地悪い空気に、頬を掻く。まあ、やっとまともな話し合いが出来そうだし・・・もういいか。
しかし、ここまでくるのになんでこんな長々としなくちゃいけないんだろう。苦笑を零し、アメルに近寄って目尻から零れていく雫を指先で掬い取る。少し驚いたように目を見開くアメルに一つ笑って、ギブソンさんを振りかえった。
「三人だけにさせてあげたいんですけど、部屋あります?」
「あぁ、それなら二階の部屋があるよ。そこで、ゆっくりと三人だけで話し合うといい」
突然の要求にも関わらず、穏やかに笑って答えるギブソンさんに頷くと、アメルと双子の背中を押した。
「さ、そういうことだから今度はちゃんと三人で話し合ってきなさい。いい?三人で、よ。まかり間違っても二人の怒鳴り合いにはならないようにしてよね。それとアメル。言いたいことがあるならはっきり言っておかないと後悔することになるからね。言わなかったアメルにも責任はあるんだから」
無論大半が人を無視した双子の喧嘩であるのはいわずもがなだ。しかし、口を出さなかったアメルもアメルだ。言い含めるように聞かせると、アメルは弱弱しく笑って頷いた。
「はい。さん・・・ありがとうございます」
「ん。じゃ、行って来い」
とんっと軽く押して促すと後ろを振り返りつつアメルが動き出す。ふとそこで、ロッカが私を振りかえった。
「あの、さん」
「謝罪だとかは後回しにしてよ。今はそんなことよりも今後どうするか、でしょ」
「え、でも・・」
先回りをして答えると、やや困惑したようにロッカが言葉を濁らせる。それに顎に手をあてて考え、軽く口角を吊り上げた。
「じゃ、これは一つ貸しにしといてあげる。後でちゃんと返してよね」
「・・・はい。判りました」
沈黙したロッカが、少し晴れた顔つきで笑みを浮かべ頷き、立ち止まっていたアメルを促してリビングから出て行く。出て行くときに、チラリと振りかえったリューグが何か物言いたげだったが、そこは無視しておくことにした。いちいち構ってたら進まないし、言いたいことがあるのならまた言いにくるだろう。やっと三人がリビングから出て行き、階段を上る音がしたところで詰めていた息を一気に吐き出した。
「あぁ、疲れた・・・」
「第一声がそれなのか?」
「他に何言えって?もう本当に・・・これかだから猪突猛進タイプは面倒なのよ」
心底疲れたように溜息を吐いたら、苦笑を交えてネスティが苦言を述べる。それにじとりと半眼で睨みつけ、肩を竦めるとトリスとマグナも詰めていた息を大きく吐き出しぐったりとしていた。いやぐったりとしたいの私なんですけどね。
「うぅー・・・すごいね、は。あの二人をあんなにあっさり言い含めちゃうなんて」
「そう?至極簡単だと思うけど」
「簡単じゃないよ!俺なんか二人に詰め寄られて何も言えなかったし!」
「あたしも!」
それはそれで情けないというか、なんというか。自信満々に言うことじゃないわよ。手を上げてまでそう言う二人に、苦笑しながら後ろ頭に手を当てる。
「冷静になって対処すれば大抵のことはこなせるわよ。後は雰囲気に飲まれないだけの気力を持てってところかな」
「冷静な対処、か。まずこの二人には無理だな」
「えぇ!ネスひどっ」
鼻先で笑ったネスティにマグナがショックを受けたように言い募るが、私も二人にはちょっと無理だと思う。なんか、冷静って言葉が似合わないのよねぇ。
「でもちゃんはすごいと思うわ。ロッカ君とリューグ君は・・・二人共、思い入れがとても強いから生半可なことじゃきっと逆の結果で終わってしまうと思うし」
「あれはねぇ。少し、というかかなり、囚われてるのよね」
「それってレルムの村のこと?」
首を傾げたトリスに、曖昧に笑って答えておく。村をあんな目に合わされたのだから、感情が先走るのは当たり前なんだけど。特に、リューグはその傾向が強い。
激情型だからか、感情の起伏が激しいのが目に付く。暗く燃え盛った炎は復讐という二文字を体言し、いつかそれで身を滅ぼすことにならなければいいんだけども、と懸念がふと浮かんだ。
「まあそれは置いといて。答えられなかったのは良いことだと思うわよ。私は」
「どうして?」
