ミッション・コンプリート 1
その命に、今それほどの価値など無い。
※
片手にレジャーシートを抱え、瑪瑙の片手にバスケットを抱え。唖然としている面々などお構いなく、ミモザさんは腰に手をあててパッチリとウインクを飛ばした。
「今からピクニックに行くわよー!」
嬉々として告げられた言葉を、一体どれだけの人間が理解し得ただろうか。口をあんぐりと開いて呆然としているネスティを視界に入れつつ、この手できたか、と私は内心でミモザさんの手腕に感心していた。こんな切りだし方、ミモザさんぐらいしかできないもんなぁ。一拍ほどの間を置いて、衝撃をやり過ごしたネスティが信じられない、と顔に書いて眉を潜めた。
「本気なんですかっ?ミモザ先輩」
「本気も本気、大真面目だけど?」
「こんな状況で街の外にピクニックに出かけるなんて・・・」
「まったくだぜ。なに考えてんだよ、この女は・・・」
渋い顔をして唸るネスティとリューグに、当然の反応だわな、と頷いて事の成り行きを見守る。まあ、なんというか、提案したの実は私だし。手段は任せる、と言いはしたが・・・。乗り気じゃない二人に、ミモザさんは軽く首を傾げてきょとん、と言葉を返す。
「どうして?天気はいいし、絶好の行楽日和だと思うけど」
飄々と、どこか問題でも?と言外に含んで言ってのけるミモザさんに、わずかに鼻白んでネスティはキッと目尻を吊り上げた。
「そういう問題じゃないでしょう!!僕たちは今、狙われているんですよ。なのに、のこのこ街の外に出ていくなんて」
敵の餌食になるつもりか、と眉を寄せて渋面を作るネスティの正論に、けれどミモザさんは大して堪えた風もなく、肩を竦めるという一動作で流して、また正論で返した。
「じゃあ、聞くけど。街の中にいたら絶対に安全なわけ?」
「それは・・・っ」
痛切な一言に、一気にネスティの言葉尻が濁る。視線を泳がせて言いあぐねるネスティが哀れにも思うが、計画発案者としては口を噤むほかない。大体今回それが目的だし。
加担するべきは自分の意志がより含まれている方であり、そして私の意志はミモザさんの意志。ネスティにはここで撃沈してもらおう。
「まあ、どこにいようと、連中が襲ってこない保証はねーよなぁ」
「たしかにそうだけど、でもねえ・・・」
遠まわしに援護射撃をするフォルテとケイナに、鋭いネスティの視線が向かう。フォルテとケイナには計画を話してあるし、怪しまれないようにしてもらう為の射撃である。
うむ。ナイス演技。リューグの心底面白くなさそうな渋面を視界に収め、私はレジャーシートを持ちなおした。さて、んじゃまぁこんな事で時間食ってても無駄だし、時は金なり、さくさくっとネスティとリューグを撃墜しますか。
「それにさぁー家の中にずっといてビクビクするよりも、外に出て少しでも気分転換した方が気持ち的にも楽だと思うけど。鬱々としてたら精神的に死ぬよ?」
「確かに。それに・・・アメルちゃんと私、お弁当ももう作ってしまったの。ね、アメルちゃん」
「あ、はい・・・たいしたものじゃないですけど、一応は」
ニッコリ笑顔の瑪瑙と、おずおずと答えるアメルに、リューグがぐっと言葉を詰まらせた。ネスティも自分の精神状態は一応把握しているのか、顔が苦々しいものの、唇を噛み締めて反論はしてこない。なにせ一度悶着起こしたばっかりだものねぇ?心当たりがありすぎて反論する余地がないと。チラリ、と目配せすると、心得たようにミモザさんは頷いた。
「ほらほら、男ども。これでも行きたくないって言えるわけ?」
「う・・・」
「それは・・・」
気色ばむ二人に、トリスがぼそっと「なんて強引な・・・」と零す。隣でマグナが乾いた笑いを零しているのを横目で見つつ、すでに撃沈されかけている二人に最後の止めを刺すため、私はミモザさんの肩をぽん、と叩いた。
「ミモザさん。援護しときながら言うのもなんですが、そんなに虐めてあげないでくださいよ」
「。でもねぇ」
「しょうがないですって。無理強いしてもこちらが心苦しいだけですし、行ける人達だけで楽しみましょうよ。ほら、アメル達は行くんだし。ね?」
「うん。楽しそうだもの」
「そうですね。お弁当も無駄になっちゃいますし」
