我が家は割りと平穏です。
今日はお掃除デーだ。朝起きて、カーテンを開けた空が綺麗だったから、あまり意味はないけれどそう決めた。こんなもの気分だ気分。あぁ掃除したいなぁ、と思えばすればいいのである。勿論日頃の掃除も大切だが、偶にむしょうに大掃除めいたことをしたくなるのだ。まあそこまで本格的にする気はないけれども、とりあえず普段適当にすましているところを真面目にやってみようかなぁ、と思う。幸い街から街への渡り鳥である私達にとって、荷物というのはさして多くはない。つまり掃除がしやすいということだ。残念ながら今日の私は全くもってフリー。バイトが一つも入ってないという奇跡っぷり。その代わりアレンが大層たくさんの仕事が入っているようだが、まあそこは運の問題といっておこう。思い立ったが吉日とはよくぞ言ったものだ。さてさて。
「マリアン先生、起きてください。布団干しますから!」
「・・・ほっとけ・・・」
「こんな天気のいい日に干さなくてどうするんですか。ふかふかの布団で寝たいでしょう?」
いいながら丸まる先生の掛け布団をぐいぐいと引っ張り、べしべしと布団ごしに体を叩く。
実際は目も覚めているくせに布団の中から出てこないなんて、なんて怠惰な!私も現代にいたころはよくやってたけど!
「気持ちはわかりますけど、起きてくださいよー」
「・・・」
「先生、引きずり込もうとしないでください!あぁもう、ほらっ」
にょき、と脇から伸びてきた腕で捕まえようとするのに気づいて、さっと回避しながら力任せに布団を剥ぎ取る。べりっという効果音がつくわけではないが、表現するならそんな感じだろう。実際には勢いに合わせてばさっと空気を叩く音がして、布団の上で寝転がっていた先生の全貌が露になった。夕日を少し溶かしこんだような赤い髪が、白いシーツに散らばるとそれはもうはっきりと色味がわかる。私には一生かかっても作れない大きな体が無防備にベッドの上に転がっていると、この人のこんな姿、見るのも晒すのも私ぐらいだろうなぁ、とそんなことを考えた。掛け布団を抱えてさっさと上から退いてくれないかなぁ、と考えていると、枕に顔を埋めていた先生が、非常に不機嫌そうに眉を潜めて睨んできた。
「・・・」
「うっ。・・ご、ご飯はテーブルにもう用意してますから、さくさくっと食べてくださいねっ」
名前を呼ぶ声はいつもよりも低く、掠れている。完全なる寝起き、というわけでもないくせに、無駄に怖いな本当!しかしまあ、そこは慣れの問題もあるのだろう。私は多少怯んだが、捕まる前に、とさっと言い逃げをしてとりあえず剥ぎ取った掛け布団を干すために庭まで出て行った。きっと先生は後ろで舌打ちでもしながらのっそりと起き上がっていることだろう。アレンの分と私の分、そしてその横に更に先生の分の布団を干しながら、真っ青な空を見上げる。少しだけ眩しくて、目を細めると踵を返した。先生の姿はすでにベッドの上にはなく、大人しくリビングに向かったのだろう。コーヒーもちゃんとコーヒーメイカーに入れてあるし、あとは勝手にするだろうと見込んで、シーツを引っぺがした。先生の分の布団も干し終わり、シーツも洗って庭には白い布団とシーツ、そしてそれぞれの服が並んで風に吹かれるなんとも平和で家庭的な光景が広がっていた。・・・マリアン先生に家庭って激しく似合わないよなぁ、と思いながらも現実にありふれた光景が出来上がると、わけもなく感慨深くなる。隣近所の庭にも似たような光景があるあたり、我が家もそこらの一般家庭とさして変わらないのか、と思った。そんな庭を後にして、今度は室内の掃除に移る。棚の上や隙間の埃、窓の縁、普段は目に付くところだけしているのを、目に付かないところまで手を伸ばして叩きと箒、雑巾を駆使して綺麗にしていく。先生はまさしく休みの日のあのぐぅたらしている親父のごとく、ソファに腰掛けてコーヒーカップ片手にそんな私を傍観していた。少しは手伝おうという気はないのだろうか。・・・いや、先生が自ら掃除をしている様はあまり想像がつかないので、あえて考えまい。
「今日はやけに張り切ってるな」
「そういう日もありますよ。ほら先生、足退けてくださいよー」
退け、とばかりに手に持った箒で邪魔ですー、と意思表示をすると、眉を潜めながら先生は面倒そうに足を退けた。先生大きいからいるだけで割りと邪魔臭いなぁ、と思うときがあるんだね。特にこういう掃除とかしてると。本人としては甚だ不愉快でしかないだろうが、ここがやっぱり家事をしている側としてない側の違いなんだろう。家事に関して先生に発言権はない。多分。そのままソファの上にでも寝転んでいてくれれば楽なのになぁ、思いながらささっと足元を掃いて、埃やゴミを一箇所に纏めていく。掃除機があればいいのになぁ。あぁ、文明の利器が恋しい。そうして室内をパタパタと駆け回り、リビング、私室、お風呂場、玄関。やっている途中にお昼がきたので、一旦掃除を止めて昼食を作る。ていうか先生、どこに出かけるでもなくずっと家にいるって暇なんですか。暇なら少しは手伝ってくれればいいのにー、とぼそりと呟けば、それはお前の仕事だ、といけしゃあしゃあと言い捨てられた。・・・本当にその辺の親父みたいな人ですね!まさしく休日の父親を彷彿とさせる有様に、どこの世界でもそんなものなのかなぁ、と思いながら簡単な昼食を作ってもそもそと二人で食べる。アレンにはお弁当持たせているし、今頃もきゅもきゅとハムスターのように頬袋を作っていることだろう。アレンは綺麗に食べてくれるから片付け楽なんだよねぇ。量は多いが。そしてご飯を終えると、食器の洗いものをささっとすませて、掃除の続きに取り掛かる。先生はさすがに退屈になったのか、長い足を持て余すようにソファに横になり、タバコをふかしながらぼんやりと天井を見ていた。実は眠いんじゃないかあの人。かといって一々構っていられるはずもなく、というか大人しくしてるならそれはそれでいいだろう、と諸々を終わらせて、最後の仕上げとばかりにきゅきゅっと床を磨き上げる。
