たった2人の同郷者で、たった1人の友だから



 朝食も終わって閑散としたリビングで、ソファを軋ませて読書にふける。ミモザさんから借りた本の活字に視線を走らせ、耳では時計の秒針が細かく音を刻んでいく音を捉える。元の世界に帰るにも、まず召喚システムの根本を詳しく知らなければ方法の捜しようがない。その為のお勉強であるのだが、本来は派閥の人間以外は召喚術は学んじゃいけないらしい。(ギブソンさん談)まあ、貴族の特権みたいなものらしいし・・・でも外道召喚士だとかもいるらしいから、結構ずぼらな態勢なのかもねぇ。まあ、限定されているものだとしても、所詮人が統括するシステムだ。穴があっても全然不思議なことではない。
 世の中、欲望に忠実な人間というのは掃いて捨てるほどいるんだから、利益の為の不正なんて至極当たり前に行われる。さて、そんな世知辛い世の中のことよりも、問題は召喚術の方だ。昔は送還術というものが召喚術と平行して存在したようだが、今はもう廃れて扱える者がいないそうなので、今のところ帰る方法は絶望的らしい。ったく。喚ぶのだから、還す方法も廃れさせずに残しておけ。自分勝手な都合で召喚するんなら、最後まで面倒をみるのが召喚した者の義務だろう。こうしてみると、人間とはつくづく自分勝手で愚かしい生き物だと思える。かくいう自分もその人間であるのだが、実際自分も大概身勝手で愚かな生き物だ。少なくとも、高尚な生き物だと思っていない。しかし、リィンバゥムの文字って変わってるよなぁ。まるで蚯蚓がのたくったというか、根本的に理解できそうにない文字だと思ったのだが、意外や意外。何故か私と瑪瑙はその文字が読めたのだ。まあ、でなければ本なんて開いた瞬間に投げ捨てているが。召喚された時のサポート機能だったりするのかな。
 便利だからいいけど。けれど、読むことは出来ても書くのは無理なようだ。どうせなら読み書きの両方ができるようにして欲しいんだけど。国語の勉強もしとかないとだめってこと?これ。

「面倒だなー・・・」
「え?なあに、ちゃん」
「いんや、なんでも。・・・それよりもこうしてみると魔力があって召喚の呪文さえ覚えとけば召喚は誰でも出来るみたいね」

 本から垂れている紐を読んでいたページに挟み込み、ぱたんと軽い音をたてて閉じるとぎしりと音をたてて背もたれに背を預ける。隣で同じように本を黙読していた瑪瑙も、細い指先で紐を本に挟ませ閉じると、首を傾けた。さらりと流れる柔らかな蒸し栗色が、窓から差し込む光りで甘い金色に見える。

「そうね。ということは私達も出来るのかしら?」
「魔力があれば、ね。そこん所どうかはわかんないけど・・・今後の事を考えると召喚術は使えるようになってた方がいいかも」
「うん・・・あの黒騎士さん達と、また戦うかもしれないものね・・・」

 瞼を落として、目許に睫毛の陰を作った瑪瑙の憂いに、視線を外して天井を仰ぐ。白い天井を見つめ、出来るなら是非とも避けたい道だと思った。戦いなんて知らない世界にいたのだから、そんなものとは金輪際関わりたくない。なんでこんなことに、と常々思うが、早い話があそこに居合わせたのが運の尽き、ということなんだろう。でも、マグナ達との縁を切っちゃえば別にわざわざ戦う必要もないのよね。
 はっきりいって、別に私はそこまでここにいる面子に思い入れはない。重度のお人好しでもないのだから、自分と瑪瑙の身さえ保証して貰えるならアメルや彼等がどうなろうが、実は知ったことじゃないのだ。あれだけフォローしておきながら、と言われたらちょっとあれだが、基本的にはそういうスタンスである。好き好んで渦中に入りたいわけじゃない。
 しかし、簡単に見限るには・・・多少、彼等は人がよすぎた。幾ら私とてこう関わった相手を(しかも無邪気にも慕ってくれる相手を)爽やかに切り捨て、なんて・・・出来ないししたくない。そこまで人道から外れるほど人間捨ててないし、今更行く当てなど何処にもないのだ。
 他の人間が彼等ほどお人好し・・・もとい、人格者である可能性なんて低いんだから、このまま彼等にくっついているのが一番であろう。異世界などという未知なる場所で、そんな人間に出会える確率が一体どれだけあるというのか。下手をすれば、泥水を啜って生きていくような生活を余儀なくされるかもしれない。それを思えば、今のこの状態のなんと幸せなことであろうか。
 それに、彼らと離れた後黒騎士に出会ったらきっと絡まれるだろうしなぁ・・・。もう仲間じゃないとかいっても通じないだろうし。あんまり顔を知られてはいないだろうが(そう直接的に関わったことはあまりないから)完全じゃない。その状態でここから離れるのは自殺行為というものだ。あと瑪瑙の場合は守ってくれる相手が多い方がいいし。そこまで考えて、不意に脳裏にあの赤い村の惨劇が蘇った。
 ・・・私も、また戦うことになるのだろうか。黒い騎士と対峙した瞬間。握りしめた農具の感触を思い出して、掌を見つめる。たったあれだけでも、確かに感じた重みだったのに、次に握るものはきっと更に重みを増すのだろう。農具、なんて、ものではないことは確かだ。このままこの屋敷にいれば、そんなことせずとも済むのではないかと、そう言い聞かせる声がある。けれども、帰る為にはここでじっとしていても可能性は限りなく低い。
 ミモザさん達が協力してくれるとはいっても、お世話になりっぱなしというのは私の矜持が許さなかった。ならば、外に出て、そして外が日本のように安全でないというのならば、戦うしかないのだろう。自分の、この手で。ぐっと拳を握り、拳を口元にあてる。
 私は、大丈夫。いざとなれば開き直ることも可能なのだから、誰かを傷つけることを是と出きる。いや、してみせる。けれど瑪瑙は、・・・瑪瑙に、そんな覚悟を強いたくはない。わかっている。それがただのエゴで我儘なのだということは。
 けれど、けれどだ。この、甘く儚い少女に、一体誰か血生臭いものを背負わせたいと思うだろう?誰が、大切だと思う相手を、怪我や、それこそ死すら有り得るかもしれない場所に出したいと思うだろう。できることなら、鳥籠の中に押し込めて、大切に囲い込んで、守ってあげたいとすら思っているのに。
 だけど、それはきっと、叶わない願いなのだろう。何故なら、私の友人は、決してただの綺麗なお人形なわけではないのだから。見つめていた掌をゆっくりと握りしめ、胸元に押し当てるとくっと顔を引き締める。

