月下飛行 5



 溢れたのは、光。焼けつくような熱と共に手の中から滂沱の量が溢れ出す。紫色の、・・・・否。あまりにも強いそれは最早真白の光でしかなく、それは限界など知らぬように放射状に強く強く光を放った。あまりにも強く輝かしい光量は、闇に慣れた目には毒でしかなく、焼き潰されるかと思うほどに荒れ狂う。ガタガタと震える手の中の石から噴出する光の暴走。そう、それは暴走だ。手に負えないほどに強く、乱暴な、――恐ろしい。
 光は辺りを埋め尽くし、服の裾さえもばたばたと大きく揺らした。凄まじい圧力に、周りさえも圧倒されて近づけずに足踏みをしている。

ちゃん・・・!」

 瑪瑙が、小さな悲鳴をあげる。光と暴風に飛ばされないようにと、服を掴んで抱きつかれ、手から零れ落ちそうなほどにガタガタと乱暴に揺れる石を握り締めた。暴走、という二文字が頭を過ぎった瞬間、凄まじい力で暴れ狂う石に、もう片方の手を添えて握りこむ。両手で包まれるように押さえ込まれたせいか、光が一瞬弱まったが隙間から零れる光は相変わらず放射状に広がるばかりだ。夜空を切り裂くような烈光が全てを覆い尽くしていく。

「く、・・・ぅぅ・・・!」

 暴れる石を抑えこむ。石だけでなく、そこに注ぐ魔力をも抑えるように。急いでは駄目だ。ゆっくりと、確実に、門の鍵穴に鍵を差しこみ、回さなければならない。詰めた息をゆっくりと吐き出し、またゆっくりと吸い込む。
 目を閉じて、頭の中で強くイメージする。目の前にあるのは門だ。鎖に雁字搦めにされている、静かな門だ。錠前がある。鍵穴があって、そこに魔力を差しこむ。大きくても駄目、小さすぎても駄目、形が違っても、意味がない。その鍵穴に丁度合うように、丁寧に、確実に、魔力を調節し、作り出すたった一つの鍵を差しこみ、回す。カチリと、小さな音が立つ。千切れるように鎖が弾け飛び、門が開く。
 そして、喚ぶのだ。開いた門から、願いを乗せて。声高らかに、どうか、どうか、この声が聞こえるのならばと。願いを篭めて。思いを乗せて。――――どうかこの喚びかけに、応えて欲しいと。


―――――       。


 風の囁きのような声が聞こえた瞬間は、唐突だった。あれほどまでに荒れ狂い、暴発していた光が、ぱたりと止んで。名残のように柔らかな、穏やかな風がふわりと頬を撫で、静寂が舞い戻る。さっきまでのことはなんだったんだと、首を傾げたくなるほどにあまりにも静かな終わりの訪れ。唖然としている間に、けれど視界は光ではない別のものに埋め尽くされていた。見上げる視界。入りこむ光景。満月に、それはなんと鮮やかに見えることだろう。
 それは、人の姿をしていた。長い裾はふわりと広がり、白い衣服は月の光で蒼い陰影を作る。細く柔らかそうな髪は光に照らされきらきらと輝き、不自然にも長い前髪は目を隠して表情もあまりよくわからない。けれども、顔の下半分、口元や鼻筋を見るだけでも十分に美しく見えた。ここってやっぱ美形率高いのね、とぼんやりと考えながら、視線は更に動く。
 否、実は最初からそこしか見えてなかったのかもしれない。人が背負うには分不相応な、けれど人ではないものが背負うには、そう、今目の前の彼が背負うにはなんとピッタリな、それは大きな純白の翼。鳥のようなその翼は大きく広がり、夜空に浮かぶ月を遮る様に影を描き出す。あまりにも印象深い、清冽な、見る人に一つの感動を呼び起こすかのような、神聖な出で立ちに息を呑む。天使。月下の空に佇むあまりにも繊細なそれは、まさしくそう呼ぶ他なく、私から声を奪った。ふわりと、周りで遊ぶ風が悪戯に、その天使の髪や服の裾と絡んでは離れていく。長い裾の服を揺らし、長い前髪で視界を隠す天使の姿に、呆けたように目を瞬くと、それは、ゆっくりと、口角を持ち上げた。蕾が花開くように、朝焼けにその面を上げるように。やんわりと、微笑む。泣き出しそうに、口唇を震わせて。
 口元だけで作り出した笑みは、なんと柔らかく優しく、恍惚を孕むことか。嬉しそうに、幸せそうに、焦がれるように―――戦慄いて。びくりと石を握る手が震えた。
 浮かべられたその笑みに、覚えがある。目は見えずとも、その笑みに覚えがある。口元だけで作り出す、焦がれたような熱を持つ、歓喜の行く先。それは。

