5.予定された終焉の時
静寂は一瞬。悲鳴は戦場を動かす。魂を切るような叫びは大気を震わせ、一つの真っ直ぐな稚い心を滅茶苦茶に蹂躙する。
思ったよりも脆いものね、と精神だけでなく肉体すら最早限界であったのか、正気を失い意識をなくした少年の、見るに耐えない有様を一瞥し血桜を更に押し込もうかと力を篭めた刹那、迫りくる影が視界の端を横切った。パッと血桜から手を放し、その場から勢い良く飛び退る。瞬間、先ほどまでいた場所に地響きとともにクレーターがあき、ゆらりと巨体が大きく揺らいだ。
「・・・海侠のジンベエ・・・」
とん、と赤犬の隣に着地すれば、先ほどの私の一連の行動に虚を突かれていた赤犬も表情を引き締め、裏切り者となる魚人を睨みすえた。
かくいう魚人も怒りと後悔、絶望と憎悪にくわりと縦に開いた瞳孔でこちらを睨んでいて、あれは海王類が怒ったときの目ねぇ、とくすくすと笑った。心地よいほどの怒気。殺意にも似たそれに微笑めば、ぎりぃ、と魚人は唇を噛んだ。つぅ、と唇の端から流れた血は、人と同じ赤色だ。
「怖いわねぇ。もう少しでぺっちゃんこになるところだったわ」
「武器を手放してどうするんじゃ、おまん。素手であれとやる気か」
「まさか。私、肉弾戦は苦手なのよ」
血桜は今だ火拳の背中に突き立ったまま。すでに力の無い彼と、最早意識のない麦藁に縋るように寄り添う瑪瑙が、涙に濡れる目でこちらを見る。どうして、と問いかけるそれに困ったように眉を下げながら、軽く掌を上に向けた。
「血桜」
呼べば、掌にかかる重み。躊躇いなく握れば、驚いたような目を赤犬と魚人から注がれ、私はそれを切り払うように血桜を一閃させた。紅の刀身に付着した、さきほどまで啜っていた他者の血液がまるで桜の花弁のように飛び散る。
「あぁ、逃げちゃうわね。どうするの?サカズキ」
「・・つくづく、おまんはわからんな・・・。だが、わしが犯罪者を逃がすと思ってか!」
魚人の背中越しに、同じ仲間に背負われ、あるいは抱き上げられ、連れ去られていく様子を垣間見れば、赤犬はごぼっと体を灼熱に溶かし、噴き上げた。だがそれを、文字通り体を張って止めるのは魚人だ。てか、マグマ相手にまじで体張って止めるってどうよ。火傷とかいう前に溶けるぞ。そう思いながら、ここは追いかけて留め刺すべきなのかなぁ、とちらりと考えながら、赤犬と魚人をすり抜けた。気がついた魚人が、ぎょろりとした目をこちらに向ける。
「お前・・・!」
「気を抜いたら死ぬよー」
一応、忠告だけはしておく。赤犬の攻撃の片手間に、私を止めることは不可能だ。赤犬もわかっているから、鼻を鳴らして更にマグマの熱量を増やしていくのがわかる。息ピッタリ、とは言わないけれど、即席のコンビネーションにしては上々か。
そうしている内に、追いかける私に気がついたのか周りから攻撃の手が加えられる、妨害の意思が見えるそれをいなし、時に退けながら、抱きかかえられ、後方が見えるのだろう瑪瑙が、大きく目を見開いて私をみた。
「ちゃん・・・!」
反射だろうか、本能だろうか。伸ばされた右手を掴むはずが、ついで上空と前方から飛来したものに、断念せざるを得なかった。・・・・・・・・・邪魔だな。
上空の敵に覇気を飛ばし、前方の敵には血桜で応戦する。ギィン、と響く鈍い音が鼓膜を震わせ、痺れるような衝撃が掌から腕に伝わる。爛々と輝く眼差しはまさしく憤怒と憎悪で濁っていて、ふん、と鼻で笑うと剣を弾いて距離をとった。あーあ。行っちゃうわ。
「全く、後から後からぼうふらのように・・・。負け戦よ、早々に去りなさい」
「黙れ!テメェだけは・・・テメェだけは、許さねぇよい!!」
「悔やんでも悔やみきれん・・・一瞬の抜かり!」
ぎらり。牙を向く青と白刃。それを弾きながら、赤いマグマが更に彼らの後ろを追うように飛んでいくのが見えた。あら、と見やれば気がついたのか青い鳥は慌ててそちらに進路を取ってしまい、その隙を狙おうかと思ったのだが花剣に邪魔をされた。さすがにここらのサポートは仲間同士だけはあるなぁ。感心しながら、剣と剣との応酬を続ける。
赤犬の執念は凄まじく、けれどそれを退ける白髭も中々だ。・・・・最早、決着はついたも同然のように思うのに。
ギィン、と花剣の剣を一本飛ばす。それに歯噛みをするように奥歯を食いしばった男がバックステップで後ろに下がった。仲間と合流する気か。連携でこられるとさすがに骨だなぁ。赤犬がコンビネーションプレイに参加してくれるとも限らないし。
そんな赤犬はいっそしつこいまでに火拳と麦藁に追いすがっていたが、不死鳥に邪魔されて思うようにいかないらしい。あ、魚人が麦藁を抱きかかえていっちゃった。まぁ、この場合逃げる以外に選択肢はないだろうから、いい判断だとは思うけど。
逃げる海賊。追う海軍。生きる為に逃げるものと、殺すために追いかけるもの。守る為に刃向かうものとを、蹂躙しつくすために追いすがるもの。熾烈な鬼ごっこは、やがて現れた巨大な存在に、その関係を寸断された。
どんっ
