セタスチウムは喜びに震える



 入り口の垂れ幕が音をたてて捲れあがり、驚いて向けた視線の先。





 最初に歓び。歓喜に打ち震えて、ぽろりと落ちた涙に驚いて目を見開き、しかしその余韻に浸る間もなく、更なる驚愕が私に襲い掛かる。ほろほろと涙を流しながら、少女が流れるような動作で目の前に跪いたのだ!
 その後ろで同じように――否、私よりも遥かに驚いた様子で目を見開くイオスと二人で、跪く少女を凝視する。一体全体何事だと、突然の闖入者に困惑していると跪いて(それはさながら、玉座の主君に対するかのように)項垂れていた少女が青白い面をあげる。幼い可愛らしい顔立ち。こんな軍隊にいるには到底似つかわしくないその容貌。華奢な体に、女性としてまだまだ未発達の四肢が益々違和感を誘う。
 あまりにも、今目の前で跪く少女が捕虜の天幕にいるには相応しくなく、また、捕虜に対する態度も不可解過ぎた。それにしても、随分と顔色の悪い子だなぁ、と現実逃避も兼ねて的外れなことを考えていると、少女は薄く唇を震わせて、次の瞬間に大きく目を見開いた。一点を凝視し、硬直する。
 そうしてみるみる内に目が剣呑さを帯び始め(今更私に対して何か思うところがあったの?!)一気に少女の纏っていた華やかな歓喜が、底冷えするような怒りに取って代わった。その劇的な変化に、空恐ろしさを覚えながら心持ち後ろに身を引く。
 秘色がさりげなく私の横について庇ってくれる位置に立った。さすが私の護衛獣!あぁ、なにかされるのかなぁと少し遠い目をしたのも一瞬、少女は容姿に合わない物凄いドスの効いた低い声で、呟いた。

「イオスちゃん・・・様に、なにやってんのォ・・・?」
「な、なにを・・・」

 錆びたブリキ細工なみのぎこちなさで、ゆっくりと後ろを振り向く少女。イオスは戸惑いながら、少女の言葉の意味が掴めていないらしく眉間に皺を寄せた。けれども、少女が完全に振り向けば目を見開いて顔から血の気が失せていく。幸いにも、私には見えないから少女がどんな顔をしているかはわからないので、一つの緊張感から解放されたようにほっと肩の力を抜いた。抜いたが、さておき何がどうなっているのやら。底冷えするような声で、イオスに呼びかけた少女はゆらりと立ち上がる。

様に縄をかける、なんて無礼なこと・・・死んでも文句言えないよ?」
「馬鹿を言うな。捕虜を拘束するのは当たり前だろう」
「へぇ・・・そういうこというんだ。捕虜だから?たかがその程度の理由で、様を!!イオスちゃん、そんなに死にたいんだァ?」

 キャハハハ、と甲高い笑い声に、ビクリとイオスと私の肩が跳ねる。異様な威圧感である。
 軽い物言いとは裏腹に、内容は物騒だ。まあ、正直何ゆえそんな話になるのか私には皆目見当もつかないのだが。イオスの言い分の方が明らかにに正しいだろう、この場合。だというのに、小さい体からは不気味なまでの何かが溢れだし、ともすればそのままイオスを殺しかねないほどの殺気が少女の瞳に宿る。ぞくりと背筋に悪寒が走った。危険信号が脳内に鳴り響く。まずい。
 まずいまずいまずいまずい――――イオスが、死ぬ。殺意と共に見えた明確なビジョンに、ひゅっと息を呑んだ。ごきりと、少女の手が鳴る。益々溢れてくるそれ。まるで、そうレイムに感じたものと同じ。あるいはバルレルからのものとも似て。秘色とは、少しだけ違う。それは天使という力の差なのか、ともかくもそれはとてつもなく危険な代物だ。
 イオスの顔がどんどん青褪めていく。殺意、魔力、憤怒――そんな負の感情に当てられて、血の気をなくした、瑪瑙のように。危険だ!!と内心で叫ぶと咄嗟に私は口を開いた。

「ちょっと待って」

 動きかけた少女が、私の声にビクリと反応する。その瞬間、天幕内を占めていた恐ろしい空気が固まり、破裂したように掻き消えた。イオスは情けなくも座り込むような事はなかったが、よろめいて天幕を支える柱の一つに寄りかかった。どっと汗が噴き出る。どくどくと心臓を動かしながら、驚いたようにこちらを振り向いた少女を見つめた。
 なんの変哲もない少女だ。顔色がすこぶる悪く――恐らく、まともな人間ではないのだろう、という点さえ考えなければ、どこにでもいそうな少女なのだが。目を見開いて、硬直している少女に軽く息を吸ってぎこちなく笑みを浮かべる。そうすれば益々目を驚愕に見開くのだから、もう一体全体なにがなんだか。

