月下飛行 3



 身を捻った瞬間、横っ腹を唸りをあげて槍が過ぎていく。動きについていけなかった外套は膨らみ、槍の刃先に僅か触れたけれど抵抗などしない布を裂くまではいかなかったのか、特に問題はなかった。避けられたと判るや否や、イオスは槍を引くと再び踏み込み突き出してくる。迷いも躊躇いも何もない。あるのはただ殺意のみだ。屠る、その意思だけで突き出される切っ先に歯を食いしばり、大地を蹴ると更に横に逃れる。が、その動きを予測していたかのように、鋭く呼気をすると一拍の遅れで、槍は真横に薙ぎ払われた。
 細腕の癖に、軽々と片手で槍を薙ぐ姿は、流石男といったところか。迫る槍を、まだ抜けてもいない、鞘に収まったままの血桜を胸元まで引き上げて受け留めた。ぶつかり合う鈍い音と、遠心力により増した威力に、手が痺れる。踏鞴を踏んで回避しながら、一気に後ろに跳んだ。瞬間、先ほどまで私がいた地面に槍の軌跡が描かれる。更にもう一歩後方に退き、イオスの腕プラス踏み込み、そして槍の長さを考えても届かないだろう範囲まで逃げる。ぶっちゃけ、物凄く分が悪いと思うんですが。知らず詰めていた息をゆっくりと吐き出しながら、冷や汗しか流れない背筋に引き攣った笑みを浮かべる。リーチの差が有りすぎる。その上、イオスの実力は並大抵のものではない、とさっきの遣り取りで嫌と言うほど判らされた。(正直、避けられたのは奇跡に近い)経験も実力も、―――覚悟も。
 私が相対するには、いささかどころかかなり相手が悪い。張り詰めた表情で、再び槍を構えたイオスに、本気でどう対抗すればいいのかわからなかった。懐に入ればいいんだろう、という一般的なことぐらいは判る。槍はリーチが長い分、接近戦による小回りが利かない、ということぐらいはみてれば判るし、知識としてもある。しかし、しかしだ。簡単にそれが出来れば誰も苦労なんてしないし、途方に暮れることもなければ、こんなにも危険な目に合うこともないのだ。イオスの懐に入れるほどの経験も実力もないし、そして、最たるのはよしんば入れたとして、迷いなく血桜を振れるか、というところである。あぁ、だからこういうレベルが高い奴とやる前に、その辺の一般兵辺りで経験値を積みたかったのに!
 ていうか私は前線に出る気なんて、これっぽっっちもなかったんだけど!(そんなこと言ってられない状況だなんて百も承知だ)

「身のこなしは中々だが・・・そんな腕じゃ僕を倒すことはできないよ」
「あっはっはっ。手応えがないなら別の人のところに行ってくれない?」
「まさか。ルヴァイド様も言っていたが、僕としても、正直君が一番厄介だと認識しているんだ。何より、あの湿原で味合わされた屈辱、忘れてなどない」

 そういって、薄く笑ったイオスに、首筋の産毛が逆立った。湿原、ああそうさあの湿原さ!!あの湿原で私は黒騎士達に目をつけられるようなことバリバリやっちゃったからね!!なんだよルヴァイドが、ルヴァイドがあそこで宣言してくれるなんてこと知ってたら、私だってあんな危険犯すこともなかったし、こいつが馬鹿なことしなければ啖呵を切ることも無かった!大体元を正せば自分のせいでしょ?!何私のせいにしてんのよ!理不尽だーと泣きたくなりながら、血桜の柄を握り締める。

「折角助けてやったのに、恩を仇で返すつもり?」
「誰も頼んだ覚えはないよ。そういうのは、余計なお世話というんだ!!」

 ダンッ!と大きく踏みこむ音が空気を震わせる。低い態勢から突き出される槍の切っ先に、眉間に皺を寄せた。銀の光が一筋、闇を裂く。迫る刃先は、遠慮なく私を突き殺す意思が篭められて。見つめる先に思ったのは、死に逝く自分か。慌てて避けるも、槍の突き出す速度は先ほどとは違った。大分、速く、間に合わない、思った瞬間腕に衝撃が走る。
 驚いた。最初は衝撃なのだと、初めて知った。次に、激痛が神経を通して脳髄まで痺れるように走った。

