待ってて、待ってる、君と手を繋ぐ日を!



 実は、アレンの左手に触るのを、結構躊躇している自分がいる。
 左手の訓練のために、ぎこちなく動かそうとしているアレンを眺めながら最低かな、と内心で呟いた。アレンの左手は、誰もが・・・まあ、教団の人間ならばともかく、普通の一般人が見れば不気味この上ない手だ。赤黒く、人の肌の色をしていない手。爛れたような醜さに、気味の悪さを覚えて気が引ける。進んで触ろう、とはどうしても思えない自分がいることに、つくづく自分って奴は、と溜息さえ零れた。十字架の埋め込まれた手の甲。引き攣れた皮膚に、アクマを倒すための左手だとは到底思えない禍々しさ。あれが神の手だと、誰が思うだろう。醜く、恐ろしい、手。だけど、アクマを倒して、あの中に囚われている魂を開放して、人を助ける、大きな手。だけどやっぱり外見がなぁ、と眉間に皺を寄せると、不意にアレンがこちらを向いた。咄嗟のことに軽く目を瞬くと、アレンが苦笑を浮かべてみせる。

、どうしたんですか?じっとこっち見て」
「え?あ、うん、ごめん」
「いえ、謝らなくてもいいんですけど・・どこか具合でも悪いんですか?」

 言いながら、一旦リハビリをやめてこちらに向かってくるアレンが、心配そうに表情を曇らせて手を伸ばした。その伸ばされた手が、左手であったことにギクリとする。前髪を掻き分け、額に触れようとする手に咄嗟に顔をのけぞらせてしまうと、アレンの手が止まり、心配気な顔が一瞬強張った。しまった、と目を丸くしても、もう遅い。あ、と零れた声はなんの意味もなさず、アレンはゆっくりと手を引っ込め、ぎゅっと胸元で強く拳を握ると小さく口角を持ち上げた。心なしか下がった眉と、細まる目に、傷ついた影が見えたのは気のせいなどではない。

「ア、アレン」
「・・僕、リハビリに戻りますね」

 にこり、と浮かべられる笑みが、痛い。なんでもないことのように振舞うのが、どうしようもなく、責められているようだ。勿論そんなのは被害妄想も甚だしい。自分でやっておいて、そう思うなんてどこまでズルイ人間なのかと、自己嫌悪さえ覚える。・・・アレンは、決して責めないし、誰かに嫌悪を覚えることもない。諦めている、そういうことなのだろう。自分の左手が周りからどう見られるかわかっていて、それが受け入れられにくいものだと、理解している。だから諦めている。拒絶されることに慣れている。その様子がどれだけ寂しく目に映るか、私は他人だからわかるのに。だけど他人だからこそ、その手にどれだけの視線が集まるのかも、わかるから。知っているのに。わかって、いるのに。背中を向けて、心なしか足早に、この場に居辛い、とでもいうように遠ざかるアレンに、私は頭を抱えた。引き止めてもどうしようもない。だって現に今私は明らかに反応してみせた。アレンの左手に。それがアレンに対してどう見えたかなんて、考えるまでもないだろう。・・・嫌がられたって思ったんだろうなぁ。いや、まあ確かに、そういう気持ちがなかったわけでは、ないのだろう。多分。気味が悪い手だ。あまり好んで触れたいとは思わない手だ。触るのに、躊躇してしまう手。あぁ、私がなんでもすぐに受け居られる、おおらかで優しい、暖かな人間であればよかったのに。
 この手が好きだよって、すぐに触れて、笑顔で言うことができるような人間であったならば。アレンにあんな顔させなかったし、あんな思いもさせなかった。また離れたところで、左手の指をぎこちなく動かしているアレンを見て、もうマジでどうしろと、とテーブルに突っ伏した。
 傷つけた。だけど謝るのは何か違う。謝ってもどうにもならないと思うし、むしろ傷を抉っているだけのような気がする。あぁでもこのままだと明らかに溝ができるよね。一緒にこれから暮らすのに、それはさすがにどうよ。気まずいのは嫌だ。というか相手を傷つけて平気でいられるほど無神経でもなければ神経図太くもないし。良心呵責というものが、ずきずきと胸を突付く。うぅ・・・あぁもう本当に、なんで自分ってこういう人間なんだろう!たかが手なのに、ちょっと、いや、かなり?さておき、違うからって、躊躇する弱さに沈みそうになる。
 いや、まあそりゃある程度時間をかければ平気になると思うんだよ。いつまでも嫌がるようなことはしないと思うよ、さすがに。慣れもあるだろうし、気にしなくもなるだろう。でも拒絶してしまったのは本当で、気味悪いなぁ、と思っているのも本当で、怖いな、と思うのもやっぱり本当で。マリアン先生ならなんとも思わないんだろうけどなぁ。あれぐらい強ければいいのに。というか、せめて違いをあっさりと受けいれられる人間だったらば!そう思っても今更やったことは取り返しがつかないし、そんな人間ではないのも今の現実だ。テーブルに突っ伏したまま、首だけ動かしてじっとアレンを見る。アレンはこちらに背を向けて、遅々としてすすまないリハビリに没頭している、ように見える。実際はどうだかは知らないが、明らかにこう・・・なんとなく背中で拒絶されているような気がして、自分でやらかしたことながらさみしいな、と目を細めた。・・・・本当にこのまま一線引かれる羽目になったらマジで嫌だなぁ・・・。そう思うと、無言でがたん、と椅子を引いて立ち上がった。アレンの肩がその音に反応して揺れたが、こっちを振り返ることはしない。くっそそこまで気まずいか!気まずいよね普通に!ズキズキと良心が痛む音を聞きながら、ずかずかとアレンの傍まで行く。アレンはこちらを振り返らず、ぎこちなく左手を動かし続けていて、せめてこっちぐらい見てよ!と言いたくなった。わかってる、わかってるよ自分が原因なんだってね!こんちくしょうっ。

