月下飛行 4



 視界に過ぎった白い色に、どくりと胸がざわめく。安堵に口元が緩み始め、けれど次の瞬間に視界に飛びこんできた残像には声にならない声が喉を震わせた。
 腕を伸ばす。伸ばした腕は、迷うことなくその細く華奢な腕を掴み、掴んだ腕を引寄せる。ぐいっと乱暴に、腕に痕が残ろうと構わないぐらいの力で引寄せると、何の抵抗もなく細い体は傾ぎ、胸に倒れこんできた。どんっと衝撃を体に覚えながら、足を踏ん張る。
 驚いたように大きく見開かれる飴色の瞳から視線が注がれるのを感じながら、瑪瑙の体を抱き込むと同時に、走った事で翻り膨らんでいた外套の裾を掴み、ばさりと大きく翻した。
 風を切るように飛んで来た弓矢が、引寄せて広がった外套に絡め取られ、そのまま跳ね除けるように外套を払うと、ぼとぼとと地に落ちる。外套は、大分ボロボロになってしまったが、まあ別に良し。第二陣が来ないことを確認してから、腕に引寄せて抱きしめていた瑪瑙を解放した。

「っはー・・・間に合った・・・・」

 思わず緊張やら焦りやら心配やらなんやらで詰めていた息を吐き出し、安堵の息を吐きながら緩い笑みを浮かべる。パチパチと瞬きをして、信じられないものでも見たかのように凝視してくる瑪瑙に、思わず目許が綻んだ。

、ちゃん・・・・?」
「瑪瑙・・・よかった。無事、みたいだね」

 零れる声には、痛みを堪えるような響きはなく、見たところ、目立つような外傷もない。
 さすがに細かな傷はあれど、それは仕方ないというものだ。むしろ、大きな傷がないことの方が、この場合奇跡かもしれない。土で汚れてしまっている頬に触れようとして、その手が血で濡れていることに気づいて苦笑いを浮かべながら引っ込めた。そういえば、血もあんまり止まってなかったんだ。相変わらずだらだらと流れる血を気持ち悪く思いながら、まだ呆然としている瑪瑙に微笑みだけを向ける。安心させるように、信じさせるように、・・・・何も変わらないのだと、思わせるように。いつものように、微笑んで。

「ごめんね。来るの遅くなっちゃって」

 守るって決めたのに、傍にいてあげられなくてごめんね。そんな思いで、手を握りたかったし、触れたかったけれど、でもやっぱり自分の手は血塗れで、綺麗な綺麗な瑪瑙に触れるのには憚られた。自分の血だとか、他人の血だとか、人殺しだとか、そういうことではなくて、ただ。真っ白な瑪瑙を赤い色で汚すのは、自分が嫌なだけだった。相変わらず私の名前を呼んだまま目を瞬いている瑪瑙に、軽く首を傾げるとなんの躊躇もなく白魚のように白く、若木の枝のようにしなやかな指先が柔らかく頬に触れた。前触れもなにもないその行動に、戦場だというのに吃驚して目を見開くと、触れた指先が何かを拭うように動いたのを感じて、あ、と息を呑んだ。

ちゃん・・・」
「あ、いや、これは、そのね。まあ仕方なかったというか、やらなきゃやられたというか、その、えっと、自分の血じゃないし!」

 って、そうじゃねーーーーー!!!!今混乱している場合でもないし正直言い訳とか後でもいいし、こんなことしてる場合じゃないと判ってるのに、それでも悲痛そうに歪んだ顔に、半ばパニックを起こしかけていた。わたわたと言い訳にもならないことを言いながら、アァ哀しませた、と思うと申し訳なくて眉尻が下がる。判ってるよ。やらなくてはやられていたんだ。
 仕方ないって言葉は、とても嫌な言葉だけれど、それでも仕方ないことだったから。だから、瑪瑙を哀しませようと自分が行ったことに後悔などしていられない。
 そうしなければ、大切なものなんて何一つ、誰一人、守れやしないのだから。それでも、やはり心苦しいには心苦しい。そんな顔を、させたいわけではないのに。
 慰めようにも今の自分がそんな言葉を吐くわけにも行かず、かといって撫でようにも手は血塗れで、触れるはずもない。途方に暮れて瑪瑙を見ると、驚いたことに瑪瑙はきょとんと目を瞬いていた。あり?