くるりと後ろを向けば、瑪瑙は微笑みながら頷き、アメルも瑪瑙とお揃いのバスケットを持った手を少し持ち上げて小首を傾げる。言っておくが、私はこの二人に計画について話したわけではない。まあ、私の言動が二人をおびきだす、ということには予想がついているかもしれないが。私達の言葉を聞いて、ミモザさんはしばし考えると頬に手を添えて吐息を零した。
「そうねぇ・・・。確かに、行きたくもないのに無理に誘っても楽しくないでしょうし。ミニスちゃんも誘ってる手前、今更中止なんてできるわけないし・・・どうしてもイヤならしょうがないわ。私達だけで楽しんでくるしかないわねー」
「う゛っ・・・」
「そうですよ。嫌がる相手に無理強いする必要なし、私達だけで楽しんで、二人にはお留守番をしてもらうってことで」
「ぐっ・・・!」
「そうね。それじゃあ二人がアメルちゃん達のこと心配で心配でお腹痛めてても、二人が家の中にいること選んだんだし、私達には知ったことじゃないわねー」
「う゛う゛ぅ゛・・・っ」
「ですねぇ。二人が一緒に行くことを拒否したんですから、なにがどうなってても二人に意見する権利はない、ということで」
「うぐぐ・・・・!」
胸を押さえて悶絶する二人に、ざくざくと無慈悲に槍をブッ刺し、あはは、うふふ、と朗らかに笑みを交し合い(マグナの脅迫してるよ・・・!という台詞は軽くスルー)私達はトリスとマグナを振り返った。
「ねー?二人共」
「私達だけで楽しみましょうね」
「「え゛っ」」
「じゃ、そういうことで二人はお留守番に決定、と」
「頼んだわよ。私達は楽しんでくるから」
「え、ちょ」
「俺達も共犯者ですか?!」
うろたえる兄妹の意見なんぞ無視し、名残惜しそうな顔もせずに、爽やかな笑みで最終通告を下した私達に、二人が白旗をあげたのはすぐのことだった。それはそれはもう悔しそうなというか一切合財の恨みが込められた顔だったが、まあそんなものが私とミモザさんに通じるわけもなく。二人の恨みがましい視線もなんのその、むしろ逆に清清しい笑顔でピクニックへと乗り出した。
「鬼だ・・・鬼がいる・・・・」
「うぅ・・・絶対ネスに恨まれるよぉ・・・」
巻きこまれた形となった、兄妹の恐れ戦く呟きを後に残して。
※
月並みな台詞だが、それは艶やかな潤いをたたえた新緑の絨毯のようだった。
湿気はほどよく空気を湿らせ、不快ではない程度に潤いを与え、目にも優しい豊かな茂みが青々と風に踊る。広がる風景は広く大きく遠くまで見渡せ、その雄大さにリィンバゥムの自然の豊かさを感じた。地球で言うならマイナスイオン大放出、といったところか。
ふわふわとした足元の感覚になんとも不思議な気分になりつつ、ほぅと吐息を零した。
「これがフロト湿原ですか」
「そうよ。ステキな所でしょ?」
「はい。とっても!」
吐息混じりに零せば、ミモザさんは微笑みを浮かべて軽い調子で答え、瑪瑙が薔薇色の頬をより赤く染めて力一杯頷いた。私としてもその発言に否やはないので、こくりと頷くことで同意を示し、フロト湿原の穏やかな光景に目を奪われる面々に視線を流した。
しっかしまぁ、なんというか・・・・自分の根底が異世界であるからの感想だが、改めてみて奇妙な集団だな、と一人思う。大地や空、太陽に月、そういった自然のものにそう大きな違いがないからこそ、そこにいる人間にとても奇妙なズレを感じる。地球と変わらない風景に、なんともファンタジーな格好をした、武装する集団。内、ロボットだったり、獣人だったり、妖狐だったり、悪魔だったりがいたりするわけだが。
「なんか、こういう日常を見ると、微妙な気分になるわね」
「そうだね・・・傍にいる人が、違うから」
呟くと、瑪瑙が神妙に頷き目を眇める。マグナ達に向けられているようで、その実もっと遠くを見つめる瞳は微かに潤みを帯びた。決して零れることはないが、飴色の眼差しに映るのは遠い故郷か。それとも、あの報われない男共か。瑪瑙の視線の先を追い、まざまざと瞼裏に浮かぶ超個性的集団に失笑を零す。なんだろう。普通、異世界といえばその世界の個性に戦くはずなのだが、ぶっちゃけ元の世界の人間のほうが個性が強い気がする。