「アレン!」
「っ、は、はい?」

 思いのまま、ちょっと強めに名前を呼ぶと、さすがに無視できなかったのかアレンが躊躇いがちにこちらを振り向いた。その顔は笑顔を浮かべていたけれども、なんとなーく、腰が引けているような印象がある。私は振り返ったアレンを見下ろしながら、何を言おうか、と呼びかけておきながら少しの間沈黙してしまった。アレンは貼り付けたような笑みを浮かべたまま、額にたらりと汗を浮かべる。ものすっごく変な沈黙で見つめあいをする私達。先生がいれば確実に「なにやってんだお前ら」と馬鹿にした顔をするだろう。そんなことを考えながら、私は唸るようにえーっと、と声を零し。アレンは辛抱強く待っていてくれて、それに早くなんか言わないと!と焦りながら何が伝えたかった、ということを検討した。・・・あー、そうだ。

「アレン、あのね」
「はい」
「そのね、左手のことなんだけど」
「・・はい」

 口に出すと、アレンの顔が強張る。けど、少しだけ表情筋が動いただけで、やっぱり笑顔だ。もっと崩してくれたらいいのにな、と思いながら今自分傷に塩塗りこんでるのかなぁ、と思った。ごめん。でもこれだけは言わせてくれ。

「その手、別に嫌いなわけじゃないからね」
「え?」
「えーと、あんな反応しておいて今更とは思うけど、というか今までにも明らかに避けてるだろう、とは思われてると思うんだけど」

 もごもごと言い訳のように色々と口にしながら、きょとりと、目を丸くしたアレンに近寄り、私は困ったように眉を下げた。むしろ困っているのはアレンなのだが、お互いどことなく情けない顔をして見詰め合う。・・・自分の内心を、順序だてて言葉にするのは中々苦手なんだが、と普段あまり口にしないからこその苦手意識を覗かせながら、えー、とまた言葉を探すように声を絞り出す。

「その、実際ちょっと怖いなぁとか、そういうことは、思ってたけど、えー、でも、その、えーっと、嫌いなわけじゃないんだよ?なんていうか、うん。やっぱり最初はこう、腰が引けるというか、えーっと、躊躇とかも、しちゃうわけなんだ、けど」
「・・・」

 う、無言か。支離滅裂に言葉を重ねてみるが、あんまりアレンの反応は思わしくない。さすがに笑顔は消えて、じっとこちらを見るアレンにちょっと気圧される。そりゃ面と向かってこんなこと言われてもな。困るよな反応に。自分で自覚しながらも、ここで有耶無耶にするわけにもいかず、いくらか呼吸を整えて乾いた口の中の唾を飲み込み、ぐっと拳を握った。