「だってそれは、二人の言ったことが少なくとも正しいとは思わなかったからでしょ。あんな極端な意見、賛成なんて出来ないし。だから、一番大切な部分は見えてたってことなんだからそれでいいわよ。後はそれを口に出せるだけの文章力と度胸ね」
笑って言うと、三人は顔を見合わせてはにかんだ。薄く染まった頬が嬉しさを表していて、なんか小さい子を褒める母親か、はたまた保母さんにでもなったかのように思った。あぁ、きっとこんな感じなんだなー小さい子を持った親って。
とりあえず、一段落ついた、ということで強張っていた肩を解してソファに腰掛ける。全く、戦闘後だってのになんでこんな騒動に巻き込まれなくちゃならないんだか。
「後は当人たちの問題ね・・・ちゃんと纏まるといいけど」
「大丈夫でしょ。いざとなったら私達でカバーしてあげればいいんだしね」
そういって軽く手を振るミモザさんにそれもそうですね、と頷いてハサハを抱き寄せる。びくびく縮こまっていた耳がその瞬間ピンッと立ってはたはたと尻尾が動いた。あぁ、癒しだ・・・。
「あぁ、そうだ。バルレル、ちょっと来い来い」
ハサハをぎゅう、と抱きしめたところで(癒しが欲しいの)顔をあげてぶすっとしているバルレルを手招きする。不機嫌です、とあからさまに態度で現しているというのに、じろりと一瞥を向けるが素直に寄ってくるバルレルに思わず頬が緩んだ。なんだかんだでバルレルもハサハも素直よねぇ。可愛らしいわ。
「何笑ってやがる」
「別に。ハサハ、ちょっとごめんね」
「(コクン)」
笑いをかみ殺しながら頷いたハサハを膝の上から下ろし、横に座らせてから訝しげにしているバルレルの脇下に手を差し込む。ぎょっと目を見開いたそれを無視して、腕に力をこめるとひょいっとなんなく持ち上げた。床から離れた足がぶらりと揺れ、そのまま持ち上げたバルレルを膝の上に乗せる。
「っ!?!?!?!?!?!?」
「バルレルにお礼言ってなかったからねー。形はどうあれ、助けてくれてありがとう」
「な、な、な、な・・・・っっ!」
抱き上げて頭を撫でながら、にっこり笑って言うと、口を陸に上げられた魚のごとく開閉を繰り返して、バルレルが言葉を詰まらせた。ぐぐぅ、とバルレルの顔が赤みを増していき、林檎のように赤くなった頬に、そこまで恥ずかしがるものなのかと思いながら、少し悪戯心で抱きしめてみた。
「っな、なにす・・・!」
「あははははバルレル可愛いー」
「っ可愛い言うなーーーー!!」
じたばた暴れながら怒鳴り散らすバルレルを笑い飛ばし、更に抱きしめる腕の力を強くする。そうしたらますます顔を赤くして暴れるから、少しだけ眉を寄せた。
「ちょっとちょっと、そんなに暴れると痛いでしょうが」
「ぐっ」
咎めるように言うと、言葉を詰まらせてピタリと暴れていた体が大人しくなる。それに気を良くして、抱きしめている力を弱めると軽く頭を撫でた。見た目ほど固くない髪を掌全体で撫でつけ、何やら左右から注がれる熱い視線をあえて無視する。
生暖かいフォルテ達の視線は無論流すのが常識だ。借りてきた猫のように大人しくなったバルレルは、顔を未だに赤く染めたまま不機嫌そうに(これは恥ずかしがってるからと見た)ぶすっと仏頂面を作り上げて目をそらした。護衛獣って可愛いなー。こんな可愛いのなら私も欲しいなー。
「・・・お姉ちゃん・・・・・ハサハも・・・撫で撫で、して・・・・・・?」
「ん?良し良し。ハサハも撫でてしんぜよう」
くいくいっと袖を引っ張って小首を傾げて訴えるハサハに破顔して、艶やかな黒髪を撫でる。そうしたら気持ちよさそうに目を細めて擦り寄ってくるので、小動物を愛でている気持ちになって癒された。あぁ、なんかさっきまでの空気が嘘のようだよ。
「あ、!俺も撫でて!!」
「お兄ちゃんズルイ!あたしも撫でてっ」
「ちゃん、あの、私も・・・・」
「・・・・・何ゆえ?」
ほのぼの空間を作り上げているとこぞって三人が詰め寄ってくるので、くてん、と首を傾げる。なんか知らないが、本気で保母さんか母親のようだ。それはそれでどうなの自分、と思ったが、別に減るものでもないから、と順番に頭を撫でていった。そうしたら、やはり嬉しそうに顔を緩めるから、本当に小さい子供みたいだと微笑を零す。ふと、アメルの頭もこうして撫でれば落ちつくかなぁ、と泣いていた少女を思い描いて、内心で呟いた。