・・・ある意味、その個性のおかげでこんなにも簡単に順応できたとも言えようが。感謝するべきなのか、普通でいられなかったことに嘆けばいいのか。複雑だ、とぼやいてぐしゃりと前髪を握り締めた。別段ショックを受けるわけでも、望郷の念にかられるわけでもない・・・なんとも薄情な話だが、さして感傷に浸ることはなく、けれど確かに自分が培った物との違いは、調子を崩す。格好に違和感があるだけで、中身自体に相違などないのだが。
きゃあきゃあとはしゃぐ面々を後ろから眺め、草を踏みしめて首を傾げるミニス達にフォルテの注釈が入る。その前にレオルドが何か言おうとしていたのだが(会話の流れから察するに、フォルテと同じことを言うつもりだったと思われる)見事に流され、マグナの屈託無い問いかけになんとも寂しい答えを返していた。やけに背中に哀愁を感じる・・・。
「あーと、レオルド?」
「ハイ」
「なんでこんなに足場がゆるいのか、知ってる?」
「・・・・・・・・・先程ふぉるて殿ガ話シテイマシタガ」
「そうなの?ちょっとここ離れてるから聞こえなかったわ。ね、瑪瑙」
「え?あ、うん。私は話し自体聞いていなかったから・・・そういえば、どうしてこんなにふわふわなのかしら?」
はっと気がついたように目を瞬かせ、苦笑交じりに少しだけ頬を染めて、上目遣いに瑪瑙がレオルドを見上げる。故郷に思いを馳せていた瑪瑙には、先ほどの彼等の会話は耳に入っていなかったらしい。いいフォローだ、自覚はなくとも。レオルドは特に反応は起こさないが、ウィーンと静かにモーター音をさせて、私達を見下ろすと合成音のような声が聞こえた。
「地面ト草ノ間に、水ガ溜マッテイルカラデス。ソノセイデ地面ガ緩ミ、足場ガ沈ミ安クナッテイルノデス」
「なるほど」
「すごい、レオルド君。博識なのね」
「ソンナコトハアリマセン。でーたヲ検索スレバスグニ出テクルモノデス」
「それでも、私はそれを知らなかった。そしてそれをレオルドに教えた貰えた・・・レオルドの知識の賜物でしょ」
「そうだよ。私達は知らなかったけど、レオルド君は知っていて、だから教えてもらえんだもの」
にこ、と笑った瑪瑙にしばらくレオルドは沈黙を守り、ポツリと小さく声を零した。
「・・・・・・・・・アリガトウゴザイマス」
それは、機械という割にはあまりにも人間らしい仕草で。もしも鉄ではなくその身体が生身であったのなら、俯いて頬を染めるぐらいの芸当をやってのけることができたのだろうか。
微笑ましい気持ちになりながら、軽くレオルドの身体を叩いて緩い大地を踏みしめる。靴底を受けとめる草のふんわりとした弾力に、闘いの足場としては難有りかな、と感想をつける。足元を見れば、踏みつけた後にじわじわと水が染み出してきていて、これがこの足場の原因なんだなぁとしみじみと思った。もっとも、重装備であるものにとっては最悪だが、私達はそこまで厳重な装備をしているわけではないので、難有りだがやってやれないことはない、といったところか。出来うるなら、さっさと現状打破のために出てきて欲しいところだが、ここまでほのぼのされてる時に、そんな無粋な真似はして欲しくないような。
自分で計画したことながら、この穏やかな光景を阿鼻叫喚に変えるのは、いささか心苦しい。まあ、出てこないかもしれないし、と内心でケリをつけて、うん、と伸びをした。
「このフロト湿原はね。見習い時代の頃からの、私のお気に入りの場所なのよ。ここでしか見られない動植物も多くてね。観察するために一日中入り浸ってたわ」
不意に飛びこんできた懐かしそうなミモザさんの声色に、揃って顔を向ければ目を細めて湿原を見渡している姿が見える。その横でへぇーと感心したように声を零すマグナ達もおり、私にしてみりゃここの動植物は皆不思議生命体だが、と一人ごちた。
こう、全体的に見ればなんら地球と変わり無く見えたりするものだが、その実細部を見渡せば違うわ違うわその生命体。何気にはぐれ召喚獣も幅効かせてたりして、ほのぼのなのかデンジャラスなのか判断つけかねる。が、別に自分と瑪瑙に被害がなければ問題はないだろう、ということで自分の中では「どうでもいいこと」に分類してある。知っていて損はないが、進んで満たす気もないのだ。こういう時、科学者ってすごいなぁと思う。
いや召喚師は科学者とは違うんだろうけど。それに、今は本当に必要なことだけを満たしていけばいい。雑学はもっと余裕を持ってからだな。ん?
