ミッション・コンプリート 3



 何かの本に、野宿するときは実は地面に横たわっていた方がよいとかなんとか、そんなことを書いていた気がする。ぼんやりと朧気な頭でそんなささやかな記憶を思い出しながら、意識が次第に浮上していく感覚に身を任せた。えっと、なんでだっけ・・普通、警戒する場合、皆座って寝てたりするものなんだけど・・・そのほうが動きやすいし、いざという時に対処しやすいから。まあそれは、浅い睡眠が前提として成り立つわけなのだが。
 夢と現実の狭間で記憶を手繰り寄せる。まどろみに浮き沈みを繰り返し、一つ呼吸を意識的にして。あぁ、そうだ。未だ瞼は開かない。ふるりと僅かに睫毛が震えるだけで。思い出した、と脳内で記憶が合致した。
 カッと閉じていた目が反射のように開く。そのまますかさず伸ばした手で黒いものを掴むと、冷たい鉄の温度が掌に伝わってきた。ビンゴ、と口角を吊り上げて、力をこめて引きずり倒せば思ったよりも簡単にそれは倒れた。予想外だったのだろう、草地に音をたててどすんと尻から倒れた相手に間髪いれず起きあがり、体勢を整え反撃される前にと上に覆い被さる。組み敷くようにその上に跨り、左足で肩の関節から二の腕の部位を、右手で左手首を押さえつけ、仰向けに倒れた相手の顔を真下に捕らえた。
 大きく見開く切れ長の目が視界に映る。掘りの深い、偉丈夫と称えることの出来る男らしい魅力に溢れた顔立ちに、赤ワインのような深い紅の髪が緑色の草地に広がり、なんとも言えず妖艶であった。外見だけでいうなら、文句なくイイ男だ。ヒュウ、と囃すように口笛を吹いて、にんまりと笑みを浮かべる。
 何故地面に横たわっていた方が良いのか――地面を介して伝わる足音を聞くため、これが理由だったな、そういえば、なんて、目の前で茫然としている顔を見下ろしてからかうように声を弾ませる。

「油断大敵ね、黒騎士さん?」

 揶揄するように言えば、男が、はっと気がついたように上に乗る私を退かそうと身じろぎするが、させまいとぐっと足と腕に力と体重をこめる。特に肩口の関節部位を踏みつけるようにしている部分は痛みを覚えるのか、僅かに愁眉が寄った。口惜しげに顔を歪めて、今にも刺し殺しそうな顔で私を睨む。背筋に震えが走るほど、鋭い力と殺意に満ちた眼光に、知らず口元が歪んだ。こんな眼光は初めてだ。恐ろしいと共にいい目をする、と感嘆の吐息を洩らす。太陽を反射する黒い鎧に、騎士という割りに白い肌が映えるのに目を細めた。
 この鎧は見たことがある。背中に広がっているマントにも、向けられる殺気にも。むしろ殺気の方が印象深いのだが、この黒い鎧。今の私達にとってそれは敵を表す願っても無い目印。紅の髪。血のよう、なんて陳腐な表現よりも、人を酔わせるような魅惑的な色。白い顔に据えられた切れ長の瞳に、薄い唇と顰められた眉がぞくぞくするほど色っぽい。綺麗な色彩を持つ男だと思った。どれもよく映えて、男の纏う雰囲気に益々何かを掻き立てる。うわー色男を組み敷いちゃったよ私!やっぱ立場逆だよね!表情にはおくびにも出さず、そんなことを思いつつ笑みを深める。まあ、組み敷かれてたらまずいから、この状況は喜ばしいのだけれど。それに、押し倒されるよか押し倒してみたいなーとか思っていたり。もう少し色っぽい事情で組み敷いてみたかったものだが、これはこれで貴重な経験だ。
 燃えるような敵意の瞳を正面で見下ろしながら、くつりと喉を震わせて空いている片手で左足の太腿を探る。手が目的のものを探り出し、迷いなく引き抜いて動けない男の喉元にそれをつきつけた。抜き身のナイフの刃が、白い喉に僅か、食い込む。薄皮が切れるが、血管には至らず血は流れない。それでも、男の喉仏が動いたのはわかった。男の顔がより厳しく強張る。瞳に走るのは何かを理解した光。頭もいいんだな。話が早く済みそうだ。まあ、でなければお話にならないが。なんて大物がかかってくれたんだろう、と今更ながら自分の運の良さ、でもこの場合悪さ?に笑いがこみ上げてくる。それを押し殺して、私はすまして口を開いた。

