迷走



 不機嫌な顔のマリアン先生が、その鷲掴んだ頭ごとぐいっと後ろに追いやる。私は踏鞴を踏みながら彼の背後に追いやられ、そのすらりと長い足にしがみついた。その瞬間詰めていた息がほっと外に洩れたが、彼は一瞥をしただけで咥えていたタバコを手に持ち替えた。そのタバコを持つ手とは逆の手に、いつか見たことのある大きな銃が握られている。
 僅かに煙が立ち昇っているのは、先ほどその銃をぶっ放した余韻のせいだろうか。というか、やはり銃を使ったのだ。あの爆音の前に聞こえた銃声は、やはり彼が行ったことだったのだ。ひやりとしたものが背筋を駆け巡るのを自覚しつつも、やっと向けた正面にはあの不気味で恐ろしいものがないことに、安堵する。・・・何がどうなったのか、彼が何をしたのか、理解できないながらもあれがいなくなった、その事実に強張っていた体の筋肉が僅かにほぐれた様に思う。

「クロス・マリアン!?」

 私がマリアン先生の背後に隠れると、そんな驚愕の声が聞こえて咄嗟に上を向いた。
 今までのあの余裕ぶりが嘘のように本当に驚いたという風に、人様の屋根の上で指を突きつけているそれ。先生は私から一旦視線を外すと、非常に面倒そうに眠そうな目で屋根の上を見た。

「よぉ、伯爵。いい月夜だな」

 にぃ、と吊り上げる口元の様子は文句なく決まっている。指に挟んだタバコの煙がゆらゆらと立ち昇る軌跡が視界の端を横切る。けれどそれよりも、顔見知りのように気安い先生の態度に、私は口をあけて呆けていた。相変わらず頭は彼の大きな手に鷲掴みにされたままなのがなんとも言えないが、別に本当に握りつぶされることはなかろう、とひとまずそこは置いておく。それよりもマリアン先生の発言と、その態度に私は体が硬直したまま動けなかった。・・・はくしゃく?チリリ、と頭の奥で何かが刺激される違和感を感じた。

「なんでお前が・・・まさか、とうとう幼児にまで手を出したんですカ!キャー!イヤァァァァ!!!汚らわしいーーー!!!神父(エクソシスト)のくせニ!!」
「アホか。いくら俺でもこんなガキに手を出すか。女は15になってからだろう」

 えぇ、なにその会話!ガン、と頭を鈍器で殴られたような衝撃と共に、頬に手をあててムンクの叫びのごとく絶叫している伯爵、という人物とマリアン先生の会話に私は呆気に取られた。明らかに論点そこじゃないよね?普通。というか「いくら俺でも」って。「女は15」って。
 先生、子供の教育に非常によろしくないと思います・・・!そしてガキっていうけど中身は一応成人してるんだよとっくの昔に!!という突っ込みができるはずもなく。とりあえず唇を引き結んで、私は恐る恐るマリアン先生の背後から少しだけ顔を出した。ひとしきり叫んだ伯爵は、先ほどまでのハイテンションが嘘のように肩を落とす。そしてギラリ、と不吉に目の奥を光らせた。ぞくりと、背筋に悪寒が走る。サァ、と顔から血の気が引いたように感じて、私は震える指先できつくマリアン先生の服を掴んだ。

「それにしても、予想外ですネェ。まさかお前がいるなんテ❤」
「俺としてもまさかこんなところでてめぇと会うなんざ思ってなかったよ。ったく。このトラブルメーカーめ」
「ちょ、物凄く不本意ですその台詞!!」