「・・・・・・・・・・なんか、変わった生き物が・・・」
「え!どこどこっ!?」
林の奥の方になんか(自分は)見たことの無い動物の影が見えて、ぽつりと呟けばミモザさんが目を輝かせて問い詰めてくる。その迫力に、知的探求心が刺激されたか、とのんびり思いつつ、ついっと指を向けた。
「あそこにいますけど、私が知らないだけであってミモザさんは知ってるかも・・・て、ミモザさーーーん!?」
「ちょっと観察してくるから、あとのことはよろしくねぇ!」
言うな否や、人が止める間もなくさっと身を翻すとえらいスピードで駆けて行く後ろ姿に、思わず伸ばしかけた手で握り締めを繰り返す。あっという間に見えなくなったミモザさんに、肺に溜まった息を大きく吐き出してわきわきと握り締めを繰り返してた手で頬を掻いた。
「・・・・・・・・・・・・行っちゃった・・・・・」
「やれやれ、困った人だ」
「どうすんだよ、おい?」
「どうしようもこうしようもないでしょ。まあいいんじゃない?どうせ今回息抜きのつもりでもあったし」
「の言う通りね。ここからは、それぞれ自由行動にしましょうよ」
困惑したように顔を見合わせるトリス達に軽く肩を竦めると、ケイナがにこやかに言い放った。その言葉に、僅かに逡巡したあとトリスとマグナが二人で顔を見合わせる。ネスティとリューグは眉を顰めたが、そこにフォルテがぐだぁ、とした様子で割って入った。
「それはかまわねーが、オレとしてはその前に腹ごしらえを・・・」
「私も、お腹ぺこぺこ」
「そういえば、もうお昼時ね。わたしもお腹が空いたかな」
「そうねぇ。アメル」
「はぁい。それじゃまずはみんなでお弁当にしましょうね」
にっこりと、アメルは両手でバスケットの取っ手を持ち胸の前で掲げて見せた。同じように瑪瑙がバスケットを抱えると、私は後ろを向いてレザーシートを持っているバルレルの手からそれを取り上げる。
「ご苦労様」
「おう」
ぽん、と頭を叩くと、僅かに眉が顰められたが、もうあえて反論する気もなくなったのか、仏頂面で返される。何故バルレルがレジャーシートを持っているかといえば、別に私が押しつけたわけではない。本人が持つと言い出したのだから、まあこれぐらい、さしたる重みでもないから子供が持っても問題はないだろうと考えて持たせていたわけだが。いや、実際を言うなら恐らくバルレルの年齢は「子供」とは言えないかもしれない。悪魔の年齢なんぞ知らんしな。
ともかくも、赤いレジャーシートの端を持ち、ばさっと音をたてて翻すと大きくシートが広がり、ふわりと緑の絨毯に舞い落ちる。手伝うようにレシィがもう片側を持つと、整えて地面にレジャーシートを広げてみせた。結構な大人数なわけだが、それなりに余裕を持って座れそうな広さのシートに満足そうに頷き、フォルテが意気揚揚と声をあげる。
「やぁっと飯が食えるんだなぁ!」
「情緒がないわねぇ・・・」
心底嬉しそうに声をあげるフォルテに、ケイナの呆れた溜息が吐き出され、その様子にくすくすと笑い声を零す。どっかりと赤いシートに胡座をかいて腰を据えたフォルテにならい、各々がレジャーシートに腰を下ろす。
真中に置かれたバスケットを取り囲むように円形に座り、このお弁当はミモザさんの分も残すべきかなと思案しながら、私はシートの下の草の柔らかな感触に、口元を緩めた。座り心地がいいなぁ、ここ。バスケットの蓋をあければ、即興とはいえ中々豪勢な中身が飛び出して、アメルの仕事に感嘆の息を零さずにはいられない。レシィや瑪瑙も手伝ったと言うし(その時私はピクニックその他諸々の準備の為倉庫にいたりした)突発にしては本当見事なお弁当に、ミニスとトリスがきらきらと顔を輝かせる。
しかし、やはり芋料理が多かった。どこかに必ず含まれる一品は芋であり、どこまで芋好きなんだと思わずにはいられない。さっさと食器を取り出して並べていくアメルがひょいひょいと適当に食べ物を(芋がやっぱ多い気が・・・)見繕って皿に乗せ、至極満面の笑みでそれは私の前に差し出された。
