09: お前が倒れそうな時には支えてやるよ、だから前だけ見てろ
ぱたん、と扉が閉まると同時に、跳ね起きるようにして楸瑛が駆け寄った。同じように、滅多に動揺を露わにしない龍蓮が顔を不安と心配に歪めて兄の足に縋る。
「兄上!姉上は、姉上は・・・っ」
「あね上は大丈夫なのか・・・っ?」
必死の形相で詰め寄る弟二人を、三つ子は緩やかに目を細めて見つめた。
ぽん、と長兄の手が龍蓮の頭に置かれる。
「大丈夫だよ」
「今しがた寝入ったばかりだから」
「起きたら滋養によいものをたくさん食べさせなければね」
微笑む三人の兄達の、穏やかな気配に不安に歪んでいた二人の顔が少しずつ解けていく。
姉の部屋に入っていくときの三つ子は、それはとても張り詰めた空気と不安、心配に満ちていて、怖かった。なにせ兄達のそんな様子は滅多にない。いや、今まで見た事がなかったといってもいいぐらいだ。元々動揺を表に出すような人達ではなかったせいで、その三つ子の様子に姉がそんなにも危険な状態なのだと、楸瑛は悟っていた。だからこそほっと安堵に胸を撫で下ろし、けれども苦しそうに顔を歪めて、楸瑛は姉の自室に続く部屋を見る。
龍蓮は沈黙を守り、じっと口を噤んで足元を見つめていた。かすかに震える手に、三兄がそっとその手を握り込む。
「今はまだ会えないけれど、起きたら目一杯小言を言ってやりなさい」
「そうそう。弟に心配させるとはなんたることかとね」
「泣きついてもいいな。はお前達にとても弱いから」
目一杯困らせてやれ、と口を揃えていう兄達に、普段ならば呆れが先走る物だが、今回ばかりは楸瑛も龍蓮も無言でしっかりと頷いた。えぇ勿論。当然だ。ここににとって傍迷惑この上ない協定が結ばれてしまったが、半ば自業自得である。姉大好きの弟二人にまでそう言わせてしまうほど、ひどい状態だったということなのだから。くすりと三つ子は弟二人に笑いかけ、さっと身を翻す。
「兄上?」
「どこに・・・」
「用事があるんだよ」
「私達もが起きるまで傍にいてあげたいのは山々なのだけれど」
「仕方ない、外せない用事なんだ」
振りかえり、同じ顔で困ったように残念そうにいう三人の兄達に、楸瑛は怪訝そうにしながらもそうなのですか、と呟く。龍蓮は何かを見透かしたようにじっと兄達を見詰めていたが、彼等は薄く微笑むだけで何も言わない。そうしてを頼んだよ、と一言だけ残して、流れるような仕草で身を翻した。ふわりと、準禁色である藍色の衣が翻る。艶やかな黒髪も同時に背中で揺れ動き、その後ろ姿を見送りながら楸瑛は顔を顰めた。
「・・・何をしでかすおつもりなのか・・・」
「ろくでもないことには違いない。それよりも、ぐけいその四。姉上が起きたときのための用意をするべきではないのか?」
「あぁ、そうだね。女官達に言わなければ」
本当は扉をあけて中に押し入り、姉に会いたいけれど。それを実際にするわけにもいかず、ぐっと堪えて楸瑛は身を翻す。龍蓮はその場に留まり、じっと閉ざされている扉を見つめた。固く、開けられることのなかった扉。開けても、中に入ることを拒絶された入り口。
けれども三人の兄達はいとも容易く侵入を果たし、辿りついた。そこが兄と弟の違いなのか、と顔を顰めて、龍蓮は溜息を零した。
「思い知らせてやれ、ぐけいたち」
姉を追い詰めた輩を、彼等は絶対に許さない。
※
弟達に背中を向けてから、ごっそりと三つ子の顔から表情が消えた。廊下の曲がり角を曲がれば、かつかつと足音が早まる。通り過ぎる家人たちが一様に凍り付いていたが、酷くどうでもよさそうに彼等はそれを素通りし、屋敷から出ると待機していた軒に乗り込んだ。