「ぐ、ぅっ」

 くぐもった悲鳴が喉奥で潰れる。ちっというイオスの舌打ちが、小さく耳に届いた。その舌打ちに、アァ思ったよりも浅いのだな、と思う。もっとも、やられた側の私にしてみれば、どっちにしろ痛いことに違いはない。槍が引き戻される。同時に、貫かれたわけじゃないが、裂かれた腕から血が飛び散った。視界の隅に、闇夜に黒ずんだ液体が散る様が映る。日の下だったら、きっとそれは鮮やかな緋色。血だ、と思って闇夜に咲いた花を思い出した。もっとも、今飛び散った血は、花などといえるほど綺麗に舞っていたわけではないが。
 崩れた態勢を、後ろに足をやることで強引に耐えて、前を向く。余裕に満ちた顔で、イオスが槍を思いっきり引いているのが見えた。再び踏みこまれる足と、突き出される腕には槍がある。その槍に貫かれ、赤くなりながら死ぬのだろうか。鼓動が活動を止め、血潮が冷たくなり、脳は意味をなくし、呼吸は途切れて。そこには過去も未来も現在も何もない、ただの虚無しかなく。避けなければ、受けとめなければ、――――やらなければ。
 こんなところで、理不尽に、人の気なんて知らずに、巻きこまれて、――死ぬ?目を見開き、歯を食いしばった。


冗談じゃ、ない。


 そんな身勝手、許せるものか。そんな理不尽、受け入れてなどやるものか!!死ぬ、という恐怖よりも脳内を埋め尽くしたのは、死に対しての怒りだった。理不尽に突きつけられる死という存在。何故、何故。私が、この私が、―――貴様ごときに、殺されろ、と?
 目の前が真っ赤になるが、よりクリアに全てが見える。イオスの描く軌跡、向けられた刃先は迷いなく心臓の上を延長線上に繋ぐ。震える手を握り締めて。鼓動は、どくりと跳ねて。
 伝わるのは烈火のごとき怒りと、純粋なる狂喜と、魂より感じる、渇望。

―――わたくしを抜いてくださいまし、主様。

 聞こえた声に、抗う理由もなければ、抗わなければならない意味もなく。むしろそれは、私が決めたことに順ずる、望みだった。躊躇いなど最早持っていられるはずもなかった。
 死にたくなんてなくて、殺されたくもなくて、そして生きなければ瑪瑙も守れなくて、大切な者だって何一つとして守れなくて。

「その剣は飾りか!」

 笑んで、勝利を確信した顔で、言いながらイオスは槍を突き出す。心臓を、貫き通す為に伸ばされた槍の切っ先が、真っ直ぐに迫りくる。唸りをあげるそれを目を逸らさずに見つめ、唇を引き結んだ。ぐっと、握り締めた柄から感じる、熱い熱い、それは期待。体中の血が沸騰するような、それでいて瞬時に冷えていくような落差を覚えて――抜き放つ、刹那の瞬き。


閃く残光は、白刃ではなかった。


 鈍い音と共に、槍の柄に食い込む刀身。そこにあるのは、月光を跳ね返す青白い輝きではなく、禍禍しくも見える、艶やかな紅い光。滑らかに反りかえり、長くしなやかな体躯は、妖艶な色彩で闇夜に浮かび上がる。深い深い紅。清冽な銀ではなく、人を惑わせるような妖しさを蓄えた、深紅。燃え尽きる太陽ほど明るくもなく、雪景色に映える椿のような鮮烈さでもなく、人の中に流れ駆け巡る、濃厚な血液そのままの、深く艶やかな赤い刀身が、ぎちぎちと音をたてながら柄に食い込んでいる。後少し、力を篭めれば断てると、判る。
 断ってやる、そう思って力を篭めようとして、イオスも気づいたのか慌てて手元に戻した。僅かに引っ張られるが、舌打ちをして引くと、ばっと弾かれるようにお互いに距離を取る。構えなんて知ったこっちゃないから、適当に正眼に血桜を構えて、驚愕に見開いているイオスを見据えた。

―――あな口惜しや・・・主様を傷つけたその忌まわしき刃、断ってやろうと思うたに!

