ミッション・コンプリート 2
散歩をしている最中、瑪瑙がマグナ達に呼ばれて離れたあとふらふらと歩いている直後、それはまるで計ったかのように現れた人影に、軽く眉を顰めた。一度みたらまず記憶からの排除は無理に等しい、ハートを散りばめ、胸元が大きく開けて白い胸板が垣間見える衣服。本人の美意識というかセンスを大いに疑う代物だ。腰に巻きつけられている布が、歩くたびにふわりと靡き、同じように銀色の髪も背中で揺れて。深い紫水晶の瞳が、柔和に細められていた。
「おや、さんではありませんか」
女性のように繊細に整った顔立ちに、低い声が不思議と似合う。金の竪琴を抱えて、何でここにいるんだ、と疑問を覚える吟遊詩人がにこりと満面の笑みを浮かべて小首を傾げた。さくさくと草を踏みしめて近寄ってくるレイムに、身構えていた体の強張りを解いて、大きく溜息を吐き出す。なんというか・・・神出鬼没?
「レイム・・・なんでここに」
疲れたようにうんざりと、前髪をかきあげながら問いかける。諸々の緊張とか気構えとか一瞬で粉砕されて、なんか物凄い気だるい気分なんですが。肩を落とすと、レイムはにっこりと微笑んだままぎゅっと竪琴を抱きしめる。音をたてて肩口を、銀の髪が滑り落ちては揺れた。
「散歩ですよ。街の人に綺麗なところがある、と聞きましたので」
「ふーん」
「さんは何故ここに?」
「息抜き」
端的に答えて歩を踏み出す。すると、まるでそれが自然な流れのようにレイムが一歩ほど後ろを物静かについてきた。まるで従者のようにしずしずと、決して前に出すぎない位置で歩くレイムに眉を潜める。ついてくることは別にいいんだが・・まあ、瑪瑙達のところにいかせるのは憚られるし。ふとあの眼差しを思い浮かべて溜息を零す。絶対、レイムは瑪瑙の傍には連れていけない。もしもこいつが瑪瑙の近くにいれば、きっと迷いなく瑪瑙を傷つけるだろう。それだけは、させるわけにはいかない。しかし。
「なんでそんな位置にいるの?」
「お気になさらず。私が好きでこの位置にいるだけのことですから」
「・・・ならいいけど」
にっこりと満面の笑みで返されればそれ以上口を挟めるはずもなく、微かに口唇を震わせて噤んだ。出したくなる溜息を堪えて、前に向き直る。目に優しい緑に頬を緩め、さくりと草地を音をたてて踏みしめた。
さく、さく、と軽やかに足音がリズムを刻む。後ろで同じようなリズムでレイムの足音が聞こえて、重なったり僅かにずれたりして奇妙なセッションを生み出した。不意に柔らかな風が吹いて外套が煽られる。
チチチ、と可愛らしい鳥の鳴き声を時折小耳に挟みながら、あてもなく歩いて少し茂みから開けた場所に出た。足を止めて日差しの暖かいそこで軽く伸びをする。もうこの時には背後の存在なんてさして気にもしていなかった。
「気持ち良い場所ね」
「そうですね。心が洗われるようです」
呟きに返される物腰柔らかな言葉に、全くね、と返して腰を下ろした。ここは湿原からやや離れているせいか、水分が比較的少ないようだ。ある程度乾いた感覚にそう思いながらも、でも一応外套を下にして絨毯のような草の弾力を堪能する。ちなみに外套は防水処理が施されている優れものだ。物音がして視線を動かせば、レイムがゆっくりと腰を下ろしているところだった。優雅な仕草で座ったレイムは、竪琴を抱えてにっこりと笑みを向けてくる。白い・・・やや青白い、に近い肌色を、薔薇色に染めて、軽く首を傾げた拍子にさらさらと頬を髪が撫でていった。きらきらと、木漏れ日が重なり銀糸が一層煌く。
その中でレイムは竪琴の弦を一本、ピン、と爪弾いた。一音が高く鳴ると、震えて余韻を残す弦に手をあてて故意に振動を止め、レイムは伺うように問いかけた。
「折角ですから、何か一曲弾きましょうか?」
「そうね・・・じゃあお願いしようかしら」
「喜んで」