「これ、ちゃんの血じゃないの?」
「え、あ、うん。全くもって知らない赤の他人の」

 こくこくと、小首を傾げて問いかけた瑪瑙に上下に首を動かして肯首すると、瑪瑙は赤く染まった指先を両の手で包み込み、胸の前に持っていった。そうすると、ゆっくりと安堵したように表情が崩れていく。月の光で蒼い陰影が出きた花の顔が緩やかな微笑を浮かべ、極まったようにか細い声が零れた。

「よかった・・・・」

 細く細く、呟かれた言葉にどれだけの思いが篭められていたか。推し量ることはできずとも、悟ることは出来た。潜められていた眉が安堵に解かれ、ともすれば泣きそうなとも形容できる表情に、何かの肩の荷が下りたかのようにすとんと軽くなる。あぁ、なんだろう。
 もう、なんなのだろう。本当に、この子は。泣きたくなった。人を斬った時とは違う、もっと別の意味で泣きたくなった。

「ありがとう・・・」

 微かに声が震えたのは、仕方ないというものだ。場違いだと思う。こんなことしてる場合ではないとも。それでも、それでも零れるなんともいえないこの安心感は、何にも代えられない。しかし、こりゃー瑪瑙に腕怪我したこと言えないぞ。表面は笑いながら冷や汗を流していると、瑪瑙の背後で振りかぶる何かが見えた。

「っ!」
「きゃっ?!」


ギイン!!


 鈍い、音が響く。奥歯を噛み締め、頭上で拮抗している剣の重みに耐えながら、両足を広げて踏ん張る。引っ張り後ろにやった瑪瑙は私の後ろで息を飲んでいるようだが、正直瑪瑙まで気を回して入られなかった。しかし、後ろに後退するわけにも行かず、片腕で受けとめた剣を支えるために、もう片手を伸ばした。両腕でしっかりと握り、弱音を吐きたくなるほど重たい剣に、低く呻き声が歯の隙間から零れる。

「く、ぅ・・・っ」
「いい反射神経だ」

 低い美声が鼓膜を打つ。聞き覚えのある声に、奥歯を噛み締めた。私よりも頭一つはゆうに高い長身が、すらりと交差している剣の向こう側から覗く。フルフェイスの、髑髏を模したのかなんなのか、ともかくも趣味の悪いこれまた覚えのある仮面が、頭一つ分は軽く高い位置から私を見下ろしている。仮面の下からさらりと流れる髪は、月光に照らされ黒ずんで見えるが、しかしそれでもその色が赤ワインのような色合いだということを、私は知っていた。そして、この趣味の悪い仮面の下の顔が、色気漂う偉丈夫だということも。

「ルヴァイド・・・!」

 正直今一番会いたくなかった真打ちの登場に、舌打ちしたい気持ちで一杯だ。なんてことだ!これでは完全に取り囲まれたも同然ではないか!低い声で名前を呼びながら、ギリギリと競めぎ合う剣の向こうで、ルヴァイドがくつりと喉を鳴らした。

「覚悟してもらおう」
「っ?!」

 ギイン!!と音をたててルヴァイドが剣を弾く。かろうじて弾き飛ばされることは回避したが、それでも痺れるような衝撃が腕に走った。ただでさえ血が出て握力落ちてるのに、ここにきてなんて最悪の敵だろう!止めていた息を鋭く吐きながら、再び斬りかかってきたルヴァイドの剣を受ける。火花が散るような重たい一撃に、こんなの何発も受けていられるか!!と怒鳴りたくなった。

ちゃん!!」
「瑪瑙、逃げて!!」

 逃げ場などないとわかっていながら、そう叫ぶしかない自分に歯噛みする。悲鳴のような瑪瑙の呼びかけを受けながら、容赦なく下から斬りかかってきた剣を身を捩って避けると、ヒヤリとするような音が聞こえた。ばさりと、ルヴァイドのマントがはためき、あんなくそ重たそうな鎧着てる癖にやたらと俊敏な動きに、ぶっちゃけこっちの方がイオスより厄介!と苦い思いを噛み締める。イオスもイオスで実力は流石としか言い様がなかったわけだが、なんだこいつ!別格?!別格ですか!!息吐く暇もない、とはまさにこのことだ。間断なく襲い来る剣戟は、大人しく真正面から受けていたら何合も持ちやしない。摩擦音をたてて刀身で剣を流しながら、一撃一撃に肝が冷えた。受け流すだけなのに、この衝撃と重たさ!怪我をしているということを差し引いても、本気で長い時間なんて無理だ!!ビリビリと痺れ、すでに感覚がなくなってきた片腕に舌打ちを零したくなる。
 己イオス・・・!あいつがこんな傷つけてくれなかったら、まだまともな対応が出来たものを!

