手も心も温かいひと
カッとなってやった。今は反省している。現代でよく聞く一文が、ふと脳裏を過ぎった。
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背後から跳んできた手裏剣や千本を片手に持った苦無で弾き飛ばし、木の陰に隠れる。
カカカッと幹に物が刺さる音が聞こえ、途切れた瞬間に陰から飛び出し近くの縄を苦無で断ち切った。ぶちぃ、と音がして降り注ぐ礫。その中になんかこう、口から出すのも憚れる諸々があったりなかったりするんだが、くのたま作品は、ぶっちゃけ作法委員会よりえげつないものがあるんだよなぁ、と遠い目をした。
「・・・先輩。あれはくの一教室の罠ですか?」
「あははは。大丈夫、あれでも肉体的な殺傷能力はゼロだから。ただ精神的な殺傷能力は保証しないけどね!」
だれの作品なのやら。引き攣った猪名寺の声に、から笑いを返して背後に苦無を投げる。ざすっと地面に刺さると、後ろからどんっと軽い爆発が起きた。びりびりと空気が震え、辺り一体に煙が渦巻く。視界にまで煙が回りこむ前に、風上に走って一足早めに煙の中からの脱出を試みる。振り返ればもうもうと立ち込める煙。いーい煙幕だ。
「げほげほげっほげほ!!!」
「あれ、猪名寺煙吸ったの?」
「げほ、ごほっ。は、はいぃ・・・なんか一瞬風がこっちに吹いて・・・ていうかこれすごく目とかに染みます・・・っ」
「(保健委員会故か・・・)あーそりゃ唐辛子とかなんか色々入ってるからね。まぁでもこれでちょっとは時間稼ぎに、」
なるだろう、という思惑は頬のすぐ横を掠めた鋭い刃先に、飲み込まざるを得なかった。ひぃ!と声にならない悲鳴をあげて慌てて後ろを振り返る。頬がピリピリと痛い。一筋の傷が走っていることは確実だ。まさかまさかまさか!
「ってば前よりも動きがよくなってるじゃない。すごい、頑張ったのね」
もうもうと立ち込める煙の中から、悠然と現れる人影。キュウ、と釣りあがった唇が異様に赤く見えてぞっとしながら、私はあぁ、と吐息に似た恐怖を零した。
「せ、せんぱ・・・」
「ふふ、くの一教室の罠ぐらい、私だって場所の把握はしてるもの。被害に遭わないポイントだって熟知してる・・・残念でした」
にこ、と小首を傾げた笑う先輩はくるくると苦無を手慰みのように回しながら、悠然と近づいてくる。私はじりじりと後ろに下がりながら、どくどくと異常な速さで鼓動を打つ心臓に喉を鳴らした。やばい、先輩の射程距離内に入っちゃう・・・!捕まったら最後なのだと、先輩の実力を考えればおのずとわかる。まず、逃げ出すことは不可能に近いだろう。捕まれば、最後。乱太郎は言わずもがな、私だって危ない気がする。
口角を持ち上げ、三日月に歪んだ笑みとは裏腹にどろりと澱んだ色で、爛々と狂気を光らせる双眸は最早理性があるのかどうかも疑わしい。
ぞくり、と背筋に走ったのは悪寒か恐怖か。一瞬垣間見えたのは、過去か未来かわからない、血まみれの誰か。それは私か他人か犯人か。
「ねぇ。そろそろ追いかけっこも疲れたでしょう?どうしてそれを守るの?それは私と>の邪魔でしかないのに・・・ね?いい子だから渡して頂戴」
「いや、いやいやいや先輩。ここは穏便に!穏便にいきましょうよ!なんでそう短絡的且つ危険思想に走るんですか怖いですって!命は大事に!人類皆兄弟!ラブアンドピース!」
「そんなこと言われても・・・だって、乱太郎のお嫁さんになるんでしょう?」
「えっ。本当ですか、先輩!」
「なんでちょっと嬉しそうなの猪名寺。てか、それは言葉の綾!その場の勢い!本気じゃないですから!」
言い切ると何故か猪名寺が微妙に悲しそうな顔になったがさておき、考え直せ!と声を張り上げれば先輩は少し考えるように首を傾げ、形良い唇に人差し指をつん、と押し当てる。ちっちっちっちーん。
「可能性があるなら、消さなくちゃ」
「ノオオオオオオオ!!!!」
もうこの人殺るっていう選択肢以外ないのか!?頭を抱えて説得って意味ないの!?と嘆けば猪名寺が泣かないで先輩、と慰めてくれる。慰めてくれるが、ぶっちゃけ君の命が危ないんだからね?!なんでそんな余裕なんだ猪名寺!図太いっていうか多分状況わかってないだけな気がする!