「えーと、その、・・・・あー、名前!うん。そう、君の名前はなにかなー?」

 物凄い苦しい話題転換である。止めたはいいものの、特に話題を用意していたわけではなく、苦し紛れに吐き出したそれはあまりにもお粗末な代物だ。人間、混乱してくると本当にくだらないことしか言えないものだ。かといって今現在、私の脳内でこれ以上の話題は出てこず、ともかくも少女の殺意を逸らせることが一番だと判じた。
 乗ってきてくれると嬉しいなぁ、と思いつつへらりと愛想笑いを浮かべ続けると、少女は二、三回ほど瞬きをして、はっとしたようにこちらに体全体を向ける。そうしてもう一度鮮やかな動作で跪いた。どうしてそこで跪く必要が?!

「申し訳ありませんっ様。名乗りもせずになんたるご無礼を・・・!」
「・・・・・・・はい?」

 え、なにその物凄い恭しい態度。ていうか敬語?!パチクリと瞬きをして反応に困っていると、少女は泣きそうな顔で(うわぁやべぇなんか許さないと今すぐにも切腹しそう?!)拳を握る。もうわけがわからん!!と内心で絶叫し、私は脱力すると軽く項垂れた。

「あぁ、いいよ、別に。気にしてないから・・・」
「・・・・真に、御座いますか・・・?」
「うん。気にしてない。だからそんな、泣きそうな顔をしないで?」

 旅団側であろう人物が、なんでまた捕虜に対してここまで恭しいのか。イオスからのキツイ視線を貰いつつ(感謝して欲しいぐらいだ、助けたんだから)ぐったりとして私は溜息を零した。ふっ。なんだかこの世界に来てから私、変なことに巻き込まれすぎだ。あぁ、あの平穏が懐かしい・・・遠い目をしながら、苦笑を浮かべる。

「それで?名前は」
「はい。ビーニャ、と申します」

 項垂れて答えられ、明らかに今立場的に可笑しいよな?と思いつつもあえてそこには突っ込まない事にする。突っ込んだところで、きっと私が望む応えなんぞ与えられはしないことだろう。イオスの奇異の視線もなんのその、今だ項垂れたままのビーニャに視線をやり、口の中でその名を転がす。

「ビーニャ」
「・・・・!は、いっ」
「可愛い名前ね」
「っ!!!!!!」

 あ、真っ赤になった。あの劇的に悪かった顔色が、血行よくなったね、というよりも更に赤くなってまさしく赤面である。顔を赤くして、私を凝視するビーニャはふにゃりと泣きそうに顔を崩して俯いた。肩が小刻みに震えて、拳を握っている。敵に向けてする発言ではない、とは思いつつも、なんだか色んな意味でもう今更な気もしてくる。
 だってあれだ。ビーニャが私に対して敵だのなんだのという態度ではないのだ。そういう雰囲気になるでもなし、どちらかというとこれは秘色染みている。更に言うならレイムか、はたまたバルレルか?私はそんなに好かれるようなことをしただろうか、と思いつつ(全くもってそんな記憶は欠片とも有り得ない)微妙な雰囲気の天幕に視線を流した。
 可笑しな話だ。何故捕虜である私に対してビーニャがこんな反応するのだとか、立場が可笑しいとか、イオスもうなんか存在忘れられてない?とか、様々なことがいっしょくたになって、微妙な世界を構成している。全く、私の周りにはもう常識だとか平穏だとかは無縁になっているのだろうか。あぁ、瑪瑙に会いたい。癒されたい。切実にこの状況から解放されたいと思いつつ、所在無く視線をさ迷わせて秘色を振りかえる。

「うおっ秘色?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんでも、ございません」

 いやなんでもないってそんな馬鹿な。明らかに不満そうな顔をして、むすりとしている秘色においおい、と思いつつも本人は私が見ていることが判っているのか、さらりと顔を笑顔に戻す。偽物ではなく、それは確かに笑顔なのだが、これはきっと私が前を向けば間違いなく再び不機嫌になるだろう。容易に想像できる事柄に、再び変な事になった、と思って顔を前に戻す。そして今度は、

「・・・・・・・ビーニャ?」
「なんでもないですゥ、様」
「・・・・・・・・ふーん・・・・」

 さっきまでのしおらしい態度は何処へやら、秘色を見る目は絶対零度の輝きを秘めて寒々しい。私に向ける顔は見事なまでに愛らしいのだが、なんだこの態度の豹変振り。
 確実に言える。今両者の間で火花どころか稲妻が走った。むしろカーン、というゴングの音が聞こえた気が。空耳?