「面白い・・・その腕でまだ受けるか!」
「っ」

 ちぃっ気づかれてる!!今度は隠さず舌打ちを零し、再び振り下ろされた剣から逃れるように後ろに跳ぶ。受けてたら本気で終わらない・・・あーもーくそ!!なんで私ばっかりこんな主力とぶつからなくちゃいけないわけ?!ゼルフィルドがこなかっただけマシというべきか、寧ろゼルフィルドが来いや!と怒鳴るべきか。どちらにしろ苦戦というか、最悪なことには違いないので最早考えることはすまい。泣きたい、と切々と思いながらカチャン、と音をたてて構えたルヴァイドを、睨みながら見据える。間合いは大股三歩半、しかしこんな間合い相手にとってみればないも同然。切れる息に、汗が額から滑り落ちて顎先に溜まる。
 張り詰めた糸が切れるのは、私が先か、相手が先か。しかし、蔓延していた緊張を、破ったのは背後から聞こえた声だった。

「お願い・・・ちゃんを助けて・・・リプシー!」

 その声と共に、後ろから眩い光が放たれた。夜を照らし出す月よりも尚明るく、紫を帯びた光が周囲を包むと同時に、私の目の前になんだかよくわからん物体が出現する。
 丸い身体に、背中なんだろう場所から生える翼はいっそ幻想的。しかし綺麗というよりも、可愛いだろうこれは。驚いて言葉もなく見つめると、その天使?天使でいいのかこれ?とりあえずサプレスの召喚獣だろうそれは、私の目の前でゆっくりと小さな手を・・・手?うん多分手でいいはず。を、翳した。用途があるのかさっぱりわからない手だけど。そして、ふわりと暖かな光と風が身を包んだと思ったら、腕の痛みがすぅとなくなっていくのを感じた。
 あ、と思うと、その召喚獣・・リプシーを見つめる。リプシーは、その黒く円らな瞳を目一杯潤ませ・・・・目が合うと同時に身を竦ませ、逃げるように消えた。・・・まるで、怯えているかのような、反応だった。

「・・・?」

 あれ、私そんな怖い顔してた?腑に落ちないながらも、片腕に力を篭める。どうやら、傷は塞がったらしい。血が流れる感覚もなく、痛みもない。疲れもいくらか解消されたのか、身体もさっきよりも随分と軽くなっていた。おぉ・・・。

「ありがとう、瑪瑙」

 ルヴァイドから視線を外すことはできないから、後ろを振り向くことはできないけれど。
 それでも、声だけはかけると、瑪瑙のほっと安心したような答えが返された。

「ううん。よかった、ちゃん・・・」

 その声を背中で聞きながら、血桜を正眼に構える。ルヴァイドは、表情はわからないものの、何やら苦々しそうに低く唸った。けれど、言葉はない。ただ、再び無言で切りかかってくるのみだ。血桜を再び握り締め、受ける。ていうかわざわざ待っててくれたことに驚き。
 受けられたと判るや否やすぐさま離れ、今度は突き。たてた刀身で流す。甲高い摩擦音は正直耳に痛かったけれど。赤い火花が小さく飛び散り、一瞬の拮抗の後、間髪入れず今度は私が血桜を翻し斬りかかると、今度はルヴァイドが剣で受ける。銀と紅が交差し、互いの視線が交わる。ふっと息を吸って一端離れると、追撃するように踏み出したルヴァィドが、下段から切り上げた。避ける。横から薙ぐ。避けられる。斜め上。受けて、止まる。
 ギリギリと鍔迫り合いが起こり、これは分が悪いと判断するとゆっくりと、押された風を装い力を抜いていく。ぎりぎりと更にルヴァイドが力を篭めて、押す。
 どんどん押されて、血桜の紅の刀身が喉元まで迫ってきた。後少し、触れたら切れる、というところまで近づくと、今度は背中から倒れるように一気に力を抜く!

