5.うまく育てると愛に進化するらしい



 泣いてたのか、なんていって、驚いたように目を丸くする君の、なんて滑稽なこと。





 手鏡で確認した自分の顔の、なんてブサイクなこと。ぼってりと腫れた瞼に、擦りすぎて赤くなった目元、ウォータープルーフだってのにどろどろに崩れた化粧で、ファンデーションも所々剥げてるし、マスカラもアイラインも黒く滲んで、とてもじゃないが人前にさらせるような顔じゃない。謳い文句の嘘つき、と罵って、ぱちりと鏡を閉じた。何よりブサイクなのは、死んだ魚みたいに生気のない目だ。もっときらきらと輝いていたいのに、どんよりと淀んだ目は見続けることも躊躇するほどひどい有様。ぶさいく、とまた呟いて、溜息を吐き出した。
 泣いて泣いて泣いて、泣きぬけばすっきりするかと思ったのに泣きすぎて頭はガンガン痛むし、顔はひどい有様だし、気持ちはちっとも晴れないし。
 いいことなんて何一つとしてないじゃない、と誰にぶつけるでもない苛立ちを手近の石を掴んで思いっきり投げ捨てることで表して、ガンっと木の幹にぶつかったところで、また溜息をついて立ち上がった。
 皺になったスカートを引っ張って伸ばしながら、また少し潤んできた視界にぐっと口元を引き結ぶ。泣いても泣いても涙はバカの一つ覚えみたいに溢れてくる。
 ぐいっと、この際もう化粧がどうとかいうのも今更過ぎて、躊躇なく手の甲で目元を拭って、顔をあげた。ツンと鼻の奥が痛い。熱を持った顔も、ずるずると出てくる鼻汁も、どれをとってもアイドルに相応しいそれではなくて、それが悔しくてパシンと両頬を挟むように叩いた。

「なにやってんの、渋谷友千香。アタシはアイドルになる女なのよ!」

 失恋がなに。好きな人に好きな相手がいたからなに。丁度いいじゃない、この学校恋愛禁止なんだし、アイドルに恋愛なんてご法度もご法度よ。
 ふられて丁度いいじゃない。神様がアタシに意地でもアイドルになれっていってくれてるのよ。そうよ、そうに決まってる。アタシは、アイドルになるの!

「・・・意地でも、忘れてやるんだから」

 それで将来笑い話にしてやるの。今はまだ好きだけど、好きで好きで、彼も好きになってくれたらって思ってるけど。だからこそ笑い話にしなければならない。たった一年、もう半年も過ぎた。時間は有限で、終わりはもうすぐそこまできていて。きっと終われば、ここにいるように姿を見ることすら難しい。
 声を聴くことも、言葉を交わすことも。きっと無理にでも繋ぎとめようとしなければ、アタシと彼の間なんて鋏でチョキンと簡単に切れてしまうくらい簡単な関係だ。それにズキンと心臓が痛んだけれど、ぐっと我慢して顔をあげた。
 告白なんてできない。ふられるのが怖い気持ちと、アイドルになりたい夢の間で、言葉を失くす。言えない、言わない。言えないのは自分の弱さと、言わないのは自分への決意。相反する思いを抱えて、歩き出す。
 帰ったらまずは化粧を完全に落として、目元を冷やさなくては。お風呂に入って体を解して、ご飯は食べる気がしないから今日は抜き。その代わり朝食は目いっぱい食べて、今日の失敗を取り返すために練習して、迷惑かけた人たちに謝って。
 あいつを見かけたら、辛いだろうけど、仕方ない。それは諦めないと。忘れるまでの我慢よ。その分練習に励めばいいんだし。がむしゃらに、夢に向かって真っすぐに。よそ見なんてしてられない。脇目なんてふっていられない。真っ直ぐに、真っ直ぐよ。夢に向かって、ひたすらに。ねぇ、だから、神様。