そういったレイムは、ほっと安心したように吐息を零して、嬉嬉としたオーラを飛ばす。嬉しそうだなぁと暢気に考えて、私は背中を地面につけた。頬を擽る草に、少しだけ身を竦めて。そうしていると、最初は躊躇いがちにゆっくりと竪琴の細い音が響き、ゆがて緩やかにリズムを描いて鮮やかな音が奏でられた。街の中で聞こえたあの不可思議な違和感はそこにはなく、ただ純粋な音がそこにある。不思議と伝わるものは柔らかく、嬉しそうに聞こえて。あぁこれだけ感情を如実に表す音も珍しいと、感心しながらそっと目を閉じた。
静かな湿原に、竪琴の澄んだ音色がとけていく。すんなりと耳に馴染む音は、危うく私をまどろみの中に引き込みそうなほど優しかった。以前の違和感などまるで嘘のように。
篭められたものの違いに感心と感嘆を落とすばかりだ。まるで本当の吟遊詩人のように。詩はないけれど、それを探すというのもあながち嘘ではないのかもしれない。
――――――人ではないものの探す詩とはなんだろう。
ぼんやりと考えながら、しばらくその音を堪能し、やがて最後の一音が高く澄んで余韻を残して溶けていった。ピン、と弾かれた弦は細かく震え、透き通るように小さくなる。
音の消えたそこは静寂に満ちたが、決して重くも不快でもなく、むしろ清涼として心地よい。そっと吐息が零れる音がする。切なげな吐息にピクリと耳が動き、僅かに衣擦れの音をも捉えた。視線を、感じる。決して逸らされることはない、強い視線。食い入るようなそれはいささか居心地が悪く、そしてあぁまたなのかと溜息を内心で零した。寝転がった状態で横に座っているレイムをみる。白い肌に繊細に整った顔立ち、輪郭を縁取る銀糸の髪はさながら月光のように冴え冴えと。私を見つめる眼差しは、恍惚を含んだ歓喜に満ちて。
腕に抱えた、奏で終わった竪琴が微かに力をこめて抱きしめられている。そんなものを向けられる云われはない。ましてやさして関わりもない吟遊詩人に向けられる類のものでもなく。それはバルレルが私に見せるものと酷似して・・・あるいは丸っきり同じものとして。似た者同士か?とそんなことを考えながらすっと手を伸ばした。
肩から滑って胸元で揺れる銀糸の一房を手に取り、不思議そうに首を傾げたレイムに微笑みを浮かべて。ぐんっと力をこめてその取った髪を引っ張る。力に誘われるままにレイムの上半身は傾ぎ、驚いたレイムの長い睫毛が瞬くのを近くで見た。片肘をついて上半身を僅かに持ち上げた私と、前屈みになったレイムの顔が、互いの吐息が聞こえそうなほどに近づく。互いの視線が交錯すると、レイムの綺麗なアメジストが見開かれ、一瞬で白い頬が赤く染まった。花開くように薔薇色に染まった白い頬に、これは立場が逆だな、と思いながら薄く口元に笑みを刷く。下から覗きこむようにして、私は囁いた。
「あんたは、私の何を知っている?」
問いかけに、レイムが息を呑んだように僅かに目を剥き、薄い唇が震えた。
相手のアメジストの瞳を見つめながら、そっと銀糸を口元に持っていって唇に触れさせる。弄ぶように戯れの口付けを銀糸に送り、そのさらさらと指通りのいい感触に会心の笑みを浮かべたまま、相手の答えをひたすら待った。疑問は容易く、首をもたげる。
人ではない、この男が、同じく人でないあの悪魔と同じ眼差しを、私に向けるその理由。私は異邦人。この世界と関わりなど持っていないはずなのに何故、そんなに求めるような眼差しが向けられるのか。まるで、私ではない私を求めているかのように。
ささやかな疑問に、戯れのように問いかけを向ける。今まで関わることもなかったであろう、知るはずも無かったであろう人間に対して、どうしてそんなにも心傾けて微笑むのか。
レイムは、髪に口付ける私を食い入るように見つめながら、うっとりと口を開いた。
「何も。・・・・何も。私は、貴方は知りません」
「ふぅん?そう。言いたくはないと?」
意味深長に返すレイムに、眉を跳ねて銀糸を掌から流した。滑り落ちて離れていく髪に、レイムは一瞬残念そうな顔をしてから、けれど顔の距離はそのままに笑みを浮かべた。穏やかに、静かに。ほんの少しの、悪戯めいた光を浮かべて。