 愛らしい声が、底冷えする怒りを乗せて頭に響く。強い感情は、その刀身を更に艶やかに輝かせた。イオスが顔を顰める。血桜の声が聞こえたわけではないだろう。けれど、恐れるように、気味が悪そうに、イオスの柳眉が顰められた。

「・・・なんて、・・・」

 呟きは、しかし最後まで綴られることはなく。イオスは、何かを呑みこむように喉を動かし、小さく頭を振ると再び槍を構えた。

「少しは出来るようだが、その腕で満足に剣が振れるかな」
「やらなきゃいけないんだから、どうとでもするわよ」

 しかもやれなきゃ死ぬし。ぶん、と軽く血桜と共に腕を振り、腕を伝う血を飛ばす。反動で激痛がビリリと走ったが、懸命に表情を押し殺した。振れないほど深くはないが、血が止まるほど浅くもない。長い間はやばそうだと判断して、ゆっくりと握り締めなおした。
 手袋をしていてよかった。でなければ、伝う血で血桜を取り落としそうだ。僅かにぬめるが、手袋が水分を吸い取り逆に吸いつくような感じもする。が、あまり長いことやっていると本当に血桜を落としてしまいそうになる。早期決着、元々念頭に置いていたことをさくりとやってしまわなければ。でないと、事態が悪化の一途を辿ることになる。早く、早く、ここから抜け出さなければ、・・・益々、逃げられない。
 焦燥感にかられる胸の内を悟られぬように、薄く笑みを刷く。ここで冷静さを欠いては即座に死を意味することは明白だ。周りの喧騒にも注意を払いつつ、誰かの召喚術が発動したのか、爆音も聞こえて。悲鳴が響く。あぁ、瑪瑙は無事だろうか?早くこいつをどうにかして、瑪瑙の傍に行かなくては。瞼の裏に、すぐにも浮かぶ。淡い微笑みと共に、蒸し栗色の髪を靡かせるその姿。
 最も守りたい存在を描けば、益々死ねない、と強く思う。そう、それは決意だ。死なない決意。殺されない決意。絶対に、こんなところで死ぬなんてご免だね。
 細く呼吸をして、きゅっと唇を引き結ぶ。血桜を構えながら、半眼に瞼を伏せると低く言葉を紡いだ。

「――翔けよ烈風」
「なっ」

 イオスの驚いたような声が聞こえる。が、そんなことお構いなし私は更に言葉を綴る。ここで止めては、意味がないのだから。

「我が前に立ち塞がりし障害を」
「っさせるか!!」

 即座に、イオスが踏みこむ。それを視界に収めながら、いささか焦りに精密さを欠くものの、唸りをあげて迫る槍が肉迫する。踏みこみ近くなる、焦りは、隙になって。口元を、歪めた。

「切り刻め、・・・・・・・・・なーんてね!」
「っ?!」

 踏み込みながら顔を逸らす。耳の横を槍が過ぎ去り、一気に地面を蹴って懐に入り込んだ。鼓膜を震わせる唸りが遠のく。イオスの驚愕を映し、酷薄に歪めた口元そのままに、血桜ではなく、鳩尾に蹴りを叩きこんだ。ずどん、と、足が腹に沈む。よかった。こいつがフルアーマーじゃなくて。無論腹筋からは鍛えている感触が足の裏から伝わったが、大して力もいれてないような状態ではほとんど意味がない。遠慮なく叩きこんだ足で、腰を折り低くなったイオスの顎を更に蹴り上げた。ごき、と骨がぶつかる音がした。

「ぐはっ・・・!」

 仰け反りながら、イオスが背中から倒れる。細い肢体が大の字に地面に横たわり、起き上がる前に(顎を蹴られてそうそう立ちあがれるとは思わないが)血桜を振りかぶる。
 終わりだ、とそう考え迷いなく下ろそうとして、視界の片隅に映った物に、目を見開いて跳び退った。カカッと、音をたててイオスと私を隔てるように、矢が大地に突き刺さる。
 慌てて横を見れば、弓兵が更に次の矢を番えて私に定めている光景が見えた。

「くっ・・・!」

 一つ唸り、ひゅんっと音をたてて飛んで来た矢を血桜で切り落としながら回避する。その間にイオスは、よろよろと上半身を起きあがらせていた。怒りに満ちた顔で、私を睨んでくる。片手には槍がしっかりと握られていたが、立ちあがるのはまだまだ無理なはずだ。
 なにせ顎を蹴りつけたのである。脳が縦に揺さぶられると同時に人体急所の一つだ。そうそう簡単に動かれては堪らない。そう思いながらも隠すこともなく舌打ちを零して、遠くから飛んでくる矢を避けながらさっと身を翻した。―――大分、まずい状況になってきた。