「キャハハハ!やぁだぁ、いい様じゃない、紛いモノ!」
「・・・・相変わらず品のない笑い声だ。我が君の耳を汚す気か、消え果ろ」
「消えるのはあんたなんじゃないのォ?半端な紛いモノが、様の近くに図々しく居座るなんて、身の程知らずもいいとこォ」
「私がどうであれ、少なくとも貴様よりは遥かに様の役に立てるのは歴然とした事実だ。物を壊すしかできぬ餓鬼が何を言おうと、負け犬の遠吠えにしか聞こえぬな」
「・・・・・・本っ当、昔っからアタシあんたのこと気に入らなかったの。壊してあげようかァ?」
「その言葉、そっくりそのまま返してやろう。・・・・元より貴様など、我が君の目に映す価値もない」

 うっわなにこの仲の悪さ。私はそそくさと距離を取りながら、呆然と口汚く罵り合う二人を眺めた。元々知り合いだったんだろうなぁこの様子だと。秘色は冷然と、ビーニャは苛々と互いを睨み合う様を眺めて、首を傾げた。しかし喧嘩の内容に何故私が含まれているのか。
 不穏な気配の漂う中で、イオスに視線を向ける。イオスももう最早なにがなんだかついてこれていないらしい。唖然とした顔でビーニャと秘色を眺めて、私の視線に気づいたのか顔を向けてくる。そして無言のアイコンタクト。

 何がどうなってるの。
 僕が知りたい、そんなこと。
 あの子仲間なんでしょ。
 だから余計わからないんだ。というか、仲間なんかじゃない!
 ふぅん?どうでもいいけど、止めた方がよさげ?
 なに?・・・・「な、何をしているんだビーニャ!!!」

 そこでアイコンタクトは終了し、イオスの切羽詰った声に鬱陶しげにビーニャが視線を向けてくる。だから明らかに私に対するのと違うよね、その顔。邪魔するならアンタも消すよ?と言わんばかりの極悪さで、ビーニャは片手に魔力を込めていく。秘色も秘色で、武器はないけど召喚術はできるのか、ビーニャとは反対の手に力を集めているものだから天幕内は妙な圧迫感に包まれている。二人してなんかもう今から召喚術発動させます、と言わんばかりの魔力の高ぶりにぞっとしない。
 一触即発、あるいは修羅場。どちらかが動けば、確実に爆発するだろうことが伺える。恐ろしい。こんな狭い天幕内でんなもんがぶつかったらどうなることか。私にまでとばっちりが!!ちょっと二人の相性が壊滅的に悪いのはわかったけど、やめてここ密室だからぁ!
 イオスがなんとか止めようと声を荒げているが、ビーニャが聞く様子もなければ、秘色がイオスの言を聞き入れる筈がない。無駄な努力?と思いつつ、しかし止めなければ被害は私にも及ぶのだ。とりあえず声をかけてみるか、と思って私は吐息を零した。

「二人とも、迷惑だからやめて」
「はぁい様っ」
「御意に」
「なんなんだその態度の違いは!!??」

 語尾にハートがつきそうな猫撫で声で、きゃるん、と小首を傾げてビーニャが魔力を霧散させる。すっと手を降ろし、こちらも魔力を弾けさせるとぐるぐると雁字搦めのまま、秘色は頭を下げる。さっきまでのあれはなんだったんだ、と問いかけたいぐらいあまりにもあっさりと、そして嬉々として収まるのだから、イオスのちょっと半泣きな訴えもとても理解できる。
 私としてもなんなのこいつ等、という心境だ。天幕内を覆っていた不穏さもなりを潜め、あるのはただうっとりと微笑むビーニャと(その視線は私に向けられている、)同じく微笑む秘色と(やっぱり私に以下略)頭を抱えそうな勢いで唸るイオス、そして、捕虜のはずなのに、明らかに今この場の主導権を握っている私のみである。・・・・全くもって、意味がわからない。