「さて、いくつか質問に答えていただきましょうか」
「・・・・・」
「沈黙は無意味よ。この状況ではなんの意味もなさない・・・まあ、死ぬ気なのなら別だけど」

 そんなことは有り得ないでしょう、と言外に含ませると、男は唇を震わせて引き結んだ。そして吐息を零し、唸る。

「いつ気づいた」
「貴方が近づいてきたぐらいから」
「何故」
「地面って振動伝えやすいのよねぇ」

 間延びした口調で答えると、苦虫を噛み潰したように男は顔を顰めた。格好いいのに勿体無い。まあそんな顔も絵になるけど。くすくすと笑って、見下す。そもそもが、そんなフルアーマーを着こんでいたら足音なんて消せないっつーの。どうやったって関節部位が擦れて音が鳴るし、体重は倍加するからこんな湿地帯じゃ動きにくいし。奇襲をかけるにはちょっとばかし、彼らには不利な条件がそろいすぎていたのだ。さておき、無駄話はこのぐらいにして。

「さて、貴方は黒騎士・・・便宜上の名だけれど、それの司令官様でいいかしら?」

 死ぬのを選ばないぐらいだから、それなりの地位にあるだろうことは予想がつくが。下っ端ならばあるいは死を選ぶかもしれない。けれど、上に立つ人間は、死を簡単には選べない。その下に、人がいるからだ。今いなくなれば、きっと私達を監視していた周りが混乱することは必至。生き延びなくてはならない責任と義務が、そこにはあるのだから。だから、これは半ば確信。何より、記憶にもまだ新しい出会いがそれを裏付ける。
 ていうか、レルムの村で対峙したあの悪趣味仮面の素顔がこんな美形だったことに驚きだ。何を思ってあの仮面にしたんだろう、この男。外見がいい男は得てして趣味が悪いのか?(某吟遊詩人やら元の世界の野球部員だとかetc...)沈黙でもってして肯定され、溜息を零す。まあここでそうだとか言われてもどうしよう、だが。答えが返されるなんて、期待してなかったし。とりあえず勝手にそう解釈しておこうか。

「ここからは沈黙はなしね。―――貴方は何処の組織の傘下?」

 一つ注意を置いて、少しだけ声を低くする。真剣味を帯びた声音に、男は表情を変えず息を漏らした。

「―――崖城都市デグレア特務部隊だ」
「デグレア・・・」

 って何処だ?生憎とまだリィンバゥムの地理には疎く、言われてもピンとこない。まあ、その辺りの講釈はリィンバゥム住民に聞くとして。それにしても厄介な。
 都市、と男は言った。それは国単位と判断するに容易な呼称であろう。あまりにも存在が大きい。まさか国単位でやってくるとは、思いも寄らなかった。そこまでアメルの能力は必要なものなのかと、眉を顰める。解せない。確かに貴重であるかもしれないが、人を癒す程度のこと、召喚獣でも出きる。国が発起して、村一つ潰すほどの魅力が何処にあるのか。
 前前から思っていたが、あまりにも不自然だ。アメルの聖女という名でも利用するつもりなのだろうか。・・・・なるほど。そちらの方がまだ納得できる。国としても使える要素はありそうだ。しかし、これはかなり厳しいな。

「理解したようだな。自分達が敵に回している物の大きさに」
「そうね・・・大分厄介なことになってる、と、理解はできたわ。それに」

 個人が相対するには、いささかどころがかなり厳しい背景だ。ふ、と息を零して口端を吊り上げた男に、神妙に頷きながらあっさりと返す。あまりにも言い方があっさりし過ぎたのか、男は眉を顰めた。どうせこれで僅かでも動揺すれば逃げ出せる、とか算段立ててたんでしょうけど、生憎とこの程度でどうこうなるほど軟い神経してないのよね。まあ、国相手ってのは頭痛のする思いだけど・・・仕方ない。事実は事実でしかない。嘘だとしても、それはむしろ望ましい嘘だ。それに、どうせそれがわかったとしてもマグナ達はアメルを見捨てはしないだろう。個人的には物凄く「さようなら」をしたいんだが。あぁ、厄介だ。面倒だ。神様ってのは理不尽だ。
 僅かの間伏せていた瞼を動かし、そっと息を吐く。怪訝な顔をしている男の目を見ながら、手首を拘束する手に力をこめて。肩を押さえつける足にも力をこめ、喉のナイフを僅か、食い込ませる。ぷつり、と皮が切れると、赤い玉がふつふつと浮かんだ。けれどその程度のことに動揺するほど、細い神経などしていないらしい。
 男は最初の苦々しさはあるものの、特に大きな反応もなく私を見上げている。あまりにも堂々としていて、真っ直ぐな眼差しは、信念を持っているように思えるのに。――――しでかしたことは、狂人といっても差し支えなど無い。嘲笑した。