「っれ?渋谷さん?」

 こんな意地悪、しないでよ。

「・・っ、」

 息が詰まる。なんで、よりによって。歪みそうになる顔を懸命に押し殺して、けれど今の自分の顔の惨状を思い出して羞恥と絶望感にさっと顔を俯けた。
 見られたくなかった。ブサイクな自分なんて、彼には。あぁ、違う。そうじゃなくて、こんな考え、あぁもうどうして。

「な、んでこんなところにいるのよ」
「え?あー林檎ちゃんに捕まって、仕事を手伝わされてたんだよ。・・渋谷さんこそ」

 そこで少しだけ言いよどんで、小さな溜息。がしがしと頭を掻いて、聞きにくそうに眉間に皺を寄せて、心配そうな視線に、泣きたくなる。
 やめてよ。そんな顔、しないでよ。

「七海さんたちは、いないのか?」
「・・なんで?」
「いや、・・・そんな状態のお前、一人にするとか思えないし」
「別に、アタシだって一人になりたいときぐらいあるわよ」
「そりゃそうだろうけど・・・」

 イライラとした口調。関わらないで、と言いたいのに、心配されることを喜んでる自分がいる。どこかに行ってよ、と伝えるのに、行かないで、って言葉は出てこない。八つ当たり染みてきつい言葉を投げるのに、彼は少しだけ困った様子で眉を下げてから、ぽん、と触れてきた。大きな手が、労わるように、頭を撫でて。

「そんな今にも死にそうな顔してたら、七海さん心配するぜ?」
「・・・っあんたに、関係ないでしょ!?」

 叫んで、手を振り払う。ばしっと乾いた音をたてて、落ちた手と、茫然と丸く見開いた目に、きゅっと唇をかみしめた。

「あんたに、あんたにだけは、今会いたくなかった!」
「渋谷さん?」
「一クラスメイトのことなんかどうでもいいでしょ?関係ないでしょ?アタシとあんた、そんなに仲良いわけでもないんだし、ほっといてよ」
「渋谷さん!」
「うるさい!一人にしてって言ってるのがわかんないの?察しなさいよそれぐらい!」

 あぁ、可愛くない。可愛くない。それでも一度吐き出したら止まらない。止められない。傷ついている。傷つけている。きつく寄った眉は苦しい。嬉しいのに裏腹な言葉ばかり吐き出す口が恨めしい。それでも。それでも。
 会いたくなかった。聞きたくなかった。あんたの口から、アタシ以外の女の名前なんて。

「もう、どっかいってよ・・!」

 見ないで。見ないで。こんなアタシ、見ないでよ。止まったはずの涙がまた溢れてくる。零れ落ちないように我慢することで精一杯で、鼻をすする音が静かな廊下に響き渡る。情けない。情けない。笑って誤魔化すことぐらいできないの?笑顔でありがとうぐらい言えないの?あぁ、もう、本当に。

「・・・ごめん」
「っ」
「でも、俺、渋谷さんを一人にさせたくないよ」

 ばさっと、頭にかかる重み。顔をあげる前に、ブレザーごと引っ張られて、暖かい何かに包まれた。息も忘れるほどに、心臓が跳ねる。

「デリカシーなくてほんとごめん。一人にさせてあげられなくてごめん。でもさ、俺、今の渋谷さんほっといていられるほど、いい男になれねぇよ」
「・・な、にいって、」
「泣いてるとこ見られたくないなら見ないし、えーと、この体勢が嫌なら離れるし。でも、一人にしてってのは、ごめん。できない」
「ば、バカじゃないの!?い、いいからさっさとどっかいってよ・・!」
「絶対嫌だ」

 なにしてんのなにしてんのなにしてんのなにしてんのなんでこんなことするの!?どくどくと聞こえる心臓が痛い。背中に回った腕が痛い。
 拒否を示すように強く胸を押すのに、びくともしない力が怖い。どうして。