「まさか!それを貴方が望むのでしたら私は容易く口を開きますよ。けれど、さん。貴方は今それを心から望んでいるわけではないでしょう?」
「どうして?」
「わかります。今の貴方はそんなことに興味などないと。戯れの問いであると・・・さして興味のないことを知っても、今の貴方にはただ邪魔になるだけでしょう」
そこで区切り、レイムは瞳を細めるとゆっくりと竪琴を抱えていた手を伸ばした。
細く綺麗な指先が、私の頬に触れる直前で止まる。それ以上はまるで侵せないのだと、戒めるように触れることなく指は輪郭をなぞるように動いた。
「私は貴方の益にならないことは言いません。ですから、その問いは今はまだ沈黙の中に。・・・・いずれ、知れることでしょうから」
そう言い残し、レイムは口を閉ざす。愛しげに目を細め、決して触れることのない指先で頬をなぞって。その境界線はなんなのだろう、と思いながら私は半分瞼を伏せた。
「いずれ知れること、か」
それは、バルレルも言っていたこと。レイムは、穏やかに微笑みながら頷いた。
「いずれ。そう遠くない未来の内に。もしも、貴方が真に知りたいと願う時は、全てをお話致します。私の知れる全てを」
「まあ、楽しみにしてるわ」
「はい」
にっこりと答えるレイムに、ふと私は彼にとってなんなのだろう、と漠然と思った。その問いも、私が真実願うのならば答えてくれるのだろうか。微笑むばかりのレイムに、そっと瞼を落とした。まあ、考えてもしょうがない。いずれ知れる、そう言ったのだ。
ならば、その知るときを待てばいいだけの話。幸い気は長い方だ。気長に待つのも一興だろう。もう一度落とした瞼を持ち上げ、レイムをみると薔薇色の頬を緩めて見つめていた。
そしてその愁眉がピクリが動き、顰められる。小さな変化だが、怪訝に思って語尾を上げた。
「レイム?」
「・・・いえ、あちらの茂みで何か物音がした気がしたのですが・・・たぶん、野兎か何かでしょう」
「ふぅん。まあここは自然が一杯だからねぇ」
そりゃ一羽か二羽ぐらい余裕でいるだろう。そういやミモザさんは今頃どうしてるんだろうか。
観察できたのだろうか、新種の動物。そう思いながら、颯爽と駆けてしまった女性の後ろ姿を思い浮かべた。
「さん、とても名残惜しいのですが・・・・私はそろそろお暇しなければ」
「あぁ、そう。じゃあバイバイ」
ぼんやりしていると、言い難そうに切り出したレイムに、あっさりと手を振るというオプションまでつけて言い渡す。あんまりここに留まられると巻き込んじゃう可能性もあるし、引き止めるわけにもいくまい。まぁ引き止める理由はぶっちゃけ皆無なのだが。名残惜しさもなく平然としていればその瞬間、レイムがなんとも情けなく表情を変えた。
「もう少しこう、残念そうというか寂しそうというか、そんな反応は・・・・」
「あー・・・・じゃあ、もう行っちゃうの?もう少しいればいいのにー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだか物凄く虚しいですね」
「棒読みだからね」
「・・・」
閉口してしまったレイムにくつくつと喉を鳴らし、やんわりと笑みを浮かべる。さめざめと今にも泣きそうだったレイムが、目を瞬かせた。
「また、会えるでしょ?」
口角を吊り上げて、頬杖をつきながら見上げる。レイムは若干目を剥き、次いでゆるゆると表情筋を緩めると周りに花を飛ばしながら頷いた。
「えぇ・・・勿論」
まるで子供のよう。喜びを溢れさせるレイムは、その後とても名残惜しそうに、思わずさっさと行けよ、と突っ込みたいぐらい何度も何度も振りかえりつつ、去っていった。
やっと姿が見えなくなって、息を吐く。なんというか、背中に漂う哀愁がまたなんとも言えなかった。
・・・寂しいとか全身で訴えてたなぁ、あれ。物凄くイイ笑顔で見送ったけど。(そして益々寂しそうだった)なんというか、レイムってなんの目的でここに来たんだろう、と改めて思いつつ。どさっと背中を草地に横たえて、目を閉じた。太陽のせいで真っ赤に見える瞼のまま、訪れた睡魔に抵抗などしなかった。