そうしていると時間というのはかなり経っているわけで、麗らかな午後の昼下がり。そんな表現の似合う大体三時ぐらいの気だるい時間帯であろうか。時計を確認して、ずっと曲げていて強張っている腰を伸ばす。ボキボキって音がした、今。うわーもう年か?ちょっと眉を潜めつつ、使った掃除道具を片付けていると、不意に声がかけられた。
「」
「はい?」
雑巾を使っていたので手を石鹸で洗い、泡のついた手のまま後ろを振り返れば、寝転がっていた先生は起き上がり、背もたれにふんぞり返るように片腕を回しながら、足を組んでいた。・・・偉そうだなぁ。言えば偉いんだよ、と言われそうな様子だ。
「ちょっとこっちに来い」
「はぁ・・・。ちょっと待ってください」
くい、と人差し指を動かして呼ばれて、なんだ?と思いながら手についた泡を洗い流し、タオルで拭いてからくるりと踵を返す。先生はその様子を上から見下ろすように見ていて、近寄った私に特に表情を動かす様子もなく、ぽん、と隣を叩いた。
「ここに座れ」
「・・・はぁ」
え、何故?戸惑いを浮かべて気の抜けた返事を返して、先生とその横を何度か交互に見やる。返事はしたものの、中々座ろうとしない私にじれたように先生は眉を潜めて、ぺしぺし、ともう一度横のクッションを叩く。
「さっさと座れ」
「わかりました」
説明はしてくれないのね。そう思いながら、よいしょ、と先生の隣に腰を下ろす。一体なんの意味があるのだろうかと思ったが、振り返って問いかける前に、思わぬ行動に先生が出た。なんと、座った私の膝の上に、先生が断りもなく頭を乗せてきたのだ!ていうかちょい待て!!
「先生っ?!」
「じっとしておけ」
「いやいや、なにやって・・っ」
膝の上に乗った頭に目を丸くし、えぇ、なにこれ!と内心の声を荒げてみるが、しでかした本人は気にした素振りもなく、ふっと肩の力を抜いて片腕を目元の上に置いた。動こうにもさすがに頭が膝に乗っている状態で動けるはずもなく、そして先生の頭を落とすだとか無理矢理退ける、なんて命知らずな行為ができるはずもない。結果的に、おろおろと戸惑うしかできず、私は困ったように眉を下げて先生の顔を見下ろした。
「・・・せんせー」
「なんだ、その情けない声は」
「情けなくもなりますよ・・なにしてんですか」
いい年して子供の膝の上に頭乗せるとかどうよ。どうせならもっとこう、太股がむっちりとした大人のお姉さんの膝の上がいいと思うんですけど。先生ならそっちの方が似合いますよ、絵的に。ついでにお姉さんも喜んでしてくれますよ。私外見子供ですからね?でも先生大人でしょう?ね、ほらビジュアル的に可笑しいですって。ミスマッチ。というか足重たいしね、身動きできないしね、膝枕する側って大変なんですよちょっと。私好んでしたくはないなー。
「お前は黙って枕になれんのか」
「枕が欲しいんなら持って来ますけど」
「これで十分だ。お前は黙って大人しくしていろ・・・俺は寝る」
「寝ないでくださいよ・・・」
ちら、と腕を退けて片目を覗かせ、さもピーチク五月蝿いなぁ、とでも言いたげな様子に肩も落ちる。いや、でも真面目にこの体勢は望ましくはないんですが。ねえ先生、寝たいんなら布団ももう入れてますから、そっちで寝ましょうよ。ふっくらしていて気持ちいいですよ?
言ってみるが、再び顔を腕で覆った先生は人の話を聞くつもりはないらしく、動く様子もない。えーと。このまま寝られると私非常にきついというか、真面目に動けなくて大変なんですが。やることもないですしね。手元に刺繍も本もないですからね。ねぇ先生、いつまで寝てるかわからん人にいつまで膝枕してればいいんですか足が痺れる・・・!
「あーもー・・・人の頭って結構重たいのにぃ・・・」
むす、と言ってみるが、やっぱりこの人は反応などしてくれない。やがて溜息を零して私はぐったりと背もたれに背中を預けると、しょうがないなぁ、と眉を下げた。いや、もう本人に退く気がないと本当にしょうがないよね。この人を無理矢理退けるなどという芸当が私にできるはずもないわけで、結果的にこの人が自然に起きるか、私がどうしても動かなくてはならなくなるときがくるか、その時まで放置に入るのだろう。全く、自由な人だ。あーあ、と思いながらそろそろと伸ばした手で、膝の上に散らばった赤毛にさっと触れてみる。・・・髪、長いなぁ。そしてまじまじと寝顔を見下ろし、別に見慣れたものではあったが、まあなんというか。
「この仮面の下はどうなってるんだろう・・・」
常々、なんでこの人半面が仮面なんだろうな?と疑問に思いながらカチ、コチ、と室内に響く時計の音に、さてこの後どうしたものかなぁ、と小さな吐息を零した。・・・退屈でしょうがないんですけど、先生。