「たかが少女一人に村一つを壊滅させる国なんて、狂ってるんじゃない?」

 冷然と、嘲笑うかのように囁きを落とした、その瞬間の男の変化は、あまりにもわかりやすすぎた。切れ長の瞳が見開き、唇が刹那戦慄く。掴む手首から、男が体中に力を入れたのが伝わり、低い声が地面を這いずるように掠れた声で、吐き捨てられた。

「っ黙れ・・・っ!」

 堀の深い丹精な顔に苦悶の影を落として。鮮やかな紅の瞳が、歪む。息苦しそうに喘ぎ、幼子のように視線が揺らぐ。

「・・・・・・」

 搾り出される声の痛みが、静けさに響く。落胆するほどに、如実に表れる感情の波。


 嗚呼。

 そうか。


 燃える暗い炎。紅の瞳に過ぎる翳り。微細に動いた筋肉によって表される、表情の意味。聞こえた慟哭は、一瞬で過ぎ去る幻のような変化だった。あぁ、だけどそれで十分。
 一瞬で余りある。見たものは一瞬だけれど、鮮烈な思いの一欠けらだったから。本人してみれば、気づかれたくなどなかっただろうに、それでも劇的なほどに揺れに揺れた動揺に、気づかないほど無能じゃない。

「・・・・自分の立場、判ってる?」
「っ」

 ひくん、と上下する喉。ナイフは今だギラギラと不気味に光を反射して。呆れたように零した溜息と言葉に、男はハッと目を見開いた。腕の力が強まり、視線をチラリと動かせば拳が固く作られていた。ともすれば振りほどかれそうなほどに強く。長くは無理だな、と冷静に判断する。少しだけ目を伏せ、もう少し自分が鈍くあればよかった、と少しだけ思った。
 動揺の意味なんて、別に悟らずともよかっただろうに。そういうことなのかとぼやきたくなったが、それは喉奥で潰して変わりにぐっと身を屈ませた。近くでみても、男の秀麗な美貌は損なわれない。いいね。至近距離でも見れる顔ってのは。いきなり、吐息がかかるほど近づいた私に、男は息を呑んだ。仰け反るように首を逸らそうとして、できずにびくりと筋肉が意志に反応するだけで終わる。至近距離で男の深紅の瞳を凝視し、綻ばせるように笑んだ。

「あのね、黒騎士さん。私の周りってさ、お人好しがたくさんいるわけで」
「な、」
「それもかなり重度な人の好さでね。色々とフォローとか大変なわけなのよ」
「なに、を」
「そういうわけで、アンタにそんな顔されると物凄く困るわけ」
「何を言って」
「気づかなかったらいいけど、気づいたら物凄く面倒なことになりそうなのよね。出きればずっとそのまま隠しておいて欲しいわ。私も知らないフリをするから」
「何を言っている」
「ん?あぁ、つまりね」

 顔を顰める男に、にっこりと微笑んで。黙った男に一言告げた。

「敵なら最後まで敵らしくしてろってこと」

 迷いのある顔見せるなってね。艶然と微笑めば、男は驚愕に目を見開いた。美形は驚いても美形だ。近かった顔を離していくと、男の口唇が物言いたげに戦慄く。
 薄く開いた唇の、暗い影から覗く赤い舌が震えて。食い入るように見つめてくる瞳に相変わらず笑みを浮かべた。さて、忠告はここまでにしてこの後は―――


バキュンッ!バキュンッ!バキュンッ!


 ・・・・・・・ジーザス!!突然の銃声にほぼ同時に視線が音の発生源に向かう。やや遠く聞こえる音に、離れすぎたか、と舌打ちして一瞬のうちに男の上から退くと、同時に男が振り払うように腕を動かした。一瞬逸れた意識に反応して反撃に出たのだろう。
 かといってやすやすと反撃を食らうはずもなく、さっと飛び退いて距離をとると、サバイバルナイフを握り締めて睨みつけた。男も機敏な動きで(あんな重そうな物着込んでる癖に)起き上がり、片膝をついた姿勢で私を見た。じりじりと距離を取りながら、ゆっくりと口を開く。