 好きであんな危険人物と鉢合わせたんじゃない!!じろりと睨みつけられて、咄嗟に眉を吊り上げて反論した。自覚があったらトラブルメーカーじゃないだろ、と言われたがはっきり言って今までの行いでいうなら明らかにマリアン先生の方がトラブルメーカーだと思う。
 この人のおかげでどれだけ借金取りから逃げ回ってきたことか。たまに借金押し付けられたときは泣くかと思ったぐらいだ。ひぃひぃ言いながら返済に努めたのは一度や二度の話ではない。色々と言いたいことはあったが、反論すればするだけ無駄というものであり、私は甚だ理不尽だ、と思いながらもそれ以上の反論は飲み込んだ。・・黎深さまに言い返すのと同じような無意味さだよね、この人に言葉向けるのって。はぁ、と溜息を零せば、マリアン先生はふっと鼻で笑い、長い髪の間から鋭い眼光を覗かせた。

「で?これからどうするつもりだ、千年伯爵」

 ・・・・・・・「千年」伯爵?聞こえた単語にふと顔をあげる。マリアン先生はもうすでに意識を伯爵に向けていて、伯爵も伯爵で最早私ではなく先生を見ていた。宿敵、と言わんばかりに睨みあい対峙する二人は、なんだろう・・・言い知れぬ雰囲気が漂っている。そんな二人を見つめながら、何かのピースがカチリと嵌ったように、頭の中で音がなった。

「イノセンス」

「AKUMA」

「千年伯爵」

「エクソシスト」

 あぁ・・・と声もなく吐息が零れる。
 イノセンスAKUMA千年伯爵エクソシストクロス・マリアンティムキャンピーイノセンスAKUMA千年伯爵エクソシストクロス・マリアンティムキャンピーイノセンスAKUMA千年伯爵エクソシストクロス・マリアンティムキャンピーイノセンスAKUMA千年伯爵エクソシストクロス・マリアンティムキャンピーイノセンスAKUMA千年伯爵エクソシストクロス・マリアンティムキャンピー・・・・エクソシスト、千年伯爵、イノセンス、AKUMA・・・・・さっと、マリアン先生の横顔を、見上げた。あぁ、とまたしても吐息が零れる。どうして。・・・・どうし、て。

「そういうお前こソ。どうするつもりですカ❤❤」
「その樽みたいな腹に風穴をあけてやってもいいがな。一応、足手まといがいるんだ。そう事を構える気はねぇよ」

 見逃してやる。暗にそういっているのだろうか。思考の海に没頭している合間、聞こえてきた会話に咄嗟に顔をあげて顔を顰める。足手まといって。ぐぅの音も出ないけど、事実だけど。・・・マリアン先生が自分のことを考えてくれたことに驚きである。・・・記憶している限りでは、この人の横暴さは黎深さま並だったと、思うんだが。いや、邵可さん一家という弱みがある分、あっちの方が可愛げというものがあるのかもしれない。思わず瞬きをすると、相手もまた物珍しいものを見る目でマリアン先生をしげしげと眺め回し、キヒ、と笑った。元々裂けに裂けていた口がさらに大きく裂けて、あぁもうなんだあのホラーキャラクターは、と私は縮こまるように先生の背中に密着した。

「珍しいこともあるものですネェ。お前がそーんな小娘一人を気にかけるなんテ❤――それのAKUMAを見る目と関係してるんですカ❤」
「あ?」

 伯爵の台詞に、びくりと肩を揺らす。マリアン先生の怪訝な声に益々小さくなりながら、私は唇を噛み締めた。何を言っている、といわんばかりのマリアン先生の態度に、意外だったのはどうやら伯爵もそうだったらしい。眉を片方動かして、ニヤニヤと笑いながら彼は可笑しそうに口を動かした。

「おや、おやおやおやおや?もしかして知らなかったんですカ、マリアン❤」
「何が言いたい」
「そうですカそうですカ❤いえいえなんでもありませんヨ?知らないならそれはそれで、ネ――」

