樹上の天女様



 黒燿世、白雷炎の両者は何かとあれば剣を抜く。とりあえず剣を抜く。
 抜かなければ始まらないとばかりに、剣を合わせるのだ。
 傍からみたら険悪極まりない、仲の悪い将軍同士に思えるが、これはこれでコミュニケーションの一つである。仲は良いといえる関係ではなくとも、お互いのことは認めていたし信頼していたし、はっきり言えば悪友といえる関係だ。
 二人共剣術馬鹿の戦い好き、強い相手を見つければ一手交えなければ気がすまない。
 まあ周りからすればどえらい迷惑だったりするものだが、我が道を突き進む武人にその辺りは関係ないのかもしれない。とりあえず繊細という言葉からはかけ離れているのは確実だろう。そんな二人の視界に、ひらひらと風にそよぐ衣が見えた。薄絹のそれは女物に間違いなく、低い木の枝にひっかかってひらひらと魚の鰭のように泳いでいる。何故こんなところに、と首を傾げたのは燿世で、風にでも飛ばされたか、と眉を潜めたのは雷炎だ。
 じっと衣を見つめた刹那、がさがさ、と枝の揺れる音がし、二人の気配が一瞬にして鋭く張り詰めた物になった。一切の無駄なく鋭くなった眼光で音のした方向、気配のした場所を睨み据える。手は腰の剣の柄を握り締め、僅かに腰を落とした体勢で見つめた先に――日に焼けたことなどなさそうな、白くしなやかなふくらはぎが見えた。一瞬ぽかんと二人の目が丸くなる。
 ぷらぷらと空中で揺れる形のよいふくらはぎ。剥き出しのそれに思わず視線をそらしかけたのは燿世であり、いい足だ、と頷いたのは雷炎だ。
 しかし何故足。しかも素足。彩雲国であれほど足を見せているものなどいないだろう。花街の女でも滅多にいないに違いない。そのあまりにも無防備すぎる足に二人はあっさりと敵の可能性を捨てた。いくらなんでも足だけみせる暗殺者がいるか。そのまま木の枝葉に隠れて、姿は見えず足だけ覗く不思議な光景に、二人は示し合わせたわけでもないだろうが歩き出す。ざくざくと草を踏みしめ、筋肉の薄いしなやかな――女の足を目指して、枝が丁度途切れる部分を見つける。
 そうして二人は、きょとりと益々目を瞬いた。童顔な雷炎など年の程が二つ三つ更に若返るほどに丸くなる。さらさらと切り揃えられた長い黒髪が、葉の深緑に混ざり木漏れ日の柔らかな光を受けて艶を描く。
 整った面立ちは甘さを帯びるよりも鋭い凛々しさを思わせ、可愛らしい、美人だ、という装飾の言葉を跳ね除けようとするほど、何故か力強かった。
 何故そんな印象を抱いたのかはわからない。けれども確かに美人ではあるのにそこには甘さはなく、いっそ清清しく張り詰めた何かは、二人の中に飛来してぽとんと落ちた。水がゆるやかに波紋を描くように極自然に、すんなりと。
 太腿まで晒すように衣服の裾をたくし上げ、白い素足を晒して、見られているとは思っていないのだろうか、ぷらぷら揺らす足はあどけない。
 見る人が見れば赤面するほどの光景であろうはずなのに、どうにもそういった雰囲気の一欠けらすらも思わせないのは、単に女の纏うからっとした空気故だろう。言葉も視線も交わってはいないのに、変な女、と二人は一様に思った。
 そうしてしげしげと凝視する下からの視線にようやく気付いたのだろうか。女が緩やかに顔を燿世と雷影の方向に向ける。睫毛に縁取られた切れ長の眼差しで、二人を捉えた瞬間に僅かばかり見開き、そうして次の瞬間には慌てたように顔を赤らめる――こともなく。むしろピクリと柳眉を動かすと、じろじろと二人を眺めて、あぁ、と声もなく頷いていた。なんだその反応は、と訝しげに思う間もなく、くい、と女は口角を持ち上げる。

「わたくしの足の見物料は高くございましてよ、黒大将軍白大将軍?」

 少し、女にしては低めの声が思ったよりも心地よく鼓膜を震わせる。
 挑発的でどこか悪戯小僧を思わせるような皮肉気な笑みと、丁寧な言葉遣いの癖に内容は無遠慮なそれに、二人は終始瞬き、可笑しげに喉奥を震わせた。

「そんなところで晒してるお前さんが悪いんだろうが」
「そのようなところで何をしている?」
「眺めたのはそちらでございましょう白大将軍。猫と遊んでおりましたのよ、黒大将軍」

 言いながら、女が膝の上に乗っていたのだろうか、茶虎の猫の脇を抱き上げてぷらん、と体を揺らした。びろーんと長く伸びた胴体に、宙に浮いた足が頼りなげに揺れている。おいおい落ちるぞ、と思ったが相手は猫。
 この程度の高さなら平気だろうと思っていると、女はあっさりとそのまま猫を落とした。あ、と思っている内に猫は空中で見事なひねりを見せて、たしっ、と苦もなく着地する。いっそ見事といっていい優雅な着地に、感心したように二人が吐息を零すと、猫は見せつけるように尻尾をたてて、ぷいっとお尻を見せた。そのままさっさと去ってしまうのに、あれ、と首を傾げる。

「いいのか」
「あれは野良猫ですから」

 飼い猫じゃない、と簡単に答えると、今度は女が動こうとして、止まる。はて、と燿世が首を傾げると、女は思案深く顎に手をあて、それから燿世と雷炎の両者を見た。二人がその視線に首を傾げると、ずびし、と細い指先が突きつけられる。

