台風抑止剤



 国試、それは次代の官吏を選出する大事な試験である。
 だがしかし、この年の国史は悪夢の国試と言われた年に勝るとも劣らない厄年となって降臨した。すなわち!

「なんとかしろ楸瑛!お前の弟だろうがっ」
「ふふ。それができるなら私もこんな苦労はしないんだけどねぇ」
「しかし、これは深刻な問題なのだ。もう人材にも余裕がないし、そろそろ本気でなんとか手を打たなければ国試そのものが危ない」

 藍楸瑛の弟、藍龍蓮による怪奇音の被害は、国の上層部を揺るがす大変危険なものとなり果てていた。いや、それは元からか。さておき、この上もなく深刻に、眉間に皺を寄せた劉輝に絳攸も苛立たしく舌打ちをする。
 楸瑛に至っては実の弟がしでかしたこと、肩身の狭い思いで溜息を零し――重たい口を開いた。

「被害状況は?」
「もう五人も辞めた。その上他からも辞任を申し込まれて・・・これ以上いなくなると試験が回らないといって今はなんとか持たせている。が、髪は抜け落ちるは目は落ち窪んでいるは、見ていてものすっごく悲惨だったのだ・・・」
「それは・・・ひどいですね」

 想像以上の被害にゴクリと唾を飲み、絳攸が恐るべし藍龍蓮、と慄いていると、被害状況を黙って聞いていた楸瑛が、はあぁぁ、と重く、重たい溜息を零して額に手を置き、しばらく黙考するかのように瞳を閉じる。
 その姿は弟がこんな事態を引き起こして申し訳ない、というよりも何か案を練っているような、そんな沈黙である。その様子に気づいたのか、どうするべきか、と唸っていた二人は楸瑛の方を振り向き、首を傾げた。

「どうした?楸瑛」
「何か思いついたのか?お前のあの傍迷惑な弟をどうにかする方法が」
「いや、まあ確かに傍迷惑な弟だけどね・・・私としても血の繋がりをあまり信じたくはないんだけど・・・―――主上」
「なんだ」
「龍蓮をどうにかできる人物に、心当たりがあります・・・いえ。もうこの人しか残されていないでしょう」

 そういった楸瑛の顔は、今まであまり見た事がないほどの苦汁に彩られていた。その様子に多少驚きつつも、楸瑛の発言に劉輝は目を輝かせて身を乗り出した。

「本当かっ?楸瑛!」
「お前、そんな人間がいるんならどうしてもっと早く言わなかったんだ!」

 あぁこれでやっと事態に光明が!!きらきらと顔を明るくさせる龍輝とは対蹠的に、眉間に皺を刻んだ絳攸は苛立たしくも今までその案を口に出さなかった楸瑛をねめつけた。もっと早く言っていれば、被害も拡大せずに済んだというのに!
 非難の眼差しを受けとめた楸瑛は、眉を潜めて溜息を零すと、つん、と顎を逸らした。

「言うけどね、絳攸。誰が好き好んであんな人間台風に人を近づけたいと思うんだい」
「・・・それはそうだが、時と場合によるだろう」
「そうだね。これは確かに私情かもしれないけど、私はね、あの人の手を煩わせたくなかったんだよ」

 そういって窓を見た楸瑛に、二人は思わず首を傾げる。「手を煩わせたくない人」?それが借りを作りたくないという意味なのか、それとも慕うからこそ近づけさせたくないのか。
 思えばあの龍蓮を止められる人物だ。もしかして藍龍蓮以上の奇抜な人間かも、と二人の脳裏にそんな考えが過ぎる。そうなったら国試は破滅だ。果たして、楸瑛のいう人物とは一体誰なのか・・・恐る恐る、劉輝は遠く空を見つめる楸瑛に問いかけた。

「・・・その人物とは、誰なのだ?」
「・・・・藍。私の腹違いの姉ですよ」

 僅かな溜息と共に言いたくなさそうに口を開いた楸瑛に、二人の目が驚きに見開かれる。姉?楸瑛の??

「姉、が?あの藍龍蓮を?」
「えぇ。龍蓮は姉上に懐いていますから。あの人の言う事なら大抵聞き届けますよ」
「その姉は、大丈夫なんだろうな?」
「どういう意味だい?少なくとも藍家の中ではかなりまともだよ。それに、私が一番信頼している人でもある――だから、姉上にわざわざ手間をかけさせたくなかったんだよ」

 そういって肩を落とす楸瑛に、劉輝は納得した。なるほど、つまり大好きだからこんなことに巻き込みたくなかったのだ。
 それならばギリギリまで言わなかったのも頷ける。劉輝とて、もしも藍龍蓮の抑止力が自分の大切な人ならば、わざわざそんな危険地帯に近づかせたいとは思わない。出きる限り、自分でなんとかできるものならなんとかする。今回楸瑛が口にしたものは、彼にとって苦肉の策だったのだろう。

「・・・その、姉上殿は呼べるか?」
「文を出しておきます。・・・文がついて、承諾してこちらに向かってきてくれるのならば、馬を飛ばせば数日でなんとか間に合うかと」
「そうか・・女性なのに、辛い旅路にしてしまうな」
「いや、あの人は結構逞しいのでそういった部分は大丈夫だと思うんですが」

 逞しいて。基本、貴族の姫君に使う形容ではない。絳攸はやっぱり藍家の人間だな、と思いながらもあの藍龍蓮がどうにかなるのならばまあいいか、と納得しておく。
 少なくとも「藍家の中ではまとも」なのだ。それが一般人の間で通じるかはわからないが・・・これ以上、被害が広がりませんように、と密やかに念じ、絳攸は無事秀麗達が合格できるのを祈った。


 そんな上の人達の心労など意に介する様子もなく、今日も今日とてぷぴょ~、と、怪奇音が朝廷に鳴り響く。