月下飛行 6
紅の姫は、当然のように手の中にあった。瞼の裏で深紅が閃いたと同時に手元に舞い戻った血桜で(ミラクルだ)敵を切り捨てた刹那、辺り一面を覆った霧に、眉を顰める。
最初は薄い靄のようだったそれが、そう間を置かずに濃く深くなっていったことに、明らかに自然現象ではないと推測できる。召喚術か何かか、ともかくも人為的なものには違いないだろう。ミルク色の視界は、一寸先もろくろく見れたものじゃない。瑪瑙を背後に、周りの怒号に耳を傾けた。何気に一箇所に集められていたのか、マグナやトリス達も周囲にいるおかげで(取り囲まれてたわけなんだけど)彼等の会話もよく聞こえる。ネスティの狼狽する声や、イオスのまるでどこぞのアニメを彷彿とさせる台詞にそういやしばらく見てないなぁ、とか暢気に考え、ぐるりと視線を巡らした。
「ちゃん・・・これって・・・」
「十中八苦、ミモザさん達でしょ。視界は悪いけど、イオス達のように眩むほどではないし」
恐らく、この霧は対象者を選べるという優れものなんだろう。その証拠に混乱している敵、らしき人影は一向にこちらにはこず、てんで的外れのところで剣を振りまわしている。
とりあえず、私達としても纏まってなくては行動しにくい。瑪瑙の手を掴み引っ張りながら、かろうじて見えるアメル達の横につく。ばさばさ、と聞こえた羽音に顔を向ければ、秘色が迷いもなく私の横に降り立った。音もなく、実に静かで優雅な着地である。
「我が君。これはこのままでよろしいのですか?」
「まあね。これ味方のしたことだから。お疲れ様秘色」
「在り難きお言葉に御座います」
そういってただ微笑む秘色に、とりあえずその改まった態度何とかしてもらわないとやりにくいなぁ、と頭の片隅で考え、混乱して慌てているネスティの後ろ頭をどついた。ついでに同じように慌てているマグナの頭もどついておく。
「いたっ。い、いきなり何をするんだっ」
「はいはい五月蝿いよー。とにかく落ちつけ、これは敵がしたことじゃないから」
「え?どういうこと、。これは一体、なにが起こったっていうんだ?」
「まあ、平たく言えば」
ぐりん、と必死の形相で振りかえったネスティをさらりと流しながら、困惑しているマグナに肩を竦める。少しぐらい予想が立ちそうなものなのに判らないものなのかしら、と内心で呟いて説明しようと口を開きかけ、不意に響いた声に口をつぐんだ。
――さあ、今のうちにお逃げなさい。
どこから聞こえているのか全くわからない声に、驚いたようにマグナ達が目を見開く。
逆に私は目を眇め、ハルバートを構えた秘色を片手で制して、どこともしれない虚空を見つめた。
――目くらましの霧が貴方たちを守っているうちに、急いで・・・。
反響し合うように木霊する声は、所在が掴めない。けれどその声に私達に対する敵意、というものは感じられず吐息を零した。なるほど。ギブソンさんが言っていた「適任な人材」か。気配どころか声の在り処すらもわからない、謎の助っ人は相当な実力者のようだ。
もっとも、あの二人が手配する人材に「並」の人間などそうはいないだろうが。しかしそれにしても、はて。今の声どこぞで聞いた覚えがあるんだが。なんかこう柔和というか食えないというか底知れないというかなんというか。声から感じるイメージが、そんな感じなのである。私が聞いた中でそんな印象を持たせ尚且つ男、といえば生憎とまだ一人しか覚えていない。
「まあ、いいか・・・とりあえず、味方なのは確実だからマグナ。心配しないで」
「え?味方って・・・」
「!・・・・・・・君が言っていたのは、これのことか?」
「イエスザッツライト。平たく言えば、援軍です」
一瞬逡巡するが、今現在の状況でそんなこと考察しているわけにも行かず、すっぱり思考を切り捨てる。びくびくしているマグナにそうやって諭しながら、さて、ではどうやって逃亡しようかしら、という方に思考を切り換えた。さすがに私が陣頭指揮はとれないぞ、地理がわからないんだから。しかもこの霧だ。これを為した人物が逃げ道を提示してくれない限り、ぶっちゃけ逃げようにも逃げられない。まあたぶんそろそろ・・・。と、視線を泳がせたところで、故意になのか、見なれた人影が前方に現れた。おおう?