「お二人とも、今からわたくし降りますのでちょっと後ろでも向いていてくださいませんこと?」
「なんで」
「危うく見えかねないからですわ。一応それぐらいの羞恥心は持っていますの。察してくださいまし」

 ていうかわかってんだろうテメェ、と鬱陶しげに見られたのが面白い。
 目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだと、雷炎が可笑しく思っていると、燿世が一歩前に出た。お?と雷炎と女の眉が動く。

「飛び降りろ」
「え、いやさすがに猫みたいな動きは無理なんですけど」
「受けとめる」
「おいおい燿世、ちょっと待てよ」

 さらっと言葉短く告げる燿世に、女が瞬き、雷炎が待ったをかける。ちらり、と雷炎を一瞥した燿世は眉を寄せて渋面を作ると、雷炎はニヤニヤと笑いながら彼の隣に立った。そうして一歩腕を伸ばして、

「俺の方が受けとめんのに適してるだろうがよ」
「違うだろうがテメェ!!」

 思わず荒れた口調にあっちが素か、と二人して思う。なるほど納得。先ほどの薄ら寒いほどのお嬢様口調、こいつの雰囲気には合わないと思ってたんだ。
 そんな観察をされているとは思いもせずに女は、人を受けとめるってのは結構辛いんですのよ?!落下速度と重力で体重倍増ですし、というよりも自分で降りるといっているじゃありませんかなんで飛び降りる方向で話しを進めようとしているんですか自分で降りれるんだから不要です!!と一気に捲くし立てる。捲くし立てたのに、将軍二人は腕を差し伸べたまま直立不動。むしろ来い、といわんばかりだ人の話しを聞きやがれ。おいおいなんだこれー、と女が思ったかはさておき、そうしてしばらくの膠着状態が流れると・・・破ったのは意外にも第三者の存在だった。がさがさと草を踏み分け、近づく気配に一斉に視線が向き、現れた人物はピタリと動きを止めた。

「黒大将軍、白大将軍、何をしているんですか・・」

 藍色の衣を揺らし、上に向かって手を差し伸べている上司二人に思いっきりなにやってんだこの人達、という不審の眼差しを向けて楸瑛が顔を覗かせる。
 きつく結い上げられた髪に、非常に整った甘い顔に、心持ち引きました、という色を乗せて怪しいことこの上ない上司を眺める。雷炎がなんでお前がこんなところに、と尋ねるその一瞬、口を開いた瞬間に上からの声が楸瑛を呼んだ。

「楸瑛!受けとめろっ」
「え?・・・あ、姉上っ?!なんでそんなところに、ってちょっとまっ!!」

 え?と二人が思う間もなく、一切の躊躇いなく木の上の女が宙を舞う。ひらひらと衣服を翻し、長い髪も広げて木の上から飛び降りた女は、さながら天女が舞い降りたかのように美しい。呆気に取られるも、楸瑛だけは顔面を蒼白にさせて慌てて姉の落下地点まで走り、見た目よりも逞しい体でもってして、見た目通り細い姉の体をしっかりと抱きしめる。ずし、と両腕に骨が軋みをあげるほどの衝撃がきたが、しっかりと抱えた姉は落とさない。落としてなるものか、というほどの根性で、心臓を激しく稼動させながら楸瑛は腕の中の姉を見下ろし、真っ青になって叫んだ。

「姉上!!一体なにをしているんですか!!!」
「あーちょっと。猫追いかけたら木の上までいってしまったのよ」
「邸からいざ知らず、朝廷でなにをしているんですかあなたは・・・!もしものことがあったらどうするんです。危ないんですよ!」
「悪い。いや、自分で降りれる自信はあったし降りれたんだけど、ちょーっと変なことになってて。というわけで楸瑛、後よろしく」

 姉を地面に降ろしながら、険しい顔で詰め寄る楸瑛に苦笑いを零し、さっと肩に乗せられた手を退けて、姉はぴしっと手を額に翳す。飄々としてマイペースな様子に一気に脱力感が楸瑛を襲ったが、よろしく、と言った後さっさか足早に去ってしまった姉にえ?と首を傾げる。
 いつもならばこんなことは、と楸瑛が眉を潜めた刹那、ぽん、と肩に重みが加わった。え?と更に硬直すると、にゅっと顔の横から更に顔が出てくる。髭の生えた童顔、・・・ではなくて見なれた上司の、至極いやらしい、有体に言えば不穏な笑みに、楸瑛の頬がひくりと引き攣った。

「白、大将軍・・・?」
「よーぅ楸瑛。ちょーっと聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「あ、いえ私はこれから用事が・・」
「まあまあまあまあまあまあ、いいじゃねぇか。なァ?」

 ぐいっと肩を引寄せられて顔が近づく。まずい、やばい、と危険信号がなりながらもがっちり逃げられないように拘束され、楸瑛は無駄な足掻きとでもいうように顔を思いっきりそらす。そもそも男の顔なぞ間近で見たいものでもない。顔を逸らした先に、無言の燿世を見つけて、楸瑛は咄嗟に助けを求めた。
 気の合わない二人だ、きっとなんとかしてくれる。泡よりも脆い期待と共に楸瑛がヘルプの眼差しを送ると、燿世は頷き、

「あの女性は何者だ?」

 無表情の問いかけにパチンと泡が爆ぜた音を、楸瑛は聞いた。


 姉上、なんつーもの後に残してくれたんですか。


 確実に興味を持っている将軍二人に、楸瑛は思わず天を仰いだ。
 あぁ、なんか厄介なことが目の前で手招きしているよ。