はちみつ味の笑顔



 落ちた世界。ここは天国?それとも地獄?どっちでもいいの、あの子がいるならどこでも天国。いないのならばただの地獄。ここにはあの子がいないから、地獄に決定。
 知ってるわ。皆優しいの。不審な私を受け入れて住まわせてくれる。優しい人たち、素敵な人たち。だけど、あの子がいない世界にいつまでもいたってしょうがないじゃない。
 折角一緒に、二人でいられる世界に行こうとしたのに。行けたと思ったのに、離れ離れだなんてあんまりだ。これで二人でずっといられると思ったのに。ずっとずっと一緒に、幸せな世界に、行けると思ったのに。二人どころかあの子がいない世界なんて、なんの意味もないじゃない。どれだけ嘆いたか。どれだけ悲しんだか。絶望を、孤独を、憎悪を、どれだけこの世界に抱いたか、きっと私にしかわからない。もう一度死のうとさえしたの。ここが死後の世界なのかはわからないけれど、この世界にあの子がいないのなら、いる意味がないのだから。でも、そう。ふと思い立ったの。ねぇ、だって、私がここにいるということは。

「あの子もここにいるかもしれないじゃない?」

 一緒に死んだのだもの。あの子だってこの世界に落ちてきているかもしれない。ねぇ、そうだとしたら、あの子を置いてはいけないわ。死ぬときは一緒。生きているときも一緒。死が二人を別つまで?冗談じゃないわ。死んでからもずっと一緒よ。病める時も健やかなる時も、ずっと一緒。嗚呼、それはなんて幸福な一生!
 あの子がこの世界にいるかもしれない、いないかもしれない。だけどそうね、いるとしたら出会わなくちゃ。もう一度出会って、そうして始めるの。手を取り合って、愛を誓うの。素敵でしょう。とっても素敵。だから、そうなるための努力は惜しまないつもりよ。
 じゃらじゃらと小銭の溜まった財布を揺らして、少し考える。軍資金はもう少しあった方がいいかしら?文字の読み書きは頑張ったから多少はできると思うの。計算は元々できるからさして困らないけれど、護身術も教えてもらった。この世界、時代?はとても物騒だから、気休めでも身を守る術は必要だもの。忍者がいて、お侍さんがいて、お殿様がいて、戦があって、現代の便利なものなんて一つもない。安全なんて向こうほど保障されないし、そこで生きて大好きなひとと巡り合うために、やることはたくさんあって、どれも一筋縄では手に入らないものばかり。
 でも、苦労は報われるものでしょう?努力は実るものでしょう?報わせてみせるわ絶対に。実らせて見せるわ確実に。それだけを胸に、頑張ってきたの。虐められてもなにをされても、罵られてもどこかの誰かに狙われても。頑張ったわ、私。諦めなかった。挫けなかった。たった一つのために、私は、耐えて見せたのよ。


 だから、ほら。苦労も努力も、報われるためにあるんだわ。


 きらきら、陽だまり。あの時と同じ青空。あの日と同じ青空。真っ青で白い雲のかかる蒼穹。暖かな陽射し。光を受けて、微笑む素顔。嗚呼!!


間違えるはずが無い、間違えられるはずがない。だってあの笑顔は、仕草は、そう、あの子そのまま!


 よくよく見なくてもその顔は私の知っているそれとは違っていた。背丈も体の作りも瞳の色も髪の長さも睫毛の多さも唇の厚さも全部全部全部。そうね、これは別人だわ。全く違う人だわ。すべてが違っていた。かつての彼女とは毛一筋たりとて似ていなかった。それは認める。それは間違いない。けれども直感する。確信する。彼女は、あの子だ。
 瞳の細め方とか。眉毛の下がり方。口角の持ち上がり具合と、何より青空の下が似合うあの微笑み!
 本能が告げる。鼓動が教える。だってこんなにドキドキする人、他にいないもの。だってこんなに頬が熱くなること、他に無いもの。体中の血液がぐんぐん巡って、瞳孔だって大きくなってるに違いないわ。何かのテレビ番組で言ってた。恋すると綺麗になるっていう格言には、科学的根拠があるんだって。女性ホルモンの分泌のせいだったかしら?
 あぁでもそんなことどうでもいいわね。どうでもいいわ。科学もホルモンも瞳孔だって、どうでもいいことだわ。大切なのは、視線の先にあの子がいること。私の近くに彼女がいること。手を伸ばせばすぐ。足を進めればすぐ。ほんの目と鼻の先に、あの子がいること。それだけが大事で大切で重要なこと。だから、今周りにいる彼らは、邪魔以外の何者でもない。
 昔の私ならそれでも我慢してこの現状に甘んじていただろう。邪魔だと思いながら、それでも優しい人たちを跳ね除けることなどできやしなかった。だから我慢しきれずにああしたのに、ここでもそれを行うなんて愚の骨頂。今度は私、思いのままに生きていくの!

ちゃん!!」

 周りを押しのけて、両手を広げて、駆け出して。引き止める声も伸ばされる腕も全部無視!知らないわ、そんなもの。いらないわ、そんなもの。私がいるのは彼女の姿、彼女の体、彼女の命、彼女の心、彼女の声、彼女の笑顔!彼女だけが、私の欲しいもの!
 だって私達、ずっと一緒って約束したもの。そうでしょう?ちゃん。

「だからあなたは邪魔です。そこを退いてください」
「笑えない冗談はよして。あんたがどこかに消えなさい」

 皮一枚、喉に食い込む苦無が私とあなたを隔てる最後の壁だというのなら、私にそれを恐れる必要が、一体どこにあるというのでしょう。