誘いの歌唄い 前
それは、たった一人との邂逅。
※
行儀悪くベッドの上に腹ばいになって寝転びながら、本を1ページめくる。薄い、黄ばんだ紙がかさりと乾いた音をたてて滑り、新たな文字の羅列が視界に入った。
「おい、」
「んー?」
頬杖をつきながら読書に没頭している所に、バルレルが乱暴に声をかけてくる。それに気の無い生返事を返して、さらに1ページ捲った。
「下でニンゲンが呼んでるぞ」
「ニンゲンはたくさんいるから誰かわかりません」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・召喚師のオンナだよッ」
「トリスのこと?・・・・あ、ホントだ。何の用だろ」
召喚師の女といえばミモザさんもいるが、この場合バルレルが指すのはトリスの方だろう。ぶすっと顔を崩したバルレルを尻目に本から目をあげ、ドアに向ければ声が微かに耳に届いた。仕方ないな、と思いながらベッドを軋ませ体を起き上がらせる。気だるい心地で脱いでいたブーツを履いて、扉に手をかけて顔を覗かせた。そうしたら、こちらに登ってくるトリスとアメルが視界に入り、軽く首を傾げる。途端、トリスがぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきたので、なんとなくそのまま廊下に出た。
「!これから出かけるんだけど一緒にいこっ」
「え、今から?」
「うん。アメルとメノウに、お兄ちゃんもいるし。そういえば、バルレル何処に行ったか知らない?捜してるんだけどいなくって」
早口で捲くし立てたトリスに、また問題のありそうなメンバーで出かけるのか、と思いつつトリスの問いに答えるべく室内へと視線を向ける。
「バルレルならそこにいるよ」
「え、のところにいたの?」
「まあね。それにしても・・・今から出かけるの?今度じゃだめ?」
驚いたように目を瞬いたトリスに軽く肩を竦め、室内で寛いでいるバルレルを教えてやりながら困ったように眉を下げる。いやだネスティのいない状態で外出とか何か事件が起きそうで困るんですけど。私だけで対処できるかな・・・?
嫌そうな顔をしたバルレルがトリスに呼ばれて渋々とこちらに向かって歩いてくるのを横目で見ながら、できるなら回避したいなーなんて思っていると、トリスはきょとんした顔で小首を傾げた。
「、行きたくないの?」
「行きたくないっていうか・・・」
君らの世話が大変そうだなってだけなんですけどね。しかし、そんなことを面と向かって言えるはずもなく言葉尻を濁して、肩を落とした。
多分、出かけることを止めることはないだろうし、仮に私一人を置いて行かれてもそれはそれで困る。むしろ目の届かない範囲で何かやらかされるとか心臓に悪い。うん、諦めよう。
呆れるほどめんどくせぇ、というオーラを垂れ流しているバルレルに私もめんどくせぇ、と思いながら、私の横で立ち止まった背中に手を添えて外に押し出した。
「まぁ、気分転換にはいいかもね。用意するから下で待ってて。バルレルも、下でトリスたちと待ってなさい」
「はぁい」
「急いでくださいね、さん」
「はいはい」
パタン、と音をたててドアを閉め、軽く吐息を零した。ネスティの心配が現実にならなければいいが・・・まあ、任されたからには最低限面倒みましょうかね。ベッドの上に裏返しにして置いている本にしおりを挟み、閉じてから机に置く。頬にかかる前髪をかきあげ、窓の空を見上げた。
「・・・遠いなぁ」
今は、まだ。
※
軽い食べ物を買って、マグナ達と合流しようとした所でなにやら揉めている様子に眉を顰める。おいおい、ちょっと離れただけでトラブル発生か?思わず溜息を吐いて、心配そうな瑪瑙に目配せをしてからワッフルを潰さないように抱えた。遠巻きに人だかりが出来ている合間を縫って近づくと、息を切らしてトリス達に近寄ったおじさんが何事か言って、マグナの抱えている少女の横っ腹を蹴りつけた。鈍い音と、少女のくぐもった呷き声にぐっと眉間に皺を寄せる。
「ちょ、ちょっと、気持ちはわかりますけど、落ち着いて!」
「そうですよ!暴力はいけませんっ」
「そうは言いますがねえ。こっちは毎日毎日、品物を盗まれ続けてきたんですよ?これぐらいしないと、腹の虫が治まりません」
「だからって・・・!」