「みんな、こっちだ!」
「先輩達っ?!なんでここに!」
「あら、まさか本気でバレてなかったと思ってたわけ?」
「君達の考えそうなことぐらいお見通しだ。全く、水臭い後輩どもめ!」
「すみません・・・」
戦場だというのに明るい笑顔で告げるミモザさん達に、安堵のような申し訳無いような、そんな複雑な顔で答えるトリス達。しかし、それでも重苦しい絶望感漂っていた空気が払拭されたのは嬉しいことだ。何分、心意気で負けてしまったら、勝とうにも勝てないのだから。いやしかし、それにしても。
「おっそいですよ二人共。もう少し早く来れなかったんですか?」
じとり、と非難するように目を半眼にすると、ミモザさんが苦笑して肩を竦めた。え、という視線が多数向けられるがそこは軽やかに無視するべし。
「ごめんなさいね。こっちとしても予想外に敵が多くて、入りこむ隙を窺ってたのよ」
「が召喚術を発動してくれたおかげで、周りも浮き足立ってやっと入れたんだ。ギリギリで間に合ったわけだし、それで見逃してくれないか?」
「まあ、お二人と・・・あと一人?の介入がなければ確実にここでジ・エンドだったわけですから、あんまり強くはいいませんが。今度からはもう少し早くお願いしたいです」
私マジで大変だったんですから。戦闘経験皆無の人間がここまでやれたことが本気で素晴らしいよ。人間、死ぬ気になれば本当にできないことはないって思いましたよ。
あれだねぇ、命張ってれば大概のことはできるといういい見本だ。でもこんな命がけの見本は二度と見せたくないけど。それにしても、ルヴァイドの相手をしていただけでもかなり周りの助けになったんじゃないかと思うよ、私は。つか当たる人物のことごとくが主力って一体どういう了見だろうね!下手したら死んでましたから!と妙に自信満々に胸を張りつつ、崩していた顔を引き締める。さてもとにかく和やかな会話はここで終わらせて。
「この目くらまし、どれぐらい持ちますか?」
「長い時間は無理だ。とにかく急いで包囲網から抜け出さないと」
「オッケー、わかりました。・・・・マグナ、レオルド、バルレル、フォルテが先導して後続にトリス、ミニス、アメル、瑪瑙、ケイナ、最後尾はリューグとネスティとレシィと私で固めて即行で走りぬける」
とりあえず基本前線組で突破、中間に援護系統で非接近戦タイプ、最後尾も同じく前線組で背後からのもしもの奇襲に備える。疲労やら魔力の残りの問題などがあるが、たぶん大丈夫だろう。ある程度ミモザさん達が抑えてくれると思うし、この際意地でも逃げてやる。
逃げは負けではない。この場合はアメルが捕まらない事、そして私達が生き延びることが私達にとっての「勝ち」だ。
「全員聞いたわね?じゃ、その順番でぐずぐずせずにさっさと行きなさい!」
「わかった!」
間髪いれず指示を飛ばすと、頷いてマグナ達が駆け出す。疲労の影は色濃く見えたが、しかしそこで立ち止まっている暇などないのだ。この目くらましが十分に敵の視界を遮っている間に、事を進めなければ意味がないのだから。瑪瑙がちらりと不安そうに視線を向けてきたが(私が最後尾なことが心配なのだろう)にこり、と笑みを浮かべた。
大丈夫だと、強い意思をこめて笑顔で頷くと、瑪瑙は唇を噛み締めて前を向く。走り出した背中を見つめて私も駆け出そうとし、そこで異様な殺気を駆け出した先に感じて目を見開いた。ミルク色の深い霧を切り裂くように、黒い人影が踊り出る。獣を思わせる低い咆哮が、辺りに響いて息を詰めた。
「ルヴァイド!?」
ミニスの悲鳴じみた声に、それが誰なのかようやっと私は知ることができた。なにせ、私は最後尾で前方の様子など霧に阻まれよく見えなかったのだから。
しかしそれでも、その事実には目を剥くしかない。ルヴァイドだって?!焦りを覚えると、まだ近くにいたミモザさんが信じられない!と声を張り上げた。
「嘘でしょ!?ただの霧じゃないのよ、これって・・・っ」
最後は呟くように吐き出され、私はだろうな、と頷く。ただの霧ごときで、これほどまでに旅団の陣形が崩れることはまず有り得ない。ならば、それ相応の何かが働く術だというのは容易に想像がつく。しかし、だというのならば何故それがルヴァイドに通じなかったのだろう。ミモザさんの疑問、否。逃げようとしていた全ての人間の疑問に答えるように、ルヴァイドが嘲笑する。
「他の者は惑わせてもこの俺にまやかしなど通じぬわ!デグレアの勝利のため絶対にこの手に捕らえてみせる!!」
咆哮。あぁ、まるで己の命すら削るような。それはとても強い、ルヴァイドが、最初から全てをかけて決めていた、果たそうとしている目的。傷ついた色を見せても辛酸を舐めようと屈辱を味わおうと、そう。あの時知ったように、その瞳の奥で計り知れない苦悩があろうとも。
例え己がどうなろうと、ルヴァイドはその目的の為だけに全てを投げ打つのだろう。傍らで、私を守るようにして背後についていた秘色が、呟いた。
「確固たる決意、か」
それがやけに耳に残った。決意、呆然と呟き、あぁそうか、と納得する。黒い鎧にマントを靡かせ、惑う周りすらもその視界にいれず、その括りにも嵌らずただ一つの目的のために、他を圧し切り捨て、掴もうとするその姿。佇む姿。目はただひとつだけを見据えて、傷つこうとどうなろうと構わない、なんて自虐的な、けれどなんて尊い。執念、信念。己の全てをかけて行う、覚悟を決めた男の姿がそこにある。強い決意の前に小手先の術などなんの意味も為さないのだ!
