目が眩んで、全て持っていかれた
幸福だった。目の前には大好きな人がいて、お話が出来て、傍にいることができて、おまけにいつも邪魔をする一年の姿もない。私だけが彼女を一人占め。二人っきり。周囲の人がいたって構わない。だって、そんな有象無象なんてなんの価値もないでしょう?
これからの宿題の手伝いをして、あわよくば急接近なんてこともありかもしれない、なんて。脳内桃色と言われようが知ったことではない。ただ、目の前の幸福を噛み締められればいいの。それだけよ。あわよくば、なんてものは妄想でだって構わないのだから。現実になればそれは勿論天にも昇る心地というものでしょうけれど。だから、ね?
「ちゃん!!」
お前が、名前を呼ぶことすら虫唾が走るの。
※
このままこれの喉を掻っ切ってしまえば、少しは静かになるかしら。見上げている大きな瞳が、自分と全く同じ色を浮かべていることに、益々その思いは強くなった。
可笑しいわね、細胞の一欠けらでさえ、最早これとは別人になっていたはずなのに、どうしてこんなにもこれと似ているのかしら。苦無を握る手に力を篭め、僅かに横に動かす。薄皮一枚削ぐように、引いた場所から赤い線が一筋。篭めた殺意は、飾りじゃないはずなのに、少しも怯まない様子に、悟る。
あぁ、お前も同じなのか、と。
瞳に宿る劣情。表情に浮かぶ渇望。そして、目の前を阻むものに対する、憎悪。全く同じ。嫌だわ、違う血肉、細胞、生活、環境だったはずなのに、どうしてこんなにも似ているのかしら。根本が同じだというのかしら。魂レベルで私とこれは同じということかしら。嫌だわ、さすがは元双子の妹。こんなところまで似なくてもいいのに、と浮かべた笑みは嘲り。己と妹。二人を嘲笑い、そして決意する。これは、今ここで消さなければ、何よりも邪魔なものとなる。あぁ、馬鹿な子!にさえ目をつけなければ、その薄汚い命、散らさずともすんだものを!
「嵐山!貴様・・・っ」
うるさく喚く周囲が耳障り。向けられる怒気、いや、殺気かもしれない。狂ったように女に執着する男共、女共から向けられる視線はまるで刃物のように突き刺さる。誰かが武器を手に取る気配がした。ちらりと視線を動かせば、無骨な手に握られる苦無。
それはよく見知った相手でもあったし、かつては友と呼んだ相手でもあったし、好いていた相手でもあった。けれど今やそれも見る影もない。私も、相手も、最早かつてなど無意味であった。
「貴様、秋帆さんにあんなことをしておいて、この上武器を向けるとはどういうつもりだ!!」
「全く・・・最低だな。その人がお前に何をした?」
何を?何を、決まっている。
「これがの名を呼ぶだけで、虫唾が走るの」
「は?」
「に近づこうとしたわね。に触れようとしたわね。お前が、に!あぁ、汚らわしい!!なに?なんなの?なんであんたは私の大切なものにばかり近づくの?趣味が似ているのかしら?思考が似ているのかしら?あぁ、どちらにしてもとても不快。不快だわ。ねえあんた、今後二度とに近づかない触らない声をかけない名前を呼ばない。そう誓ってくれないかしら?そうしたら、そうね。このまま何事もなかったかのように、あの小煩い中に帰してあげる。そこで幸せにおなりなさいな」
「お前、何を言ってるんだ?」
意表を突かれたように。それとも気味が悪そうに?心持ち距離を取る周囲に、何もどうも言葉のままだが、と思いながら、苦無を更に進める。少し深くなる傷。血が、苦無を伝い始める。それでも怯まない様子に、これは本当に目障りでしかないな、と瞳を眇めた。
淡い桜色の紅を塗ったぷるりとした唇が、声を伝えるために戦慄いた。
「冗談じゃないわ」
「秋帆、さん・・・?」
「ちゃんがそこにいるのよ。そこに、目の前に!やっと会えたのに、こんなに近くにいるのに、どうしてあなたなんかにそれを邪魔されなければならないの?あなたの言うことなんて何一つ受け入れられない。受け入れたくも無い。退いて、ちゃんの近くにいけないじゃない!」
声を荒げるところなど見たこともなかったのだろうか。驚いたように目を見開く周囲。それは何も大きな声だけのせいではないだろうけれど、、爛々と目を光らせる女に、最早天女の面影などないだろう。ぐにゃりと、かろうじて保っていた微笑が、崩れるのを自覚した。
「つくづく、あんたは、私を、不愉快に、させるわね」
「私も、あなたが、大嫌い」
私と、あの子の間を邪魔するものは、全部嫌い。そんなところまで似ていて、本当に腹の立つ。ああ、ああ、ああ、ああ。本当に、刺し殺してしまいたくなるほど、似すぎていて気持ちが悪いわ!
「やっと、やっとよ。二人で幸せになるの。二人だけの世界に行くの。私とちゃんの二人で。他なんていらない。他の人なんていらない、無意味よ。邪魔よ。やっとちゃんといられるのに、どうして邪魔ばかりするの!!」
「馬鹿言わないで。は私のよ。は私の世界よ。あんたと二人?あんたなんかと?いい加減にして。そんなことさせるものですか。そんなこと認めるものですか。―――私からを奪うものなんて、存在させてなるものか!!」
私の世界。私の全て。滅茶苦茶に壊れた世界の中で、欠片を集めて構成された、私のちっぽけな箱庭。その中心はで、その全てはで、がいなければ成立しない世界で。
それはなんて重たいものだろう。鬱陶しい、不気味な、気味の悪い感情だろう。わかっていた。私も目の前にいる存在も、狂っていること。妄執に駆られていること。それでも、私は、を奪われることは、我慢できない。たとえそれが、世間から廃絶の対象になったのだとしても。
そうしたのは、紛れもない世間なのだと、大義名分を振りかざして。私は、この女の息の根を止めるだろう。容易いことだ。周囲に誰がいようと関係なかった。この距離で、これが私に抗える理由はない。この距離で、周囲が私を止められる時間はない。実に簡単なことだ。実に容易いことだ。苦無を、もっと深く押し込めば、それだけで、あぁ私の世界は守られる!
迷いなどあるだろうか?躊躇いなどあるだろうか?否、そんなもの、私の中に生まれるはずも無い。これで全てが終わるのだと、確信さえ抱いて、苦無を横に、引く。引く、はずだったのに。
「私、もう猪名寺んとこにお嫁にいきたい・・・」
「ダメよ、!!」
「なんで!?ちゃん!!」
後ろから、ぽつりと聞こえた予想外ののお嫁発言に、殺意も憎悪も吹っ飛ばして慌てて後ろを振り返った。あぁ、まさか最大の敵はこれではなくて、他だったというの?ギリリと握る拳に、爪が食い込んだ。
恐れるべきは、無垢な少年だというのでしょうか。