「っ待て!!」

 背中にイオスの静止の声がかかるが、そう言われて素直に待つ奴などどこの世界にいるというのか。当たり前に無視をして、急いで駆け出した。

「くそっ・・・!逃がすな、追え!!」

 イオスの怒鳴り声を背中で聞きながら、視線を走らせる。地面に倒れ伏す黒騎士もたくさんいるが、それよりも、やはり、という思いの方が強かった。揺れる月影が、街道に蠢いている。隙間隙間に、マグナやリューグの姿も見えて、とりあえずまだ無事らしいと知ると、不意に視界が翳る。それは、黒騎士の姿だと知って、振り下ろされた剣を咄嗟に眼前まで持ち上げた血桜で受けると、腕に痺れが走った。あぁ、力では流石に無理があるか。
 歯を食いしばり耐えながら思うや否や、すぐさま間髪いれず刀を引き、一瞬よろめいた敵の、喉元を狙って突き出した。考えなど、入れられるはずもなく。半ば本能的に移した行動は、確実にその命を断った。ずぶり、と、肉を貫いた生々しい感触がする。ぞわ、と肌が泡立ち、刀を握る手が震える。けれど、不意にどくんどくん、と血桜から脈動を感じ、瞬いて突き刺した男を見ると、その顔から血の気が恐ろしいほど早く引いていった。青から土気色に変わっている男に驚いて、一気に突き刺した刀身を引きぬいた。刹那、血が吹き出す。
 音をたてて、激しく吹き出す血に、そういえば刺す時よりも抜く時の方が、血が出るんだっけ、と、頬にかかる生暖かい血液を感じながら考えた。そしてそれが、それがまるで、花吹雪のようで。桜の花吹雪のように、鮮やかに舞い散って。月が空にあって、それに重なるように、散る血が見開いた目に映る。真っ赤な血が、花弁のように見えた、なんて。それが、綺麗だと思うなんて。そう考えた瞬間、自分に愕然とした。
 見開く視界に、事切れたように、ゆらりと黒騎士の身体が傾ぐ様が映る。支えがなくなったように、後ろに大きく身体が傾ぎ、重力に従い落ちていく。血を撒き散らしながら、どさぁ、と音をたてて倒れて。
 それは最早、人ではなかった。ただの、死体だった。気持ち悪いと、思った。ころしたんだ、と自覚し血桜を握る手が震えようとも、それに戦いている暇はなかった。そこで、立ち止まることが許されるほど、優しい世界ではなかった。
 唇を噛み締め、駆け出す。事切れた死体になど、最早意味などない。生きていないものに、立ち止まれるほど今のこの状況は、甘くなどなかった。それよりも、と視線を辺りにさ迷わせ、戦場を駆け、赤いマントを視界に収める。

「っネスティ!!」
「っ!?無事だったのか・・・!」

 急いで駆け寄りながら、ネスティに斬りかかっている黒騎士を背後から袈裟懸けに切る。ざっくりと、泣きたくなるほど嫌な感触に吐き気を覚え、もう一度頬に血潮を浴びて、血桜を握る手に力を篭めた。どくんどくんと、血桜の脈動が強くなる。震える手を、きつくきつく握り締めて、やっぱりキツイ、と片隅で考えながらほっと安堵したように表情を崩すネスティを見据えた。

「ネスティ、まずいわ。敵が、増えてる」
「なにっ?!」
「さっきのイオスの伝令から、ルヴァイドか、ゼルフィルドか・・・どちらかの部隊が合流し始めてるんだわ」
「そんな・・・」

 愕然と呟くネスティに、きゅっと唇を引き結ぶ。巧いこと、時間を稼がれた。早期決着が望ましかったのに、それが出来なかったのは痛い。仕方がないとはいえ、このままではかなり、まずいのだ。

「どうにかして一点を切り崩して逃げないと・・・」
「どうやって!皆、すでに疲れきっている・・・僕の魔力も、もうあと二、三回ほど使えばそれば終わりだ。ミニスも、トリスもだ。マグナ達の体力ももう限界と考えていい」

 絶望したように、項垂れて悲痛に叫ぶネスティに、息を吐く。背中合わせで飛んできた弓を切りつけて跳ね除けながら、確かに、このままでは切り崩すどころの話ではないと顔を歪める。しかし。