「なっ!」

 短く声をあげたルヴァイドの身体が大きく前倒れになる。背中から倒れた私は、受身を取りつつ踏ん張ろうとして、結局は予想外の力の流れに抗えず倒れてきたルヴァイドの腹に足を添える。

「っそぉれ!」
「っ!??」

 掛け声一発、倒れこむ反動を利用して腹の下から蹴り上げると、いともたやすくルヴァイドの身体は空を舞った。すぐその一瞬後、ズダーン!!という大きな音が辺りに響く。
 急いで起きあがりながら、背中から地面に落下したルヴァイドが、苦痛にうめきながら起きあがるのを視界に収めて一気に走り、血桜を振りかぶった。

「ぐっ!!」
「ちっ」

 流石と、褒め称えるべきか。まだ完全に立ちあがりきれていない、片膝をつくという不安定なその態勢で、しかも片手で!振り下ろした刀を受けとめるとは。あーもーやってらんねぇやってらんねぇ!ぎりぎりと競めぎあいながら、ルヴァイドを睨む。仮面の奥から見える瞳が、いささか焦りを伴っているのが見えた。このまま押しきれば勝てるか・・・どうだろう。
 ギリギリと押し合い圧し合い拮抗しながら、大人しくやられてくれればいいのに!と相手にとってみれば冗談じゃない!と答えること間違い無しの事を考えながら力を篭める。だが。

「きゃあぁぁ!!!」
「っ!!?」

 聞こえた悲鳴に目を見開き、ルヴァイドから意識が外れる。それは、その声は、紛れもない瑪瑙の声で、反射的に振り向いた先には瑪瑙に向かって剣を振りかざす敵の姿があった。
 一瞬頭が真っ白になり、思い浮かんだのは行かなくては、というただそれだけで。身を翻しかけて、その時になってようやく自分の状況を思い出した。なんて、迂闊な。愚かにも程がある、その一瞬の愚行!
 殺気。気配。感じた瞬間に、手に衝撃。気が殺がれていた手元から、ガキィーンと乾いた音をたてて、痛みとほぼ同時に血桜が飛ばされる。

「しまっ!」
「何処を見ている!!」

 くるくると回りながら弾き飛ばされた血桜に気を向ける暇もなく、ルヴァイドが吼えた。剣が、薙がれる。その軌道は真っ直ぐに胴体へと伸びて。交差する視点、交わる剣戟の道。

 とすり、と、血桜が大地に突き立った。

 ギリリ、と歯を噛み締めて、息を詰める。仮面の奥の、ルヴァイドの瞳が忌々しそうに歪み、聞こえるはずもない歯軋りが聞こえた気がした。低く、唸るような声が腹の底から響いてくる。

「・・・この後に及んで、まだ粘るか・・・!」
「・・・・う、る、さい・・!」

 悪態を返しながらも、内心冷や汗で一杯だった。ぶるぶると、ナイフを握る手が震える。脇腹の数センチ横で、太腿から取り出したナイフと、ルヴァイドの剣がキチキチと悲鳴をあげていた。後一瞬、反応が遅れてたら確実に死んでいた。ぞぉ、としない想像に震えあがりながら、自分の失態に悪態を吐く。こんなことしてる場合じゃないのに!!悪態を吐きながら、外套に手を伸ばす。あぁ、もう本当に!!!

「鬱陶しいのよ、アンタ!!!」
「なっ!」

 怒鳴りながらぶち、と留め金を引き千切るように引っ張り、外套をルヴァイドに向かって叩きつけた。ばさぁ、と大きく広がった黒い外套はルヴァイドを私から完全に覆い隠し、そしてまた、ルヴァイドの視界をも完全に遮る。一瞬でいい。そこには、紛れもない隙が出来る。
 ルヴァィドが外套に気を取られた一瞬を見逃さず、剣を弾くと躊躇いもせずに踵を返した。視界には一つしか入らない。男が振りかざした剣は、瑪瑙の横を過ぎる。逃げ遅れた髪の何本かが、ふわりと宙を待って。間髪いれず、再び男は瑪瑙に向かってその凶悪な刃を向けようとした。

