05. ごめんね、それが全てだ



 開け放った窓の枠に肘をかけて、きらきらと瞬く星を見上げる。藍染の夜空がとても明るい。今日はとても星が多いんだな、と思いながら窓枠に体重をかけるようにくるりと後ろを振り返った。

「ほら。やっぱり彼女はこの世界を選んだよ、女神様」
・・・】
「やっぱり恋は偉大だね。元の世界を捨てさせるぐらい強い感情。我も忘れる思いの強さ。怖いね、恋心って奴は」

 永遠ともしれないものなのに、永遠を信じて向こうを捨てる覚悟は、いっそ恐ろしいと私は思う。きらきらと星が瞬く。違う。本当は、瞬いているのは私自身だ。
 目の前まで持ってきた手は、掌の向こう側が徐々に透けて見えていた。軽くホラーみたいだ。気持ち悪いな、と思いながら、同じく半透明の女神様に視線を向けなおす。

【彼女は選び、捨てました。天秤の吊り合いは彼女とあなたでなされるでしょう】

 どこか淡々と、あえて感情を削ぎ落としたかのように告げる女神様にうん、と相槌を打つ。

「この部屋も何もない状態に戻るのかな。写真とかも私のとこだけ消えたりするのかな」
【過不足なく。不自然な形にはならないでしょう。全ては、あなたがいない今になるのです】
「私がいない今、か」

 それはどんな今なのか、想像できるようで中々にしにくい。ゲームのような環境になっているのだろうか?少なくともトキヤには多少の変化があるのかもしれない。まぁ私が彼に与えた影響など微々たるものだろうけれど。
 瞳を閉じて、少しだけそんな今を想像してみる。いつだってトキヤは隣にいた。この世界にきてから、多分ずっと。あの青年だけは近くにいたように思う。一時期は遠のいたように思ったこともあったが、何時の間にか、彼は私の横に立って真っ直ぐに夢を見ていたのだ。
 いつだって、私を、引っ張って。
 でも、もうその時間も終わり。彼の横には私ではない誰かが立って、彼と同じ夢を目指すのだろう。それは仲間でありパートナーであり恋人であり、そして私ではない誰かなのだ。
 その未来に、少しも傷つかないといったら、嘘になる。ずっと同じ夢を目指すのだろうと思っていた。約束のために、隣に立ち続けるのだと思っていた。私の隣はトキヤで、トキヤの隣が私なのだと、漠然と疑いすらも、していなかったのに。
 けれど示された可能性に、縋りついたのは紛れもない自分。二人でみた夢を捨てたのは自分。

 幼い約束を、破ろうと決意したのは、私自身なのだから。

 僅かの自嘲を浮かべて、閉じていた目をあける。女神様は私をじっと見下ろしていて、部屋はまるで蛍の乱舞のように明るく柔らかに染まっていた。その光は私から溢れているもので、光が空中に踊るたびに、自分という何かが消失していく感覚がする。
 薄く、消えていく。何もかも。溶けて消えるみたいに。そして、私が消えると同時に、彼女がこの世界に定着していっているのだろう。地に足をつけて。誰かの腕の中で。
 彼女は、この世界で生きていく。どうか幸せに。しあわせになって。
 小さな願いは胸中に溶けて、私は深く息を吸った。

「女神様。最後に一曲、歌ってもいい?」
【是非】
「ありがとう」

 微笑んで頷いた女神様に、にっこりと笑顔を返して、息を吸った。
 紡ぐ音は、彼のために作った曲。彼のためだけに作り続けた、最後の音楽。彼だけに捧げる、最後の歌。


『ぼくがアイドルになるから、ぼくのためにうたをつくってね』


 優しい君が作った、私のための、約束だったのに。