01. 悲しすぎる音の群れ



 彼女はいつもどこか冷めた目でテレビの画面を見つめていた。本人にその自覚があったのかは定かではない。だが、画面の向こう側で楽しそうに歌うアイドルや歌手を見る彼女の目はいつもつまらなさそうで、同時に失望の色を映していた。
 その無機質な瞳を見かけるたびに、何故彼女がそんなにも暗い目で画面の中のアイドルを見るのかがわからずに、胸の奥が締め付けられるような心地を感じていたのは覚えている。
 自分が画面から流れる音楽に耳を傾け、気持ちよさそうに歌うアーティストに憧れ、弾む感情を覚えている横で、彼女はいつだって寂しそうにテレビを眺める。
 そんな顔をして欲しくなかった。自分と同じ気持ちでいて欲しかった。自分が歌を聞いて楽しくなれるように、歌うアイドルに胸を弾ませるように、彼女にも、幸せな気持ちで歌を聞いて欲しかった。
 彼女は言う。ここには嵐もAKBもキンキもミスチルもあゆもいないんだね。聞いたことの無いそれらを紡ぐたびに、彼女は諦めたように口元を歪めた。笑っているようにも、怒っているようにも、泣いているようにも見えた。
 それらがなんなのかは、自分にはわからない。彼女の言いようではそれは画面の向こう側にいるアーティストたちのようではあったが、しかしそれらが出ている番組もなければそんな名前がちらとも出てくることは無く、彼女の中だけに存在しているそれらを、彼女がひどく恋しそうに呼ぶ理由がわからず、黙り込んでいた。
 時には自分にはわからないことを言う彼女に苛立ち、癇癪を起こしていないものを語る彼女をうそつきと罵ったことさえあった。そんなとき、彼女はいつだって口を閉ざし、それから微笑むのだ。「そうだね。」自分を納得させるかのように、いつだって肯定を口にする。
 違うのに。そんな顔をさせたかったわけではないのに。ただ、自分と同じように感じて欲しかっただけなのだ。自分と同じものをみて、聞いて、同じように感じて欲しかっただけなのだ。
 近くにいるはずの彼女が、いつだって遠いから、同じ目線でいて欲しくて、否定していただけなのに。そんなものはないんだよ。だから、同じものを見ようって。目の前の歌を聞こうって。言いたかった、だけなのに。
 なのに幼い子供では全てを伝えきれず、否定を重ねれば重ねるほど彼女はひどく傷ついて、泣きそうに微笑んで、諦めたように目を閉じてしまう。


 だけど、そんな彼女が、自分が歌うときだけ、なんの憂いもなく微笑んでくれたから。


 自分を見る目だけは、なんの失望も悲しみも諦めも見せずに、楽しそうに見つめてくれたから。自分が歌う歌だけは、いつだって楽しそうに聞いてくれたから。上手だねって。素敵だねって。そういって、笑ってくれたから。
 だから、とても単純に。

「ぼく、アイドルになる!」
「・・・・は?」
「だから、アイドル。うたっておどれるアイドルになる!」
「いや。まぁ歌って踊れるのは必須スキルだとして・・・いきなりどした、トキヤ」
「ただのアイドルじゃないよ。うたもダンスもかんぺきなトップアイドルになるんだからっ」
「あー・・・うん?うん、それは、おっきな夢だねぇ」

 いまいち何も飲み込めていない彼女に(昔の自分のことながら、あまりにも突拍子がなかったと思う)焦れたように声を荒げて、彼女が読んでいた漫画雑誌を取り上げた。
 あ、と宙を飛んだ雑誌を追う視線が面白くなくて、無理矢理に意識をこちらに向けさせるように殊更声を張り上げる。

「だから!」
「ん?」
は、さっきょくかになるんだよ!」
「待てこら。だからはどこにかかるんだ。そしてどんな無茶振りだお前!」

 作曲とか一度もしたことないわボケー!!とべしっと床を叩く彼女の言い分はもっともだ。今でさえあれは無茶な要望を突きつけたとしみじみと実感している。それでも、そのときはそれが最良だと思っていたのだ。
 自分がアイドルになって、彼女が作曲家になる。自分の歌ならば彼女はきっと聞き続けてくれるだろうし、彼女自身が作った曲ならば彼女は諦めを見せることは無いだろう。

 あんな、テレビ画面に向けるような寂しい顔など、させずにすむに違いない。

 そして、自分達は同じものを共有できるのだ。音楽を楽しむ気持ち。音を作る楽しさ。幸せな気持ちを、二人で。それはとても素晴らしいことに思えて、一等素敵な案だと思えて、緩む口元を隠しきれなかった。

「ぼくがアイドルになるから、はぼくのためにうたをつくってね」
「とんだ暴君だなお前。あーもー・・・無茶ぶりすぎる・・・」
?」
「・・・・・あーはいはい!わかった、わかりましたよ。だからそんな顔しないでよ」

 当時の自分がどんな顔をしていたかは定かではないが(彼女曰く陳腐だが捨て犬のような目だったらしい)、彼女は少しばかり顔を顰めて、それから吐いた溜息のあとにくしゃりと笑ってくれたことは、覚えている。

「しょーがないから、トキヤの歌を作ってあげるよ。大したことなくても恨まないでよー?」
ならだいじょうぶだよ。やくそくだよ、ぜったい、はぼくのうたをつくるんだよ!」
「ん。約束、ね」

 小指を絡めた約束に、彼女が擽ったそうにはにかんだ顔が、今でも忘れられなかった。





「俺様の美技に酔いな、だったかな」
「・・・なんです?」
「神宮寺君なら俺様の美声に酔いな、が妥当だろうね」

 そういって、俯き、楽譜に視線を向けながら彼女はぽつりと全く脈絡のないことを呟く。 
 俯く彼女の頬を髪が滑り、影を作って表情を隠す。動くシャープペンシルのカリカリと紙に芯が擦れ削れる音が一瞬の沈黙に響いた。
 それにあぁまたか、と軽く溜息をついて目を半眼に落とすと、彼女はゆらゆらとシャープペンシルの先を揺らした。

「馬鹿なことを言ってないでさっさと進めなさい。明日には音あわせをするんですからね」

 昔からこうだ。彼女は時折理解できないことを口走り、わからないこちらに肩を竦めてにやりと笑みを浮かべるのだ。嘘というには稚拙すぎて、それはいっそ空想ともいえそうな戯言ばかりで。そういえば、昔はいもしないアイドルについて語っていたこともあったか。
 そんなところは昔から変わらないのだな、と多分に呆れを含ませれば、彼女は軽く肩をすくめてくるりとシャープペンシルを一回転させる。器用なことだ。
 それから視線を再び本に落としたので、彼女の視線がどこに向かったのは見ていない。ただ、くすりと笑う気配がしたので、どうせろくでもないことを考えているに違いないのだろう。
 あぁ全く、彼女の空想癖はどうにかならないものか。・・・・・・・無理でしょうけどね。