「どうやら向こうで面倒が起こったみたいだから、話しはここまでね」
「何故殺さない」
「死体を連れて向こうまで行くなんて真っ平御免だからよ」

 ていうかあっさり言いますけどね、私は今まで人殺したことなんてないんですよ。そう簡単にやれるかっての。まあそんな個人的事情なんて相手が知るはずもなく、睨みつけるようにして見てくる男に笑顔を一つ向けて、さっと踵を返した。それなりに距離を取っていたし、襲われることはないだろう。追ってくる気配もなく、私は茂みを疾走しながら浮かべていた笑みを消して盛大に顔を顰めた。

「ったくもう!予定通りとはいえタイミングが悪いっ」

 しかもちょっと予想外。司令官があそこにいるのに戦闘が始まるとは思わなかったわ。地面を蹴りながら湿原に向かってひたすらに走り、ばさばさと外套が大きく膨らむ。
 瑪瑙は心配だしミモザさんどこにいるかわかんないし、あの銃声ってゼルフィルドだよなぁ、と舌打ちをする。溜息を零したくなるのをぐっと堪えて、眉を寄せた。あぁ、なるべく早く現場に着きますように!





 漆黒の外套を翻し去っていく背中を見つめながら、喉に手を触れた。突きつけられていたナイフの冷たさが残っているようで、チリっとした痛みを覚える。
 指先についた血液を見つめ、血管に到達していたのか、とそう考えてから、唇を噛み締めた。

「何を、馬鹿なことを・・・」

 呟いて、目を隠すように手で覆う。喉から搾り出すように、低い唸り声が零れた。油断だった。してはならない失態だった。生かされたのは運がよかったのだ。組み敷かれるなんて、なんという失態だろう。上に立つものとしてなんと情けない。けれど、それ以上に目の前をちらつく、あまりにも深すぎる闇色の眼差しが、鬱陶しい。闇そのもののような瞳だった。
 恐怖を覚え、必死に遠ざけようとした闇そのもののような、無機質な黒さ。黒、というのすら憚られそうな。闇色の瞳で告げられた。白い肌の対比に合う、赤い唇で囁かれた。

「最後まで、敵らしく、などと・・・何故言うのだ」

 忠告のようだった。迷うなと言われたような気がした。自分の中の闇に気づかれたのかもしれない。不安を、疑問を、暴かれそうだった。

「馬鹿か、俺は・・・!」

 あんな小娘一人に、何をこんなにも。揺さぶられる自分があまりにも愚かしかった。
 低く悪態をついて、頭を振る。揺れる内心を必死に押しこめ――必死になっていることに少しだけ笑えた。

「いい加減にしろ、ルヴァイド・・・・俺は誰だ?」

 嘲笑を自分に向けながら、問いかける。自分で答えるために問いかける。俺は、俺だ。崖城都市デグレア特務部隊「黒の旅団」の総司令官であり、デグレアの騎士でもある。聖女捕獲の任務の為に、俺はここにいる。そう。惑っている暇はない。そんな暇はない。目的のためにこんなところで狼狽えることなど、あってはならないのだ。自分は、そんなことをしている暇など、ないのだから。そこまで考えて、息を吐いた。
 ゆっくりと天を仰ぐ。蒼い空であることに、安心した。

「ルヴァイド様!!」
「・・・・どうした」
「はっ。イオス隊長とゼルフィルドが独断で聖女一行と接触した模様です!」
「知っている。銃声が聞こえた。―――命令を無視しおって」
「どうされますか?」

 茂みから慌てた様子で出てきた部下に視線を向け、その手に自分のヘルムを見て取って少しだけ目許を緩める。伺うように緊張した面持ちで見つめてくる部下に顔を引き締めなおし、ヘルムを受け取り被りながら低く下した。

「行くぞ」
「はっ!」

 ばさっとマントを翻す。歩き出したところで、ふとあの娘の名すら知らないことに気づいた。気づいたが、だがそれがどうした、と一笑に伏す。知らなくていいことだ。どうでもいいことだ。
 敵なのだから、どうせ殺すのだから、これ以上深く関わることもないのだから。今後話すこともないだろう。今日のような失態などもう二度と犯すまい。
 注意はしよう。警戒もしよう。あの娘は危険だ。戦闘力があるのかはまだ判らないが、例えなくとも危険視するに足り得る人物だった。そう・・・対峙したあの時から。もっと危険視するべきだったのだ。あれだけの冷静さと頭の回転の早さに、もっと注意するべきだったのだ。危険人物として注意しておこう。だが、それだけだ。名を知る必要など、これっぽっちもない。だから。



 知りたいなどと、思うことはあってはならないのだ。