飴玉
けほり、と軽く咳き込んで万年筆を動かす。羽ペンでないだけマシとはいうが、できることなら鉛筆とかそういうのが欲しい。シャーペンは高望みだと、この時代背景を理解しているならわかりきっているので言わないが、せめて鉛筆と消しゴムぐらい開発してもいいとは思わないか。
教団とか伯爵ってすごい科学力持ってるじゃないか。そういうのをさ、こういう日常のささやかな部分で発揮とかしてみない?案外こんな細かいことが改善されると色々と便利になるもんだと思うんだよ私。・・・とりあえず書き直しができないのが痛いよな、と思いながら再び軽く咳を零した。あー・・・喉がイガイガする。
「風邪か?」
「いえ、今日お店で声出しすぎちゃったんでそのせいだと・・・けほっ」
家計簿をつけていたペン先を止めて、文字が滲まないようにノートから放しながら喉をさする。
横でソファに座り、お酒と共に摘みとして用意しておいたチーズとクラッカーを口に運んでいたマリアン先生が、僅かに眉を潜めた。
「嗄れてるな」
「あー、やっぱりそうなんですか?」
声が出にくいとは思っていたが、やっぱり嗄れていたのか。今日は忙しくてほぼ一日中声張り上げてたからなぁ。そうでもしないとお店の中じゃ会話ができないほど五月蝿かったし。仕方ないよね、と思いながらキシリと椅子を引いて立ち上がる。水でも飲んで潤そう。どうせ明日になれば治ってるだろうし。掠れている、というかやはり声が出ていないのだろう。なんとなく喉の奥がむず痒いような違和感を覚えつつ、けほけほと咳き込んでキッチンまで向かう。置いているコップを手に取ると水道の蛇口を捻り、じゃっと勢いよく出た水をコップに注いで、適量で再び蛇口を捻って水の流れをせき止める。勢いが良すぎたせいか若干粟立った水の透明な水面を眺めて、ごくりと喉を動かして水を飲み干す。飲み干すとほっと息をついて、違和感を覚える喉に手をあてて、多少マシになったように別にそして変わらないような、と思いながら軽くコップをゆすぐと逆さまにして脇に置いた。うーん。今日は喉を冷やさないように注意しないとな。さて、それよりも家計簿家計簿。なんとか今日はまだ赤字にはなっていないが、いつ黒から赤へ変わるかわかったものじゃない。それが終わった後はご飯の準備してーお風呂のお湯張ってー後片付けをしたら一区切りかな?つらつらとやることを考えて再びテーブルまで戻り、万年筆を握ると不意に呼ばれて、振り向いた。
「」
「はい?」
こてん、と首を傾げながら振り返れば、先生の手元に何やら似合わないカラフルな包装紙がある。いや、正確に言うと包装紙に包まれた小さなお菓子が、だが。両端を捻って包んであるそれを、先生は無言でくるりと逆に捻って包装紙を剥がしていく。出てきたのは鮮やかな緑色の飴玉で、なんでこの人がそんなものを、と思いながら先生の指がそれを抓むのを怪訝に見やった。
そして、先生は無言で飴玉を抓んだ手を私の口元に持ってきて、端的に述べた。
「食え」
「・・・え、あ、はい。ありがとうございます」
何ゆえ包装紙を剥がした?剥きだしの飴玉と見つめてくる先生に疑問を覚えつつ、飴を受け取ろうと掌を向ける。
なんでこの人が飴なんか持ってるんだろう、とか気遣いを見せてくれるとはなぁ、とか色々と思うところはあったが、まあなんだ。飴を舐めてたら確かに喉は潤いそうである。
ありがたく受け取ろう、と思って差し出した掌に、けれど何故か飴は一向に落とされない。・・・先生?
「あの、その飴私にくれるんじゃ・・・?」
「やろうと思ったが・・・つくづくお前は場の空気を読まないな」
「え、十分気遣ってるつもりなんですけど」
溜息混じりにつまらなさそうに言われて、私は目を見開いて首を傾げた。十分周りに気遣ってるつもりだし、バイト先でだって店の人やお客さんに「よく気が回るねぇ」と言われるのに、空気を読まないなんて心外である。十分読んでいるつもりだけどなぁ。何がいけなかったのだろうか、と思いながら眉間に皺を寄せると、マリアン先生は肩を竦めてこういう時は、とふん、鼻を鳴らしながら口を開いた。
「口をあけて待つもんだろう。なんのためにわざわざ俺が包装紙まで取ってやったと思ってんだ」
「その為なんですか。確かになんで包装紙取ったんだろうとは思ってましたけど・・・嫌ですよ食べさせてもらうとか。恥ずかしい。自分で食べれます」
どんなラブコメだそれは。むしろどこのカップルの真似事をしたいんだろうか。そんなことはそこらのお姉さんといちゃこらしつつやって欲しい。自分そんなキャラじゃない、と顔を顰めながら溜息を零して先生の手から飴玉をもぎ取ろうと手を伸ばす。
ひょい。
スカ、と宙を掻いた手と元の位置から上に上がってしまった先生の手に、一瞬沈黙が流れた。
えーっと。何がしたいんだこの人。思わず半眼で呆れきった視線を向けてしまったが、マリアン先生はさして堪えた様子もなく、むしろ意地が悪そうにクッと口角を吊り上げた。
なんとなくイヤーな気がしつつも、もう一度腕を伸ばす。ひょい。また遠ざかる。今度は椅子に足をあげて、より遠くまで届くようにしながら手を伸ばす。ひょい。またしても逃げられた。おのれ・・・!
