たいようのにおい



 いくら保健委員だとはいっても、いくら不運な忍たまだと言われても、それでも実は伊作先輩よりはマシだろうと思ってた。
 保健委員を見事六年間連続で務めて不運委員長なんていわれてる伊作先輩はそれはそれは不運なお方で、その不運に比べたらぼくや伏ちゃん、左近先輩とえーと・・その・・・・とりあえず他の委員なんてまだまだ序の口なんじゃないかと思っていた。
 そりゃよく落とし穴には落ちるしボールは当たるし籤はいっつも外れだしなんだか色々巻き込まれるけど、でも伊作先輩ほどじゃない。ああはなりたくない。でもなるかも、なんてちょっぴり不安に思っていたあの頃が懐かしい。
 ぼく、今なら胸を張っていえます、伊作先輩。

「ぼく、今、先輩より不運だ・・・!」

 だって、何故か同学園のくの一、および事務のお姉さんから、命を狙われているのだから。





 わけがわからない。がむしゃらに走りながら、ぐるぐると思考が渦を描くように回ってちっとも答えに行き着かない状態に頭がパンクしそうだ。
 そりゃ勉強はできないし習ったことはすぐ忘れちゃうし、テストで答えに行き着かないことはよくあることだけれど、だけどこんな風に元々ないものを探すような問題は始めてだ。
 きり丸たちとサッカーをしていて、学園がなんだか騒がしいなぁと思ってて、でもいつものことだし、と流してて、普通に遊んでいただけでなんでこんな目にあうのか。
 幸いにもきり丸やしんべヱ、伊助たちは眼中になかったらしく、一直線にぼくを狙ってくれたのは安心でき・・・ないけど多分不幸中の幸いというやつなんだろう。例えどんなに今ぼくの命が脅かされていようとも!

「本当、足だけは速いのね乱太郎」
「ああああありがとうございますーーーー!!!???」

 言いながら手裏剣を投げるのはやめて欲しい。今まで培ってきたは組の勘ともいうべきか、はたまたトラブルに巻き込まれてきた経験かそれとも運なのか。投げられた手裏剣は当たることなく近くの木の幹や地面に刺さり、その間を飛ぶように駆け抜けてひぃひぃと悲鳴をあげる。手裏剣があたらないのはいいことだけれど、でも投げた手裏剣の刃先がてらてら光ってるのを見るとちょっと掠めただけでも危なそうである。
 さすがくの一、毒物はお手の物ということだろうか。超怖い。めちゃ怖い。すっごい怖い!
 とーちゃん、かーちゃん。今まで色んな事件に巻き込まれてきたけど、今が一番怖いです。

「なななななんでいきなりぼくを襲うんですかぁぁぁぁ!!???」
「邪魔だから?」
「なんで?!」

 え、いきなりなんで!?確かに先輩と一緒にいるとき結構邪魔そうにぼくを見てたけど、でもいきなり命狙われるほど嫌がられてるような感じじゃなかったよ?!
 正面を走って、ふと目の前に並べられた小石を見つけて慌てて直角に進路を変える。あぁとうとう競合地域にまできちゃった!どうしよう、この辺落とし穴が一杯あるのに落ちたら一貫の終わりだ!ていうか落とし穴に限らず色んな意味でこの辺危ない!三治朗のFシリーズとかあったらどうする?!ぐるぐるぐるぐる。思考も進路も、同じところを回るようにして必死の思いで先輩から逃げていると、見つけたぁ、というのどかな声が聞こえた。
 その瞬間、ザァ、と顔から血の気が引いたのは言うまでもない。

「もう、乱太郎君もあなたも足が早いんだから・・・ほうら乱太郎君、こっちにおいで?」
「お断りしますーーー!!」

 一回嵐山先輩に襲われて逃げてたらにこにこ笑顔でそういうから助けてもらうつもりで近寄ったら刃物振り下ろしてきたの誰です?!あのときぼくが石に蹴躓いてこけなかったらどうなっていたことか!とりあえず、先輩も事務のお姉さんも第一級の危険人物であることは間違いない。ぼく限定だろうけど!