「チャンスは来るわ。必ず」
「何を根拠に・・・」
「根拠ならある。私達は、それまで耐えなくちゃいけない・・・なんとしても」

 拳を握り締め、唸る。そう。チャンスは必ず来る。私はそれを、知っている。だからこそ、その時まで耐えなくてはいけない重要性も判るのだ。なんとしてでも、どんな手段を使っても、足掻かなくては。

「どういうことなんだ、
「説明してる時間はないのよ。ともかく!雑草根性でしぶとく耐える!死にたくなんかないでしょ?」
「あ、あぁ・・・」
「その辺の石拾って投げるなり、逃げまわるなり、倒れてる奴の剣持って闘うなりなんでもいいから、諦める前に足掻け。諦めて抵抗を止めることだけはしないでよね」

 言いながら、襲いかかってきた矢を叩き折る。えぇい、鬱陶しい!!間断なく飛んでくる矢を叩き斬りながら、遠くにいる弓兵を睨みつけた。あいつ等、後で覚えていやがれ。

「っ、横だ!」
「あぁ?!」

 柄悪く声をあげながら、斬りかかる黒騎士の懐に入り込み、足払いをかける。ずっぱん、と良い音がして、片足を払われた黒騎士が背中から倒れこんだ。
 息を吸い、奥歯を噛み締めて、上から喉に、紅色の刀身を突き刺した。ぐじゅり、と、濡れた音が立つ。てらてらと光る血桜が、歓喜に打ち震えた。どくどくと脈打つ刀身が、より深みを増す。その光景を見ながら、突き刺した状態で低くネスティを呼んだ。

「――――ネスティ」
「なんだ」
「瑪瑙は、何処」

 ずるりと喉から血桜を引きぬき、軽く横に振って血を飛ばす。そろそろ腕の感覚がなくなってきたなぁ、とだらだらとまだ止まらない血の流れを感じながら問いかけると、ネスティはトーンを落として答えた。

「判らない・・・」
「判らない?」
「敵が多くて、乱戦状態だったんだ。最初は固まってもいられたんだが、徐々にばらけて・・・たぶん、誰かと一緒にいるとは思うんだが」
「ちっ。判った。ネスティは・・・あっちの方にマグナがいたわ。そっちの援護に入って」
「君はどうするんだ」

 適当に指で指し示し、指示を出すとばさりと外套を翻す。走り出そうとすると、多分に心配も含められた声で問いかけられ、振りかえりネスティを見据えた。不安と心配で眉間に皺が寄っているネスティに、一瞬だけ逡巡し、それからにっこりと微笑みを浮かべる。場違いな、余裕のある笑みを作って。

「愚問。瑪瑙のところに行くに決まってるでしょ」
「・・・・判った。気をつけろ・・・いや。無事でいてくれ」

 カラリ、と何の気負いもなく言うと、少し呆気に取られたように目を瞬いたネスティは、ほんの少しだけ眉間の皺を解すと、苦笑のような笑み浮かべた。強張っていた肩が、すとんと下りて。けれど、次の瞬間には真面目な顔になり、真剣な調子でそう言った。その言葉に、無論だ、と頷き、ぽん、と軽く肩を叩く。

「そっちもね。――絶対に、チャンスは来るから、それを信じて足掻いてて」
「あぁ。判った。君の言うことだ・・・不安だが、信じてあげるよ」
「ん。ありがと。じゃ、頑張れ」

 とんっと軽く肩を突き放し、駆け出す。同時にネスティも駆け出した音が聞こえて、拳を握りしめた。怒号が包む戦場を、ただひたすらに一人の姿を求めて、視線をさ迷わせる。
 襲いかかる敵を、歯を食いしばって切り伏せて。どろりとした血が、頬にかかって乱暴に手の甲で拭い取った。見下ろせば死体。月光に照らされ、濡れた輝きを纏って、動きもしないただの肉塊が横たわる。気持ちが悪くて、怖くて、―――あぁ今のこの姿、あの子に見せたらどうなるのだろう?あの子は今、泣いていないだろうか?怪我をしていないだろうか?無事だろうか?見上げる。月夜にその姿は今だ垣間見えず。奥歯を噛み締め、小さく叫んだ。

「瑪瑙・・・っ」

 今、何処にいますか?