ユートピアは今此処に
ガタゴト、と時折ある小石を轢いて跳ね動きながら、押し車を押して町並みを歩いていく。
押し車の前は袋がとりつけられるようになっていて、その中に物を詰め込んで持ち運びができるという中々の優れものだ。車体本体も組み立て式なので、町から町への移動のときは袋を外し、畳めば楽に持ち運びが出来る。なんて便利な代物なのか。先生の知り合いに細工加工が得意な人がいてくれてよかった!しみじみと思いながら、後ろを振り返った。
「ほらアレン。早く行かないといいものが売り切れちゃうよ」
「待ってくださいよ。僕こんなに荷物持ってるんですよっ?」
言いながら、それでも駆け足で隣に並んだアレンの両手には買い物袋がそれぞれ二つずつぶら下がって、動くたびにがさがさと揺れてはアレンの体にぶつかっている。ぱんぱんに膨らんだそれを見下ろして、あー、と納得の声を出してから苦笑いを零した。
「買いすぎたかな?でもこれぐらい買ってないと一日でなくなっちゃうしねぇ・・・」
なんせアレンの食事量は半端ではない。一週間以上はある食料だというのに、たかだか三日程度でなくなってしまうのだ。道行く人がぎょっとその荷物量に目を見開いて通り過ぎる視線を感じながら、ガタリ、と押し車を押す。アレンは自分の両手にぶら下がる袋を見下ろして、小さな溜息を零した。
「自分が食べる分ですから、文句なんて言えないのはわかってるんですけどね」
「だよねぇ」
この食料のほとんどが、この小さな少年の胃袋に納まってしまうのだと、一体誰が想像するだろうか。よいしょ、といいながら袋を持ち直すアレンをしみじみと見て、食べる量に反比例して細っこい体に若干の羨ましさを覚える。きっとメタボとか肥満とかダイエットとか、そういう言葉とは永遠に無縁なのだろうなぁ。この野郎。まだ子供だからこそ、マリアン先生みたいな引き締まった体、だなんてことは微塵にも言えないけれども(年の関係もあるし)その細腰には視線が吸い寄せられるというものだ。そういやなんか前危ない趣味の、貴族のおばさんに捕まりかけたって、泣きついてきたっけかな?アレンに目をつける危ない趣味というと、あれか。美少年趣味みたいな。要するにショタコンとかそんな感じの。いや、もっと悪い表現をするのだとしたら・・・ペドといわれるようなあれでそれなニュアンスだろう。そんな人に目をつけられるとは、運が悪いことこの上ない。逃げられてよかったね、と慰めたのは記憶にも新しい。先生なんかは、そういうのに捕まった方が金がもらえるんじゃないか、となんとも聖職者として相応しくない台詞を述べたものだ。冗談なのだろうが、ちょっとそう聞こえない部分もあったので、もしかして本気も混じっていたのかもしれない。アレンにしてもそれは感じたらしく、先生を睨みつけながら私からは離れなかったなぁ。世の中怖い趣味の人がそこかしこにいて困る。とりあえずアレンが無事で何よりなのだが、まあそんなことはさておき。
「後は果物買って終わりだから。頑張ってアレン」
「はい」
ぽん、と肩を叩けばにこり、とアレンは笑って頷いた。十歳程度の子供が抱える荷物にしては本当に重いものなのだが、日頃修行を課せられているアレンにしてみれば、まあやってやれないことはない荷物なのだろうか。私なら間違いなくリタイアしているだろうな。ていうか修行とかいっても、私アレンがバイトに勤しんでいるところ以外見たことはそうないけどな。後は筋トレ?まあそれでも、ちらりと見えるアレンの腕に筋肉がついて存外しっかりしているのは知っているのだが。・・・アレンがマリアン先生みたいながっしり体型になるとはあんまり想像できないんだけどなぁ。なんかこの子はいつまでたっても細身というか。いや、それでいいんだけどね本当。果物が並んでいる店先に立ち、籠の中に積まれているそれと値段をしげしげと眺めながら、一つのリンゴに手を伸ばす。真っ赤で艶々のリンゴは甘くて美味しそうだが、ただ赤いだけでは蜜が詰まったリンゴかどうかはわからない。見分けるのって難しいんだよねえ。
「リンゴを買うんですか?」
「安いからね。そこのオレンジでもいいけど・・・それともバナナにする?」
「なんでもいいですよ。僕どれも好きですから」
そしてその顔にはどうせなら全部食べたい、とにこやかな笑みの下にそんな願望が見え隠れしているようで、私は笑いながらなんとなくで選んだリンゴと、オレンジとバナナを包んでくれるようにお店の人に頼んだ。言っておくが、私は適当に選んでもなんでか甘くて美味しい果物を選べる超直感の持ち主なのだ!・・・いや、でもまじで外れたことないんだけどねぇ。
「あれ、。そんなに買うんですか?」
「まあ果物ぐらいは奮発してもいいかなっと」
代金を支払い、紙袋に入ったそれを受け取りながら、押し車を押して店の前から歩き出す。隣に並んだアレンを振り返り、その両腕の中にある袋の一つを手にとって押し車の上に乗せた。
「あ、」
「これで少し軽くなったでしょう」
「ありがとうございます、」
「私が持ってるわけじゃないけどね」
