乙女心とデリカシー



 ばっちーん、とそれはそれは大きく派手な音が食堂内に響き渡った。





 目の前で星が飛んだ、と呟いたにティエドールは濡れタオルを差し出しながら、前の椅子に腰掛けた。受け取った濡れタオルで現場を見ていた誰かの善意なのか、テーブルの上の氷の入った袋を包んで真っ赤に腫れた頬に押し当てる。その瞬間痛みが走ったのか、僅かに眉が潜められた。口の中を切らなかったのは幸いかもしれない。もみじ型、とまではいかないが赤くなった頬は痛々しい有様で、その見事な腫れように感心の吐息を零し、ティエドールは口を開いた。

「また力一杯叩かれたものだね、。今度は何をしたんだい?」
「・・・別に、何も」

 むっすりと、いささか不機嫌そうに、温厚な彼にしては珍しく顰められた顔にティエドールの目が細まる。テーブルの上のコーヒーカップの中に角砂糖を一個落とし、ぐるぐるとティースプーンで掻き混ぜるとコーヒーの香りが辺りに漂った。

「何もせずにクラウドがいきなり手をあげるはずがないのは君もわかってるだろう?何をしたかは知らないが、謝った方がいいんじゃないかい?」

 彼女は出来た人間だ。理不尽に手をあげるような人種ではないことは明白で、こうして場所も憚らず手をあげたということはそれなりのことがあったからなのだろう、とティエドールは睨んでいた。
 まあ偶に、目の前の人物限定で劇的に沸点が低くなることはあれども、こうも盛大に手をあげることはまずないといってもいい。日頃クールで冷静な、落ち着いた雰囲気を醸し出すクラウドだ。あのソカロやクロスとも対等に接することができる彼女が、どうして食堂でに平手を食らわせるという暴挙に出たのか。きっと彼が琴線に触れることをしたのだろう、と思うのは当然の帰結だったのかもしれない。
 柔和に微笑みながら、相手を刺激しないようにゆったりとした口調で諭したティエドールに、は眉を動かしてはぁ、と溜息を零した。

「原因もいまいちわかんねぇのに謝っても益々怒らせるだけだろ」
「わからないのかい?」

 意外そうにティエドールが語尾を上げると、は腫れた頬を冷やしながらがしがしと乱暴に頭を掻き毟った。それが苛立ちを表しているようで、これは本当に心当たりがないのかもしれない、と心中で呟くとティエドールは無言でコーヒーを啜る。そうしてはまた溜息を零すと、気分を落ち着かせるようにストールを引き寄せ、ぎしりと椅子に背中を預けて軋ませた。裾の長い団服のコートを乱しながら足を組み、ガッチリとしたブーツの爪先が組んだ拍子にテーブルの足を蹴る。
 カチャン、とソーサーが動いて音をたてると、あ、ワリ。と簡単な謝罪が零れた。こんなところは素直な子だ、とティエドールの口元が僅かに綻ぶ。まずクロスやソカロだったら素直に謝罪などするはずもなければ、意に介した風も無く腹が立つほど上から目線で見下ろしてくるだろう。
 想像するとなんとなく腹立たしい。今更ではあるが。そんなズレた思考を展開すると、無言で天井を睨んでいたが、物々しく口を開いた。

「・・平手食う前のこと考えれば、それが原因なんだろうってことはわかるんだ」
「ん?ならどうしてそれについて謝らないんだい?」
「だから、なんでそれをしたから怒られるのかってことがわかんねぇんだよ。俺はただあいが食ってたメンチカツが美味そうだったからそれを一口貰っただけだぞ?」
「勝手に食べたのかい、

 それは、まあ怒られるかもしれないがそれでも腑に落ちない。その程度で平手打ちをするような心の狭い子でもないし、食に五月蝿いわけでもない。
 小言程度は貰うかもしれないが、やはりその程度が関の山だろう。問いかけながらも可笑しいな、と首を傾げたティエドールに、は一応断った、とむっすりとした顔で答えた。

「なら益々可笑しいね。他に心当たりは?」
「ない。その直後に叩かれたからな・・・食べられたくなかったら許可しなきゃいいのに」
「うーん。でも断って、許可は貰ったんだろう?なのに怒るなんてクラウドらしくないね」
「だよなー。時々あいつの行動って意味不明で困るんだが・・・謝ろうにも何が悪かったのかわかんねぇし。どうしたらいいんだよ」

 気まずいままなのはさすがに困る、とぼやいたの眉はへにゃん、と下がり、そうしていると元々東洋人の童顔さが際立つように幼さが見えた。そろそろ少年期も過ぎて青年期に移り、頬の輪郭も丸みが取れてシャープなラインになってきたのに、子供っぽく見えて微笑ましい。背丈もそんなに高くはない彼を、ティエドールは微笑ましく見つめながらでも確かに困ったね、多少真剣な声色で囁いた。

「原因がわからないまま謝っても益々クラウドの怒りを煽るだけだろうし、かといって放置しておくのも気まずいね」
「周りに八つ当たりするような人間じゃねぇとは思うけど、このままじゃダメだよな」