「さっせるかあああああ!!!!」

 叫び、横から思いっきり飛び蹴りを食らわせる。横に曲がり、ぐは、と息を吐き出した男の膝裏に踵から蹴りを叩きこむ。ごきっと耳に嫌な音が聞こえ、しかしそれでも尚容赦などしてやる気もなく、握ったナイフに力を篭めた。喉に向かって、閃かせる。ずぶん、と、肉の中に銀の刃が埋め込まれ、躊躇することなく横に引き裂く。ぶちぶち、と繊維が切れる感触と共に、吹き出た血液は視界を染め、顔に振りかかる。ナイフの刃は真っ赤に染まり、手袋にも血が染みこんだ。くぐもった断末魔をあげながら、男は血を撒き散らして倒れた。どさりと倒れる音がする。肩で息をしながら、睨みつけて。

、ちゃ・・・」
「はぁ・・はぁ・・・・・・・っ瑪瑙、怪我は・・・」

 背中に瑪瑙を庇いながら、ナイフを構える。真っ赤に濡れたナイフから、ぽたぽたと血が滴り落ちた。

「な、ないよ・・・でも、ちゃんは・・・っ」
「平気。平気だから・・・ごめん。また、危ない目に合わせた」
「ううん・・・ううん・・・!」

 しがみつく腕が、温かい。震える声が、安堵と引き攣れるような痛みをもたらす。出きるならば、瑪瑙の目の前でこんなところ見せたくなかった。そんなの、闘っていくのなら、無理だろうとは思うのに。息を吐きながら、正面を見据える。ちらりと血桜を探すと、やや離れた位置に突き刺さっている姿が見えた。あぁ・・・ごめん血桜。今取りに行けない。
 目の前に、ルヴァイドと敵が、立っているのだから。くそ・・・ミモザさん達はまだなのか?!非常にまずい。もう、これ以上耐えられそうもない。じりり、と後退しながら、悠然と佇むルヴァイドを睨む。

「・・・・仲間の為とはいえ、中々の動きだったが、それもここまでだ」
「・・・」
「あともう少しすればゼルフィルドも合流するだろう・・・貴様等に逃げ場はない」

 淡々とした声が響く。そこにはもう、勝利を確信した響きしかない。否、確かに、このままでは私達の負けは確実だ。それはイコールで死を意味することだけれど。ルヴァイドの低い声に、強張ったように瑪瑙が服を掴む力が強まる。ぎり、と唇を噛み締めた。

「諦めろ」

 それは、どこか優しく諭すような響きを伴って。

「お前の負けだ」

 死神の招き手が、見えたような気もした、けれど。ぎりり、とナイフを握る手に力が篭る。余裕の立ち姿で佇む、黒騎士を睨み据えて。低く、唸った。

「ふざけんじゃないわよ・・・」

 誰が。

「負け、ですって・・・?」

 諦めてなど。

「そういうことは、全てが終わってから口にすることね」

 やるものか。
 ゆっくりと、構えていたナイフを下ろして、真っ直ぐにルヴァイドを見る。ぴくりと、動いたルヴァイドに向かって、微笑んで。緩い動作でベルトに括りつけていた袋に手を伸ばし、探る。その間もルヴァイドから注意は逸らさなかったし、またルヴァイドからの訝しげな視線も感じていたけれど。思わず口角が吊り上る。ほら、こういうところが馬鹿なのだ。余裕?それとも情け?勝利を確信しているから、無駄な足掻きだとでも、思っているのか。はっ!

「司令官が聞いて呆れる・・・」

 呟き、瑪瑙の心配そうな、不安そうな視線に横顔だけで笑う。そして、袋から物を取り出すと、ゆっくりと掲げた。

「爪の甘い、アンタが馬鹿なのよ」

 嘲笑いながら、手に持ったサモナイト石に魔力を篭める。瞬間、しまった!といわんばかりに揺れ動いたルヴァイドに、これ以上ないほど愉快そうに笑いかけた。
 敵が行動してるのに止めようともしないなんて、本当に馬鹿なんじゃない?窮鼠猫を噛むって知らないのかしら?追い詰められた時ほど、何をするかわかったものじゃないし、何より、追い詰めたときこそ油断なんてするもんじゃない。
 動き出すルヴァイドを視界に収めて息を吐く。願う。誓約も何もしていない、ただの石だけれど。それでも、これに一発逆転を賭けるしかない。ミモザさん達の行動が遅い今、本気でこれに賭けるしか、私達に道はない。だから。願う。喚びかける。一縷の望みを託して。
 あぁ、どうか、この声が聞こえるのならば。



「――――来い」



 この声が聞こえるのならば、どうか。どうか。



 応えて、ください。