顔を歪めて、蔑むような一瞥を獣耳の少女に向けてから、止めに入るアメル達に肩を竦めたおじさんに、憤ったようにマグナが声を荒げる。・・・会話から察するに、あの獣耳の少女があのおじさんの店の物を盗み、逃亡している所をトリス達が捕獲した、というところだろうか。放って置けないなんてことは判るが、どうしてこんな場面に遭遇するかなぁ・・・。滅多にないぞ、盗みの現場に立ち会ってあまつさえ捕まえるだなんてことは。
「ちゃん・・・どうしよう?このままじゃあの子がっ」
「どうしようもこうしようも・・・わかったわかった。なんとかするから」
関係ないし、マグナ達でなんとかするんじゃないの?という発言は、うるうると懇願する瑪瑙の眼差しにぐっと喉奥に引っ込んだ。大きく息を吐いて(・・・瑪瑙に弱い、私)抱えていたワッフルを瑪瑙に持たせる。近づいている間に事が発展したらしく、少女が悲鳴のように叫んで首を竦めた。ただならぬ様子に眉を顰め、足を速める。
「失礼」
少女を捕まえ様とぬっと伸びたおじさんの腕を逆に掴み、体を割りこませながら少女とおじさんを引き離す。当然のごとく、唐突に割りこんだ私に驚いたように目が見開かれ、明らかに狼狽したおじさんがどもりながら吼えた。
「な、なんだ、アンタはっ?!」
「この子達の保護者です。なにがどうなったかよく判りませんが、ちょっと待ってくれませんか」
「な、なにを・・・」
「マグナ、どういうことか説明してくれる?」
至極冷静に相手の目を見返すと、気色ばんだように相手の体が身じろぎをした。引き攣ったように喉が動き、私の目から逃れるように言葉尻を濁した相手をさらりと無視してマグナに向き直る。唖然とした様子の三人を視界に収め、声をかければ反射的にマグナは口を開いた。
「こ、この子がその人のお店の物を盗んじゃって・・・」
「それは会話から判った。その子はそれを判っててやったの?」
「違う。この子ははぐれ召喚獣だから、俺達とは価値観が違うんだ」
「なるほど」
私の問いに素早く答えたマグナに、頷いて掴んでいたおじさんの腕を離す。その瞬間、脅えたようにぱっと離れたおじさんに、軽く横目で視線を向けてから目に涙を浮かべて縮こまっている少女の正面に足を折った。大きな獣耳がぴくぴくと震え、服の下から覗く尻尾が小さく丸め込まれてまるで小動物をイメージさせる。涙に濡れた瞳が、恐怖と猜疑心と、ほんの少しの好奇に揺れて私を捕らえて。・・・つまり、この子はこの世界の常識を知らないのだ。彼女の世界の常識と、この世界の常識の相違を知らない。
わからないのではなく、知らない。悪いことだと、してはならないことなのだと、その行為を理解できていないのだ。つくづく、この世界のシステムは召喚された側に優しくない、と思って出来るだけ柔らかく声を出した。
「君、名前は?」
「え・・・」
「名前。私はというの。名前を教えてくれるかしら」
「う、うん。ユエルって、いうよ」
戸惑ったように視線を泳がせ、ぎこちなく頷いた少女にゆっくりと笑みを浮かべる。それに、驚いたようにユエルが目を見開き、ピンッと耳が立った。周りがいきなり何を、と言わんばかりの視線を向けてくるのを当然のごとく流し、ユエルの手を握る。
「じゃあユエル。今から私の話を聞いてくれるかな?」
「うん・・・」
「あのね、今ユエルはこの食べ物をあの人のお店から取ってきたんだよね?」
「でも、ユエルちゃんと貰うよって言ったよ?!」
「そう。ユエルにはそれが常識だものね。でも、ユエル。この世界は、ユエルの居た世界とは違う世界だということは、わかるね?」
慌てたように主張するユエルに、こっくりと頷きながら落ち着かせるように軽く頭を叩く。すると、へにゃん、と勢いが萎んでユエルは俯きながら頷いた。落ち込んだ空気に、これはある種のタブーだな、と考えながら言葉を繋いでいく。
「ユエルの世界と、この世界は、それぞれルールが違うの。この世界では、お金というものが必要で、・・・お金って、わかる?」
そういえば現金とか知ってるのかしらこの子、と思って首を傾げて問いかけると、一瞬の逡巡の後、ユエルは小さく首を横に振った。ふむ。それに納得したように瞬き、ポケットに突っ込んで財布を取り出す。とはいっても立派な財布はまだ購入していないから、巾着袋に突っ込んでいるだけなのだが。・・・おいおい財布も買おう。そう思いながら、掌にチャリチャリと金貨を何枚か落とす。それをずい、と彼女の前に差し出した。
