日溜りで待ち合わせ



 それはまるで刷り込まれた雛のような感情だった。仕組まれた好意のようだった。傷ついた幼い子供に差し伸べられたものは、まるで砂糖菓子のように甘く蕩けて、青空と太陽という光溢れる光景が瞳に焼き付けたものはあまりに鮮烈で。
 幼い子供が昔のことだと笑い飛ばすには、それはあまりにも美しい「思い出」だった。
 美しいものに惹かれるのは人の性だ。だからある意味でそれは仕方のなかったことなのかもしれない。美しい記憶を求めて求めて求めて求めて、そうして少女は微笑んで行き着いた。重ねた我慢と努力が溢れて、焦がれるばかりの気持ちがやがて焼き切れて。
 手に取った楽園の鍵は、焦がれた相手の柔肉に食い込み、真っ赤な色で埋めつくしていく。触れた唇の柔らかさに恍惚を零し、少女は愛らしい微笑みに充足と幸福を混ぜて、頭上に広がる青い空を見上げて懐かしむように瞳を細めた。

ちゃん、お空がとってもきれいよ」

 まるで、あの日の空みたいね。睦言のように囁いて、少女はひたりと濡れててらてらと光る鍵を首筋に押し当てる。見下ろした少女の虚ろな目を見つめながら、頬を薔薇色に染めて、一言。

「あいしてる」

 首から噴出した血飛沫は、更に少女を真っ赤に染め上げた。
 やがて黒ずむ色とは思えないほどに、それは鮮やかな色だった。





 他人との差に焦燥を覚えたのはいつ頃だったかな?小学生の・・中、高学年ぐらいから周囲との違いが目に付くようになって。勝ち負けがわかりやすくなってきて。特別負けず嫌いだったわけじゃないけど、それでもやっぱり少しは気にするもので。
 特にそれが、自分の一番身近で近しい、同じといっても差し支えのない存在だったら、その気持ちが強くなるのも当然でしょう?
 姉のほうがなんでもできた。勉強も運動も家事も全部何もかも。同じ双子なのに、姿容は(髪の長さや爪の伸び方といった些細な違いはあれど)全く同じなのに、できることにこんなに差があるなんて思っても見なかった。努力しなかったわけじゃない。だけどいつも双子の姉が私の前に立っている。優しくってなんでもできる自慢のお姉ちゃん。憧れだった。自慢だった。誇りだった。大好きだった。・・・・だけど、妬ましいと思う気持ちがなかった、わけじゃ、ない。なんでもできる姉が、羨ましかった。自分にはできないことをいとも容易く為してしまう姿に憧れると同時に、どうして私はできないんだろうと情けなくも思った。
 憧れと嫉妬はまるで背中合わせに重なっているように存在していて、近しい存在だからこそより克明に実感して。

「夏帆ちゃんは偉いね」
「お家のお手伝いもしてるんでしょう?」
「成績もよくって」
「本当に良い子ねえ」

 褒められるのは姉ばかり。賛辞が贈られるのは姉ばかり。私だってお手伝いしてるもの、私だって勉強頑張ってるもの。私だって、私だって。


 だけど、先行く存在に届かなければ、それはなんの意味もない。


 勝らなければ認められない。勝たなければ認識して貰えない。先引く姉の、更に先に立たなければ、私は決して周囲に認められないのだ。同じ顔なのに。同じ境遇だったはずなのに。どうしてこんなにも違うのかな。どうしてこんなに違ってしまったのかな。大好き、大好きだよお姉ちゃん。だけど嫌い、嫌いだよお姉ちゃん。あなたがいるから私、認めてもらえない。褒められるのは姉ばかり。頼られるのは姉ばかり。愛されてないと思わないわけではないけれど、だけど人間だもの。一番身近な人と比べられて、鬱屈しないなんて、それほどできた人間じゃない。勉強、お姉ちゃんはできるのにって言われた。次を頑張って。でも次を頑張っても届かないの。ねぇ、次っていつになるのかな?運動、お姉ちゃんなら頼りになるけど、って言われた。私じゃ、みんなの足手まといにしかならない。走っても走っても、ねぇ前に追いつけないよ。


 追いつけないよ、お姉ちゃん。


 比べないで、比べないで。私とお姉ちゃんは違うのよ。私はお姉ちゃんじゃないもの。お姉ちゃんみたいにできないもの。だけど認めて欲しいのよ。だけど私を見て欲しいのよ。
 努力が足りない?頑張ってない?・・・結果が伴わなければ、そう見られるのは当然なのかな。頑張ってるもの。努力してるもの。だけど届かないこともあるんだって、言うのは言い訳でしかないの?そうかもしれない、事実かもしれない。ぴしり、と何かが割れる音がする。


「じゃぁ、お姉ちゃんができないことをしたら?」


 無邪気に笑ったのは誰だったかな。大きなジャングルジムのてっぺん。公園の中でお空に一番近いところ。真っ青な空が広がって、きらきら太陽が輝いて。雲が真っ白で眩しかった遠い空。黄緑色の、所々剥げた鉄の棒に足をかけて、下にいた私に話しかけてくれた女の子。泣いていたらどうしたのって声をかけられて。話したらそう言われた。お姉ちゃんができないことが私にできるわけがない!怒ったら、その子は驚いたような顔をして、できるよ!なんて。保障もないこと言ってくれちゃって。

「勉強とか運動とかは無理でも、誰かに優しくするとか気遣うとか、自分じゃなくて周りに何かするとか。そういうことしたら、きっと皆好きになるよ、君のこと」

 見てくれるよきっと。・・・そんなの、なんの確証も保障もないじゃない。それでも好きになんてなってもらえなかったら?見てもらえなかったら?揚げ足なんていくらでも取れた。罵ることも、癇癪起こすことも、聞かなかった振りだって、どんなことでもできただろう。
 だけどできなかったのは、そう、あまりにも青空が女の子に似合っていたから。きらきらの太陽が、あんまりにも眩しかったから。目に染みたように、細めた視界が滲んだのは気のせいだったのかもしれない。



 ぴしぴしぴし。パリン。



 そうして幼い少女は、恋をした。(恋する乙女は盲目なのだと、どこかの誰かが嘯いた)