「我が、君―――」

 細く鈴が鳴るような声が、極まったように薄い唇から零れる。震え、熱を帯び、ともすれば泣いているのかと思うほどに。泣いて、いたのかもしれない。空に浮く天使は、それほどまでに歓喜と狂喜に震えていた。
 聞こえた声に篭められたものに、益々息を詰めるしか私には出来ず。ふわりと、音もなく天使は地面に足をつける。こつりと、靴の先が触れ、地面に立つ。白い翼はばさりと大きく一つはばたき、そして、絶句した。
 信じられないものでも見たかのように、実際何が起こったのかわからず、瞬きを繰り返す。天使は、その白い服が血に塗れた土に汚れるのも構わず、いや、そんなことなど眼中にないのか、躊躇いもせずに膝をつき、項垂れた。それをすることが、当然のことだとでも言うように。まるで神聖な儀式のよう。忠誠を誓い、祈るようなその仕草。唖然として天使の旋毛を見つめながら、下手したら手でも取られてキスされそうだと思った。もっとも、そんなことはなかったのだが。

「ずっと、・・・ずっと、お待ち申しておりました――我が君よ」

 しん、と不自然に静まり返った辺りを、けれどその静寂の原因たる天使は歯牙にもかけず、ゆっくりと面をあげた。さらりと、長い前髪が揺れる。下には両目を隠すように布が巻かれていて、アァ美形が勿体無い、と外れた事を考える。ていうかそれでよく前が見えるなとか、若干現実逃避気味に考えつつ、蕩けるように微笑むその天使に戸惑いの視線を向けた。何故だ。何故そんな風に私を見る。今、初めて対面したはずであるのに。
 召喚してくれる人間を待っていたとでもいうのだろうか?戸惑いに揺れながら、それでもはっとして現実を思い出す。こんなことで、ぼんやりとしている場合ではないのだ。
 握り締めていた石を、更に強く握り締める。息を吸い、見つめてくる天使を見据えて。なんかもう色々ツッコミたかったりするのだが、さてもとにかくそれどころではない。
 何故ならば、召喚に茫然自失状態だったルヴァイドが、正気を取り戻したように声を張り上げたからだ。

「っ総員、奴等を取り押さえろ!!」

 低く通る声に、固まっていた周りが動き出す。天使に向けていた顔を周りに向けて、舌打ちを零すと私は焦って声を荒げた。

「あなた、名前は?!」

 不自然ではなかった、と思う。乱暴な問いかけだったのは、仕方がない。状況が状況なのだ。乱暴にもなるしかないではないか。大体、固有名詞でなくても、その種類の括りにされてる名前すら、わからないのだ。名前を知らなくてはどうにも呼びようがない。
 だから、だから。一瞬、ほんの一瞬。切なそうに唇が震えた理由など、私は知るはずがないのだ。それでも、それは一瞬のことで、瞬きするうちに天使は表情を消し、静かに呟く。
 あぁ、切なそうだと、伝わって。

「・・・・・そう、ですね・・・・貴方様は、知るはずのないこと、ですね・・・・」
「え?」
「いいえ・・・いいえ。なんでもございません。――ヒソク、と。お呼びください」

 思わず眉を顰めると、天使は小さく頭を振って、微笑んだ。泣きそうな、それでも嬉しそうな。だから、なんでこんな複雑な顔をされなくちゃいけないんだ!とわけのわからない事柄に頭を抱えたくなりながら、ゆるりと頭を振る。まあ、いい。今は、そんなことにかまけている暇はないのだ。ひそく、・・・秘色、か、と。確認するように口の中で名前を反芻する。
 舌に馴染む名前だ。滑りがいい。なんていうか、この世界ではじめて和風チックな名前にぶち当たったな。しかもサプレスの天使が。横文字じゃないんだなぁ、と思いながらぎゅ、と服を握り締める。

「じゃあ秘色。もし闘えるのなら、その力を、私に貸してくれないかしら?」

 窺うように口にする。周りが迫っている、切羽詰っている中で、その問いはあまりにも愚かであると言えただろう。そんな場合ではないと、わかってはいても。召喚主と召喚獣という立場から、それは絶対なのだということは知っていても。それでも、それでもどうせならば同意して、行って欲しいと思う。私も理不尽に召喚された身。これぐらい選ぶ権利ぐらい、相手に与えたっていいじゃないか。嫌だと言ったら・・・まあ、そん時はそん時で。真剣に、緊張を帯びて秘色を見つめると、秘色は不思議そうに首を傾げて私を見つめていた。目は隠されているけれど。

「可笑しなことをお尋ねになる・・・」

 ぽつりと、零された声は本当に不思議そうで。何を今更と、そんな響きすら篭められて。
 確かに、召喚した私がそんなこと尋ねるのは可笑しいことなのかもしれないと、そう思ったが、秘色は至極当たり前のように、

「この力は我が君のものに御座います。この身も、心も、魂も。全て御身の為だけに存在するもの・・・我が君がただそうと願うのでしたら、私に否やもあろうはずがありません」