「あぁ、でもそうなるとの傍にいる人間を皆消さなくちゃ。と私以外はいらないもの。ねぇ?」
「同意を求められても!私は皆仲良く平和に過ごしたい派です!」
「うふふ、面白い冗談」
「本気なんですけどねぇ?!」
もう何言っても通じない・・・!同じ日本人で同じ国で同じ学び舎で過ごしたのに異国の人間、むしろ異世界の人間と会話しているようだ・・・!ヤンデレは別世界ってことなのね。
燃え尽きて灰になったかのように、体中から力が抜ける。どうしたら、穏便に物事を片付けることができるのだろう・・・。とりあえず人命だけは死守したいのに、それもままならない状況の連続。
えぇい、学園の生徒及び教師はどうした!?これだけ派手に動いてんだから誰かそろそろ助けにこいよ!そろそろ限界なんだよ色んな意味で!こうして元気にはっちゃけているように見えるが、正直精神的にも肉体的にもきついのだ。限界なのだ。まだ体も出来上がっちゃいない十二歳の体で、十歳児を負ぶって自分よりも遙かに強い相手の、本気の殺気に晒されて、一歩間違えれば大怪我も免れない刃物なんかも向けられて投げられながら逃げ続けて。むしろよくここまでもったなと自画自賛の勢いなのである。
ああけれど、けれどもだ。そんなことに、意識を飛ばすべきではなかったのだ!
気がついたときにはすでに遅く、腹部に衝撃。どすんと重たいものを感じると、胃の中から食べたものが這い上がってくる感覚が喉元まで迫る。前屈みになり膝をつき、げほ、と餌付くと視界には黒い足袋の足が二つ並んでいて、私は地面に手をついた。
「先輩!嵐山先輩、先輩になんてことを!」
「うるさい」
背中の猪名寺が非難めいた声をあげると同時に、ガラリと様相を変えた冷たい声音が聞こえてばしんと乾いた音が鳴る。私が腹部の痛みに悶えながら顔をあげると、地面に倒れた猪名寺の姿と片手を振りぬいた姿の嵐山先輩が見え、顔を顰めた。
「せんぱ、」
「ほら、あんた早くそれを片付けてよ。急がないと連中が来るでしょう」
「そういうあなたはちゃんに変なことしないでよね」
腹部の痛みに掠れた声を出すも、突然ひょこりと現れ聞こえた声に、ぎくりと肩が強張る。ぎこちない動きで声がした方向を向けば、極普通の足取りですたすたと軽やかに猪名寺のへと近づく高梨さんの姿があった。手には可愛らしい容姿とは裏腹の凶悪な刃物を持ち、頬を強かに打たれて地面に倒れこむ猪名寺のすぐ横に立つ。ああっ。
「やめ、やめて・・・っ」
「大丈夫よ、。すぐに終わるから。そうしたらあの電波も消して、二人でいようね?」
「嫌だ、ちゃんとずっと一緒にいるのは私よ。乱太郎君を殺したら、すぐにあなたも殺してあげるんだから」
二人の会話がなんだか異次元のそれに聞こえる。なんでそんなに普通に人を殺そうとしてるんだろうか。なんで簡単に殺人という手段を選べるのだろうか。目の前が真っ赤になるような、真っ暗になるような、そんな愕然とした気持ちで、目の前でしゃがみ私の頬を撫でる先輩を見上げる。呆然としている私に、先輩は甘やかに微笑んで、何度も何度も頬を撫でた。
「もうすぐだから。はここで大人しくしてようね?」
「嵐山先輩・・・」
「怪我、したくないでしょう?私もね、に怪我なんて本当はさせたくないの。でも、ねぇ。が乱太郎を庇うなら、すこぉしだけ、おイタは必要よね?」
だっては私ので、それ以外なんてあっちゃいけないでしょう?微笑む先輩は優しくて、撫でてくる手はとても丁寧で優しいのに。瞳の奥が、気持ち悪いぐらいに澱んでる。どろっとした凝りがそこにはあって、背筋がぞくぞくとした。怖い。ただ純粋に覚えたのは恐怖で、私ははくはくと口を戦慄かせた。