「先生。飴くれるんじゃないんですか?」
「欲しけりゃ口をあけてみればいいだろう」
「だから嫌ですってば!なんでそんな恥ずかしいこと私がしなくちゃいけないんですか。普通に食べれるんですから普通にくれればいいんですよっ」
「それじゃ俺がつまらん」
あんたの暇潰しかおい!!と思わず大声を出しそうになったが、さすがに嗄れた喉でそんなにギャアギャアと喚きたくはない。にやにやと笑って目の前でちらちらと飴玉をちらつかせる先生に、呆れ半分疲れ半分の視線をじろりと向ける。脱力感すら覚え、椅子の背もたれに正面からもたれかかりながら額に手を当てた。
「いい年してなにふざけたこと言ってるんですか・・・」
「」
「はい?」
「さっさと口をあけろ。俺の手がべたつくだろうが」
はあぁぁ、と溜息を零して項垂れるように低く愚痴を零し、名前を呼ばれたので多少ぶっきらぼうに反応すればまたしてもマイペースな発言に頭が痛い。おい、ならさっさと手渡ししてくれればいいだろうがよ、と言いたかったが、なにかこう、先生の愉快犯的な部分に火がついてしまったのだろうか。時折猫みたいに気まぐれな部分がある人だ。今回は私に食べさせる、という部分に執着しているようで、ずい、と再び口元に突き出された飴玉にうぅ、と小さく唸った。
「・・・・先生、羞恥心という言葉を知ってますか」
「知っているが、それがどうした」
「今現在私はその羞恥心というものを覚えていまして、簡単に言うなら先生の手からそれを食べるというのは激しく抵抗があるんです」
「俺には全く関係ないな。いいからさっと食え」
「俺様ーーー!!」
少しは考慮してくれてもいいじゃないか!!はん、とばかりに鼻先で笑い飛ばされ、思わず声を張り上げたが次の瞬間に咽た。げほげほっと咳き込むと若干馬鹿にしたような目で見られたが、原因あんたですからね!と思わず下から睨みつける。しかしながら私の睨みが効けばいいのだろうけれど、生憎とそんなものが効くはずもなく。ほら食っちまえ、とばかりに口元により近づいた飴に、心底嫌そうな顔をしながら諦めの溜息を一つ零した。
「何が楽しくてこんなこと・・・」
「いつまでもグズグズしてないでとっとと食えばいい話だろうが。そうやって躊躇ってるから余計に抵抗があるんだろう」
「先生が普通に手渡ししてくれれば物の数秒で終わることでしたよ」
「お前がさっさと食べても同じ結果だったろうな」
「・・・も、いいです」
堂々巡りだ、と気がつけば腹を括るのも早い。これ以上の問答は無意味だとそうそうに見切りをつけると、根負けした私は渋々と口を開いて先生の指に触れないように飴玉を歯で挟んだ。生憎先生の指まで口にいれる趣味はないからなぁ。そうするとやっと先生は飴玉から手を離し、私は甘いメロン味のそれを口の中にいれることに成功する。コロコロと舌の上で転がせば、じゅわりと味が広がって甘くて美味しい。こくり、と甘い蜜を飲み込んで、ほっと息を吐きながら満足したように再びワイングラスを手に取った先生に、私はそういえば、と軽く小首を傾げた。
「なんで飴なんか持ってたんですか?」
「あぁ・・・貰ったからな」
「え、誰に」
「女」
ごめんなさい。その時の状況がサッパリわかりません。なんで先生に飴を女の人があげるんですか?さら、と言われて眉間に深く皺を刻むと、先生はボトルの首を掴んでトクトクとグラスにワインを注ぎながら、口を開いた。
「そいつはタバコが嫌いでな。口寂しいなら飴玉でもどうだと持たされたんだ」
「へぇ・・・突っ返さなかったんですか?」
「無理矢理持たされたからな。まあ無理に返すこともないだろう、飴玉ぐらい」
「それは、まあ確かに」
飴ぐらいでツンケンするなんてどんだけ心が狭いんだという話になるし。甘いものが嫌いというのならばまだしも、別に先生そんなことないもんなぁ。コロコロと口の中で飴玉を左右に転がしながら、なるほど、と頷いてようやく座りなおす。そうして万年筆を改めて握り、くるり、と回した。
「・・・だからといってあの行動はないよね・・・」
「何か言ったか?」
「なんでもないですよー」
甘く溶けていく飴玉を転がしながら、本当に恥ずかしい行為というか、想像すると非常に微妙な気持ちになるよな、と溜息を零した。飴は美味しいのに、なんだかとっても複雑である。
気にしたら負けなんだろうか、と小さくぼやいて、カリカリ、と黒いインクを紙面に滑らせた。