「一回した手が二度も通じるわけないでしょ。馬鹿じゃないのあんた」
「くの一のくせに一年生一人未だに仕留められてないあなたに言われたく無いわ」

 ハッと馬鹿にしたように先輩が鼻で笑い、それにいささかむっとしたように眉間に皺を寄せてお姉さんが毒を吐く。・・・・事務のお姉さんって、こんな性格だっただろうか・・・?
 少なくとも先輩と険悪な雰囲気を垂れ流すような感じはなかったし、そもそも微笑みながら人に刃物を向けるような人柄ではなかったはずだ。いつだってにこにこ笑って可愛らしくて、先輩やきり丸たちに囲まれていた事務のお姉さんはどこにもいない。
 何故こうなったのか、どうしてぼくなのか、理由がサッパリとわからないから泣きそうになる。これがきり丸たちでなくてよかったと思いはすれども、どうしてぼくなのかと理不尽さに溜息を吐くと、後ろから一声。

「もう終わらせるわよ。邪魔が入ったら面倒だもの」
「そうね、他の子に邪魔なんてされたくないものね。先生たちがきたらもっと面倒」
「全くだ、わ」

 そんな話し声が聞こえた瞬間、目の前に黒い影が落ちてくる。慌てて動いていた足を止めてたたらを踏むと。目の前で僅かに膝を曲げて衝撃を殺した人影が、揺るやかな動作ですっと背筋を伸ばした。あ・・・と引き攣った声が喉からか細く零れ落ちる。

「あ、嵐山、せんぱ・・っ」
「鬼ごっこは終いよ、乱太郎」
「ひっ」

 前に立ち塞がるのは、さっきまで後ろにいたはずの先輩で。長い髪を揺らしながら、赤い唇を歪めてくるり、と手の中で苦無を回した先輩はどこか歪に微笑んだ。

「安心して。一瞬で終わるから。痛いなんてことも感じさせない。ただ乱太郎は、大人しくしてればいいの」
「い、嫌です・・・!」
「ごめんねぇ。乱太郎君に拒否権はないんだぁ。でもこの時代に人権保護なんて法律で決まってないし、無視されても大丈夫だよね」
「ひゃぁ!」

 後ろからかけられた柔らかな声は、いつだって聞こえた優しい声と同じなのに、言ってることは死刑宣告にも等しい。振り返れば、包丁を持った事務のお姉さんが、瞳を細めてやはり歪に笑っていた。その姿は顔の造作も背丈も格好も違うのに、ひどく似通っていて、一瞬二人は血が通っているのではないかと疑うほどだ。だがそれ以上に、全身から血の気が引いて、カタカタと体が震え始める。息詰まるような、こんな言い方は変だが、いっそ穏やかな殺意が空気を重たく張り詰めさせていた。一歩、先輩が近づくたび、一つ、息ができなくなる。一歩、背後からの足音が聞こえるたび、一つ、心臓が早くなる。
 ドッドッドッド。大きく脈打つ心臓が力一杯血液を体中に送り出す。けれどそれも、もしかしたら止まってしまうのかもしれない。
 目の前で、苦無を持つ手に力をこめた先輩に。後ろで、包丁を持つ手に力をこめる秋帆さんに。
 自分は、殺されてしまうのかもしれない。呆然と、まるで地面に根が生えたかのように立ち尽くしていると、微笑んだまま、嵐山先輩が間近で苦無を振り上げた。

「猪名寺!!!」

 悲鳴染みた声に、苦無の切っ先が大きく二重になってぶれてみえて、ぱちりと瞬きをする。まるで眼鏡がなくなってしまったかのように揺れる刃先。同時に腹部に圧迫感を感じ、ふわりと浮く感覚が身を包む。ぐえっと蛙が潰れるような声を出して、ぼくは視界が大きく広がったのを実感した。だって、ずっと下の方に、嵐山先輩と秋帆さんが見えるんだもの。

「う、え、え!?」
「間に合った!超ギリギリ!超セーフ!!もう怖いよー怖いよーなんなのあの人たち!!ヤンデレにもほどがある!!!私にそんな価値ないっての!」

 安堵しているのか泣いているのか怒っているのか、よくわからないテンションで愚痴を叫ぶ声にはひどく聞き覚えがある。ぼくは宙ぶらりんになって揺れる手足に、衝撃でちょっとずれた眼鏡の位置を直しながら、仰ぎ見るように首を逸らした。・・・アァ。

せんぱ、い?」

 蒼い空、白い雲、きらきらのお天道様の光。明るい背後に、けれど先輩の顔はとても申し訳なさそうで、ぼくはひっそりと、さっきまでの出来事なんてすこんと忘れて、こう思った。


 先輩、青空がよく似合うなぁ。


 これで笑顔なら、もっと似合うのに。申し訳なさそうな先輩の、下がった眉尻に勿体無いと、圧迫される腹部に息を零しながら、ぼくはぼんやりと瞬きを繰り返した。