「・・・避けて通れない道なら、踏ん張って耐えよう?大丈夫。瑪瑙は私が守るし、支える。マグナ達もいるし、だから、瑪瑙も私を支えて。独りじゃないんだから」

 それは、決意で、懇願だ。瑪瑙に向けて視線を移し、微笑みながら請うのだ。目許を緩めて、口の端を持ち上げて、守るといいながら、支えて見せてくれと願っている、その私の弱さを、けれど瑪瑙は、軽く目を見張った後に、花開くように、微笑んで見せた。

「・・・・うん。二人、で。二人で、一緒に・・・一緒に、頑張ろう。ちゃんがいるなら私は、どんなことだって耐えられるわ」

 淡い桃色の唇が艶やかに弧を描き、慈しむような微笑みが浮かぶ。それは、さながら春に吹く風のように穏やかで。日溜りのように暖かく、花のように鮮烈な。花吹雪の中、この少女が立って微笑んでいたら、きっとそれは春の魅せた幻の象徴。妖精のような、儚さで。人が夢みるような、そんな、繊細な微笑みで。私の握りしめた手に手を重ねて、うっとりとしたように瑪瑙が飴色の瞳を潤ませた。

ちゃんが、いてくれれば・・・それだけで、頑張れるから。どんなことだって、耐えられるから。それは、やっぱり戦うことは怖いし、誰かが傷つくことはとっても苦しいよ?でも、ちゃんが私を支えてくれたら、きっとどんなことも乗り越えられるって、私、確信してるの」

 それは、強く意志を込めた言葉。無条件に、いっそ呆れるぐらい純粋に。
 私を信用して、私を信頼して、私に依存した言葉。そこまで向けられる純真な感情を無碍になど、誰が出来ようか。与えられる苦しいまでの信頼を、どうして裏切れる。
 ここまでの友人関係は、きっと世界広しといえども数少ない。依存しすぎてもあれだが、けれど、こんな私達を知らない世界での、それはかけがえの無い支え。間違い無く、ここで生きていけるだけの、挫けないほどの、それは絶大な支えだ。

「ふふ。傍からみたら怪しいことこの上ないけどね。でも、そうだね・・・私も、瑪瑙がいてくれたらそれだけで頑張れるよ」
「本当?嬉しい・・・っ」

 手を握り合いながら、傍からみたら「なにやってんだお前等」と言われるような態勢でくすくすとお互いに笑い声を零す。うん。頑張れる。例え戦って、傷ついて傷つけても、きっと瑪瑙がいてくれたら私は頑張れる。だって、唯一無二の親友だから。

「きっと、この手は誰かを傷つけるけど、でも、耐えて受け止めて見せるよ」
「うん・・・うん。私も、耐えるよ。ちゃんと、一緒に。受け止めるから」

 こつん、と瑪瑙の顔を引き寄せて額を合わせて囁くと、瑪瑙は瞳を閉じて頷いた。
 密やかな、二人だけの決意。違う世界から来たからこそ、これは何より意味のある儀式だと思った。

「ありがと。・・・・・・さて、決意も新たにしたことだし、お勉強の続きといきますか?」
「そうだねっ。あ、そうだちゃん。折角ミモザさんやギブソンさん達みたいな召喚師さんもいるんだから、その人達に教えてもらったりできないのかなぁ?」

 ぱっと合わせていた額を離しておどけたように言うと、くすくすと笑って瑪瑙はそう言った。

「どうだろう。本当は派閥以外には門外不出らしいし・・・まあ、今は非常事態だし、ぶっちゃけネスティ以外はあっさりと教えてくれそうだけど」
「ネスティ君は、真面目さんなんだよ。それに、本当はそれが普通のことなんだもの」
「そうだけどねぇ。まあネスティがうだうだ言ってもギブソンさんが了承すれば勝ったも同然ね。あいつギブソンさん信者みたいなもんだから」

 あらあら。こうしてみるとなんて簡単な攻略法なのかしら。くくっと喉を鳴らし、口角を吊り上げて瞳をキラリと輝かせる。そうと決まったらまずミモザさんね。そこからギブソンさんで、最後にネスティ。召喚術は魔力の問題もあるけど、そこはそれとしてとりあえずはこの方法で落としていく。あとはフォルテに私は剣術でも教えてもらおうかな。瑪瑙を守るのに接近戦は必要だ。召喚術だけでは話しにならない。守るためには、それはいるのだ、絶対に。

「うんうん。ここにいる時間も限られてるだろうし・・・その間に出来るだけのことはしとかないと」

 一人頷いて、再びテーブルの上に置いてある本を手にとって開いた。
 たった二人の同郷者で友だから、二人で決意をした朝だった。