「離してよぉ・・・」
「ごめん」
「なんで、こんなこと、アタシのこと、好きでもない癖にっ」

 好きでもない女の子に、クラスメイトだからって、ほっとけないからってこんなことするわけ?それって、どんなたらしよ。最低、最低、最低、最低!
 苦し紛れにどん、と胸を強く叩くと、彼は少しだけ息を詰めて、更にきつく、力を込めた。

「・・俺、渋谷さんがアイドルになって、きらきらしながら歌歌ってるところがみたいんだ」
「・・・え?」
「渋谷さんのパートナーは俺じゃないけど、デビューしたらさ、そんなの関係ないだろ?誰が誰の歌を歌ってもいいんだ。俺、いつか渋谷さんに俺が作った曲歌ってもらいたい。そんで、それをテレビで歌ってほしいし、CDとかになってたくさんの人に聞いてもらいたい」
・・・?」
「実力つけてさ。自分に自信つけてさ。誰かに何言われても、胸張って反論できるように。誰が相手だって、負けないくらい。・・・そうでないと、俺、きっと渋谷さんの夢も自分の夢も潰しちまうから」

 言っている意味がわからない。確かに言葉は耳に入って聞こえているのに、理解が追い付かなくて言葉が出てこない。ただただ近いばかりの、シャツの皺ばかり見つめてる。

「言わないよ。今は、絶対。でも、・・・アピールぐらいはさせてな?」
「・・な、に、いってっ!す、好きな人がいるって言ってたじゃない!」
「え?・・・え!?ちょ、それどこで!」
「うっさいどうでもいいでしょ!?どうなのよそれは!!」
「え、だから、それは、~~~~今は言わないって言ってるだろ!?」

 不意に緩んだ腕の力を好機とばかりに振りほどいて、顔をあげれば真っ赤になった顔。真っ直ぐに見上げれば怯んだように顔を逸らして、離れようとするから、胸倉を掴んで引き寄せた。

「なに逃げようとしてんの?今、一人にしないって言ったばっかでしょ?」
「いや、でも、これは予想外っていうか、あの、渋谷さん・・・お顔が近いです・・・」

 こっちに目を合わせようとしないじれったい態度に苛っとしたけど、それ以上に胸が熱い。早まる鼓動。期待に疼く胸。緩みそうになる口元を引き締めて、それでも堪えきれなくて、ほろりと溜まった涙が目尻から零れた。

「ばぁか」
「え?」
「バカよ、あんたも、・・アタシも」

 振り回されてばっかりで、本当に、恋ってやつは、しょうがないことの連続だ。呆れるぐらい簡単に、先ほどまでの苛々も、死にそうな気持ちも、忘れようなんて考えていたことも。全部なくして背伸びをすると、その鼻先に、口づけた。
 真っ赤になった君のその顔に、しょうがないから待ってやるかって、単純にも上から目線で言うアタシも、大概しょうがない奴だ、なんて。思うけど、仕方ない。

「じゃぁ、名前でくらい呼びなさいよ、
「え?渋谷さん?」
「友千香。ほら、いってみ?」
「ちょ、そんないきなり・・・!」
「なにぶってんの、名前ぐらい誰でも呼んでるでしょー?」
「いやでもさ、え?ちょ、渋谷さんこれどういう状況!?」
「にぶっ。・・まぁ、そんなとこもスキだけど」
「え?!」
「んふふ。・・・絶対、デビューするから、あんたマジ気張って頑張んなさいよ。アタシだけが受かっても意味ないんだからね?」
「え?・・・え!?渋谷さ・・・っ」
「友千香!」

 笑顔で詰めよれば、口をパクパクとさせて、こいつは眉を八の字にして。

「・・・友千香」

 名前を呼ぶから、もう一回、鼻の頭にキスをしてやった。
 口は、あんたが告白してきたら、ね?