「で、でもね、い、いつかは絶対普通に触れるようになると思うし、見てもなんとも思わなくなると思うし、気にしなくなると思うんだよ!」
「・・?」
「要するに慣れの問題だと思うわけで、だからつまりそのね、もう少し時間が欲しいっていうか、アレンもしばらく嫌な思いするかもだけど私が慣れるまで待って欲しいなとかそういうことなわけで・・・」

 絶対絶対、いつかは平気になると思うんだよ。人間は慣れる生き物だしね、私の順応力を舐めるなよ!ってことであって、ただすぐにすぐは無理なだけで、その間はやっぱりアレンにとっても苦しいかもしれないけど、少しだけ、もう少しだけ、時間が欲しいわけで。受け入れたくないとか、そういうことじゃないってことだけでも伝わって欲しいなぁとか!思ってるわけなんですが!そんなことをもごもごと、早口に且つ支離滅裂に捲くし立てれば、ひどくきょとんとアレンが目を瞬いた。その顔がとても幼く見えて、相手子供だもんなぁ、とそんなこと思う。そんな子供相手にこんなに必死になってる自分って・・・。いや、でもそれは大切なことだよ、うん。なんてことを言い聞かせていると、不意にアレンが俯いた。・・・え、ちょ、アレン?!

「ア、アレン?」

 俯いたアレンの旋毛に向けて、おろおろと声をかけて、躊躇いがちにそっと手を肩に伸ばす。そうすると、震えている感覚が伝わってきて、まさか泣いたのか?!ぎょっと目を見開いた。生憎と表情は見えないし、震える体の振動のみが状態を伝えてくるだけだ。ど、どうしよう。無意識に頭に手を伸ばして撫でようとすると、ふとくく、と高い声が聞こえてうん?と手を止めた。

「・・アレン?」
「く、ははっ・・・あははは!、ちょ、必死すぎますよ・・・っ。言ってること、よくわからないし・・・!お、おかし・・・っ」
「・・・・・」

 笑ってやがったのかこいつ!目に涙まで浮かべて、ソファの背もたれを掴みながら笑い声を零すアレンに、一瞬ぽかんとしながら、溜息を零してがっくりと項垂れた。えー笑われるとかどうなのよ。私なりに色々考えてたのにさ・・・。そりゃまあ、かなり支離滅裂だったと思うし、早口だったから聞き取りにくかったところもあるかもしれないし、確かに・・・必死だったけど。でも笑うってひどくね?そう思いながらも、くすくすと笑うアレンに、肩の力を抜いて苦笑を浮かべた。・・・ま、これで気まずい雰囲気がなくなるならいいんだけどね、別に。

「でもさ、アレン。ちょっと笑いすぎじゃない?」
「すみませ、ツボに入ったみたい、で・・・っ」
「・・あ、そ」

 言いながら、目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、肩を震わせて顔あげるアレンに、いささか面白くないと思いながらも肩を竦めてむに、と頬を抓った。勿論痛くないように、ではあるがアレンの馬鹿みたいににやけた顔は益々可笑しなことになっている。

「ちょ、・・・!」
「んー・・・ま、笑ってたほうが嬉しいからいいけども、あんまり笑いすぎないでよ?」

 恥ずかしいからさ、さすがに。頬が伸びてどこかくぐもった声でアレンが名前を呼ぶので、そう言い返しながら、頬を開放して背中を向ける。あーったく。私の真剣に考え込んだ時間はなんだったのさ。気まずいかなーとか思ってたのに、笑いで相殺されるってこれ如何に?
 そんなことを考えながら、元々座っていた椅子まで戻り、そして壁掛け時計に視線を向ける。・・・そろそろ次のバイトの時間かな。いそいそと支度に取り掛かろうとすると、。とアレンに呼び止められる。それに笑いの発作は収まったのか?と振り返れば、柔らかな微笑みを浮かべてアレンがじっとこっちを見ていた。

「僕、待ってますから」
「ん?」
「待って、ますから。・・・ありがとう、

 そういって、くしゃりと笑ったアレンは・・・・なんだか、泣いているようにも、見えたけれど。
 悲しそうではなかったから、まあいいかな、と私はそれに笑い返した。とりあえず、あの物凄い気まずい感じの雰囲気払拭されたようでよかったよかった。大丈夫。私アレンのより結構えぐいもの知ってるから、多分すぐに慣れると思うよ。まあ、そんなこと口には出さなかったけどね。