うわさの君
「女官殿と抱き合っていたという話は本当かい?」
唐突とも言える話題に、胡乱気に眉を顰めて眼前の男を見る。男は至極整った顔に艶やかな微笑みを浮かべ、小首を傾げて返答を待っていた。抱えている書簡を持ちなおして、小さく溜息を落とす。
「噂だ」
「見た、という人間が多数いるようだけれど?」
「噂だと言ってるだろう。全てが真実じゃない」
「なるほど。つまり、女官殿と居たというのは本当というわけか」
納得したように頷き、楽しげに目を細める男は某友人が言うように確かに常春という名称が似合いである。年がら年中、というわけではないが大半がその類のことについて抜かりがないのがなんともいえない。いや、ただの女好きだとかたらしではないことも、勿論知ってはいるけれど。
楸瑛の楽しげな視線を横顔に受けつつ、かといって邪推されるような仲ではない、と私は至って堂々と(傍から見たら飄々と)廊下を歩いていく。邪推されようが、なんであろうが、事実が多少なりとも含まれていようが、別に私に被害は何もない。
あえていうのなら彼女に群がる男共から嫌がらせがくるかもしれないが、逆に仕返ししてやることぐらいわけないのだ。ついでにいうならそんなこと許さない人間が多数存在しているので、至って問題ない。
「絳攸と同じく女性に興味がないのかと心配していたけれど、いやぁ安心したよ」
「絳攸に言えば間違いなく怒髪天を衝くだろうな」
「助けてくれないのかい?」
「巻き込まれるのはご免だね」
「薄情だねぇ、君は。それでは瑪瑙殿からも見放されてしまうよ」
「それはない」
さらり、と言われて僅かに眉を顰め、相手まで知れているのかと思いながら、反射的に否定を投げる。僅かに目を見開いた楸瑛を一瞥し、唇から吐息を洩らした。全く、楸瑛の情報網は侮れない。その為の女漁りだとは知ってはいたけれど。
噂というのは馬鹿にならないというかむしろ貴重な情報源、情報操作のできる素晴らしい手段であるから。くだらない娯楽とも言えるが、ともかくも厄介な話である。肩を竦め振りかえると、興味深そうに目を細める色男。その様子にふ、と口元を崩し、目線を動かし(流し目という奴だ)逆に自慢するように胸を張った。さらしで潰してるそこが若干苦しい。
「私が瑪瑙を見放すことがないように、瑪瑙が私を見放すことはないよ。私の名をかけてもいい、それは絶対だ」
「随分な自信だね・・・昔からの?」
「まあそんなところ」
「君にそこまで言わせる女性とは、なかなか興味深い。そういえば彼女は女官の中でも一等の美人だとか」
「美人っていうより美少女の類だと思うけどな。別に口説いたって構いはしないけど、瑪瑙が本気で嫌がる、もしくは迷惑だと思うなら邪魔するから覚悟しとけ?」
「肝に銘じておくよ、と言いたいが・・・口説いてもいいのかい?」
「個人の自由だろ」
「なんというか、うん。噂は噂だってことだねぇ」
「最初から言ってるだろうが」
しみじみと納得したように頷く楸瑛に何を今更、と目を半眼にする。誰も恋仲だとはいってないし、恋仲になることもない。あくまで私と瑪瑙は友人という関係だ。だって私女だし。かといってその事実を楸瑛に話す気はないので、沈黙を貫いた。
別にそっちの人に対して偏見はないけれど、少なくとも瑪瑙に対してそういう感情は一切ない。まあ、大切で愛しい、私の一番守りたい、大事にしたい子ではあるけれど、でもそれは恋ではない。愛だ。友愛、親愛、そういった類の、でもそれが一等私の中で重く大きいだけであって。
「いや、でも安心したよ」
「何が」
「いや、君に恋人ができたら絳攸が嫉妬するだろうなぁ、と思ってね」
「本人は全面否定するだろうけどな」
あくまであいつはツンデレだ。ツンの比率がどえらい高いが。しかも無自覚。何故あんなにも懐かれたのかわからない。うーん・・・一応楸瑛と同じ立ち位置のはずなんだけど。ついでにもしも恋人なんかが出来たら・・・確実にその相手が闇に葬られる気がするのは何故だろうか。
いや、わかりきってるけどもしもその時は全力で止めに入らないと。つらつら考えていると、それに、と楸瑛が呟く。うん?と眉を動かすと、にこりと爽やかに微笑みながら楸瑛は私の頬に指先を当てた。
「私も、君がもしも女性に夢中になってしまったら、少し嫉妬してしまうかもしれないしね」
「心配してたとか言ってる割に、随分と可愛いことをいう」
ぺし、と頬を撫でる手を叩いてふ、と微笑すると、楸瑛は叩かれた手をひらひらと動かして、甘えてもいいんだろう?とのたまいた。そういやそんな事も言ったかな、と思いつつ、肩を竦めておく。
「どうせなら三つ子に甘えたらどうだ?」
「あはは、面白い冗談だね」
そういう割りに目が笑ってないよ、楸瑛。別に怯むことはないが、鬱陶しげに視線を向けて、書簡を持ちなおす。次は邵可殿のところにいって資料でも探してこないとなぁ、と思いつつ、晴れやかな快晴を仰ぎ見た。
「あぁ、そうだ」
「なんだ、楸瑛」
「さっきから気になっていたんだけど」
「何を?」
「さっきから視界にチラチラ入ってくるのは絳攸君じゃないかなあ」
「そういえばさっきからうろうろしてたな」
相槌を打ち、頷いてからゆっくりと視線を動かす。庭園でうろうろうろうろと右往左往している、傍から見たらいつもの冷静沈着李絳攸、わかるひとがみりゃわかる、確実に迷子になったのだろう後ろ姿に、生ぬるい目を向けた。
「絳攸専用の糸でも張り巡らせればいいんじゃないか」
「糸?」
「行き先を色で塗り分けた糸を、その道順に張り巡らせておく。それを辿ればいくら絳攸でも迷わないだろう。例え視界に目的地があるっていうのに迷うような才能でも」
「あぁ、それはいい案だ。今度提案しておこう」
「切られたらお終いだけどな」
「・・・そうなったら今度こそ彼泣くかもしれないね」
遠い目をして笑い含みにぼやいた楸瑛に、こっくりと頷いた。泣かなくても確実に餓死するだろうな、きっと。
ていうかはよ助けてやれ、という天のお告げは聞かなかったことにしておく。