「はい、さん。どうぞ」
「あぁ、ありがとうアメル」
お皿にてんこもり、ということは流石にないが、それでもやはりやや多めの量に内心で苦笑しつつ、笑顔で受け取る。じと、とした視線が複数向けられたがそれは気持ち良く無視の方向で終わらせた。その間にもケイナがフォルテに料理を取ってやったり(熟年夫婦のようだ)レシィがトリスに料理を差し出したり、マグナがハサハに取ってあげたり、ネスティはマイペースに自分の取り分を皿に乗せていったり。
リューグの分は私に料理を差し出した後、アメルが取ってやっていた。そこには長年の家族の関係がまざまざと見え、そういえばこんな風に食事することはアメルとリューグには本当に久しぶりなんだろうな、と思った。
世間話ついでにアメルがレルムの村でどのような扱いだったかとか、そういったことはおおまかに聞いている。悪い扱いなわけではなかったが、むしろ良い扱いなのだが、それも度を越せば敬遠だ。敬いながら遠ざける、なんて寂しい聖女の椅子。どうせならここにロッカとあの筋肉の盛りあがりが芸術的な、果たして本当に老人なのかと言いたいアグラバインさんがいればさぞかし嬉しかっただろうに。家族がいれば、アメルの精神が悲鳴をあげることも少なくなるだろう。まあいないものはいないんだし、しょうがない。私にはどうしようもないことであり、そんな希望は口に出すこともない。あっさりとつけた見切りはやはり他人事だからなんだろう。可哀想に、なんて同情をくれてやるつもりもしてやるつもりもなく、ぶっちゃけ可哀想なのは私と瑪瑙も同じなのだから、とぱくりと卵焼きを頬張った。
アメルとリューグは村を、私と瑪瑙は世界を、奪われた。不幸競争なんてするわけじゃないが、というかそんな不毛どころがただ虚しすぎるだけの競争なんてしたくもないが、どっちもどっち、だろう。別に不幸だと思っているわけでもないし。運は悪かったな、とは思うけど。ポテトサラダを口に運び咀嚼し、舌鼓を打ち、口元を緩めた。うん。美味い。
「綺麗な景色に穏やかな日差し、のんびりとした空気の中で皆でお弁当。料理が最高に美味しく感じられるシチュエーションね」
「同感だわ。こんな中で食べるお弁当なんて、幸せね」
「うん!本当、美味しいよ」
言えば瑪瑙がほっこりとした笑顔で頷き、マグナがニコニコと緩みまくった頬でぱくり、とおにぎりを頬張る。穏やかに談笑しながら着々とお弁当の中身が減っていった。
ぱくぱくと大口あけて食べていくフォルテをケイナが横目で咎めながら、負けず劣らずリューグもぱくぱくと食べていく。その様子を嬉しそうに見つめるアメルの横顔にチラリと視線をやり、瑪瑙から差し出されたお茶を受け取ると喉に滑らせて嚥下する。後味をすっきりとさせて区切りをつけると、さわさわと草木を揺らして風が通りぬけた。心地よい風だった。
「うーん。お弁当も食べたし、そろそろ各自で適当に動きますか」
「そうね。お腹も一杯になったことだし」
ゆっくりと切り出すと、トリスも同意をし、しかしどうしようか、などと首を傾げる始末。まあ、実際どうしよう、だろうけども。フォルテとケイナは早速というか、二人でなんか連れたってどこぞへ行ってしまったが。なんだかんだであの二人、本当にいい仲だなぁ。
こんなことを言えば確実にケイナが激高するだろうが。そしてフォルテはにやにやと笑うのだろう。うわぁ、簡単に想像がつく辺り随分と私も彼等に馴染んだものだ。(ただ単に行動が単純だという説もあり)そんな中、この居心地のいい空間で何をするか、と話しているマグナ達を尻目に、おもむろにリューグが立ちあがった。その動きを目で追いかけると、アメルがこてんと首を傾げる。
「リューグ?何処にいくの」
