02. きみの奥で揺らぐ影の正体を私は知らない



【どうか見つけて・・・・あなたの音を。あなただけの、音楽を―――】
「待って!私は、まだあなたに聞きたいことが!」

 人気のない夕暮れ差す廊下に、響く音は必死さを帯びて誰かに伸びる。木霊するように余韻を残して消えていく澄んだ音色。追いすがるように伸ばされた指先が光る残滓のみを捉え、力なく握り締められた。光はやがて消え、そこには夕陽の影に取り残され、途方に暮れた少女が項垂れて何も掴むことのできなかった手を見下ろしていた。
 まるで迷子のよう。たった一人になってしまったかのような、そんな孤独が見えて少しの逡巡のあとに、私はそっと廊下の影から進み出た。

「・・・柊沢さん?」
「っ!」

 僅かの躊躇いの後、小さく声をかければ人気のない廊下では木霊するように声が響いて、頼りない声であったにも関わらず彼女は弾かれたようにこちらを振り返った。
 特別可愛い顔でも、すっごい美人だという顔でもない、でも決して不細工でもない顔はたぶんそこらにいる人間とさして変わらないのだろう。多少はこの世界用に美化されているとはいえ、客観的にも主観的にも、美形とは言いがたい。誰もが振り返るわけではないけれど、それでもきっと「特別」な彼女は人がいたことに驚いたのか、それとも先ほどの現場を見られてしまったことにか、動揺を見せてぱくぱくと口を開閉していた。まるで酸素不足の金魚のようだな。平坦な思考でそう思いながらどうしたものか――思考を巡らせ、カーブをかけても仕方がない、と口を開いた。

「今のって、柊沢さんがここにきた原因?」
「え!?」
「なんだろうね、妖精?幽霊?神様?妖精ならあれかな、コルダみたいな感じ?あぁでもこの世界ならミューズ、っていう神様かもしれないね」
「ど、して・・・あなた、一体・・・」
「・・・私も同じ、だからかな」

 苦笑染みた笑みを浮かべて小首を傾げると、彼女は更に息を呑んだようにひゅっと言葉を詰まらせ、そのきらきらと輝く瞳を限界まで見開いた。





 近くにも窓の外にもどこにも人がいないこと確認して、誰もいない練習室に入る。音楽学校だけに防音設備だけはしっかりとしているので、扉を閉めて鍵をかけてしまえばもうここの音は外のどこにも漏れない。窓も開いていないことを確認して(万が一聞かれたら面倒だ)教室の真ん中に物も言わずに鎮座するピアノの近くによる。閉じられた蓋を開けて白黒の鍵盤を露にさせると、そっと人差し指を乗せてポーン、と一音響かせた。それらの余韻が消える頃を見計らったかのように、教室に入ってから一言も発さなかった柊沢さんが、耐えかねたように震える声を張り上げた。

「あの!」
「ん?」
「さっきの、えっと、あなたも同じって」
「そうだなぁ、簡単に言えば、ここがうたのプリンスさまって乙女ゲームの世界で、私はそのゲームがある世界の出身者ってだけなんだけどね」
「・・・・!あなたも・・あ、名前・・・」
。柊沢小春さん、だよね。このもんのすごーく倍率の高い学園に突如として現れた転校生。んでもって、プリンスさま達含め公式主人公とも仲の良い期待の新星」
「えっと、それは、なんていうかすごい成り行きで・・・って、そうじゃなくて!さんも、私と同じトリッパーなの!?」
「まぁねぇ」

 まぁでも、少なくとも君みたいな「特別」な要素は無きに等しいとは思うけど。それは言わず緩慢に肯定すれば、彼女はしばし茫然自失となったように呆けた顔をして、それから勢い込んでピアノの前に立つ私に詰め寄ってきた。

「じゃ、じゃぁさっきのあの女の人のことも知ってるの!?」
「ごめん。それはわからないんだ。私はあんなのと接触した覚えは一切ないから」
「え・・・でも、同じ、なんだよね・・・?」
「んー・・・多分、トリップの状況が違うんだと思うよ。私は、まぁ、よくわからないけど前触れもなくここにきて、しかも幼児化してたし。それからこの年齢になるまでこの世界で生活してたから」
「そ、うなの?えっと、それは、なんていうか、大変だったよね・・・」