すぐさま馬に鞭を打ち、走り出した軒の中で長兄がくつりと口角を吊り上げる。
「どうしてくれよう、あの男」
「引きずり出して、その首を刎ねてしまおうか」
「一族郎党、全て骨の髄まで絞りつくして捨ててしまおうか」
暗い暗い微笑と共に、氷山のような冷ややかな怒りが三人の双眸に宿る。
酷薄な笑みと共に、凄まじい速度でどう追い詰めてやろうかと獲物を狩る狩人のように、眼光が冷たく細まる。整った顔だからこそ一層冴え冴えと浮かび上がる冷淡な感情を、次兄が喉奥で笑い飛ばした。
「逃しはしない、あの男」
「許しはしない、あの一族」
「私達の妹に手を出したこと、死んでも後悔させてやろう」
あの子を辱めた。
あの愛しい子を傷つけた。
あの優しい子を追い詰めた。
食事も、水でさえも喉を通らないほどに。深く、鋭利に傷つけた。
混乱して、手首を掻っ切りかけるほどに。絶望の縁へと、追い詰めた。
脳裏に浮かぶのは憔悴しきった可愛い妹の姿。涙さえも枯れて死を待つその虚ろさ。家人も父も母も弟も、我等でさえも一時は手酷く拒絶した。
半狂乱になって泣き喚き、己を傷つける様が一体どれほど悲しかったか。思わず三兄が眉を寄せ、憂いをこめて吐息を零す。全てを拒絶し死に逝こうとする妹が、ひたすらに恐ろしかった。喪えない、失いたくない。ただ一人の妹。
「我等三人を丸ごと愛してくれるといったのに」
「お前が私達を拒絶するなんて酷いじゃないか」
「、私達はお前を手放しはしないよ」
絶対。この手から放してなどやるものか。彼女が幸せなるならそれはそれでいい。
もっともそれでも手中近くに収めることは決定事項だが、それでもまだ離れていても幸せであるのなら、彼女が変わらずに自分達を愛してくれるのなら。まだ折り合いもつけようと思うのに、だというのに!!
「忌々しい。身のほど知らずめ」
「なあ雪、気に食わないが黎深にも手回しをするか?」
「借りは作りたくない。だが、そう・・死よりも尚深い苦痛、味合わせるには紅家の力は有効だが?」
許しはしない、許しはしない、許してなどやるものか。
仄暗い微笑で、次兄と三兄が長兄に問い掛ける。紅家に貸し一つ、作っても構わないという程度には彼等は心底怒っていたし、憎んでいた。そして同時に、そうさせるほどに、深く彼女を愛していた。血の繋がりさえなかったら娶ってたんじゃないかというぐらいの、それはいっそ愛情というよりも執着に近い思いの形で。自分達の宝を奪おうとした愚か者を、三つ子は決して許しはしない。二人のもっとも近しい弟達を一瞥し、長兄はふるりと長い睫毛を震わせる。薄く淡い唇を戦慄かせ、うっとりするほど美しい微笑みを浮かべた。
「いいよ、二人共―――彩雲国に、あれらの居場所など最早ありはしない」
「そうこなくては」
「使いを出そう。なぁに、黎深のことだ。忌々しく思いながらも手を貸すだろうよ」
「そうだね、あれはを好いていたから」
「馬鹿な男。は私達のものなのに」
「けれどだからこそ、今は使ってやろうじゃないか」
くつくつと喉を震わせて、残酷な事を平気で口にする。紅家と藍家、二つの名家から逃れる術など、この彩雲国に生きている限りありはしない。
酷薄に相談していた三人は、ふと表情を緩めて肩を落とした。軒の壁に背中を預け、ゆるりと瞼を閉じる。
ただ、前を向いて、笑っていて欲しいだけなのに。邪険にしてもいい、鬱陶しがられても、なんだって。嫌われなければ、どうだって。
あれがこの地に、両足でしっかりと立っていてくれさえすればいいのだ。儚くなどならないで。微笑みを消してしまわないで。遠くになど、いってしまうな。
その為なら、一族一つ、消すことなど他愛ない。