「ねぇ。は私が一番よね?私が好きよね?言ったものね、私のことが好きって。言ってくれたものね。ふふ、は嘘なんてつかないものねぇ?私も好きよ、だぁい好き。愛してる。だから、乱太郎のお嫁になるなんて、嘘でも言っちゃいけないわ」
弧を描く唇、三日月にしなる目元。浮かぶのは狂気。執着。嫉妬。憎悪。愛情。恋。ぐちゃぐちゃに混ざって、ぐるぐるに混ざり合って、複雑怪奇な色に染まる、混沌。
立てた爪が頬を辿る。少し食い込んだ先から鈍い痛み。視線が揺らぐ。さ迷う。
「ほら、もう、終わるわ」
向けた先。気がつく。あ、と唇が戦慄く。振り上げる腕の先の刃物。振り上げた先の子供。向けられる殺意。迫る死の間際。猪名寺の見開いた目。蒼白になった頬。嫣然と微笑む気狂い。躊躇いのない手。血飛沫の、先。
ぶっつん。
頭のどこかで、確かにそんな音を聞いた。聞けば最後、腹部の痛みも忘れて跳ね起きた。脊髄反射のように、背筋を反って見える正面。驚きの眼に映るのは、爛々と光る目。腕を伸ばすと、先輩が動く。こっちも反射なのだろう。六年間で築いてきた反射。本能。反復。けれども、一歩遅い。先輩が掴むよりも早く、手首を捉える。捻って、引きずり倒して、背中に膝を乗せて、マウントポジション。下から聞こえる苦痛の声。素知らぬふりをして、近くに転がっていた手裏剣を拾い、投げつけた。ビュン、と音をたてて飛んでいく。歪むことなく、逸れることなく、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、的に目掛けて。
「きゃあ?!」
「ひぃぃ!?」
悲鳴。落ちる刃物、すとーん、とそれは猪名寺の顔のすぐ横。あ、ごめん危なかった。でもまぁ、無事だからいっか。うん、大丈夫。あとで謝ろう。思考の端でそんなことを考える。うん、いーい感じに、ブチ切れた。
「ざけんなよ、この電波どもが・・・!」
私が何をされても怒らないと思ったか。私が何をしても諦めると思ったか。私が、何が起こっても、受け入れると、思ったか。ふざけるなふざけるなふざけるな舐めるな侮るな気狂いどもが!!!
「テメェらいい加減にしやがれざけてんじゃねぇぞありがた迷惑どころかただの迷惑だ病むのもいい加減にしろ私を巻き込むな他人を巻き込むな人間舐めるな命舐めるなマジ腹立つ!!!!」
ぎりぃ、と先輩の腕を捻る手にも力が篭る。痛い、という声に、ハッと鼻で笑ってやった。
「あんたら凶器向けられる怖さ知ってます?刃物が体ん中に食い込む痛さ知ってます?自分の血がどんどん流れてく様見たことあります?自分の体から力が抜けていく喪失感わかります?死ぬってのがどんなのかわかってます?理不尽に身勝手に殺される人間の気持ち、あんたら想像したことあんのか!!!!」
電波天女の手から血が滴る。手裏剣が当たったのだろう。ポタポタと落ちる血の色は赤。電波の血の色も赤色。皆同じ色。当たり前だ、人間なのだから。丸く見開かれた目には、私のどんな姿が見えているのだろうか。
「誰が死にたいって言った!誰が一緒にいたいって言った!思い込みも大概にしろよてめぇの妄想に人を付き合わせて道連れにすんなよ!!!私は生きたかった!生きていたかった!死にたくなかった!殺されたくもなかったし痛い思いも嫌だった!人の意見聞こうよ私が好きなら私の気持ちももっと考えてよもっと人の気持ち想像してよなんで自分の感情ばっかりぶつけるの疲れるし怖いし重いし迷惑だしもう限界だ!」