 それ以外言葉が見つからないのか、それとも自分の状況と違いすぎてて理解が追いつかないのか、なんとも言いがたい表情で言葉を呑んだ柊沢さんは、とつとつと自分がここにきた経緯を話し始めた。学校帰りに、黒猫とあって、そしたらすごく綺麗な音楽が聞こえて、かと思えばいきなり周囲の様子が一転してたんだと。んでもって、その現場に丁度公式主人公(七海春歌ちゃん+プリンスさま)がいて、まぁ色々とすったもんだの末でシャイニング早乙女の計らいでここに転入生扱いで入ったこと。目下帰還方法を捜索中で、今日は初めて進展・・・まぁつまりあの声の主(生憎と声しか聞こえなかったので姿は知らない)と接触を果たしたこと。なんか意味深なことを言うだけ言って消えてしまったこと。
 言うだけいって、緊張の糸が切れたように彼女はがくりと肩の力を抜くと、泣きそうな顔できゅっと下唇を噛んだ。

「もう、わけがわかんないよ・・・。なんで私がここにいるのか、音楽を探せとか・・・どうすればいいのかも、サッパリで・・・」
「そうだねぇ・・・まぁ座りなよ。とはいっても椅子一つしかないけど」

 弱弱しく呟く柊沢さんに、そりゃそうだ、と同意しながらピアノの前の椅子を勧める。それに困惑した顔をしながら、首を横に振った柊沢さんに私はそっか、と言ってから自分で座ることにした。椅子を引く音だけが教室に響くと、すぐに無音が後に横たわる。
 チクタク、と壁掛け時計の秒針が時を刻む音だけが耳に届いた。

「なんで君が選ばれたとか、その女性がなんなのかとかは、私もわからない。私だってなんでここにいるのかなんて知らないし」
「あっ・・ごめん・・・」
「いいよいいよ。柊沢さんと違って私はこの世界にきて結構長いし。色々慣れちゃうしね、ここまでくると」
「・・・そんなに長いの?」
「少なくとも十歳未満の体になってたからねぇ。十年近くはいるよ」

 からからと笑って言えば、彼女はなんとも言えない顔でむっつりと黙り込んでしまった。そりゃコメントに困るよね。可哀想とも言えないし、かといってさらっと流せるほど軽い内容でもないし。かといって私もコメントを求めたわけではないので、場の空気を変えるようにぽーん、とまた一つ鍵盤を叩いた。

「でも、なんとなく予想はできるよ」
「え?」
「君の帰還方法は、つまりこの世界のタイムリミット・・・一年後のオーディションまでにこの学園で君だけの音楽を見つけること。もしかしたらセシルルートみたいになんか楽譜とか見つけていくのかもしれない。あるいは、パートナーを見つけて、音楽を作っていくことかもしれない。どういう形かまではさすがに断言できないけど、つまりその音楽を見つけて、紡ぐこと。そうすればあの声の・・・まぁ仮に女神様としとこうか。彼女になんらかの力が働いて帰還できる、ってところじゃないかな」

 物語にありがちな展開だ。でもあながち間違いでもないと思うんだよね。あるいはマジでセシルルートで、真実の音楽を見つけてサタンを退けたら帰還、とか?どんなファンタジーだよ、とどこか笑いが込み上げてくるが、そこはぐっと堪えて立っている彼女を仰ぎ見た。
 彼女は私の言葉に目を見開いて、口元に手をあてて何かを飲み下すように熟考していた。

「私だけの、音楽を・・・」
「まぁ、つまり、君はこの学園で、プリンス達に関わりながら音楽を作るしかないってことだよ。なんたってここは、うたのプリンスさまの世界なんだから」

 恐らく、そういう世界なのだ。七海春歌が存在しながらもイレギュラーである彼女が出てきたことは、彼女こそがこの世界での中心に位置していること。条件的には私も同じじゃないのかと思うが、私にはそこまでの特別要素は何も落ちては来なかったし、現時点で彼女が接触したような女神様の気配の一つすら感じたことは無い。つまり、私は異分子でありながらどうも脇役ポジションに位置しているらしい。いやどっちかというとサブキャラクター?攻略対象じゃないけどちょこちょこ出演してるような?
 まぁ、どちらにしても恐らく私にはあまり関係のない事柄なのだろう。