 でもどうしたらいいのかわからない、とぼやくにティエドールもお手上げだ。原因さえわかればそれに関して謝り倒せばいいだろう。
 もしもクラウド側に非があるのならば謝る必要はないが、人格を考えると考えにくいことでもある。さて、何がどうしてこんなにも捻れてしまっているのか。
 二人で頭を突き合わせ、うーん、と悩むことしばらく。やがてだーっ!と奇声をあげたが癇癪を起こしたようにわかるかボケェ!!と叫んでも、まあ無理からぬことだろう。
 苦笑を零しながらティエドールはやや冷めたコーヒーを口に含み、でも本当に何が原因なのかな、と考えた。じっと無言で考えていると、不意に談話室の扉の方でちょいちょい、と白い手が手招きしているのが視界に入った。きょとりと瞬くと、ひょっこりと覗き込むように見えた顔に益々目を瞬く。マリア?と小さく呟くが、はクラウドの奇行に頭を抱えていて、そんなティエドールの様子にも気づいていないようだ。
 ティエドールはと入り口のマリアを交互に見やり、隠れるように手招きをする様子からどうやら私にだけ用があるらしい、とコーヒーカップをソーサーの上に置いた。

「ん?ティエドール?」
「少し失礼するよ、

 そう一言断り、不思議そうなの視線を背中に受けながら入り口まで行くと、その脇に佇むマリアに、ティエドールはふんわりと微笑んだ。

「どうしたんだい、マリア。何か用かな」
「えぇ、フロワ。その・・・とクラウドのことなのだけれど」

 華やかな美貌とは裏腹に、やんわりとした笑みを浮かべて軽く首を傾げたマリアに、ティエドールはおや?と眉を動かした。

「マリアは二人の間に何があったか知ってるのか」
「私もあのとき近くにいたのよ。フロワ、悪いけれどしばらくクラウドのことはそっとしておいてくれないかしら」
「どうしてだい?」

 ほとぼりが収まるのを待つ、というのは確かに手でもあるが、どうしてそれをわざわざマリアが言いに来るのか。
 疑問符を浮かべて瞳で理由を問いかければ、多少言いにくそうにマリアは言葉を濁し、そっと談話室を覗き込んだ。どうやらの位置を確認し終えると、ふぅ、と吐息を零してマリアは困ったような苦笑を浮かべた。

「あの時ね、、クラウドから食事を一口貰ったのだけど」
「あぁ、それなら聞いたよ。その直後に平手を貰ったとも。その様子だと原因は他のことみたいだね?」
「えぇ、そうなの。それが・・・その、クラウドの使ってたフォークを、そのまま使ってしまったのよ、
「・・・・えーっと、それは・・・」

 どう返していいのか、言葉に詰まったティエドールに、マリアも苦笑いを返しながら頬に手を添えてふぅ、と吐息を零す。憂い顔は様になっていたが、話題が話題だけに非常に微妙な問題だった。
 なんというか、甘酸っぱい。そんな甘酸っぱい時期はいささか過ぎてしまったティエドールにしてみれば、若いなぁ、と呟く他なかった。

「新しいフォークを持ってくればよかったんだけど、が面倒だからって言って・・・わかるのよ、確かにわざわざ一口のために新しいものなんて持ってくるのは面倒だって。でも、ねぇ?」
「そうだね。クラウドのことを考えるとそれは頂けないね」
「でしょう?は鈍いし、クラウドも素直に認めるような子じゃないし、これはもう時間を置くしかないと思うの。そうすればクラウドの頭も冷えると思うから」

 そういって、まるで仕方のない妹や弟を見守る姉のような眼差しで、マリアはどう思う?とティエドールに尋ねた。それに、彼もまた保護者さながらの顔つきで、それが一番だと思うよ、と頷き返し、二人は揃って溜息を零した。
 二人の、というかクラウドの、というべきか。その感情の在り処は本人の考えはどうあれ、近しい周りから見ればわかりやすいことこの上ない。これが関係のない、それこそファインダーなりその辺りでもあればクラウドとの仲は悪いのだろうか、という認識になるのかもしれないが、友人として、また同僚として近くにいるティエドールたちにしてみれば初々しいことこの上ない暴走である。
 無論それをクラウドに指摘すれば間違いなく即答で否定されるだろうし、に尋ねてもトンチンカンな答えが返ってくるだろう。つくづく噛みあわない二人だ、と思いながらティエドールはじゃあ、と口を開いた。

「適当にには誤魔化して伝えておくよ。マリアも、クラウドを宥めるのは任せたよ」
「えぇ、わかったわ。お願いね、フロワ」

 お互いに手を振り合い、別れるとティエドールは去っていくマリアを見届けてふぅ、と溜息を零した。あぁ、なんというか。

「困った二人だね、まったく」

 言いながら、どうやって言い包めようかな、とティエドールは待っているだろうの元へと、踵を返した。