「・・・すぐそこで鍛錬してくる」
「えぇー?!ここに来てまで鍛錬?」
「うるせぇな。俺が何処で何しようが俺の勝手だろうが」
声をあげるマグナに煩そうに眉を潜め、ぶすっと不機嫌そうな顔で正論をぶつけるリューグにしゅん、とマグナの犬耳が垂れる。本当に犬耳があるわけじゃないけど、イメージ的にそんな感じ。しかしまぁ、熱心というか無粋なというか。自由行動、と言った手前制限することは出来ないが、ここまできて鍛錬に精を出す、というのも如何なもんかと。
「ゆっくりすればいいのに・・・」
「自由なんだろ。好きなようにさせてもらうぜ」
残念そうに呟いた瑪瑙に、いささか決まり悪げに目を逸らし、それだけを言い残すとリューグは斧を抱えて背中を向けた。その背中を目で追いかけつつ、よっこらせ、と年寄り臭い声を出して私も立ちあがる。
「あれ?も何処か行っちゃうの?」
「んーまーその辺散歩してこようかな、と。折角目新しいところに来たんだし、色々歩き周りたいでしょ?ミニスも散歩すればいいよ、気持ちいいだろうから」
横に座っていたミニスが首を反らして見上げてくるので、ぽんぽんとその金髪の頭を軽く撫でて背筋を伸ばした。
「あ、なら私も一緒に行くわ」
「そう?なら二人で行こうか。トリス達はどうする?」
すくっと立ちあがった瑪瑙がとてとてと寄ってくるのを待ちながら、顔をまだ座っているトリス達に向けると、二人は一瞬考えてそれから首を横に振った。
「折角だけど、もう少しここでのんびりしときたいんだ」
「そう。判った」
確かに、この気候ならここでのんびりもしたくなるだろう。頷いて、私達はマグナ達に背を向けた。さて、散歩といえば無目的。適当にぶらつくか、と考えて本能の赴くままに足を進めていく。あまり瑪瑙との会話はないが、それでも二人を包む空気はとても晴れやかで、そして穏やかだった。沈黙なんて大した苦ではない。むしろその沈黙が心地よく、目を細めると横でのんびりと歩いてそよ風に髪を遊ばせている瑪瑙を見た。
「いい風ね」
「そうね」
淡々とした遣り取りの中に例えようも無い安心を含ませて、口元が綻ぶ。気持ち良さそうに目を細めた瑪瑙は、太陽の光をさんさんと受けながら湿原を見渡した。
「なんだか、こうしてると全部が夢だったみたい・・・」
「かけ離れてるからねぇ」
「うん。本当、その通りだと思うわ。全部が、夢のよう・・・それとも今が夢なのかしら」
「さあ。でも、夢なら別に夢でいいんじゃない?こんなに気持ちいいんだから」
「そうだね。・・・・あら?」
口元を持ち上げて緩やかに笑みを浮かべた瑪瑙が、怪訝な声をあげて首を巡らせる。その視線の先を追うように私も首を動かせば、光景と共に風を切る重たい音が耳に届いた。緑の中に目立つ赤色の触角。トゲトゲしい格好をし、斧を両手で持って素振りなんかしちゃってる、それは鍛錬してくると言い残して去ってしまったリューグに他ならず。
しっかりきっかりとアメルが視界にいる場所で鍛錬してるリューグに、呆れて溜息を零した。本気で鍛錬しちゃってるよ、この男。声をかけるか否かで逡巡していると、その間に瑪瑙が笑みを浮かべて話しかけた。
「リューグ君」
「あ?」
ブォン、と音をたてて振り下ろした斧が止まり、額に汗を浮かべたリューグが振り向く。重たそうだなぁともっともなことを思いつつ、声をかけてしまったからには仕方なく肩を竦めてリューグに足を向けた。瑪瑙は一足先にリューグへと近寄り、円らな飴色の瞳をくるくると動かして細めた。
「頑張ってるのね、リューグ君」
「・・・・何時奴等が来るかわからねぇからな」
「難儀なものねぇ。そんな何時までも気を張ってたら、いざって時にやってられないわよー?」
一瞬迷惑そう、というかどうしていいのか判らないように眉間に皺を寄せてから、ぷいっと顔を逸らしたリューグに、軽い調子で言葉を重ねる。手の甲で額の汗を拭いながら、リューグは再び斧の柄を握り締めて振り上げた。