ずっと思っていて、ずっと感じていて、ずっと言えなかったこと。言う対象がいなかった。言ってもどうしようもなかった。だって終わってしまったことだったから。ぶつける相手など、いるはずもなかったから。
目の奥が熱い、喉が引き攣る。手が震えて、体中が熱い。心臓が早鐘を打って、心が悲鳴をあげた。
「私は誰のものでもない!!私は私のものだ!恋人ができても夫ができても子供ができてもどうなっても私は私で私は一生私のものだ!!!先輩のものでも高梨さんのものでもなんでもない!!!私が好きなら私を無視するな!思い込むな!想像しろ!私を見ろ!私のことを考えろ!!それがダメなら、てめぇらが私の物になりやがれ!!!」
吐き捨てるように、今までの鬱憤を爆発させるように。叫び声で訴える。頼むからお願いだから後生だから。これ以上、あんたらの勝手で人を追い詰めないでくれ。
お願いだから、ほぼ無関係の稚い命を摘み取ろうなんてしないでよ。
「私が好きなんでしょう!?なんかもうほんと私ノーマルだしそんな百合思考もなんにもないしぶっちゃけ電波とかヤンデレに恋愛感情なんぞ持てるはずもないけども!ないんだけど!それでもあんたらが私を好きなら仕方ない!ぶっちゃけこんなことになって怖いし正直縁とかもうなんもかんもブチきりたいけど無理なら仕方ない!妥協案だ!私はあんたらのものにはならないしなれないしあんたらだけを見てることもできない!そこは理解しよう!納得しよう!だけど!!!」
息を吸う。うん、下の抵抗はない。前も猪名寺に再び暴力を振るおうという気配もない。聞いてくれてる。ヤンデレだけどまだ聞く耳を持つだけの理性はあったか!救いのあるヤンデレ!?でもヤンデレだけで十分救いはない気がする。
「あんたらが私のものであるならば、私の望むことを汲み取ってくれるなら!好きなだけ傍にいたらいいし感情をぶつけたって構わない。愛を囁こうが過度なスキンシップはかろうが私の意志を尊重してくれるならいいよもう別に。私のものなんだから。私は、自分のものには、寛大なつもりだ!」
真っ直ぐ、真っ直ぐ。見つめて、睨んで、ぶつけて。届け届け届け届け届け!それは半ば祈りにも似た懇願だった。ヤンデレに言葉が通じるのかわからない。もしかしたら曲解してなんか斜め45度狂った方向に飛んでいってしまうかもしれない。そうなったらもう学園やめて雲隠れしよう。私がいるだけでなんか危ないことになったら目も当てられないし。若い身空で逃亡生活か。さよなら私の平穏なる第二の人生!
言うだけ言うと、脱力感を覚えて先輩を拘束していた力も緩めた。ずるずると力を抜いて、体も退かして、のろのろと猪名寺の方に向かう。その間も電波二人は微動だにしなかったが、もう知ったこっちゃない。仰向けに転がって、話の展開についていけていないのか、目を真ん丸くしている猪名寺に疲れた力のない笑みを浮かべて、彼の細い腕を掴んで無理矢理起こした。
「保健室、行こうか。猪名寺」
「先輩、」
「あー、うん。もうしょうがないよ。私やるだけやったし。あとはもう知らん。数日後消えてても探さないでね」
「どこか行くんですか!?」
「状況によってはねー」
その可能性は限りなく高いとは思うけれど、と。それは言わずにおいて、私は猪名寺の手を取ると、のろのろと黙り込む二人の横を通り抜けた。
暴走が一時的でもいい。止められたのなら、万々歳。今後のことは今後に考える。
一気に押し寄せてきた疲労に鈍くなった頭で、私は重く溜息を零した。
「ヤンデレなんて、絶滅しちゃえばいい・・・」
先輩、元気出して!という猪名寺の言葉が、むしょうに涙腺を刺激してならなかった。あ、超泣きそうなんですけど私。