04: 好きで好きで好きで好きで大好きなんです



 それは珍しいほど上機嫌で、長兄がひらりと窓枠を飛び越え室に侵入を果たしてきた。
 藍家直系とは到底思えない無作法だが、最近閉めだしを食らわす事が多かったので、こういう不法侵入が多くなったのだ。無駄に運動神経やらが発達してやがるのがむかつく。
 こんなひらひらびらびらした衣服では、窓枠から出入りなんてそうそうできやしない。男もまた似たような服だが女のそれよりもごてごてしていないのだから、動きやすさはまた別種だ。全く、こんな衣装鬱陶しいほかない。溜息を混じらせながら、休むことなくなれた様子でお茶をいれていた手を止めて、机に置く。それを待っていたかのようにいいタイミングで腰掛けた長兄の洗練された動きに、うっそりと横目を向けて背中を向ける。
 かちゃかちゃと茶菓子を取り分けながら、世間話のように口を開いた。

「麗芳のこと、助けてくださったそうですわね」
「おや?聞いたのかい?」

 ことり、と茶菓子を置けばお茶を飲んでいた長兄が微笑みとともに首を傾げる。
 わざとらしいというよりも、どちらでも構わないと、そんな風にも取れる薄ら笑いに、ため息も零れる。いつからこんなにも可愛くない性格になっていたのか・・・いや、案外初めからか?

「それはそれは嬉しそうに頬を染めてうっとりと語ってくれましたわ。虐めもなくなったと、長兄様には感謝してもしきれませんわ、と」
「そう。よかったね、虐めがなくなって」
「えぇ。それは私もそう思いますわ。私付きの侍女として、これからもいてくださるんですもの」

 麗芳は可愛い。容姿もさることながら小動物みたいにプルプルしていて、そのくせさすがは藍家の侍女になれたといえるほど教養もあり、機微にもとんでいる。正直愛でる対象としても、侍女としても、かなりお気に入りの子だったのだ俺としては。男として可愛い子にお世話して貰えるなんてちょっとした夢みたいなもんだったし、(惜しむらくは、俺が女になってしまったという点だ)ともすれば妹のような、女友達のような感覚で(あくまで男と女としての友達感覚だ。断じて女同士の友達感覚じゃない。例え外見がそうであろうとも!!)、心地よかったのだ。けれど、俺がそう思えば思うほどに、彼女は貶められた。―――他ならぬ、俺を好ましく思わない人間のせいで。

「―――が気にすることではないよ」
「・・・気にするに決まってるだろ。俺のせいなのに、俺じゃどうにもできないんだ」

 何もかも見通したような眼差しで、ふわりと微笑む長兄に眉を寄せて爪を噛む。けれどそれも見咎めたように長兄に止められ、渋々口から爪を放してどっかりと乱暴に椅子に座った。やろうと思えば深窓の令嬢モードもお手の物だが、今は取り繕う気が起きない。元々、こいつ等の前だとそういうことはあまり気にしないんだが。(それでも一応気遣う。なにせ俺はこいつらにとってあくまでも「妹」だ―――焦燥が募る)

「俺のせいなんだ。なのに俺が手を出せば益々あいつの風当たりが強くなる。気づいているのに、わかってるのに、手を出せない―――あいつ自身を気遣うしか、俺にはできない」

 それは、どんなに焦燥感に身が焦がれそうになるか。ただ見ているしかできない。手が出せても、それは相手を気遣うことでしかなく。問題の解決には手を出せず。
 気遣うことに、意味がないとは言わない。けれど、それしかできないというのは、自分に嫌悪感を抱かずにはいられないのも事実なのだ。

「胸糞悪ぃ・・・俺が気に食わないなら俺に直接しかけてくりゃいいんだ。周りに手を出すなんざ、あの腐れ野郎ども!!」
「しょうがないね。君は末端でも「藍家の姫」で「私達の妹」だから」
「わぁってるよ」

 その意味を、正確に。微笑みを浮かべたまま、すました調子で茶を飲む長兄に溜息が零れる。いきり立った内を押えるように鎮静効果のあるお茶を飲み、背もたれにぎしっと体重をかけた。例え傍系でも藍家の姫。直系の血を半分受け継ぎ、けれど母方の身分故に取りたてもされない我が身。別にそんなもんはどうでもいい。むしろそれぐらいの方がしがらみもなくて楽だ。本家筋に近い方が、むしろ俺にとっては拷問のようなものだっただろう。
 けれどそんな俺でも、確かに「直系の血」を半分は受け継いでいるのだ。直系の、目の前の男の妹。他の弟妹を差し置いて、もっとも直系に可愛がられている妹。傍系でありながら、血筋に近い者。―――故に疎まれ、故に利用されかねない。全く。

「悪いな」
「なにがだい?」
「余計なもんまで手をかけさせて。俺が守るべきだったんだ。なのにお前の手まで煩わせて・・・悪い。それと、ありがとな」

 精神的には年上のはずなのに守られている。立場がそうさせてしまう。持てる力の度合いが違う。いや、それは言い訳で、要するに、上手くできるか否か、その違いなのだろう。
 それに、こいつは直系だ。本当なら俺にかかずらっている暇はないのだ。しがらみがもっとも強い者。まだ子供で、だから自己を守る為に自分のことを考えていかなくてはならないのに―――天才ではなくても、頭がいいから、余計なことにまで気を回してしまう。
 そうさせないように、俺は俺でやっていかなくてはならなかったんだ。それがせめてもの矜持。年上としての、最低レベルだったっつーのに・・・ああくそ!!  これが根っからの貴族社会の人間と、平等主義掲げていたその辺の学生の違いなんだろうか。俺もなぁ、結構うまくやってるとは思うのだが、こういう時は手腕と手段が問われるというものだ。
 あー自己嫌悪だ・・・。うんざりと額に手を置いてはあぁぁ、と疲れたように溜息を零せば、そっとその手を取られた。半眼で見やれば、相変わらず微笑みを・・・いや、蕩けるように柔らかな微笑を浮かべて、長兄はそっと指先に口付けた。おいおい。

「いいんだよ、。私が好きでしたことなのだから。妹を守るのは兄の役目で、そしてこの兄を支えるのが妹の役目だ・・・いいね?」
「・・・くそ。俺の方が本当は年上なんだぞ」

 口付けられた手を乱暴に取り返して、悪態をつく。無論これが正確に伝わるはずもないのは承知している。だからこそ悔し紛れのように吐き捨てるのだ。そうするとしょうがない子だ、というように笑うので、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。傍目拗ねているように見せて、そうしてバランスを取る。それぐらいの冷静さを保っていなくては、やってられない。
 好きになるのも嫌うのも、自分じゃどうにもできない。感情を殺して上辺だけ取り繕えても、それは己の意思であり他人が関与できるようなもんじゃない。当たり前のことじゃないか。
 そしてこれは、全部俺の意思だ。あの時声をかけたのも、不法侵入をなんだかんだで許容するのも、こうして面と向かって会話するのも―――俺がこいつらのことを、好きだからだ。
 それ以上の理由があるか?それと同じように、こいつ等が俺に構うのもそういうことなのだ。だから、周りがやっかむのが野暮なんだろうよ。ったく、頭悪ぃ。

「大切な者を守るのに、一々手段を問うていられないだろう?」
「知るかよ。まあ、多少は選ぶぐらいの余裕があった方が俺は精神的に楽」
「そうか。善処するよ」
「そーしてくれ」

 投げやりに答えて、ぐったりと背もたれに寄りかかり、天井を仰いだ。
 始末に負えないのは結局どっちも相手のことが大切だからなんだろう。