 にっこりと、微笑む。はい?と思わず尋ね返したくなるところをぐっと堪えると、秘色は優雅な仕草で立ちあがり、胸の前に手をやって、心臓の上に手を添えた。

「我が君のためならば、喜んでこの力捧げましょう」

 そうして、手を翳す。翳した掌から、光の粒子が集まり、あっと思った瞬間それは身の丈ほどもある大きな斧・・・否、先が槍状になっている、それはハルバートという武器だろう。
 それが秘色の、しなやかな手に収まる。銀色のハルバートは、月に照らされ硬質な輝きを放ち、楽々と持っているが実際それの重さはどれほどかと思うと、この天使、見た目の割りに肉体派かと思った。人って見かけによらない。いや人じゃないけど。

「なら・・・一緒に、戦ってくれるのね?」
「無論。我が君の願いは我が意思も同然にございます故」

 うわぁ、なんか素敵に私至上主義入ってないか?さらりと、なんかもう「自分、貴方の物ですから」とか言いそうな(つか思ってそう)秘色に、空笑いを浮かべる。なんなんだこれは。
 召喚した者って皆こんななのか?・・・そんなわけないか。バルレルとか全然違うし。あれー?じゃあなんでこの子こんなに素直なわけ?首を傾げつつ、とりあえずこれで戦力は増えたし、なんとかなるといいなぁ、と思考を飛ばした。

「・・・目標は黒い鎧を着た奴ら全員。それ以外のなんか闘ってる数人は仲間だからやらないように」
「はい。・・・・・・・あれらを排除すればよろしいのですね」
「うん。まあ、端的に言えば」

 天使が口にする台詞じゃないなぁ、と思いつつ、こくりと肯定すると、秘色はゆっくりと私を背に庇うように立つ。腰から生えたように見える白い翼に、触れるかな、後で触ってもいいか訊こう、と考えていると、秘色はゆるりとハルバートを振った。ゆるりと、というのは可笑しいか。ブォン、という、なんとも恐ろしい風切り音がして空気を裂いた。ぴたりと、一切のブレもなく、銀色のハルバートは体の横で止められる。それだけでも、随分とすごいことだというのはわかった。腕一本なのに、あんな重たそうなものに振りまわされていないのだから。

「あー・・・あと、秘色。悪いんだけど、私が血桜を取りに行くまで時間稼いでくれると、嬉しい」
「血桜?・・・・・・あれも、お傍に在るのですか?」

 肩越しに振り向いた秘色に、頷く。まるで知っているかのような口振りだ。実際、知っているんだろう。メイメイも知っていたようだし。実は有名なのか、血桜は。

「うん。まあ。ちょっと、弾かれちゃって、・・・あぁ、あそこにあるんだけど」
「お怪我は?」
「ない、かな。別に」

 手は痺れたけど、大きな怪我はない。瑪瑙に大きな怪我は治して貰えたし。ちらりと血桜が突き刺さっている方向に視線を走らせると、秘色も同じように視線を向けて、それから微笑んだ。

「あれほどの距離ならば、わざわざ取りに行かずともよろしいかと」
「え?」
「あれは我が君に懸想しております故。執着心も一方ならず。呼べば、応えます」
「は、いや、呼べばって」

 呼んだら手元に来るってか。んな馬鹿な。一応、無機物だよ?胡乱気に見やると、秘色はしばらく考えこむように沈黙し、納得したように頷いた。

「物は試しと言いますでしょう。呼んでみるのも一興かと」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあ、確かに」

 それで来るなら本当に得したもんだしね。淡々と告げる秘色に、確かにやってみるのも一興かと納得する。少しだけ目を伏せて考え、頷いた。

「わかったわ。やってみる。・・・・とりあえず、秘色はこっちに敵がこないように足止めを。あと、あそこのフルフェイスの男は、結構やるから気をつけて」
「我が君の御心のままに」

 そう、芝居がかった調子で秘色は答えて、口元に笑みを刷く。嬉しくて仕方ないと、そう言わんばかりに、ほころんだ口元で。ばさりと、純白の翼が広がる。光の結晶のように、きらきらと月光を受ける様は、本当に綺麗だ。ハルバートが、ぎゅ、と持ちなおされて、動く。
 気がつけば、秘色は翔けていた。空を、羽ばたいて。黒い群れが、動揺に蠢く。あ。と思ったときにはもう遅かった。銀のハルバートは、刹那で朱に染まっていた。
 一瞬、一薙ぎ、夜に吹き出す、赤い噴水。大きな銀のハルバートを掲げて振り下ろすと、断末魔が響く。屠るように腕が動いて、一瞬で飛ぶのは敵の慣れの果て。結構、きついものがあるなと思いつつ、その凄惨な光景から瑪瑙を隠すように動く。しがみついてきた瑪瑙の手を上から撫でて、息を吸った。秘色は言いつけ通り、足止めをしている。ルヴァイドが、私達の方へ来るよりも、秘色に標的を変えているのがその証拠だ。自分のしでかした失態に、内心歯軋りしてることだろうと、嘲笑しながら目を閉じる。集中する。今は少し、離れている血桜の姿を思い浮かべて。実際、本当に飛んでくるのかなんて知らない。
 嘘かもしれない。無理なのかもしれない。だけど、出きるのならばこれほど便利なこともないだろう。だから、確かめるように。

「血桜」

 名前を、呼んだ。