まあでも二個三個はちと無理だな、このサイズの押し車じゃ。片手が軽くなったのか、心持ち足取りも軽くなったようなアレンに笑いかければふとその視線が動いたのに気づく。つられてアレンの視線の先を追いかければ、アイスクリームを売っている屋台のようなそれが視界に入る。そこそこ人が並んでいる辺り人気なのだろうか。食べたいのかな、と思ったが、次の瞬間にあぁ違うかもしれない、と押し車の取っ手を握り締めた。アレンの視線の先は間違いなくアイスクリームの店だ。けれどその店先に、少年と父親と思しき男性が立っている。その男性が、店の人から受け取ったアイスクリームを少年に差し出して、少年は嬉しそうに笑うのだ。そして背を向けて去っていくのになんともいえない気持ちを味わいながら、アレンを振り返れば彼は小さく微笑んでいた。寂しさを混ぜたような、懐かしさに恋しがるような、幸せな物語を読んだような。ただただ笑みを浮かべるその顔を見つめて、なんだかなぁ、と内心でぼやいた。こんなシーンは苦手というか自分がそんなシーンに立ち会うことになるとは今まで考えたことも無いのだ。どうしたものかな、と思いながらしばらく無言でいると、アレンはこちらを向いて呼びかけてきた。
「」
「ん?」
「アイス、食べませんか?」
「・・・うん。いいよ」
アレンが何を思ってそう聞いてきたのかわからないが、断る理由も思いつかなくて私はこくりと承諾した。途端アレンは嬉しそうにはにかみながら、買ってきます、と言って駆け出していく。
あ、荷物、と小さく呟いたのだが、どうやら届かなかったらしくアレンは買い物袋を体にばしばしと打ちつけながら走り、アイスクリーム店へと真っ直ぐにいってしまった。ちょっと異様な光景。
後々、あぁ食べるって言い出すのは私からにした方がよかったのかな、と思ったが今更だ。
相変わらずそこに思い至る思考が遅いというか自分行動力がないというか、なんだかなぁ、と再び溜息を零してその場で待っていると、くるりと、アレンが振り返った。
「ー!どのアイスがいいですかーっ?!」
街中に響き渡る大声に、思わず私は目を見開いてぎゃぁ!と内心で声をあげた。
アーレーンー!!大声はやめてくれ恥ずかしい!アレンの声に、その視線の先を追うように集められた視線に内心で悲鳴をあげながら、私は俯き加減に押し車を押して駆け出し、アレンの頭を軽くぺしりと叩いた。
「こんなところで大声出さない!恥ずかしいでしょっ」
「いたっ!」
若干声を潜めて眉をキリリ、と吊り上げながら嗜めれば、アレンは叩かれた額を摩りながらごめんなさい、と謝ってきた。無邪気なのはいいけれど街中で大声出されると本当に恥ずかしいんだからね。とはいってもそんなに怒っているわけでもなく、私はわかればよろしい、と大仰に頷いてしゅん、と落ち込んでいるアレンの頭を軽く一撫でするとお店を振り返る。
「ははっ。ねーちゃんに怒られちまったな、坊主。ほら、嬢ちゃんは何が食べたいんだ?」
「え?あ、・・・バニラを」
「じゃあ僕はチョコレートをお願いします」
復活早いなアレン!落ち込んでいたと思っていたが、頭を撫でたことで復活したらしいアレンはささっと横から口を挟むので、おじさんも笑いながらアイスをスプーンで掬い取っていく。ていうか、そうか。姉弟に見えるんだ。ついでにいうなら私はちゃんと姉に見えるらしい。・・・多分外見的要素ではなくて、やり取りから予想するものなんじゃないかとは思うが。あ、それはそれでちょっと切ない。どうせ私は童顔ですとも悪いか!!東洋人は若く見られるものなんだよっ。まあ、実際若いのだが、中身があれなのでちょっと複雑な心境。そんなことを考えながら、差し出されたアイスを受け取り代金を支払い、その辺で食べようか、と軽く木陰になっているところに入っていく。その場所に落ち着きながら、ぺろりと舐めたアイスは甘くて、冷たかった。
「美味しいですね、」
「そうだねー」
アレンもぺろぺろと赤い舌を出して満足そうにアイスを舐め取る様は、先ほど親子を眺めていた大人びた表情からかけ離れた無垢な姿だ。私はバニラの甘い味を舌の上に感じながら、そんなアレンを盗み見て、結局何がしたいんだろうな、と首を傾げた。単純にアイスが食べたかったのかもしれない。深読みをすればもしかして記憶に追い縋っているのかもしれないし、こうしていることでアレンは何かを決意しているのかもしれない。ただ想像ばかりが膨らむだけで、真実など何一つとして見えてはこないが、それはそれでいいだろうと一人納得した。人の心なんてわかりはしない。そして、特別深く追求したいのだと、そういうわけでもないのだ。多分知っても私には背負いきれず、どうしようもないことだろうから。カリ、とコーンの部分を齧った。問いかける言葉など、私は何も持っていない、フリをする。
「今日はスペアリブなんだけど、明日は何する?」
「んー・・・オムライスがいいですねー」
「オムライスね。チキンライスとガーリックライスだとどっちがいい?」
「どっちも食べたいです!」
「じゃあアレンだけ両方作っておこうか」
そんな簡単な献立の話を交わして、笑いかければアレンの顔は喜色に彩られる。食べることが本当に好きな子だよね、と思いながらガリリ、と最後のコーンまで食べ終えるとくしゃりと包み紙を丸めて、近くのゴミ箱へと投げ捨てた。ぽんっと、籠の中で放った紙くずが跳ねる。
「帰ろうか」
「はい!」
振り返り、笑えばアレンも笑顔で頷いた。アイスクリームに何を思ったか、私は知らないけれどもこうしてただ普通に過ごせていれば、それだけで十分だと思うんだ。
だって、それ以上なんて、私はいらない。