「俺は別に息抜きなんか必要ねぇんだよ」
ぶん、と、風切り音がする。ふわり、と振り下ろした反動で巻き起こった風に瑪瑙の蒸し栗の髪が揺れ、草がさわさわと音を奏でた。
「でも、楽しむことは必要だと思うわ」
「お前等にはな。戦いなれてない連中に、いつ襲撃されるかわからねえ今の状況はきつすぎる」
「ほぅ?」
無表情に素振りを繰り返すリューグの一言に、軽く眉を動かして目を眇めた。リューグは、声を洩らした私に横目を向けて、それから前をみると素振りをしながら口を開いた。
「誰だってそれぐらいわかるぜ。白々しいぐらいだったしな。こんな不安定な状況じゃ、下手をすりゃ戦う前に神経がすりきれる。あの眼鏡野郎が良い例だ。無理にでも息を抜かせないともたねえ。だから、ちと強引なやり方だがあの女はこんな無茶やらかしたんだろう?」
そこまで言いきって、リューグは再び斧を下ろして私を見た。鋭い眼光に、小さく肩を竦めて笑みを口端に浮かべる。否定も肯定もしない私に、溜息を零してリューグはぐしゃりと前髪を掴んだ。
「どうせ、この件にゃお前も一枚噛んでるんだろうが。」
「ノーコメント、としておきましょうか。一応」
不敵な笑みを浮かべて飄々と言い退けると、気分を害したようにリューグが顔を顰める。
いい線行ってるけれど、それだけじゃあないんだな、これが。確かに、この計画は皆の息抜き、というのも理由には入っている。作戦会議の時に、別に口に出して言わなかったが外に出るということは、それなりにそういうものも含ませているつもりだったのだ。
もっとも、大本の理由は別のところにあるのだが。その過程で息抜きできるなら一石二鳥、そんな意味も含ませてミモザさんに、作戦の実行を頼んだのだから。
「でも、それとこれとは違うんじゃない?私達はリューグは休まないのかって話をしてたつもりだけど」
「なめてんのか。俺を素人連中と一緒にしてんじゃねえよ。自己管理ぐらいできる。他人のことより自分のことを考えるんだな」
「でも・・・」
「俺は戦い方を少なからず知ってる。俺の役目は、アメルを守ることだ。だから、俺はここに楽しみにきたんじゃない。あいつ等が安心して過ごせるようにしてやりたいだけなんだよ」
つん、と顎を逸らして、笑顔で話しているアメル達を見るリューグに苦笑を零す。だから難儀だというのだ。瞳に宿る慈しみに目を眇め、溜息を零した。自己管理が最低限出きることが、戦う者としての当然の配慮だが、だからといってこうしたときにまで真面目に取り組むのもどうなんだか。まあ、その警戒心はとても必要なんだけれど。実際、ここの連中そういう機能が鈍いのか、あんまり働いてなさそうだからなぁ。ネスティは別として。というかあれはあれで違うベクトルに警戒が向かってそうだが。
「ま、いいけどね。改まって口出すことでもないし」
「だろうな」
「うん・・・でも、無理はしないでね?」
やや心配そうに顔を曇らせる瑪瑙に、一瞬息を詰まらせてリューグは振りきるように背中を向けた。
「さっさとどっか行きやがれ」
「はいはい。行こう、瑪瑙」
「あ、うん。じゃあね、リューグ君。ほどほどに」
「あぁ」
短く返された返事を受けとめて、さっと外套を翻す。瑪瑙も一拍送れてリューグから顔を逸らし、私の横に並んで歩き始めた。後ろでブォン、と素振りの音がし始めるのを背中で聞きながら、もう一度呟きを零す。
「難儀な性質よねぇ。楽に生きられそうもないわ、あれ」
「アメルちゃんが大切で仕方がないのよ。ロッカ君との約束もあるんだろうし」
「ロッカねぇ・・・そういえばあいつ、今何してるのかしら?」
「アグラバインさん、無事見つけられたのならいいんだけど・・・」
そういって頬に手をあてて憂いるように吐息を零す瑪瑙に、空を仰ぐ。心地よいぐらい、爽快な青空だった。