03. どこが痛むのかは考えない



「えーと、あー・・・えっと、その、日向先生が呼んでたよ!一ノ瀬君も」

 そういって、同じクラスの女生徒がをみて僅かに言い澱んだあと、首を傾げながら背中を向けた。はその様子をただ見送るだけでなんという反応もしていなかったが、こちらとしては眉間に皺を寄せる他に無かった。また、か。
 内心の思いが表面に出たのか、しかめっ面に気がついたがこてり、と下から見上げるように首を傾げる。

「どうしたの、トキヤ」
「・・・いえ、何も」
「ふぅん。それにしても、なんの用だろうね。日向先生」

 何かやったっけな、と過去の行いを反芻でもしているのか、視線を斜め上に固定してさ迷わせるに、先ほどのことなど気にかける様子もない態度に眉を潜めた。
 ここ最近、あんなことが増えてきたように思う。本人はさして気にもしていないようだが、近頃彼女に対して他クラスどころか同クラスの生徒でさえ態度が可笑しい。
 別に、彼女が疎まれているというわけではない。悪意混じりの感情を向けられているわけではないのだが、ただ、妙に、ぎこちないのだ。もう入学してからどれだけ経っていると思うのか。全くの初対面でもなければそれなりに馴染んでいるクラスだというのに、先ほどのようにに対して、まるで話しかけたこともない相手に対するように言葉を濁らせるのだ。
 あの女生徒のように、彼女の名前を呼ばないまま去っていくことも多い。あるいは、ひどく間をあけて思い出したように彼女の名を口にする。
 ・・・ここ最近、自分が呼ぶ以外で、彼女の名前を聞くことが減ってきたように感じるのは、果たして気のせいだといっていいものか。
 むぅ、と顎に指をかけて考え込んでいると、こちらの様子を気にかけることもなくまぁいっか、と自己完結をしたは声をかけるでもなくさっさと歩き出してしまう。
 ちょっと待ちなさい。龍也さんは私も呼んでいたでしょう。

、待ちなさい」
「ん?トキヤも早くきなよ」
「はぁ・・・君は、時々驚くほどマイペースですね・・・」
「今更トキヤ相手に取り繕っても・・・」
「少しは取り繕いなさい!全くあなたという人は昔から、」

 ・・・・・・・・昔から?何かを言おうとして不意に言葉につまり、不自然に言葉を区切った私に、は一瞬だけ瞳を細めた。何かを見定めようとするその眼差しに、ギクリと内心で言い知れない焦りを覚えて唇を戦慄かせる。早く。早く何か言わなければ。そうでなければ、彼女は、

「・・・昔から、人に何も言わずに勝手にいなくなりますし。少しはこちらに気を向けるということをしなさい。昔からどれだけ私が苦労させられたか・・・聞いているんですか?
「トキヤ、おかんみた・・・いえなんでもないです。なんでもないからその微笑みはやめて」

 笑顔マジ怖いなど失礼な。苛っとしたので、有無をいわざすの頭を鷲掴みにしてギリギリと力を篭めた。手の下で痛い痛いちょ、潰れる!!と叫び声が聞こえたが、人の握力で頭蓋が潰れるわけないでしょう。呆れたように言えばそういう問題じゃねぇ!!とが乱暴に腕を振り払う。半分ほど涙目で米神を抑えるに、振り払われた手をぷらぷらと揺らしながらほっとしていた。・・・今更、こんなやり取りなど安心することでもないはずなのに。自分と彼女は幼馴染なのだから、こんなやり取り、昔からのじゃれあいのようなものだ。

「トキヤは偶に実力行使すぎる・・・」
「あなたが馬鹿なことを言うからです。ほら、早く行きますよ。いつまでも待たせたら今度は校内放送で呼び出されませんからね」
「うわ、それは恥ずかしい。急ごうか」

 先ほどのことなどもう気にしていないかのようにすぐさまに切り替えるところは、さすが長年の付き合いというものか。しかしまだ痛むのかしきりにこめかみを撫でるに、くすりと笑ってその米神に触れた。さらりと指先を掠めた黒髪が、ふと彼女に重なった。





 ・・・・いい加減、はもっと怒ってもいい気がするんですけどね。

「えーと、だからな、・・・一ノ瀬も最近は歌に感情が乗るようになってきたし、あー、・・・その、お前、いや、お前じゃなくて・・・・あーと、な?いや、忘れたわけじゃねぇんだ。忘れたわけじゃねぇんだが・・・」

 最近の私の歌に対しての評価は、喜ばしいものだ。散々心がないと言われ続けたものに、徐々に心が伴ってきたと言われることは素直に喜ばしい。それは同時に奪われていた自分の歌が戻ってきていることと同義で、これに勝る喜びはない。これも小春のおかげでしょうか、と思いつつも、その後のの名前が一向に彼の口から出てくる様子がないのはどうしたことか。あなた、教師でしょう。担当クラスの生徒の名前をど忘れするとはどういう了見ですか。
 眉間にきつく皺を寄せる私を、ちらちらと窺う龍也さんの額に汗が浮かび始める。より焦ったように低く声を絞り出す彼に、ふと私よりもの方がいい気はしていないんじゃないかと気がついて窺うように横をちらりと見る。誰だって自分の名前を、しかも担任から忘れられていい気などするはずがない。いくら何事もあまり頓着しないとはいえ、多少は気分を害して・・・。

「・・・?」
「日向せんせ。私、ですよー。。ひどいなぁ、名前忘れるなんて」
「あ、そうだな。な。。わりぃわりぃ。なんかど忘れしちまって・・・・ま、お前の曲も悪くはねぇんだが・・・最近、ちょっと印象が薄いな。一ノ瀬の歌に負けちまってるぞ」
「あは。トキヤ最近益々上手くなるんで・・・善処します」