「・・・なんとなく、まだ飲み込めないところはあるけど・・・この学園で生活していくしかないってことだよね?」
「まぁ他に方法はないだろうね。でも、きっと柊沢さんなら見つけられるよ。君だけの音楽ってやつを、さ」
「できるかな・・・?私に・・・音楽は好きだけど、作曲とかしたことないし・・・歌だって、上手いわけじゃないし」
「あ、そういうことはしてなかったんだ?それはちょっと大変だね・・・コースは作曲家コースだっけ?」
「アイドルって柄じゃないから、そっちになる、のかなぁ?」

 なんだ、てっきり向こうの世界でそっち関係で悩み事とかあって召喚されたとかそんな背景があるのかと思ったのに。素人なのか・・・それはちょっと、うん。この学園だときついよね。
 どこか拍子抜けした気持ちで、でも作曲なんてしたこともないし!と頭を抱える彼女にまぁそこは七海さんとか他面子に助けてもらいつつ頑張りなよ、と適当なエールを送っておく。私じゃどうしようもないし。

さんひどい!・・・って。そういえばさんはどっちのコースなの?」
「うん?作曲。ちなみにパートナーは噂の一ノ瀬トキヤくんですよ」
「え?!マジで!?」
「マジマジ。ちなみに私トキヤの幼馴染ポジションなのだよ」
「えええええ!!!え、それはもう、なんていうか、普通にすごいポジションな気が!」
「まさかのうたプリと気づくまで自分がそんな美味しいポジションにいるとは気づかなかったけどねー」

 ちょっとした私も主人公だよね。まぁでも、彼女がいる時点でそれもなくなりそうだけど。くすくすと笑うと、彼女はえーえーえーと目を丸くしながら、少し頬を染めてじゃぁ!と身を乗り出してきた。

「もしかして、さんはトキヤさんの恋人とか!?」
「今のところそんな雰囲気はないなー。お互いにそういう対象としてはみてないっぽいし」
「えー?でも、トキヤさんと幼馴染とかそういうフラグがありそうだよ?」
「ありそうでも現実にはねぇ。回収した覚えもないし・・・まぁそこら辺はおいといて、柊沢さんはどうなの?」
「へ?」
「だから、気になる相手とかいるの?」
「え、えーと・・・私はぁ・・・今のところは、そんな。皆素敵だし、それに、ここは、やっぱり、ゲームの世界、だし・・・」

 そういって、視線を泳がせる彼女には迷いが見える。ゲームだといいながら、それでも生身の彼らと接しているからだろうか。そういう線引きが、今曖昧になっているのだろう。
 まぁ奴等普通に美形だしな。うたプリ知ってる時点でゲームかアニメか、まぁどっちにしろ彼らが好きなのには違いないだろうし。彼女は誰に恋をするのかな、とそんなことを考えながらぼんやりと視線をピアノに向けた。
 もしかしたら恋になんて発展しないかもしれない。物語のよう、であっても実際に起きている現実なのだから、誰かに描かれたストーリーのように事は運ばないかもしれない。
 それでも、多分、彼女は恋をして、そうして見つけていくんじゃないかな、と思う。それはあくまで憶測でしかないけれど、それでもそうなんじゃないかな、と思いながらふふ、と笑みを零した。

「・・・そろそろ日も暮れてきたね。寮に戻ろうか」
「そうだね。なんだか、今日は色々あって頭がパンクしそうだよ・・」
「ゆっくり寝て明日に備えるといいよ。明日から本格的に「歌探し」しなくちゃいけないし?」
「あ゛ー・・・ただでさえ通常授業でさえ追いつかないのにぃ!」
「まぁガンバレ。遠くから応援してるよ!」
「近くじゃないの!?」

 折角同じ世界の仲間なのに!と言いたげな彼女に、まぁ一緒にいてもいいんだけど、でもやっぱりそこそこ遠くからフォローに回った方が楽っていうか。ぶっちゃけイベントが多そうな面子の近くにいると疲れそうっていうか・・・私普通に作曲とかしていたいし。
 うん、やっぱりほどよい距離でいさせてちょ。

「うー・・・でもでも、話しかけたりとか遊んだりとかはしてもいいよね?!」
「オッケーオッケー。なんか吐き出したくなったらおねーさんを頼りたまえ」
「うわぁぁぁんお姉さまーーー!!」

 おたくトークもどんとこいだから遠慮なく語りたまえ!とどーんと抱きついてきた柊沢さん、え?なに小春と呼べと?私もと呼ぶと?まぁいいけど。とりあえず柊沢さんを受け止めながらうっそりと瞳を細めた。


 きらきらと輝く光の残滓を、じぃっと見つめたままで。