魅惑の王者



「渡されてないということは、つまりそのままの意味だろうさ」

 劣等感も落胆もないまま、さらりとなんでもないことのように告げた彼に、2人の顔が顰められた。





「そういえば主上。お聞きしたいことがあったんですが」
「ん?なんだ、絳攸」

 走らせていた筆を止めて硯に置き、首を傾げて劉輝に合わせて楸瑛も手を止めて絳攸を見やる。絳攸は抱えた書類を落とさないように持ちなおしてから、どこか言い難そうに顔を顰め、それでも口を開いた。

「何故、―――に花を渡さなかったのです?」

 その一瞬、確かに場が静まり返った。それはあまりに一瞬でそして決して軽くはない沈黙で、楸瑛がうっそりと目を細める。顔を仏頂面に歪めている絳攸は何故という疑問をありのままに劉輝に向けていた。自分達に花が渡されるというのならば、に花がないのは可笑しい。
 何故ならばあまり認めたくはないが、事実として彼等は3人で主上付きとなっているからだ。
 俗に腐れ縁ともいうがさておき、能力でいえばお互いに差はなく、信を置く部下だというのならば、も入らなければ可笑しい。基本的に彼は彼で中々どうして食えないを通り越している人間ではあるが、信頼を置くには十分な人柄のはずである。
 そもそも、実はは1人だけちゃっかり劉輝と接触を図っており、実はそこそこ仲がよかったという事実もあっただけに、彼に花が渡されていなかったという事実に絳攸は驚いたものだ。自分達と同じように渡っていると信じて疑わなかったといってもいい。ずっと一緒などと馬鹿げたことも気色の悪いことも言わないがそれでも、きっとそうなるだろうと思っていただけに彼の口から「渡されてないよそんなもん」と告げられた瞬間は馬鹿みたいに口をあけていたものだ。
 問いかけたまま口を閉ざして主の言を待つ絳攸と同じく、口元を袖で隠して楸瑛がそっと目を細める。彼にしてもそれは疑問であったのだ。
 理由はほぼ絳攸と同じく、何よりこの主上のことだ。自分達よりも少々付き合いの長い彼を選ぶことは確実だろうと思っていただけに、疑問は常に浮かぶ。

自分達だけに渡された花。彼には渡されなかった花。

 選ばれなかったと口さがない連中に密やかな陰口を叩かれているのを彼は知っており、理由があるのならば聞きたいところだった。正直友人が侮辱される様は不愉快極まりない。彼がそんなもの微塵も気にしていないとしても、楸瑛にとっては非常に不愉快な話である。
 劉輝は2人分の視線を受け、眉を潜めて唇を真一文字に引き結ぶとゆらゆらと視線を揺らし、はぁと溜息を零す。卓上に肘をつき、そして組み合わせた手で口元を隠すと、長い睫毛に縁取られた白い瞼を半分ほど伏せた。

「信頼、していないわけじゃない」
「なら、何故。正直に言いますがあれはかなり優秀ですよ」
「そうだねぇ。仕事の能力も然る事ながら、人としても中々優秀な部類だと思いますよ。まあ、いささか、いや大分、食えない人柄ではありますが」
「うむ。それはわかっているのだ。余もできるならば花を渡したい相手だとは、思う。だが、」

 そこで言葉を区切り、双花菖蒲を見やり劉輝は眉間に皺を刻んだ。
 そんな煮え切らない様子に同じく眉を潜め、続きを待てば彼はしばしの躊躇いのあと、2人から顔を反らし窓を見て―――遠くを、見つめた。

「――あれは、人の下にはつかない人間だと、思ったのだ」
「え?」
「あぁ、この言い方は正しくないか。必要とあればあれは膝を折ることも厭わないだろう。誰かの下につくことに、反感を覚えるような人間でもない」

 けれどなぁ、と劉輝は眉を潜めた。そういう問題ではないのだ、と薄い唇を震わせる。

「あれは人の上に立つ人間だ。家柄だとかそういうことではなく、彼の本質が、そう思わせる」

 吐息を零すように紡がれ、2人が言葉を失う。戸惑うように揺れる目に気づき、劉輝は窓から首を戻し、花を渡した臣を見つめると、やんわりと苦笑した。

「言うならば紅黎深。あれのような人間だとでも言った方がわかりやすいか?あれは余の下になどつかない、絶対的に上に立つ人間だ。別に黎深のように天上天下唯我独尊というどーしよーもない性格というわけではないが、あれは絶対に強者なのだ。立場的に、は仕えるものであるけれど、絶対の臣下にはなれないならない。余が花を渡す前に、きっとあれは受け取らないと、思ったのだ。―――は、君臨者なのだ」

 余は王だ。けれどあれもまた「王」なのだ。誰かに膝を折り忠誠を誓う臣下ではなく、誰かに膝を折られ忠誠を誓われる立場の人間。
 有る意味で何よりも対等な存在であるといえる。それは家柄や血筋といったものではなく、人間が持つ本質がそう思わせるものでしかない。

「そんな人間に、花を渡せるはずがない――渡したいと思っても、渡せる相手ではないのだ」

 上に立つ人間だから。決して劉輝の元に膝を折ることはないから。彼は君臨者。
 劉輝以上にきっと王らしい王のはずだ。ただ彼に今その気がないだけで、きっとそれは彼の性格からしてこの先一生ないことだろうけれど、もしも下克上を狙うのであれば彼ほど王になれる人間もいないと、劉輝は断じる。
 厳かに告げられたそれに目を丸くする――――あぁ。そうかと、納得して。

「・・・確かに、花を受け取る側の人間では、ないな」
「むしろ、渡す側の人間だね、彼は」

 溜息のような吐息を零し、楸瑛はまいったな、とぼやく。
 もしも、もしも彼が王であったのなら―――自分は、藍の名すら捨てて、仕えることを、決めたかもしれないと、ぞくりと背筋に悪寒にも似た何かが走る。
 各州を治める者達にとって、自州は首都よりも大事なものだ。例えここが混乱の真っ只中にあろうと優先するべきは自州の民のこと。なのにその代々から植え込まれていた本能にも似た刷り込みを覆すかのような――絶対者に、なっていたかもしれない、と。
 空恐ろしい心地で、額に浮かんだ汗をそれとなく拭い楸瑛は目許を覆い隠す。傍らで絳攸が息を呑んで沈黙しているのを、もしかしたら自分と同じことを思ったのかもしれない、と思いながらも楸瑛はむぅ、と口を閉ざした劉輝から視線を外し、窓の外を見つめて。

「―――彼が紫の名を持たないことが、幸か不幸なのか・・・」

 むしろここまでくるといっそ運命のような気さえする、とぼやく言葉に反論はない。