1.悪夢の生まれる音



 プルルルル、プルルルル、と聞きなれた電話の呼び出し音に読んでいた雑誌から顔をあげてサイドテーブルを見やる。もっしゃもっしゃと葉っぱを食していたはずのカタツムリ・・・電伝虫、という摩訶不思議生命体が小刻みに震え、自分の口からプルルル、と鳴らしていた。非常にシュールな光景だなぁ、と毎度のことながら思いつつ、ベッドから起き上がることもせずに、こっち来い、と電伝虫を呼び寄せてプルルルといいながらこちらに寄ってきたそれが手の届く範囲にきたところで、ようやく腕を伸ばして受話器を手に取った。
 ガチャリ、という音までも電伝虫がいうのはいかがなものだろう。そう思いつつ、小さな受話器を耳にあて、雑誌を再び捲りながら口を開いた。

「もしもし?」
『遅い。もっと早くでんか!』
「ちょっと遠くにいたもんで。なぁに、瑪瑙の情報でも何か入ったの?」

 そうでないなら一々電話してくんなよ、と思いながらあ、この靴かわいー、と物色していると、受話器の向こうでハァ、という溜息が聞こえてきた。
 ちらりと電伝虫の顔を見れば、眉間に皺を寄せて怖い顔をしながらも疲労感の滲む顔をしていて、これ本当にどういう仕組みになってんのかな、と思わず指先を電伝虫に伸ばした。
 そっと眉間の皺を解すように指先をいれてくにくにと弄れば、いやん、とでもいうように首・・・首?顔?をくねらせる。・・・やっぱ原型カタツムリなだけあってぬめるわ。あんま触らないでおこ。すぐに指を退かして(物足りない顔されても・・・)、近くのティッシュで指先を拭き取ってからで?と促す。用事もなくかけてくるなんて時間と労力の無駄など、この男はするはずがないのだから。そもそも、海軍もでない人間と一々連絡を取ることすら不本意に違いないのだし。けだるそうに先を促すと、受話器の向こうで、相手の空気がピリリを変わったのを感じた。

『・・・お前に仕事だ』
「仕事、ねぇ。今度はどこの海賊を潰せばいいのかしら」
『白ひげ海賊団』
「・・・・・・・マジで?」

 めんどいなぁ、と思いつつも契約は契約なのだし、と渋々問いかければ、返ってきたのは思わぬ名前だ。さすがに目を丸くして確認のように問えば、重々しい声が電波に乗って流れてくる。その声に伊達や酔狂でもないのか、と(元よりこんな冗談相手が言うはずもないのだけど)思いながらさすがに事がでかいな、と雑誌のページを閉じ、身を起こしながらベッドボードに背中を預ける。

「どういうつもり?あれに手を出すことは基本ご法度だったと思うけど」
『事情が変わった。詳しいことは本部で話す』
「まぁさすがに電話じゃ無理か・・・あの海賊団を潰すってことは、総戦力で当たるってことでしょう?七武海も召集するつもり?」
『腹立たしいことにな。この戦争、あいつらの「力」は必要になるだろう・・・お前とも顔合わせしてもらうぞ、
「・・・・・・・・・・非常に行きたくないんですけど・・・」
『お前の心情など知らん。今どこにいる』
「とあるリゾート地?あー・・・わかったわかった。行くけど、何時ごろ着けるかっていう正確な時間はわからないわ。近くなったらまた連絡する。・・・けど、ねぇ。センゴク」
『なんだ』
「―――その戦争、勝っても負けても「今まで通り」ではいられなくなるわよ」

 呟くように言えば、受話器の向こうで沈黙が落ちる。ベッドから降り、素足でペタペタとフローリングの上を歩きながら、大きな窓にかかるレースをシャッと音をたてて開け放つ。
 視界に広がるのは白く美しい町並みと、透き通るようなエメラルドグリーンの海。遠く水平線が空と接し、僅かに弧を描くように湾曲している様をじっと見つめながら穏やかな光景に吐息を零した。

「均衡は崩れ、秩序は乱れる。それだけの代償を払う価値が?」
『―――【正義】のためだ』

 低く、紡がれた一言は。重く、深く、痛みを篭めて。それでも譲れない想いがあるから、ただそれだけは誰にも折れない決意を秘めていたから。
 たった三文字の、響きなのに。それこそが自分の存在する意味なのだと、胸を張って言って見せるから。
 頑固だよなぁ、と思いながら、そう、と短く返事を返した。例えば世界の全てが変わっても、きっとこの男の中にあるものだけは変わらないのだろう。硬く律した、男の信念を、変えられるものなどありはしないのだろう。・・・・面倒臭いな、本当。

『出来る限り早く来い。まぁ、こちらとしてもどれだけ集まるか知らんがな』
「なんてーか、大変ね」
『そう思うなら、お前海軍に入れ』
「やぁよ。大変なところに入りたくない」

 海賊でもないし賞金稼ぎでもないけど、海軍に入りたいわけでもないのよ。どこかに正式に所属してしまっては、今後の行動に支障が出るし?てか忙殺されそうだし?海軍って。それはちょっと遠慮したい。
 肩を竦め、切るわよ、と言えばあぁ、と短い返事が返ってくる。それに受話器を電伝虫の上に戻し、チン、と音がすればうぅん、と背筋を伸ばした。
 寝そべって雑誌を見ていたからか、不自然な形に固まっていた筋肉がゆっくりと伸びて弛緩していくのがわかる。軽く腰を捻り、体を解してからさて、と顔をあげた。

「・・・そろそろ会えそうな気がするなぁ」

 にぃ、と口角を吊り上げ、とくりと打った心臓に、そっと手をあてた。
 もうすぐ会えるのだと、何かが囁いた。