凍るような首筋に口付けを落とし、
あの電波が虐めにあっていたらしい。幸いにもちらともあれに私の存在を気取られることもなく平穏に過ごしていたらそんな話を聞いて、へぇそう、と頷いた。
憤る友人を尻目に、事の顛末を聞いて思ったのはあれが可哀想、ということではなくて、あれに関わった相手が可哀想、である。虐めは別に肉体的暴行に走るでもなく、ただ物がなくなっていくだけという地味な精神攻撃だった。でもまぁきついっちゃきついな。うん。虐めよくない。まぁでもあれに嫉妬する人間ぐらいいるだろうし、あの世界でもそれぐらいの虐めはあったんじゃね?と思うが・・・それでもこの狭い世界で行動するとは、その人いい度胸している。でもバレて今その人は学園中の敵だ。今じゃ敵意向けられて、その人があれにやっていたこと以上のものがしっぺ返しのごとく返ってきているらしい。周囲の言い分からすれば天女を虐めた悪に制裁を、というところか。馬鹿馬鹿しい。その時点でお前らも虐めをした相手と同じようなもんだっての。まぁでも私には関係ないし。その人もばれたときのリスク考えればよかったのに、馬鹿だねぇと言うほかない。悪口混じりに相手を批判する友人の、醜い言葉と歪んだ顔を眺めながらそうだねぇ、と適当に相槌を打ち、溜息を零す。
可哀想なひと。関わってしまったばっかりに不幸になってしまった。それにしても周囲も酷いな。そこまであの電波な天女が良いものなのか・・・わからないなぁ、勝手な言い分で殺された身にしたら。そう思いながら日々やっぱり平穏に過ごしていたら、件の虐めの首謀者、現学園からの嫌われ者なくの一の先輩を見つけた。
ぼろぼろの姿だった。暴行されたのだろうか。体中泥と傷を作って、泣いている。痛々しい。見ていて悲しい。可哀想すぎる。髪は乱れて汚れて、服だって擦り切れて、涙と泥に塗れて汚らしい。ろくな手当てもしていないに違いない、いや、して貰えないのだろうか。
学園から嫌われた人は、怪我人なら敵だろうと助けるというご立派な精神をもった保健委員からも邪険に扱われて、まともな手当てさえされないのだろう。それとも自分が行きにくいのかもしれない。行けば向けられる敵意を恐れているのかもしれない。
彼女は、姿以上に最早心がボロボロに違いない。自殺しても可笑しくない。このままいなくなっても。それは、・・・それは、あまりにもあまりなことではないだろうか?
悲惨な姿に言葉もなく見つめていれば、泣いていた先輩が地面に爪を立てながら何かを呟き始めた。まるで幽鬼のように聞こえる声に、思わず耳を欹てる。
「どうして、どうして私がこんな目にあうの。だって当然じゃない、あの子が悪いのよ、あの子のせいで私死んだのに、なんでよ、私ばっかり、どうしてあの子ばかり愛されるの。復讐して何が悪いの。当然の権利じゃない、どうして、どうして、どうしてあの子ばっかり」
・・・・・んん?聞こえてきた内容に首を傾げ、言葉の意味を考える。なんだ、今の。嫉妬や妬みに駆られて虐めに走った女生徒が呟く恨み言、というよりも・・・まるで私のように、以前の彼女を知っているかのような口ぶりだ。いや、事実そうなのかもしれない。
「私は死んだ。」・・・これは、つまり、そういうことなのではないか?この先輩も、私と同じように死んでこの世界にきた人間なのではないか?私と同じように、あれに巻き込まれて、理不尽に死んだ、そういう人、なのではないか?泣き伏す先輩の項垂れた青白い首筋を見下ろし、そうであるならば、と私はこれ以上ない憐憫の情を覚え、眉を下げた。
「・・・先輩」
「ひっ」
関わりたくないと思っていたのに、その姿はあまりにも憐れだった。昔は普通に良い先輩だった。あの女のように周囲から愛されまくるような存在ではなかったけれど、極々普通に良い人だったし、優しい人だった。それが狂わされたのはきっとあの電波女のせいだったのだろう。びくりとこんなこの人の実力に及びもしない小娘の声掛けに肩を揺らし、恐怖と絶望を浮かべて見開いた目から涙を垂れ流す先輩に、本当こんなに追い詰めなくてもいいだろうに、恋って怖いわぁ、としみじみ思いながら視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
きっと周囲から向けられるのは悪意と敵意ばかりの心無い言葉ばかりだったのだろう。
嫌われて平気な人間がいるはずない。一部だけならいい。でも多くの人間から向けられて、耐えられる存在のどれだけ希少なことか。先輩は今壊れかけている、心を失いかけている。なんて憐れ、なんて惨め。ここまで追い込むほどに、この人の行ったことは惨いことだったの?確かに虐めはよくなかっただろう。悪いことだろう。好きな相手に悪意ある行動は逆鱗に触れただろう。だからといって、人一人ここまで追い詰めるほどの罰が必要か?
もういいじゃないか、十分じゃないか。どれだけ追い詰めればいいの。どれだけ傷つければ満足なの。死ななきゃ許さないの?そうであるなら彼らは、忍びとして失格で、そして人としても多分失格。多分それは私があの女に恐怖を抱いて、あの女の本質を少しでも知っているからこそ思ったことなのだろう。そうでなければこの先輩に関わろうとはしなかったかもしれない。・・・私とは違う方法で、きっとあの女のせいで死んでしまった先輩は、多分同類。
泣いて怯える先輩に手を伸ばし、びくりと目を閉じる先輩に哀れみを感じながら、ゆっくりと乱れた髪を直してやった。
「先輩、大丈夫ですよ。私、先輩のこと嫌いじゃないです。好きですよ。だからそんなに怯えないでください」
「・・・・え、?」
見開いた目、戦慄く唇。青褪める顔をあげて、信じられないものを見たという顔をする先輩に、にこりと笑って見せた。
「お話しましょう、先輩。先輩がどうしてあの人を虐めたのか、どうしてそうしようと思ったのか、全部話して下さい。それから考えましょう。周りにどうしたら許してもらえるか。大丈夫です、どんな荒唐無稽なことだって信じます。だってあの人は「未来」からきた人でしょう?そんなこと信じる人がいるぐらいです。先輩のことだって、信じますよ、私は」
「・・・ほ、んと・・・?」
か細い声での問いかけは、胸が締め付けられるようだった。あぁもう、虐めって怖いなぁ。本当に、こうはなりたくない、と思いながらも最初は見捨てて置くつもりだった自分に失笑する。見て見ぬふりだって、十分悪だったというのに、同類かもしれないというだけでこの掌の返しよう。最低なのは私も一緒か。
これで関わったら確実に厄介なことになるのは目に見えている。わかっている。それぐらいの先は見通せる。だけれども、見過ごせないのはこの人が私と同じだろうから。
私は別にあれに復讐しようとは思わない。この人のように憎んではいない。ただ怖いだけ、気持ち悪いだけ。関わりたくない、どこか遠いところで幸せにでもなんでもなればいいと思う。この人と私は違う、だけど同じだ。見過ごせないのはそういうことだろう。
あと普通に良心というものが疼いたのだ。だってこんなの、あんまりだ。にこりと笑って、はい、と力強く頷くと、その人は口を開閉し、体を震わせてから、更に目から涙を溢れさせて、抱きついてきた。大泣きしながら支離滅裂に語る声を聞きながら、あぁこれで後戻りできないなぁ、ととほりと肩を落とした。