 へらり、と笑うに、ほっと胸を撫で下ろした龍也さんはその場を何事もなかったかのように流してしまい、無意識に拳をきつく握り締めた。
 そのまま退室の流れになってしまい、結局胸の内の蟠りを抱えたままと並んで廊下を歩く。自分の肩よりも下にある彼女は龍也さんに言われたことを気にかけているのか、どうしたものかなぁ、と困ったような声でぼやいていた。

「トキヤ、最近ほんと上手くなったしねぇ。このままじゃ置いてかれちゃうね」

 今の曲もやり直さないと、と苦笑いを浮かべるに、どきりと心臓を跳ねさせて足を止めた。数歩進んで、動かない私に気がついたのかが不思議そうにこちらを振り返る。
 黒々とした目が、どうしたの?と問いかけているのがわかった。わかっていながら、ざわめく心中を誤魔化すように、私は殊更に厳しい声を出した。

「馬鹿を言ってないで、改善したらどうですか?私のパートナーはあなたなんです。できない、などとは言わせませんよ」
「わかってるって」

 肩を竦めて、厳しいなぁ、とぼやくがくるりと背中を向けた。ふわふわと制服の裾を揺らし、一歩、二歩と鼻歌を歌いながら彼女が進む。遠ざかるように。遠ざかるように?

「・・・っ!」 
「ん?」

 立ち止まり、振り返る。どーした?と笑う。そこにいるのだと確信して、何故か胸を撫で下ろした。

「あなたは、私のパートナーです」
「え?あ、うん」
「昔から、私の歌を作るのはあなただと決まっています」
「・・・・そぅだね」
「まさか、約束を忘れてはいませんよね?」

 刹那、彼女は目を見開き、それから静かに、口角を持ち上げた。やんわりと、薄く浮かべた笑みは嬉しそうで、なのに、何故かとても。

「『ぼくがアイドルになるから、はぼくのためにうたをつくってね』。・・・一言一句、間違いはないと思うけど?」
「・・・多少は間違えていてもよかったのですが・・・覚えているならいいんです」

 本当に、何故そうも一言一句間違えずに覚えているのか・・・せめて過去の呼び名ぐらいは曖昧になっていて欲しかったです。幼い頃の彼女の愛称とはいえ、今更それは恥ずかしすぎる。

「忘れないって。約束なんだし。あ、そうだ。それよりもさ、曲一応作ってあるんだけど、さっき日向先生にも言われたし、全部やり直そうと思うから練習はもうちょっと伸びるけどいい?」
「そうですね・・・・・一度、その曲を見せてください。私でも何かしらアドバイスはできるはずですから」
「ん。わかった。じゃぁ丁度教室にもついたし、ちょっと待っててー」

 あぁ、何時の間にか歩いていたんですね。先を行く彼女に追いつこうとしていたからなのか、会話に夢中になっていたからなのか、何時の間にか辿り着いた教室に入っていく彼女を見送って(一緒に入っても問題はなかったはずなのだが)、一人廊下に立ち尽くしていると、ふと廊下の先から声がかけられ緩慢に振り向いた。

「あ、トキヤじゃん!教室の前でなにやってんだよ」 
「あなたには関係ないことですよ、翔」
「相変わらずつれないねぇイッチーは。それよりも、これからレディ達と練習するんだけど、イッチーも来るかい?」
「小春のやつ、七海と一緒に曲作ったんだってよ。どんな曲になったか興味わかねぇ?」
「七海君と?・・・それは、興味がありますね」

 彼女の曲は、まだまだ未熟なところはあれども、何故か心惹かれてやまない。歌いたい、と思わせるメロディーを作り出せることはもうすでに一つの才能だ。改善すべき点はあれども、彼女の作った曲は多いに気が惹かれる。
 早く行こうぜ、と親指をたてて廊下の先を示す翔に、仕方ありませんね、と薄く口角を持ち上げながらついて、・・・いや。待て。私は、今、

「トキヤ?」
「・・・・?」

 後ろから声がかけられて、はっと後ろを振り返る。立ち止まり、楽譜を握り締める彼女に、あぁ、私は、と思って、顔を顰めた。・・・私、は?

「・・・どこか行くの?」
「え、えぇ。ちょっと・・・」
「そ。用事が終わったらメールして。作った曲みて欲しいから」
「はい、わかりました。・・・・え?」
「引き止めてごめんね。来栖君、神宮寺君、トキヤのことお願いね」
「私は子供ですか」
「おう、任せとけ!」
「ちょっと、翔」
「レディのお願いなら是が非でもきかないとね」
「レン・・・」

 幾分かの動揺を浮かべる翔とは違い、余裕でウインクを飛ばすレンに顔を顰める。いや、違う。レンが不愉快なのではなくて、七海君と小春の曲に興味があって、でも彼女の曲も聞かなければならなくて、私は、さっきまで、誰と。

「ほらトキヤ!ぼうっとしてないで行くぞ!」
「・・・っわかってます」

 ぐるぐると回る、違和感。何かを忘れている気がする。彼女たちの歌以上に優先するべき何かを。忘れている?いや、まさか。
 翔に急かされるように歩き出しながら頭をふってそれを追い出す。大切なことならば、忘れることなどあるはずはない。これでも記憶力には自信がある方だ。
 大切だと思うことならば、忘れるはずがない。だから、きっと、気のせい。


 気のせいなのだと、取り残された彼女を振り返らないで。