あぁ、思わず溜息が零れる。・・・なんて厄介なことこの上ない男なのだろう!呆然としている時間は、そんなに長くはなかった。けれど、ルヴァイドは宣言するかのように、自らの覚悟を言い聞かせるようにただデグレアの為に!と叫んだ刹那、その屈強な手を、その勝利の証へと伸ばした。
「きゃあぁぁ!!」
「アメルちゃんっ!!」
気づいたときにはもう遅い。迷い無く伸ばされた腕はアメルへと伸ばされ。その大きく固い剣を握る手が、少女の華奢でか弱い腕を掴もうとし、瑪瑙が顔を青褪めさせる。どうにもできない、間に合わない?――――否。赤い、残像が翻る。
「させるかよおォォォォ!!!!」
「なにぃっ!?」
ガギィンと濁った音が響き、リューグが振り上げた斧がルヴァイドを弾き返す。うわぁ、なんか今までの一切合財が溜まり溜まったような一撃だ。それほどまでに、激烈。
驚愕に声を張り上げたルヴァイドが踏鞴を踏み、リューグがアメルをその背に庇い、憎しみの篭った、燃える烈火のごとき苛烈な瞳で、睨み据える。なんと強い、目。
意思の篭った、そう。そこには憎しみだけではない、アメルを守るという自分の芯を定める意志の篭った眼差しがある。
「もうテメェなんかに誰も奪わせはしねぇ・・・アメルは俺が守る!!」
「リューグ・・・っ」
雄雄しく告げる、声が響く。熱烈だねぇと場違いなことを考えつつ、駆け出した。
ルヴァイドが、リューグから受けた衝撃を流すように頭を左右に振る。踏鞴を踏んだ足を踏みしめ、けれどそれでも前を向いて。
「くそっ・・・だが、こんなことで俺を倒せはしないっ」
「でしょうね」
告げる。振り向く、顔。ルヴァイドが剣を振り上げる。相変わらず素晴らしい反応で。けれど、嗤う。
「ギブソンさん!!」
「―――疾く、闇の雲より現れ黄泉の光を閃かせん」
びくりと、ルヴァイドの動きが止まる。仮面の奥から見える瞳が、見開いたのがかろうじてわかった。止め様にもギブソンさんは後ろ。援護者はいない。私はすぐさま横っ飛びにルヴァイドから離れ、顔をあげた。・・・・・・・・・・終わりだ。
「いでよ!!」
ギブソンさんが最後の言霊を紡ぐとほぼ同時に、辺りを青白く染め変える雷撃が、天空から大地に突き立った。ピシャアァァァン!!とけたたましい音と共に、まるで闇を裂くような稲妻がルヴァイドの上へと降り注ぐ。あれ、直撃したら即死するんじゃないだろうか、と考えたのも束の間、パキィンと何かが割れたような乾いた音が聞こえ、はっと目を見開いた。
ふわりと、割れた仮面からルヴァイドの印象的な、深い赤紫の髪が肩口に滑り落ちる。整った精悍な顔が、憤怒の形相で周囲にさらされて。ぽつりと、誰かが呟いた言葉を耳が拾った。
「あれが、ルヴァイドの素顔・・・」
そういやルヴァイドの顔、私しか見てなかったんだっけかな。ていうかよくあれで生きてられるな。ものすごい耐性だ。と、やはりどこかズレた思考で考えつつ、怒りに我を忘れたように吼えるルヴァイドに踵を返した。
「んじゃまあ後よろしくお願いしますお二人共!」
「任せたまえ!」
「えぇ?!ちょっと、それは・・・!」
「心配しないでケイナちゃん。引き際は心得てるわよ。時間を稼ぐだけ!」
パッチリとウインクを飛ばしたミモザさんの姿は、堂々としていて無条件に信頼できる強さがある。その自信に溢れた姿をみて、逃げることに躊躇っていたケイナも、信じることに決めたのか覚悟した顔で頷き、踵を返した。ふぅ。とりあえず周りも逃げるべきだと判断してくれたのか、各々がすでに逃走を始めている。私も前を行く人を見失わないように気をつけて駆けだし。
「え・・・?」
白い視界に、赤い光が横切った。刹那、頭にけたたましい警告音が響き、ひくんと喉が震える。赤い光。丸い焦点。真っ直ぐ伸びた、その先。
狙われている?
すとんと落ちてきた答えに、血の気が引いた。視線が走る。狙う先、赤い道筋、元を追いかけて。ミルク色が薄れてきた向こう側、佇む、漆黒のフォルムと、不気味なその影。
脳内がスパークした。合点が行く。しまった、思う暇なく。狙われている。伸びている。真っ直ぐに。一寸の狂いもなく!向かう先―――――アメルだ!!
ガゥン―――――
赤い筋道を辿る、一つの弾丸が視界を横切った。駆け出す。走る。間に合う?間に合え!!聞こえる声。響く悲鳴。呼ぶ、名前。見開いた。飛びこむ、光景。
頭が、真っ白になった。