「これがお金っていうものよ」
「ピカピカしてる・・・」
「そう。綺麗なものだから価値がある。これがなければ、ここでは物を手に入れることは出来ない。だから、今ユエルがしたことは盗みといって、この世界ではしてはいけない、悪いことなのよ」
「そう、なの・・・?そんなの、ユエル、知らなかった・・・」
「そう。知らなかったんだよね。でも、今は知った。ユエルの世界でも、いけないことをしたら謝るよね。だったら、今何をするべきか、ユエルは判るはずだよ」
「・・・・・・うん」
こっくりと、神妙に頷いたユエルは、おじさんに向き直って頭をさげた。
「ごめんなさい・・・」
か細く、けれど誰の耳にも届く声で謝ったユエルに、おじさんは戸惑ったように視線を泳がせる。それを尻目によくできました、とでもいうようにユエルの頭をなで、視線をあげた。その目を捕らえると、鼻白んだようにひくりと鼻を動かしたおじさんに向かって頭を下げる。
「すみません。代金なら私が払いますので、今回はこれで許してくださいませんか?」
「し、しかし・・・また同じことをされても困るしなあ・・・」
「それなら!あたし、こう見えても蒼の派閥の召喚師なんです。召喚獣のことは、兵士よりくわしいです。二度としないように言い聞かせておきますから、どうか・・・」
「俺も、同じ召喚師です。俺からも言い聞かせますから、見逃してやってくださいっ」
「う、うぅむ・・・召喚師さんがそう言うのなら、今回だけは・・・」
「ありがとうございますっ」
パァ、と顔を明るくさせて頭をさげたマグナとトリスに、おじさんは口篭もって居心地悪そうに身じろぎをする。とりあえず代金を尋ね、聞いたものよりも幾らか上乗せして手渡すと、おじさんはユエルに「二度とするなよっ」と言い捨ててから去っていった。その後ろ姿を見送り、肩を落として息を吐く。あー・・・無事に終わってよかった。事が終わったと判ったら、そそくさと解けていく人並みに視線を投げ、それからユエルに向き直る。
「はい。もう食べていいよ」
「いいの?ユエル、もう閉じ込められなくてもいいの?」
「このお姉さんが貴女の代わりにお金を払ってくれたの。だから、安心してお食べなさい」
「・・・うんっ」
食べ物と私を見比べるユエルに、アメルが柔らかく微笑んで言い聞かせると、ユエルは顔を明るくさせて齧りつく。その勢いといったらもう凄まじく、よほどお腹がすいてたんだなぁ、と半ば呆れたように思った。しかし、これまた予定外の出費・・・まあ、しょうがない、か。
「すごい勢い・・・よっぽどお腹すいてたんだね・・・」
「そうねぇ」
「・・・・・あの、ユエルちゃん。よかったらこれも食べて?」
私の横に並んだ瑪瑙が、ぽつりとそう零してから、袋の中からワッフルを取り出してユエルに差し出す。この食べっぷりに、瑪瑙としてももう少し食べさせたほうがいいと感じたのかもしれない。差し出されたワッフルを見つめ、ユエルは上目遣いに瑪瑙を見上げた。
「でも、ユエル、お金・・・」
「これはメノウがユエルにあげたものだから、お金はいらないんだよ」
「そうなの?・・・・じゃあ、食べるっ」
おずおずと言ったユエルに、今度はマグナが言い聞かせると、ユエルは瑪瑙の手からワッフルを受け取って齧りついた。ていうかあれ、瑪瑙のだよ、ねぇ・・・まあ私の分をあげればいいか。生クリームと苺のワッフルを平らげ、お腹を擦っているユエルの口の横についた生クリームを指先で拭い取ってやりながら、ちらりとそんなことを考える。ぺろりと指についた生クリームを舐め取ると、途端、バルレルが声にならない悲鳴をあげたので、何事かと思わず顔を向けた。口をぱくぱくと開閉し、言葉にならずただ不自然な息だけが漏れているバルレルに瑪瑙と一緒に首を傾げる。トリスが声をかけるが、バルレルはユエルを物凄い形相で睨んでから思いっきり顔を逸らした。ユエルの肩がびくりと跳ねて、私の外套の裾を掴む。一体何がどうした、バルレルよ・・・。
「ところでさ、ユエル。君はどうしてこんな所にいるの?」
「・・・・・・・え?」
「そうだよね。君を召喚した主人はどこにいるんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ふと、トリスとマグナが揃ったように問いかけ、ユエルを見やる。ユエルは、さっきまでの満足そうな顔から一転し、暗く沈んで俯いた。小刻みに肩が震え、その様子に瑪瑙が心配そうに肩に手を添える。