大気が震え、大地が悲鳴をあげる。吹き飛ぶ瓦礫と、穴の空く地面。振動が爆風を押し返し、人が立っていられないほどの揺れが大地を揺るがす。亀裂は縦横無尽に大地を駆け巡り、足場を崩し、やがて背後の建築物さえも巻き込んで崩していった。揺れはまだ続く。大地だけでなく海にまで及ぶそれは、波を高く泡立たせ氷を砕く。ゆらりと、巨体は立ち上がった。
「白ひげ・・・!」
誰が、そう言ったか。私と、不死鳥、そして花剣の間に立ち塞がるように、それは聳え立った。人間にしてみたら有り得ない巨体。全身に裂傷や銃創を負いながらも、ただ静かにそこに立つ男の周囲はゆらりと揺らめいて見えた。言葉は無い。けれども、小さくなった瞳孔、何より纏う全てが、彼の人の深い深い怒りを表しているようで、私は今だ立つのも困難な状況で、男を見上げながら瞳を眇めた。
「・・・なるほど、ねぇ」
呟けば、ピクリと動く眉。やがて収まる揺れにゆっくりと立ち上がりながら、膝についた土を払って背筋を伸ばした。
「分断したわけ。大した父性愛だこと」
「・・・・」
無言か。それでも意図はわかる。倒れた火拳。満身創痍の麦藁。傷だらけの海賊。これ以上戦うことは無益だ。戦えば戦うだけ、死者しか出さない。それは耐え難いだろう。それは許しがたいだろう。すでに目的の一つは失われかけ、これ以上の喪失は男にとってただの傷にしかなりはしない。だから、分けた。生きながらえさせる為に。そして、終わらせる為に。
ただ一人、立ち止まって。
ふふ、と笑い声を零した。周囲はざわめく。マリンフォードを寸断した白ひげに、海軍ならず海賊までも声を張り上げる中、全てを庇うように立つ男に、目を細める。
海賊たちは船に乗り込み始めている。何人かはこちら側に残ったこの男を必死に呼んでいるようだが、しかしこの男は動くまい。逃げる海賊を捕まえようと動く海軍を、白髭がその力で持って振り払う。満身創痍のくせに、一歩も後ろにひきやしない。
どこからその力が出てくるのか。あぁそうね、守るためだものね。あーあ。全く、損なタイプ!
「退きなさい」
「え?」
呟き、瞳を眇める。どん、と震えたのは大気か、それとも人の心の内か。泡を吹いて周囲が倒れる中を、悠然と歩いて白髭の元まで進み出た。倒れないのはそれなりの実力者達で、けれどその動きさえ止めるように気配を開放させたまま歩を進める。
動けずに硬直し、青褪め見開いた視線を受けながら、薙刀を支えに立つ男の前に立った。
空間は開け、丸く円を描く。対峙した男が、眉を寄せて私を見下ろした。
「テメェ・・・」
「ふふ、怖い顔。初めまして、白髭。私があなたの大事な息子を手にかけた人間よ」
嫣然と微笑めば、怒気が膨らんだのがわかった。いや、殺気か。どちらにしろそのせいでまた周囲の人間が泡を吹いて倒れたのがわかる。おかげで静かになったから、話もしやすくなったけど。
「なるほどなぁ・・・殺されにきたか、小娘ぇ」
「まさか。でも、そうね・・・そのチャンスは、あげたいと思うの」
こてん、と首を傾げる。勿論、死ぬ気はさらさらないけれど。意味深長に、含むように告げてにこりと笑えば、訝しく寄せられる眉。固唾を呑む周囲を尻目に血桜を持ち直すと、するりとその切っ先を白髭に向け、息を吸うと腹の底から空気を震わせるように、高らかに告げた。
「私の名は。白ひげ海賊団船長、エドワード・ニューゲート。貴殿に死合いを申し込む」
一対一。何者にも邪魔をされない、純粋なる死合いを、交えようではないか。
真っ直ぐに言いやれば、白髭の目が丸く見開かれる。ざわ、とざわめく周囲など関係ない。何を馬鹿な、と怒鳴る声も関係ない。
「・・・何を考えてやがる、テメェ」
「別に、なにも?しいていうなら、あなたがこれを受ければやっと全てを終わらせることができるってぐらいかしら」
この馬鹿馬鹿しいまでに続く殺し合いも、世界の命運を分ける戦争も。何もかも、一度の終止符は打たれるだろう。いい加減、終わらせたいのだ。最早なんの益も生まないこの戦いを。私の目的は当に達成され、あとはこれさえ終われば晴れて自由の身。
得る為に、終わらせたいのだ。だからこそ、ここに宣告しよう。
「終わらせる為に。犠牲者を出すのはもう終わりにしちゃいましょう」
「・・・・っふ。エースを刺した張本人が、それをいうか」
「刺した本人だから言うのよ」
髪をかきあげながらすまして言えば、彼は堪えきれないように大きな笑い声をあげ、そこに爛々と、怒りとは別の好戦的な熱を称えて私を見下ろした。いや、怒りは消えてはいない。だが、それに勝るとも劣らない興奮が男を包んでいる。そう、それは、白髭ではなくて、ただの、戦士としての。
「グララララララ!!!いいだろう・・・受けてたってやるよ、尻の青い小娘が!」
「失敬な。こうみえてあんたよりも結構人生経験は豊富よ」
「笑わせるな、小娘ぇ!」
本当なのに。そう思いながら、ぶおん、と薙刀を揮った風圧に気圧されながら、にぃ、と口角を吊り上げ、赤い刀身を構えた。ぴりっとした緊張が、周囲を支配する。
「――――、推して参る」
「白ひげ海賊団、エドワード・ニューゲート・・・・・受けて立ってやろうじゃねぇか!!」
それは、ただの武人の、殺し合い。