 ニタリ、と笑う口角は恐ろしい。けれどマリアン先生はひどく不機嫌な様子で銃を取り出し―――なんの合図もなく唐突にぶっ放した!!その一瞬を、私はひどく変なものを見る目で目撃してしまった。マリアン先生の放った弾丸の先には、何か変な魔方陣みたいなものが浮かんだのだ。十字架と女性。モチーフはそれなのだろう。それは間違いなく伯爵を中心に広がっていて、弾丸は迷いなくそれに向かって飛んでいる。伯爵は笑いながら傘を前方に突き出して、弾丸と傘の先端がぶつかりあう。刹那、凄まじい爆音と突風が住宅街を駆け抜け、私は飛ばされないようにマリアン先生にしがみつく羽目になった。ぎゅっと咄嗟に瞼を閉じると、耳の奥があまりの音にキーンと轟いて耳鳴りがする。ちょ、あんた等街中で堂々とまた何を・・・!咄嗟に片手を先生から離して片耳を塞ぐ。うぅ・・・鼓膜が・・・。泣きそうになっていると、夜の街中にまた笑い声が響いた。顔をあげれば、煙で滲む向こう側、月をバックに傘を広げてふわふわと飛んでいる伯爵が。

(物理的にありえなああぁぁぁぁぁぁあいいいいぃぃぃ!!!!)

 おっま、世の中には体重というか重さというものがあってな、爆風で飛ばされることは、まああるだろう。それは私も別に否定しない。けど、けどっ。傘で飛べるはずがないでしょう?!
 えぇぇぇぇぇ、なんだあれ!!どんなミラクル!ふわふわと明らかに私よりも体重が重いだろう伯爵は、そんな私の内心など気づいていないように笑いながら喋りだした。いや、だから、なんで飛んで・・・っ!!

「それでは我輩もそろそろお暇させていただきまス。折角造ったAKUMAちゃん達を壊させるのは忍びないですシ❤」
「さっさと失せろ」
「怖イ怖イ❤では・・・また会いましょウ、クロス・マリアン❤」

 言いながら、ふぅ、と伯爵の姿が消えていく。またなんか可笑しな現象が・・・っ。大きく目を見開くと、ちら、と伯爵がこちらを見た。逆光を背負うその表情は、はっきりいってとても分かりづらい。夜は暗く、それに距離もある。わからない、はずなのに。

「・・・っ」

 その目が、酷く爛々と輝いていたように思うのは、なぜだろう。寒気が全身を走ると同時に、呆気にとられている合間に伯爵の影は闇夜に融けて消えてしまった。そこには先ほどまでの荒々しさも不気味さもなく、ただの静寂が舞い戻っている。唯一違うといえばまだそこかしこに残っている爆風に舞い上がった砂煙だろうか。その名残が先ほどまでの不可解且つ不気味な現象を露にしているというのならば、私は・・・私、は。

「真夜中に不愉快なもんと会っちまったな・・・お前のせいだぞ
「・・・ご、めんなさい・・・」
「人の睡眠を邪魔するはあんなもんと会わせるわ。どうしてくれる」

 頭の上から降ってくる低い声に、顔があげられない。途切れ途切れに謝罪を呟きながら、それでもマリアン先生の傍からは離れられなかった。だって、怖かったのだ。別に、初めてじゃない。不気味なのも、わけがわからないのも、人でないものも、別に、初めてのことじゃ、ない。だけど。

「マリアン、先生・・・」
「あぁ?」
「私、私・・・っ」

 言葉は、紡げなかった。目を眇めて見下ろしてくる先生の顔を直接見ていられず、視線を下に落として息を詰める。震える手で握り締めていた服も、どうしてか握ってなどいられなくなって、ゆるゆると強張った指を解けば、すっかりと皺のいった様子が見えた。泣きそうになりながら、唇を噛み締める。どうして思い出してしまったのだろう。思い当たらないままでいればよかったのに。どうして私、ここにいるんだろう。ここは私がいるような場所じゃないのに。どうして、どうして。疑問ばかりが溢れてくる。罵りたいような嫌悪感が押し寄せてくる。あぁ、どうして、どうして。
 どうして私、また漫画の世界になんて、紛れ込んでしまったんだろう。どうして私、この人を、キャラとして知ってしまっているんだろう。
 目の前のいる人は確かに人なのに、それは確かに作られていた存在だということを、思い出してしまった。


 あぁ、私の居場所はどこにある。