「ユエルちゃん・・?」
「きっと心配してるよ。貴女がいなくなって」
アメルがユエルを覗きこむようにして言うと、ユエルは瑪瑙の手を振り払うように立ち上がり、涙の滲む眼で唇を噛み締めながら怒鳴った。声から感じる、憤り。怒りと、奥底に感じるどうしようもない、恐怖。目尻から、ポロリと熱い雫が零れて散った。
「・・・心配なんか、するはずないもん!あんなヤツ・・・あんなウソつき・・・ユエルの主人なんかじゃないよぉっ!!」
「ユエル?!」
「食べ物わけてくれてありがとう・・・じゃあねっ!!」
え、私だけ名指し?さっと踵を返して走り出したユエルを、思わず見送りながらその部分に首を傾げる。唖然とアメルが、伸ばしかけた手を力なく下ろして体の横で揺らした。
「あの子・・・これから、どうするつもりなんだろう・・・」
「さあねぇ・・・あの様子だと、喚び出した本人の所に帰る、なんて選択肢はないみたいだけど」
「なにか、帰りたくない事情があるんでしょうか・・・ちょっと、心配ですよね・・・」
ぽつりと零したアメルに、瑪瑙は心配そうにユエルが去った方向を見つめて抱えているワッフルを抱きしめた。かさり、と袋が乾いた音をたてて皺がよる。しかし、だからといってもう行ってしまったあの子を追いかけるわけにも行かない。そこまで深く関わっても、どこまで面倒見きれるか判らないし、有る意味ここら辺が妥当な線だろう。
「・・・ケケッ。案外、あのメイトルパの獣人も、召喚師に手酷いことされたのかもな」
「そんなのっ」
「じゃなけりゃあんな反応しねぇだろうが。だから、召喚師ってのは最低なんだよ」
最後は吐き捨てるように言ったバルレルに、マグナとトリスが息を詰まらせて言葉を喉の奥に押し込んだ。座ったままその光景を半眼で見つめ、肩を落として立ちあがる。
瑪瑙の持つ袋に手を突っ込み、ワッフルを一つ取り出すと無造作にバルレルの口に突っ込んだ。
「むぐぅっ?!」
「まあ、確かにその可能性もあるけど、案外些細な喧嘩かもしれないじゃない?そういうのって、こじれると中々仲直りとかできないもんだし・・・それに、ここで私達が考えててもしょうがないことだしね」
唸るバルレルをスルーしながら、肩を竦めて言い繋げばトリスとマグナは顔を見合わせ、こくりと頷いた。
「そうだね。ただの喧嘩かもしれないよね」
「そうそう。それよりさっさとワッフル食べない?折角買ってきたんだからさー」
もごもごと言っているバルレルの背中を、ハサハが撫でてあげるという微笑ましい光景を視界の端に捕らえつつ、瑪瑙の持っている袋を指差して首を傾げる。それまでどことなく暗かった空気が、その瞬間ぱっと明るく切り替わった。トリスが満面の笑みで瑪瑙に振り向く。
「そうよね!気にしててもしょうがないし、ワッフル食べちゃおうっ」
「ですね。えーと、確かトリスさんのはこれですよね?」
「ありがとアメルっ。はい、お兄ちゃん」
「ありがとうトリス。ハサハもほら」
「・・・ありがとう・・・・・・・・・・」
リレーのようにワッフルを渡し合うのを眺め、袋に残った最後を取り出して二つに割る。バルレルの分はバルレルの口に突っ込んでるし、なんら問題はない、と。今だもごもごしているバルレルを一瞥し、それから割った片方を瑪瑙に差し出す。
「はい。瑪瑙」
「え?い、いいよちゃんっ。ちゃんが全部食べて?私、さっきギブソンさんのケーキ食べたばっかりだし」
「いいからいいから。皆食べてるのに一人だけ食べてないってのもなんかあれだしね」
「でも・・・やっぱり、私はいいよ」
「気にしなくていいの!どうせ私も帰ったらケーキあるんだろうし、ね?」
「う、ん・・・でも」
「はいはい。さっさと食べよ?二人で食べたほうが美味しいし」
渋る瑪瑙に無理矢理ワッフルをもたせ、軽くウインクを投げてワッフルを口に含む。カスタードの甘みとフルーツの酸味が口内に広がって、ワッフル生地の柔らかさが舌の上にふんわりと乗る。美味しいなぁ・・・やっぱ甘い物はどこでも共通の美味しさなのだろうか。噛みながら咀嚼して、瑪瑙をみればワッフルをじっと見つめて、それから軽い苦笑を零してワッフルを齧る。・・・・美少女と甘い物ってこの上なくマッチしてるよな・・・・。
ちょっとCMとかに使えそう、なんてことを考えながら、私達はゆっくりとワッフルを堪能した。